00:01
はい、じゃあよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日はですね、小林さんとお話をさせていただきます。
私が今ここであえて自己紹介を入れると、
今日のお話で言うと、私は生まれ育ったお家ともあまりうまくやっておられず、
学校もうまくやれなくて、結婚もうまくいかなくて、
あと会社も、今の職場は長く30社くらい変わってるんです。
30社は初めて聞いた。
バイトとかも含めて。
いろんなところで人間関係うまくやれなかったので、
今はシェアハウスで死ながらいろいろやってるっていう人です。
結婚の総理と対話をしています、あおいです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ私も自己紹介させてもらうと、
どう自己紹介したらいいんだろうなっていう話なんですけど。
いろいろしてますけど。
もともとは5年前くらいかな、
創薬系のベンチャーでメンタルヘルス精神疾患の薬を開発しています。
今はその会社をやっているときに、
私自身が精神疾患になりまして、
療養を経て割と元気に自動しています。
小林と申します。
今はベンチャー周りのお仕事を手伝いつつ、
あとは同じベンチャーでちょっとメンタルダウンしちゃった人たちのバックアップをしながら仕事をしています。
ということでよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
小林さんはメンタル周りのことに詳しくて、
シェアハウスも運営されていて、
あとすごく面倒見の良い方だなという印象ですね。
ちょっとこそ迷いです。
今日、小林さんと何話したら楽しいかなと思って、
それで考えたのが、
トラウマ的な環境に育つと、
自分の持っている心地よさとかコミュニケーションに偏りが生まれるような気がして、
それによって親密な関係づくりとか、人と暮らすのとか、
難しいことが起きませんか?
ということを私は自分の経験がすごい感じて、
小林さんとかどうかな?どうなんだろう?
私もうまくいかないというか、
割と蹴りはつけた派なんですけど、
うまくいかなかった、機能不全過程だなというイメージがあって、
ただ多分、そういう意味ですごく偏ったという時期が、
多分子供の頃にきて、割と落ち着いた側かなと思ってます。
なので、常にご機嫌をとるとか、常に調整役になるみたいなのは、
今でも元々の根っこみたいなのがあるんですけど、
すごく必要以上に気にするみたいなところは、
たまたま多分、どちらかというと親以外の人たちが良かったから、
そのまま行きづらくなることなく、途中から割と楽しくなったので、
多分気質は元々あったけど、途中で矯正してもらったみたいな、
03:04
外部環境によって矯正されたみたいなイメージがあります。
私がそういうところを知っている人からすると、
お前は家の中じゃなくて、家の外に安心できる場所があったから、
そうなったんじゃない?って言われて、
なんかそれはすごくしっくりきました。
そうかもってすごい思いました。
安心できる場所は結構早めに手に入れた。
そうなんです。たぶん友人たちとかに恵まれたっていうのと、
あんまり変な大人って言ったら変ですけど、
ちょっと態度が高下したみたいなタイプの大人の方じゃなかった。
付き合ったというか、知り合ったときの大人の方々が
まあまあまともな方だった、みたいなところがあるかなという気がしますね。
それはいつ頃?大学、学生時代。
でも小学校、高学年ぐらいだと思う。
早いですね。
そのあたりからちゃんと自我が芽生えたというか、
自分の今の筋みたいなのができて、
だから親が言ってることも正直筋通ってなくて、
覚え始めたのがそれぐらいなので、
そこに関してそういうことが話し合える人が何人かいたっていうこととか。
親とは関係なく、ちゃんと筋の通った大人が先生方で、
塾の先生とか学校の先生とか、まあまあまともな人だったんで、
そういう意味ではガチャがすごく良かったって気がします。
じゃあもう小6時点で外で安心できる場所なんかあったし、
納得いくなみたいな大人にも関われてた。
そうですね。
もちろんその時が今ほど解像度を持ってたわけではないんですけど、
その子供ながらに安心できるというか、
ちゃんと間違ったことは言ってないなみたいな、
そういう大人が外にいたっていうのは結構あるかな。
なので塾の先生とかはそれこそ大人になってから1回か2回ぐらい。
そうなんですね。いい縁があるんですね。
まだまだギリギリ残ってたみたいな。
いや本当、やっぱり今のうちも地域に開くってやってますけど、
