大学生の学びの姿勢
さて、今回はですね、D.AIKUSHIMAさんのブログ、「プチメタ3.0」の記事に注目したいと思います。
はい。
ある大学教員の岩熊哲夫さんという方が書いた、「大学1年生のとんでもない勘違い」っていう文章がありまして、
これに対するAIKUSHIMAさんの反応、これがまあ、偶能とも出ないとか、素晴らしい内容、一分の七もないとまで言ってるんですね。
かなり強い言葉で評価されていますよね。
ですよね。で、今回は、このAIKUSHIMAさんの視点、彼が岩熊さんの文章から何を感じ取って、
今の大学生の学び方とか、あるいは大学と社会のつながりについてどう考えているのか、その辺りを一緒に掘り下げていければなと。
ええ、そうしましょう。
AIKUSHIMAさんが特に強く反応しているのは、岩熊さんが指摘する学生のある種の受け身な姿勢とか、甘いに見える部分、ここに対してですよね。
そうですね。
単に岩熊さんの意見をなぞるだけじゃなくて、AIKUSHIMAさん自身の社会経験とか教育感みたいなものが、結構色濃く出てる感じがしますね。
なるほど。
彼のブログからその核心部分を探っていきたいですね。
ご自身の経験なんかと照らし合わせてみると、また面白い発見があるかもしれませんよ。
確かに。
えーと、まずAIKUSHIMAさんが注目しているのは、授業への向き合い方ですかね。
ああ、そこですね。
出席さえすればOKみたいな、そういう考え方について、岩熊さんはもちろん復習が大事だって言ってますけど、
AIKUSHIMAさんは、特に学生からの番書をプリントで欲しいっていう、あの要望に対してかなり手引きしいんですよね。
そうなんです。そこは、はい。口頭説明が省略されたプリントに大した価値はないとか、他人が要約した結果を除いただけで理解した気になるのも間違いだと、かなりはっきり言ってますね。
バッサリという感じですね。
ええ。つまり、岩熊さんが言う、番書をちゃんと写して、復習で自分の言葉を書き込むっていう、その能動的な学びのプロセス?
はい。
これが大事なんだっていう点に、AIKUSHIMAさんが深く同意してるってことなんだと思います。
単に情報をもらうんじゃなくて、自分で考えて整理するっていう、そのプロセスを学生が軽視してるんじゃないかと。
うーん、なるほど。
AIKUSHIMAさんはそう見てるわけですね。
次に時間とか締め切りに対する感覚。ここもAIKUSHIMAさんかなり厳しく言ってますよね。
社会とのギャップ
ああ、ここも鋭いですね。
締め切りすぎても、まあ謝れば許されるでしょうとか、1分ぐらいなら大丈夫みたいな考えは、ただの甘えだと。
ええ、この点はAIKUSHIMAさんの、なんていうか、社会人としての視点がすごく強く出てますね。
そうですね。
岩熊さんは大学のルールとして、締め切り後の宿題は受け取れないとか、約束を守れない方が不誠実だって言ってるわけですけど。
はい。
AIKUSHIMAさんはそれを、もっかい広く、世の中の全てはそういうルールで動いているんだ、っていう普遍的な原則として捉えてる。
なるほど。社会のルールそのものだと。
そうなんです。だから1分遅れるのも、1時間遅れるのも、全く同じレベルで無価値なんだと。
うわあ、厳しい。
で、遅れた後で謝ったり言い訳したりするのは、全く意味のない行為だとまで言っています。
大学でのルールを守るっていうのは、もう社会に出た時の必須スキルを身に付けるための、ある種の訓練なんだっていう。
そういう考え方がすごく明確ですよね。
その社会とのギャップっていう点で、もう一つ興味深い指摘がありました。
AIKUSHIMAさんは、高校まですごく大事に対応されてきた学生が、大学でちょっと厳しい対応されると、すぐ軽縁しちゃうけど、それは大間違いだって言ってるんですね。
ええ、そこも重要なポイントですね。これはどういうことなんでしょう。
AIKUSHIMAさんの視点からすると、その厳しい対応っていうのが、実は学生にとってすごく価値があるんだと、そういうことなんですよ。
価値がある?
はい。世の中とのギャップを埋めるために叱ってくれる人っていうのは、本当に貴重な存在だと。
なるほど。
で、社会に出ると、自分の成長のために叱ってくれる人って、もう激減するんだと。
ああ、それは確かにそうかもしれないですね。
だから、岩熊さんが大学教育の役割として厳しさとか自己責任っていうのを言ってるのに対して、AIKUSHIMAさんはそれを、学生が社会で恥をかかないための予防接種みたいなものだと。
予防接種ですか?
ええ。成長に絶対必要な糧として、むしろ積極的に評価してるわけです。だから厳しい先生とかを敬遠するっていうのは、自分から成長のチャンスを捨ててるようなもんだぞと、敬称を鳴らしてるわけですね。
なるほどな。単にルールが厳しいってだけじゃなくて、その厳しさそのものに成長のための価値を見出しているっていうのが、AIKUSHIMAさんならではの視点なんですね。
まさにおっしゃる通りです。彼のブログ全体から知識を伝えるだけじゃなくて、ちゃんと社会で通用する大人としての基礎を大学で身につけるべきだっていう、そういう強いメッセージを感じますよね。
ええ。受け身の姿勢、時間感覚、それから批判への向き合い方、これ全部がAIKUSHIMAさんの中では社会性を身につける訓練っていう、そういう文脈で捉えられている感じがします。
今回はD.AIKUSHIMAさんのブログ記事を通して、岩熊哲夫さんが提起した問題、これに対するAIKUSHIMAさんならではの解釈をかなり深く見てきましたね。
ええ。単なる学生批判っていうことじゃなくて、大学教育が本来担うべき、その社会への橋渡し役としての重要性、これを改めて考えさせられる、そんな内容でした。
そうですね。私の教え子たちにも早く大人になってほしいっていう、AIKUSHIMAさんの言葉には、教育者としての切実な願いみたいなものが込められているように思いますね。
学生時代に経験する、その厳しさとか、失績みたいなものを、成長のチャンスとして捉えられるかどうか、AIKUSHIMAさんの視点っていうのは、その後の人生にも結構大きな影響を与えるような、そういう問いを投げかけているのかもしれません。
ええ。そこで最後にですね、ちょっとあなたにも考えてみてほしい問いがあるんです。
はい。
これまでの人生で誰から受けた厳しい指摘とか失績、これをあなたはどのように受け止めて、どう乗り越えてきたか、あるいは自身の糧としてきたか。
うーん、深い問いですね。
ええ。ちょっと立ち止まって考えてみることで、何か新しい気づきがあるかもしれませんね。