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2025-07-13 05:40

怒られないための勉強はやめよう

自分の考える理想像になるために大学や専門学校に入学したのに
半年も経つと視野がぐっと狭くなり、
目の前の課題や負担しか見えなくなる学生が出てくる。
いつの間にか学校に嫌われないための勉強になっているのだ。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20220915/1663209000

サマリー

このエピソードでは、学生が本来の学びの目的を忘れてしまう現実を掘り下げています。特に、学校のシステムに縛られ短期的な目標を追求することが、効果的な学びを妨げるリスクを指摘しています。

学びの目的の探求
はい。今回は、DIKUSHIMAさんのブログ、プチメタ3.0からですね、
いつの間にか学校のために勉強している学生たち、という、
ちょっと考えさせられる記事を見つけましたので、一緒に掘り下げていければと思います。
はい。
今日のテーマは、「学びの本来の目的って何なんだろう?」ということですね。
ええ。非常に重要なテーマですね。
で、早速なんですが、記事はすごく印象的なラテン語の格言から始まってるんですよね。
ノンスコラエッセドビタイディスクミス。
ああ、はいはい。
これ、日本語だと、我々は学校のためではなく、人生のために学ぶ、という意味だと。
いや、これ結構、心に響く言葉じゃないですか。
ええ、本当にそうですね。この記事のまさに核心をついているというか、問題提起の出発点になっていますよね。
うんうん。
菱田が言いたいのは、多くの学生さんが、入学したての頃の意欲、つまり人生のために学ぶぞっていう気持ちを、いつの間にか忘れちゃうんじゃないかっていう、そういう現実を指摘してるんですね。
ああ、なるほど。ありますよね、そういうの。記事にもありましたけど、大学とか専門学校とか入った直後っていうのは、みんな、「よし、やるぞ!ここでしっかり学んで成長するんだ!」ってすごく引き込んでいる。
ええ。
あなたも何か新しいことを始めた時に、ワクワクする感じはありますよね。
ありますね。高い目標を掲げたりして。ただ、筆者の観察によると、その意欲がちょっと続かないケースも少なくないと。
うーん。
半年も経つと、一部の学生さんは日々の課題とか、試験とか、あるいは人間関係とか、そういう学校っていうシステムの中のことだけで、もう頭がいっぱいになっちゃう。
ああ。
それで視野がぐっと狭くなってしまうと、最初に持っていたはずのもっと大きな目的意識みたいなものが、なんか薄れちゃうんですね。
なるほど。そうなるとどういう思考になるかっていうのがまた具体的で、記事ではどうやったら楽に単位取れるかなとか、先生に叱られないためにはどうすればいいかとか、とにかく進級しないと卒業しないとまずいみたいな。
うーん。守りに入っちゃう感じですかね。
そうそう。そういうちょっと短期的な、ある意味守りの姿勢というか、そういう考えが強くなっちゃうって書いてますね。これもしかしたらちょっと耳が痛いと感じる人もいるかもしれませんけど。
そうですね。本来はね、自分の理想とか将来やりたいこととか、そういう目標に近づくために学校を選んだはずなのに、気づいたら学校っていうシステムをいかにうまくやり過ごすかみたいな。
ああ、ゲームみたいになっちゃう。
そうそう。そういうゲームになってしまっている場合があると。そうなると、課題が簡単になったり評価が甘くなったりしたら、それはそれで喜ぶかもしれないですけど、でもそれって本当に学んでるって言えるのかなっていう。
まさに筆者が本末転倒だって言ってるのはそこですよね。楽をすることとか、システムの中でうまくやること自体が目的になっちゃうと。
本来そこで得られるはずだった知識とかスキルとか、もっと言えば考える力とか問題解決能力とか、そういう自分の人生を豊かにするはずのものが、なんか手に入らなくなっちゃう。
そうなんです。学費っていうコストは払ってるわけですけど、そのリターンであるはずの成長機会を自分で手放しちゃってる状態になりかねないと。
うわあ、それはもったいないですね。
これって多分学生さんだけの話じゃなくて、我々が何かに取り組むときに結構陥りやすい罠かもしれないなとは思いますね。
ああ、確かに。目の前のタスクとか評価とか、そういうのに追われちゃうと、そもそもなんでこれ始めたんだっけっていうその根本的な問いを忘れちゃうみたいな。
だからこそ、この記事では結構強く問いかけてますよね。もう一回何のために入学したのか、その目的を思い出してみたらどうですかって。
そうですね。
で、今の学びが本当に自分の思い描く将来につながってるのかどうか、学校から吸収すべき本質ちゃんとつかめてますかって、自分に問いかけるべきだってこう促してるわけですね。
ええ、まさにその人生のために学ぶ、つまりV.T.Distimusっていう原点に立ち返ることの重要性ですよね。学校っていうある種のシステムの中で、その目的意識をどうやって持ち続けるか、どうやって主体的に学び続けるかっていう、これは結構普遍的なテーマだと思います。
なるほどな。要するに目の前の評価とか、進級とか卒業とか、そういう短期的な目標に目を奪われすぎると、かえって長期的な視点、つまり自分の人生全体を豊かにしていくっていう学びの一番大事な価値を見失う、そういうリスクがあるってことですね。
主体的な学びの重要性
まさにその通りだと思います。そこでですね、最後にこれを聞いてくださっているあなた自身にもちょっと立ち止まって考えてみてほしいなと思うんです。
今のあなたの学びとか、あるいは仕事への取り組み方って、短期的なシステム、学校とか会社とか、そういう目の前の枠組みのためっていうのが主になってしまっていませんか?
それとも、その先にあるもっと大きな人生っていう舞台で、これをどう活用しようかっていうことを意識して、知識とか経験とかを能動的に吸収しようとしていますか?
この2つのバランスって多分どっちが良い悪いじゃなくて、両方大事だと思うんですけど、時々意識的に見直してみるっていうのはすごく価値があることかもしれないですね。
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