やっぱり閉じた子育てリスク高いなというか、
繋がれる大人がいるって人生めっちゃ大きいじゃないですか。
そこで言うと多分私は割と早めに閉じちゃって、
多分本が一番私の安心に繋がれているかったんです。
本読むことが多くて、音楽とかもあったけど、本が一番多かったので、
私考え方とかを本にもらってきたので、
もう周りの子と話全然合わなくなっちゃって。
ああ、そういうことね。
いやでもそれは本が先生になるとめっちゃあるかなって思います。
なんか全然興味関心重ならないし、
バラエティの真似とかをされても何が楽しいのか、
私にはちょっとイーストルできなくて、それがわからないと思って。
で、あんまりその人と話せない。
06:01
発音が違かったりとか、音読み方も違ってたりとか、
日本の人っぽくないとか、地方の人っぽい謎の方言まで生まれるくらい、
活字と交流していたんですよ多分。
それもちょっと困ったところな気がするな。
納得いくな、みたいな。
本の話は、実はこれ、塾のアカウント使ってるじゃないですか。
昨日ちょうど私がオンラインで子供たち授業したんで、
そのままアカウントを使っちゃったんですけど、
ここの塾長がまさに同じことを言ってて、
子供の頃に、やっぱり哲学とかを読み漁った時期。
そこで、子供の頃の彼が悩んでる悩みっていうのが、
哲学者とか、いろんな本に出てくる人たちが同じように悩んできた道なんだな。
ので、すごく自分の人格形成に寄与したっていう話をしてて。
なんかめちゃめちゃ、今の話とリンクするなっていう。
結構本は確かにそういう意味では、ものすごく安心材料になり得るだろうという気は、
今考えるとめっちゃ重い。
先人の人が作ってくれたところに逃げ込ませてもらったなと言って、
私は本を読んでることが大人が偉いっていうのはあんまりよくわかってなくて、
周りの人とうまくやれないから本に逃げ込んでるだけなので、
あまり良いことではない気がするなと思っていて。
で、女性は何につながって安心できたかみたいなことがやりすぎて、
そこがちょっと私が、大勢と馴染むみたいなののハードルにもなってたかなって気がするね。
いつぐらいなんですか?ちなみに本をめちゃめちゃ読んでた。
小中高くらいまで読んでた気がする。小説とか。
だから、やっぱり接続が良くないというか、今思うと共通のテレビとか見てたらお話になるじゃないですか。
そういうところがちょっと失敗した気がしますね。
子供の頃だとそういうのって結構クリティカルだったりしますもんね。
そうですね。シーンとかもそうだし、
あとは偏りっていう意味だとやっぱりコミュニケーションが一通行的なものに触れてしまったので、
なんかやっぱり人と交流するのとはコミュニケーションの癖が結構違う感じでついたのかなって今思いますね。
確かに。そういう意味ではだいぶ特殊な仕入れ方をしてますもんね。
そうですね。やっぱり人と話して間が長かったりとか、
最近知ったのが、人と暮らしていると何か言われた時に、
自分は悪感情を出すのがすごい苦手で、相手が怒ったり傷つくかもしれない人を出すのがすごい苦手なの。
そういうのを言語化する前に出していいんだよって言われて、すごい驚いたんです。
09:01
言語化しなくてもなんかムズムズするとか、うーみたいな感じで、
泣いたり怒ったりをしてもいいっていう感覚が私の中でなくて、
頭の中で整理して言葉にしないと出しちゃいけないって思い込んでた。
私今でもそうかも。
そうですか。
近しい人はまた怒るかもしれないですけど、でもやっぱり感情のコントロールができないっていうのは、
さすがに周りに対して悪影響を与えてしまうみたいなところがあるんで、
ちゃんと言語化して、今私はコラボコラ小売りで怒ってます。
お仕事でビジネス的には、やっぱりそれは大事かと思ってあんまり出しづらい。
それはやっぱりビジネスだと出さない方がいいっていうのはあるけど、
でも許される環境だったりとか、
あと今ちょっと抑圧しちゃっていて、ちょっと自分の真意つかめなくなったなって最近聞いたのが、
他の人にちょっと話を聞いてもらう素振りとかを自分から頑張るっていうのがすごい大事。
自分一人でどうにかしないと、人に説明するのはめんどくさいしな、この状況すべてみたいになって、
閉じ切るとすごく時間がかかっちゃうなと思って。
気軽に今の状況を話し合っておくとか、
言語化しないでもこういう話ができる存在がいたり、
自分がなるだけですごく進みやすくなるんだろうな、いろんなことが最近思いました。
確かに。その意味で感情を出せる相手っていうのはいた方がいいでしょうし、
感情とともにこれこれこういうことがすごいムカついたんだよね。
