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こんにちは、マモ〜です。今日は、なぜ国語の勉強をするのかという話をしていきます。
なかなか勉強をしない子に、なかなかする気があり、起きない理由は何だと聞くと、そのうちの一つに、なんで勉強するかわからないという
回答が返ってくることがあるんですね。なので、そういう子でしたり、そんな子を持つ親御さんに向けて、今日は国語、私は個人的に国語が一番重要な科目だと思っているので、
その全科目の中で、5教科の科目の中で、日本で生きていくのであれば、で、国語の勉強をするのかっていう話をさせていただきます。
はい、で、正直、学校教育はもう今、いけてないし、受験、そういう知識を詰め込むだけのための受験塾とかも正直、勤めていながらも、正直あまり好きではないというか、嫌いなんですね。
ただその国語、どちらか目安で言うと、その公立中学校3年生、公立の教育機会で学ぶレベルぐらいの国語力は、読解力、あるいは要約力と言い換えられるかもしれないんですけども、
つけといた方がいいかなというふうに考えております。まあなぜかというと、これが国語を勉強する理由に直結するんですけども、
他者とうまくやっていくためのコミュニケーション力をつけるっていうのが国語の勉強の目的かなというふうに考えています。どんな人でもですね、人と
関わっていく中でしか生きていけないと、孤独では生きていけないんですね。で、やっぱり言葉ってその人とうまく円滑に関係性を構築するためだったり、本当に親しい
友人だったり、いずれは家族を築くようなパートナーを作っていく上で必要になってくる、言葉って必要になってきますよねっていうところです。
じゃあ具体的にコミュニケーション能力って何かというと、国語のざっくりとした読解問題って大きく論説と物語に分かれていると思うんですね。
まず論説に関しては、論説だろうが物語だろうが、土台となる語彙力とか文法は知っているという前提で、
論説は、要は相手が言っていることは、要は何かっていうことを言い換えられるっていうことと、それをちゃんと相手が分かるように自分の言葉で組み換えられるかっていうことですね。
論説であれば、要はこの文章ってのはこういうことを言ってますよねって捉えられることと、それを客観的に発信できる力ですね。
それを論説で鍛えるっていうところだと思います。で様々な文章ですね、哲学だったり自然科学だったり
社会に触れることでいろんな知識がつくということと、それぞれの分野に興味がある
精通している方の話を聞くときにアレルギーなく聞けるというか、要はあなたが言いたいことこうですよねっていろんなジャンルの人の話を
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ジャンルの話を聞いてもそうじて要約できるということと、相手が分かるように自分の言葉で言い換えられる。
このスキルをつけるのが力をつけるのが論説の役割だと思ってます。それでも日常のコミュニケーションでも役立つというか、むしろこれが特に重要だなと思いますね。
人間が、誰でも自分のことを知ってほしいと思ってるし、自分のことを理解してくれる人を好きになるという特徴があるんで
その国語のですねスキル、論説で得られるスキルがつけば、いろんな人と本当にへなしつかれるし、うまくやっていけるというふうに思います。
もう一つ物語に関しては、やっぱり人間は動物といえば、動物の中ではちょっと発達しているというか、気持ちですね感情がある
いずれもちろんあるんでですね、その感情を汲み取る力っていうのは物語で鍛えられるかなというふうに思ってますね。
まあもちろんですね人間、その言語だけで非言語コミュニケーションと言われれば、身振り手振りとか顔の表情とか声のトーンとかで感情を読み取れるもの
生き物ではあると思うんですね。もちろんその脳で言うとミラーニューロンという細胞が脳の方にあるんで、まあ人の身振り手振りとか見るとなんとなく共感できるっていうものはあると思うんですけども
その頭、論理的にもですね人の感情の動きっていうのがを理解するのに物語の部分というのはものすごく役立つと思いますね。
人間ってこういうこというこういう行動されたりこういう言動こういうシチュエーションでされるとこんな気持ちになるんだねっていう
でその気持ちからこういう行動を起こすんだねっていう、まあより人間心理というかですね知れるのが物語でと思います。
だからそういういろんな物語を触れることで様々な主人公、まあ様々な登場人物の周りに起きている状況、言動、周りから与えられる言動行動とかそれに伴って主人公の心理がこう変わってこう言動言葉になることも行動になるっていろんなそのサンプルをへなし集める中で
その論理的にも人の感情の気持ちを理解できてその前後の行動言動とかっていうのも
理解できるのが物語の大きな役割かなと思います。だから結論をまとめると他者とうまくやっていくためのコミュニケーション力をつけるというところが国語の意義になってきます。
でやっぱり自分の言葉相手にわかるように伝えるっていう点でも相手の言葉を理解するっていう点でもやっぱ
語彙力ですね。言葉の意味を知らないとそもそもわけわかんないって話なのでやっぱり土台ってのは言葉だったり
言葉の使い方、単語単語を結びついてもやっぱりわからないんですね。それを文章にするやっぱ文章にする文法のやっぱり考え方っていうのが必要になってくるんで
もちろん語彙文法という最低限のものがあるもののある上でこの論説物語っていうのはこういった形で役立つかなっていうふうに個人的には考えているので
そういった意味でもぶっちゃけ受験とかのためではなくて その今後もっと広い意味で国語っていうのは絶対必要になるんでやってほしいなと思います
国語が苦手得意とかっていう概念でそもそも考えなくてよくて 正直必要なんでやろうねっていうところですね
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人間の本来面白い 興味あることだとどんどん知りたいと思うものの
なかなかですね今の学校教育の授業と無理くらい覚えろとかやれとかなんで絶対抵抗感を覚えると思うんですけどもそういった位置づけで国語の勉強というのを今一度見直してくれるとすごくいいんじゃないかなっていうふうに思ってます
で最後に今の若い方が大人でも変わらないんですけど言葉の使い方でちょっと気になるヤバイっていうワードですね
ヤバイって万能すぎてですね何でも使えるんですよね本当にピンチの時もヤバイって言えますし楽しい時もすごいと感動した時もヤバイで終えることができるし
それで周りに通じてしまうっていうすごい言葉ではあると思うんですけども一方でこのヤバイという言葉がある上で子供は若者大人もなんですけど語彙力というか自分のボキャブラリーですね日々の会話で使う言葉の数っていうのが減っている気がしてます
それはちょっと危機感を少なからず覚えているので極力その語彙自分で使える言葉を増やしたいとか相手により分かりやすく物事を伝えたいとかっていう時は
極力そういう万能ヤバイみたいな万能な言葉を使わずにそれ以外の言葉で表すようにした方がいいんじゃないかなと思いますしお子さんとの会話の中でもヤバイをあまり使わない方がですね
言葉が子供がより自分の考えを分かりやすく相手に発信周囲に発信できるようなスキル力がつくようになると思います以上でございます