言語100%できてなくても、みたいな話を聞いてもらうと、
そこでコメントしてもらってもいいし、うーんって聞いてもらうだけでもいいんだけど、
そこで何やかんや言語ができなくても言語にして喋っちゃう。
それで逆に整理ができるみたいなのがあったりとか、
これこれこれこれでムカついて、あ、俺ここでムカついてんだみたいな、
自分で喋ったことを後で気づくみたいなことが、
誰かにそこに対して聞いてもらってるとあるかなみたいな感じがしますね。
そうですね。人に話すってすごく大事だと思うし、
最近の私のエピソードだと、
共有空間があるんですけど、そこに私が最近困ってあんまり行けなくなっていて、
行った時に最近どう?って気にかけて声をかけてくれた人がいたんです。
で、その最中で私めっちゃ泣いてしまって、
共有空間だからそこそこ人がいるんですよ。
だから、何だろう人の前で感情的に泣くって、
子供の時だと泣いて許されると思うのが、
何かちゃんと言いなさいみたいなのがあり得たと思う。
だから、困ったな、喋れないのにここで泣いて、
しかも人によっては困ったり焦らせたりしちゃうんだよなって思うけど、
みんなそれなりにほっといてくるので、
泣きながらまとまらない話をしても、
ここは平気なのかもしれないっていうのがすっごい楽になって、
12:00
やっぱり結構早めに来るんですよ。
これ以上喋ると泣くなって、もう黙るしかないなみたいな。
早めに来させてもらえないとプライベート空間では無理だなっていうのが、
泣くかもしれないけど、ちょっとほっといてもらえるかなっていうのを、
プライベートな関係ではやった方がいいんだろうなっていうのは、
すごい感じです。
そうですね。
すごく自然、いい意味でほっといてもらえるっていうのは、
結構安心しますよね。
結局その感情の発露が落ち着いたら、
そこからポツポツ喋りだすし、
逆にその感情を我慢してしまうと、
その我慢するのにエネルギー使って整理できないし、
泣ける場所で、泣いてもいい意味でほっといてくれる場所みたいなのが、
さっき私が言ってた家族以外の中で安心できる場所に近いんだろうなっていう気が。
やっぱこうしても泣くとか怒るとかそういうのを、
加害はしないがほっといてもらえるというか、
人によってはそれに過剰反応したりする。
お互いに思っている言葉に出すには、感情的をどう扱うかすごい大事。
言語化の弊害として思うんです。
自分の中で抑圧してたりとか、
まだ言語化できる段階じゃないのに言葉にすると、
自分でなんかあるんですよ。
ちょっと矛盾したこと言ってるなとか、
今理論立てようとしてるけど、
なんかすごい上滑りしてる状態で、
その中をちゃんとキャッチできない状態で、
理論だけ立ててるなみたいな。
上滑り感を感じるときって、
そういう時にベラベラ喋っても何の意味もないな。
防衛的だとそういうところに入ってしまう。
確かに。
喋らなきゃいけない時にとりあえず喋るみたいなのは、
なんかまさに上滑り感が出ちゃうとか、
その場を切り受けるためだけに喋っちゃってる自分みたいなのがたまにあったりする。
なんか私で言うと、
これ多分言語化できねえなっていうのも含めて言っちゃう感じですね。
ここまでは言語化できた。
これ以上はガッチリ20%ですみたいなのとか、
これ以上わからん。
ただなんかモヤモヤするとか、
なんかイライラするとかみたいなところまで言って、
あとは言語化できませんっていう言語化をするみたいな。
っていう状態で留めておくと、
なんか違うのに切っちゃうみたいなことをちょっとこう、
防御できるという。
そうならないようにするかな。
ここまではわかる。これ以上はわからん。
わからないっていうのも言語化のうちの一つかなって私は思っちゃう。
本当大事ですよね。
なんかそこでこう下手に言うと、
後々どこまで間に受けていいのかわからない話が完成しちゃうじゃん。
ガッチリ値がそんなに高くないと。
これくらいでちょっとみたいなのってやっぱり、
そこを素直に言っていい関係だって思えるってすごい大事なんですよ。
15:01
そうですね。
まさにそんな感じです。
わかんないって言える、
結論わかんないって言っていいんだよっていう説明を
相手に対して結構したりする。
なんか聞いたことに対して、
まさに、
私と葵さんみたいな親子関係がみたいな方々って
結構私も相談に乗るんですけど、
そういう人って大人から言われた、幼少期からわかんないですけど、
答えなきゃいけない。
イエス・ノーで答えなきゃいけないとか、
ちゃんとまさに言語化しなきゃいけないみたいなところがあるんで、
グーって詰まるんですよね。
いいんだよと。
わからないならわからないっていうのが答えだからみたいなことを、
結構最初のそういう前提を擦り合わせることが多いなというのを今。
確かにそうですね。
お話するときに場に出しておくと、
安心できることたくさんあると思うし、
癖として持ちがちなものってあるじゃないですか、
それやっぱり前提としてすごく大事だなとし、
最近私が失敗しちゃったなって反省したことして、
結構質問しちゃうし、
言語化をちょっと前まで結構申しんしてたんです。
さっきの言語化できない感情を出しちゃいけないというのにも、
それはあなたが言語化得意だからそう思っただけだよって言われたりもして、
どうにかなる気がしてたんですよ、自分の中で持っていれば。
だから結構相手を整理しようっていうスタンスを持っていたんです。
でも多分人によってすごい圧をかけてしまってたんだろうなっていうことにやっと気づいた。
そうかも。
私喋るのが好きなんで聞かれたことは喜んで答えるんですけど、
でも確かに人によってはそれがちょっとってないとか、
それが圧に感じるって方がいらっしゃるかもしれない。
本人が考えたいとか悩んでるみたいな気で、
解決したいって来てくれることはやっぱり私もあるんです。
その時に、その時間だけで全部言葉にできないことが当然あるじゃないですか。
時間が必要だとか、今はじゃあこのぐらいだねみたいなとか、
私は多分ぐるぐる言葉にしすぎてきたので、
本って本当に間も何もないじゃないですか。
ないですね、自分だけですね。
本も本当によくないなと。
それにその人が今ここまでとか、また次話したらいい塩梅になるとか、
そんなに聞かれても困るとか、そんなにたくさん1日にいっぱい考えたくないとか、
そういう感覚がすごい自分勝手な感覚で勝手に思った気がする。
考えたいけど、そんなにペース配分とか状況とか雰囲気とかを
もっともっと本当にちゃんと観察しないといけないんだっていうのが最近。
たぶんそうですね、その辺は私も、
たぶん私の慣れている速度と向こうの慣れている速度がずれてたりすると、
やっぱり結構一足跳び二足跳びみたいな話だったり、
情報量が多すぎるみたいな話もあったりする。
なんかあ、そうかみたいな。
単純にすげえ分かりやすいけど子供の歩く速度と大人の歩く速度は違うじゃないですか。
18:03
なので、歩幅は気づかない。
気づいた方が合わせないとなかなか難しいみたいなことになったりするんで、
私もやっぱそのたまに行き過ぎて、
いやちょっとそこまで行かれても話が全然わからんみたいな話になったりもするんで、
ちょっと戻ってきて、どこまでだったら、
どこまでのペース配分がお互いにとって大丈夫なのかということはやっぱりあり。
特に私やっぱり友達作りもネットからが多かったので、
ツイッターとか文章を書く人と関わってきたんですよ。
暮らしって入り口に入るとみんな結構インスタとか、
そんなにいちいち言葉にしないんですよ結構みんな。
ていうのが私にとって結構の驚き。
言語化をそもそもそんなに周知した。
だからあらゆる私の常識って本当に偏ってたんだなってすごい感じた。
そこはまああの、
青井さんだけじゃなくて、
人間って割と環境が全然、生きる環境とか過ごした結果で全然違ってくるんで、
確かに青井さんはちょっと特徴的なものがあるんで、
偏ったみたいな話になるかもしれないけど、
これ結構別のパラメーターで見ると人それぞれ結構偏ってるなみたいなのあるかなって、
今ちょっと聞いてて思いましたね。
これは割とみんな形を変えてみんなまあまあ歪んでるみたいなことは、
全然あり得るんじゃないかなという気がしました。
みんなそれぞれ個性があって、
その水域から出る時には結構、
どういうことに意識を向けたらいいんだろうなっていうのが、
たくさんある。
自分と違う水域に行かないと気づかない。
たくさんあるなって、
暮らしっていう設定がすごい感じます。
私もあんまりインスタを見ない。
今青井さんが言ってるので、
確かにでも全然俺も文章でやり取りする方が楽だしなって思ったんですけど、
生活からすると確かにインスタでの方が多いし、
最近だらだらTikTokとか見たりもするんで、
ああいう情報がパッと取れるやつの方がイメージはあるし、
その話の前提で人とやり取りするんだと、
あんまり言語情報がなくなるかもみたいなのが想像はつくんです。
言われないとそれは確かに気づかない。
今言われてあるあるって思いましたけど。
なんか物を考えるときに言葉で考える人と、
イメージで考える、絵で考える人どちらもいるって聞いて、
私はやっぱり言語寄りなんですよ。
図解とかもちょっと想像しとこう。
小林さん物を考えるときどうですか?
私は割と雑なんで大雑把なんで、
画像派なんじゃないかなって思いつつ、
こういう話をするときはめちゃめちゃ言語化こだわります。
なんでなんか、もやもやとじわじわとイライラが全部違うみたいな、
表情としてみたいなのがあって、
そういうのってすごいちゃんと言語化しないと伝わりづらいみたいな、
メンタルフェルス周りはめっちゃ言語化を重視してますね。
21:02
伝わりきらないみたいなのがあるんで、専門家でも伝わんないみたいな。
すごいそういう意味では質問攻めになりますね、私も。
どうしてもこれ必要なんで質問攻めにしちゃいますけど。
そうですよね、細かく汲み取ろうとか、
あとコミュニケーションとかで相手がこういうときにもやもやして、
これで悲しかったんですって言ったら、
相手の言語をそのまま汲み取らないとか、
言い換えたりすると違くなっちゃって、
言語に対する細かさがすごい入っていて、
でもなんかね、もっと意識すること。
自分が最近どっちも使ってるんですね。
そうですね、雑に考えるときは多分イメージ優先みたいな感じで、
ただ擦り出せなきゃいけないところとかはすごい言語化の方で。
これなんですよね、これ多分どっちも使わないと、
クリエイティブと人と一緒に何かやる人ってどっちも必要ですよね。
そうですね。
どっちか一本でもできるジャンルもあるが。
あと多分雑に考えた方が、それこそイメージかどうかわかんないですけど、
割と大雑把に考えると、その分エネルギーが節約できるんで、
頭がパニックというか情報型になりづらいみたいなところがあります。
必要なところは言語化してすごく細かく考えるんですけど、
大雑把なところはまあこんなもんでいいやろみたいなどんぶりかんじで考える。
その2つを繰り返すと、割と全部を細かく考えるように頭のリソースが開くかなと思います。
そうですね、そういうことやってるのかもな。
最近映像系の人と仲良く。
具体と抽象行き来するときに、なんか全体的なお話もできるけど、
細かい話をすると、時間をかけつつすごくきれいに出てくるんで。
多分そういうイメージのざっくりとしたものを、じーっと見ていくと細かくもできちゃう。
なんかその、はじめに言っていたコミュニケーションとか人間関係の偏りなんですけど、
なんかちょっと今考えたこんなお話もいろいろですけど、
なんかね、なんか思ってるのが私ね、親密な関係マジ難しいことになっていて、
対等でいるのめっちゃむずいなって思ってるんです。
対等、お互いがお互いのことに気にかけて横の関係で見た状態と、
でも対話界って対等な関係をするために特殊なルールがいっぱい入ってるんですね。
で、うまかの関係って簡単にっていうか、基本上下に簡単になるの。
どっちが教えているのか、親密な関係って緊張が高いと、
例えばその、なんですか、助ける側と助けられる側と依存させる側、察する側とか、
なんかその、やっぱりお家に問題、私の生育歴を聞いた先生とか心理系の先生とか、
よく結婚できたねって言われたりとかするんですけど、
大体うまくいかないけどね、全然ね、みたいな感じになるんですけど、
やっぱり緊張するから固定したいみたいな、親子ポジション、かまりっぱなしとか、
なんかそういうのは困んなかった。
24:02
どうでしょうかね、あんまりその、
フラットな関係、対等な関係って全体で見れば対等であって、
いくつかのファクターでは必ず上下があるっていう感じなのかなと私は思っていて、
例えば教える、教えられるっていう上下ができたりとか、助ける、助けられるとか、
どっちかが、必ずその全くフラットっていうのは基本的にないんで、
良くも悪くも多分全てがフラットっていうのはなかなかすごくレアな状態だし難しい状態だと思うんですけど、
ここは向こうが引いてて、こっちは俺が引いてて、
両方のデコボコ鳴らした時にざっくりフラットだよねみたいな、
そのフェーズ、場面場面では上下関係ができても別にいいと思うんですよ、
それは前衛と後衛みたいな感じなんで、
なんか助けられる、だからこっちはやってもらってありがとう、
でも向こうは俺がやってもらってありがとうって言われるみたいな、
全体を見てればフラットになるみたいなことは、
だからフラットって言えるのかなぐらいのことなんで、
なんとなくフェーズフェーズはおのおのが引いてているところはそっちが上で別にいいんじゃない、
そんな考え方を持ったりはしてます。
関係は結構くるくる変えられてるんですかね。
そうですね、逆に上下関係が固定するっていうところが危険なので、
全てにおいて上下関係が来るっていうのは、やっぱりどうしてもそれは不自然なもんだろうなと、
ただ逆に我々みたいなそういう生育歴がある人っていうのは、
上下関係を固定したがる理由もわかります。
何なんですかね。
多分親側も上下関係固定したいんですよ、我々みたいな生育歴の親の方。
なんでそれを受け継いでいる可能性はあるし、
その上下関係がひっくり返るのは多分異常に怖がるみたいな。
だから今でこそくるくる変わってて別に、
逆にくるくる変わってる方がむしろ心理的安全性は私は高いと思ってて。
うん、心理的安全性はそうですよ。
なんでそこを固定したがるっていうのは、自分だけが安心をしたいとか、
逆に言うと自分だけが過剰に不安とか、
そういう状態からきて関係性の固定を無意識にしろ狙ってるにしろやってくるんだろうなって。
そうですね、なんかすごい思っていて。
不安が強い人、鶏と卵どっちが先か分かんないですけど、
自分の出したい面と出したくない面がすごい強いと柔軟じゃなくなっちゃうじゃないですか。
助けるポジションにはいけるけど弱みを出すのは苦手とか。
私が最近思ったのは、私は自分も正義だし相手も正義だし、
みんな正義っていう世界観を持っているんですね。
で、何かあったときに相手には相手の正解があるからなって聞き込んで、
自分が疲弊するみたいなことにハマりがちなんですよ。
27:01
相手の正義を解釈していかないみたいな。
そうすると質問責めにもなるし、なんか死ぬんです。
でも最近思ったのが、どっちも合ってるし、どっちも間違ってるんだなって受け入れられる。
文脈によってはみんな間違ってるじゃない。
そうですね。
その辺が、みんな合ってるっていうところを強く持つとか、
あとは役に立たなきゃいけないダメなところとか、
今の住まいだとしっかりしているのを生み出さなきゃいけない人の前で、
怒ったりとかイライラしたりとかしちゃいけないとか、
こっち出していいけどこっちはダメみたいな、
関係性の柔軟さがなくなりやすいな、すごい最近きて。
どっちも悪いなんだな、人間だものな、みたいなのを採用し始めて。
そうなんですよ、人間なんで100%ってことはない。
揺らぐし、前提条件が変わったら結論すら変わるし、みたいな。
そうやね、恋愛とかがうまくいかないと、相手は完璧であるみたいな、
100%の親みたいなのを求めたりとか、
人間であるっていうことを捨てません?
最初の頃は単純化するじゃないですけど、
人間そのものの解像度が子供の頃ってそんなに高くはないんで、
それこそ若い頃の恋愛観の方がそういうものを求めるんじゃないかなって私は思って。
めんどくさい童貞って私よく呼んでるんですけど、
最初、例えば小学校で付き合った時って、
なんですぐ連絡返してくれないの?みたいな、
すごくいなくなっちゃう不安みたいなのをめちゃめちゃぶつけるみたいなのがあって、
それって相手に完璧求めてるんですよね。
自分のパートナーだから、すぐ連絡、
1番にしてほしい、常に1番にいてほしいとか連絡返してほしい、
こうあるべきみたいなのを押し付けがち。
でもそれを繰り返していくと、そんなことはないと。
中学生がそうやって言ってても、子供の頃だしあるよなって思うけど、
40歳のおっさんがこうやって他の基礎をやってる。
それがたぶん、なんで30歳の違いで基礎になるのかだったら、
たぶんそれを繰り返し経験して、
いや、そういうもんじゃないよね、社会は。
社会で生きていくために、別に状況に応じてそんな連絡できることもあるし、
別にでも連絡できんから、お前のこと嫌いとかでもないし、
そういうちょっとファジーなところを割とみんなが理解して、
こんなもんだよねってお互い、
割とそういう意味で大人になっていくみたいな映像があるんで、
完璧を求めるっていうことイコール、
たぶんバカ図がないとか、経験が少ないとか、
ないしは初めてであるみたいな、
そんなイメージなのかなっていうのを最近感じてる。
いや、もう本当ですね。本当に耳が痛いです。
めっちゃ青木さんのこと言ってるわけじゃないですよ。
なんかそのトラウマというかなんかあると、
30:00
そこから成長が止まってしまったりするんですか。
愛着とかも、あれが原因だったろうなーみたいなのがいくつかあるんですけども、
やっぱ上手く経験を積んでいくっていうところなんだろうなって思いますね。
そうですね。あとは経験を積む途中とかで、そこが言語化できるぐらい信頼感があると、
その言語化をしながらトラウマを外していくみたいなことがたぶんできるのがあって、
さっきのめんどくさい童貞じゃないですけど、
こんなこと言っちゃいけないのはわかってるけど、
連絡が返ってくなくてとっても寂しいんだよって言える相手だったりすると、
それに寄せてくれではなくて、その状況を知ってくれるだけで、
この歳なんでそんなもん別に、
パートナー側からそんなもん寄せはしないけど、お前の気持ちはわかったよ。
それがちょっとずつなんとかなっていくといいねみたいなことまで言われると、
気持ちはわかってもらいながら、解決するのは自分みたいな。
それをなんで返してくれないのではなく、返してくれないのは悪くないのはわかってるんだけど、ごめんイライラしてます。
ので、ちょっとずつ感情自体と向き合うような、
そういう関係性ができるとすごくいいパートナーシップなのかなとか思ったりします。
そうですね。本人が爆発しないくらいあれだけど、
自分でちゃんと感情に向き合えるのがすごい大事ですよね。
そうですよね。なんかやっぱりね、いろんな人の恋愛とか私もやっぱり、
こんなだけで聞く立場なので。
そんなことない。
やっぱり本当に言えないみたいな。
で、その先に別れ目として、でもこれくらい相手は知ってくれるべきですよ。
本当に難しくなった。
そうですね。それは確かに。
そこでこういうところがあるんだよ、自分は。
まあでも仕方ない、みたいな方向に。
いければ本当に、何ですか、おっしゃる通り、迷いをなくすもんではね、みたいな方にいけるし、
そこがやっぱりね、どっちかっていうと、女性のかわいい人の方が大変そう、出てきた人。
それはそうかも。そうしてくれる方が多かったから、そういうのに慣れていると。
で、そこがツーって感覚のまんまいっちゃうんですよ。
でもベタボレして、それが一生そのままやってくれる人と巡り合ったら、まあワークするんでしょうね。
まあそのまま行くということですね。
いやーもう何でもやります、みたいな。
まあ喜んでみたいな相方ができたら、たぶんそれでワークするんだろうね。
そうですね。だからその方がこう、ちゃんとそういう人と捕まえるくらいの能力もあればいけるんですね。
そうですね。これはまさにって感じ。
天使の組み合わせだからね、こう全部直さなくてもどうにかなってするんですよ。
確かに。なんかうまく噛み合ったらワンチャンありますよね。
本当。やっぱり現代、成熟、役割だけでパートナーシップやっていた普通な時代もあるじゃない。
県の子である、働く、コミュニケーションとか相互理解って別に求めませんってあったじゃないですか。
33:03
ありますね。
でもその仕事もするぞとか、外見も頑張ろうみたいな、どっちも男女とも頑張るじゃない。
それでいうと、ここはもう伸ばさなくて成熟させなくてもやっていけるよね、みたいな。
なんか組み合わせによっては手に入れられる。人間のキャパって有限ですからね。
そうそう。どこに捨て振りするかみたいな感じですね、それ。なかなか難しい。
思いますもん。だって仕事めっちゃ頑張ってた人に、コミュニケーションすごい頑張ろうみたいな、
急にこう言われても困るじゃないですか。
もう一個仕事やれって言ってるようなもんですかね。
そうなんですよ、新入社員からやりましょうね、みたいなことじゃないですか。
しかもそんなに興味なかったりもするじゃないですか。
嫌だからほったらかしてきたみたいなことは絶対あるんで。
そういうのを平均値とってないと、普通じゃないとかダメとかちょっと言い過ぎな気がするんですよね。
そうですね。なんかバッファーはやっぱり上も下もあってもいいはずで、
確かにマッチングってなるとなかなか難しいですけど、
そっかでマッチングする場合はやっぱり全行為型になんとかしなきゃいけないみたいな話になっちゃったりしますもんね。
市場に乗っけられるとなんかやっぱりそこはあるのかな。
なんか確かに自由恋愛の状態だと、そもそも凸凹ベースで割とくっつく可能性があるんで、
なのでなんか例えばこっちが得意なものが向こうが苦手とか、
さっき言ってた上下関係がいい感じに噛み合うみたいにくっついたりすると、
結果的に自由恋愛の場合は単純にそういう人を多分片方も求めてて、もう片方も求めてて、
たまたまそういうのをお互いアンテナが合ってるんで、それがうまくくっつくみたいなパターンがあるんですけど、
確かにマッチング市場になっちゃったりすると、基本的に最初は書類審査みたいな話になっちゃって。
そこで言うと、私はアプリで検索して凸凹の人を選んでるので、
ああ、そういうことか。
やりやすいですよ。ここの能力は欲しいが、ここはへこんでるのか、むしろ願ったみたいな動きができる。
そういうチョイスができるんだ。
できるできる。
全然わかんなかった。
やっぱり自分の凸凹をなんとなく把握して、何を求めてるかとか、何は求めないのかとかは大事だと。
そうか、そっち側の解像度が必要なんだな。
そんな気がする。私は犬好きな人で、出かける場所とかは全部私が決める。
そういうとこは何も求めない。面倒を見てくれて、みたいな、そういう解像度でやってましたね。
そういうマッチングができるんです。
やっぱりそこが、そうですね、頑張ることは頑張りつつ、自分を知って、
いい人がいないっていうのは、すごく緩いことを言ってる状態だと思うんですよね。
自分が幸せにできるって、自分はないんなら平気かな、みたいなところは考えた方がいいんだろうなっていうのは、仕事上で。
でも私がね、まだ全然そんなこと言ってないんですけど。
36:01
もう一頑張りしようかなと思って、シェアハウスでね、自分の凸凹を見直しておりますよ。
綺麗な。そうか、結局ツールぬんぬんではなく、そういうチョイスも解像度が高ければできるって。
そうですね。凸凹だからこそ、自分じゃなきゃ幸せとか、自分じゃないとこの状態の人間は幸せと思わないだろう、みたいなマッチングが全然あると。
それって一般的にそれぐらい解像度上げて、そういうマッチング市場に出られる方って結構多いんですか?
どうなんでしょう?どうなんでしょう?困ってる人も結構いる気はしますね、聞いていると。
私の思いにしたら、例えばペアースでナンパ市を捕まえて、お互いの凸凹を埋めて、ハッピーかけっこ、みたいなのを言うので。
おー、マジか。
やっぱりそういうのは全然できるんだと思うけど、確かにそういう人はあんまりよくないかもですね。
なんかいい人がいないっていう状態って、多分自分がどういう形をしてどういう人を幸せにできる人かっていうところじゃないんだろうなって。
自分が無理なく幸せにできる人ってどういう人だろう、みたいなところは超考えてない。
自分が幸せにできる人、みたいな、そういう姿勢の方が、私はあんまりおみがけしたことがなかったので。
そういう考え方を持ってマッチング市場にいらっしゃる方もいるんだな。
身の程を知るっていうのを、自分は大したことがないんだっていうことじゃなくて、自分のことをよく知ったら自分の至らなさがわかるじゃないですか。
そしたら、自分という形をどう活かせばいいですかねってところになって、そんな塩梅になりました。
めちゃめちゃ事業開発に似てるな、自分の強みと弱みを、スポーツ分析みたいな。
相手とのマッチング、相手とのシナジーを埋めにいく、事業連携みたいな。
すごい、そういう解像度で考えてる方がマッチングにいらっしゃるんやな、結構意外。
マッチングそのものを、私、あんまりそういう世代じゃなかった。
あるのは当然、いろんなところでお見かけするんですけど、実際使ったことがない。
人から聞いたイメージで言うと、どうなりましたか?
それはまた別の機会で、ぜひですね。
世の中にシナジーを生む組み合わせがもっと増えたらいい。
それはカップルか、結婚か、シェアハウスとかいろいろあると思いますけれども、
まず自分はどういう人で、どういう人をシェアするのかは、また別の機会で。
そこは私が超やりたいところなんですよ。
2回言ったよ、この人。ぜひやりましょう。
いやー、だって全員が平均化する必要ないじゃない?
それはそう。それだったらもうAID。
ここにいて思うのが、男の人とかも、自分は面白い話、話がうまくないので、
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話がうまいってどういう感じですか?面白い話、みたいな。
男性の中ですごいって言われる人であって、別に全然パートナーを探すのに必要ないやつだな。
女性とかも自分は可愛くないから、本当は甘えたりとかできる子の方が可愛いと思うから。
いや、パートナー探すと、もうちょっと自立してる人がいいっていう人が多いですけどね、今みたいな。
教育とかでも20年、40年遅れたものが上手。
恋愛とかも多分ね、親世代の上手。
昔の人が描いた少女漫画とか、一つ古い情報をインプットしてる人は結構多い気がする。
そこがこう、今の時代そうでもないけどね、本当に数年で常識変わるじゃない。
この業界に入って始めは専業主婦、ここまで珍しくなかった。
今でもかなり難しいしって、そういう時代じゃなくなってきて、やっぱりどんどん変わるじゃん。
私が本につながってこういう人になって、やっぱり友達じゃなくて親が一番仲良いってなると、情報が入ってこないんですよ。
それはそう。
古いのよ。
そうですね。よっぽどな人じゃない限りアップデートされないですから。
そうなんですよ。そこもやっぱり、アップデートしていくのすごい大事だと思うし、
相談所さんによっても、中本さんが古いとこの紹介本古臭いなみたいな、今の需要に適してないです。
じゃあマーケティングみたいな。
やっぱりマーケティング感覚は少なからず市場に出ると必要になると思います。
間違いないですね。結局恋愛感なんてN数1なんで、究極的には。
結局自分と相手が良ければ何でもいいわけです。恋愛感とか家族感とか。
結局究極の一対一ないしは、多対一とかでもいいんですけど、
各々がみんな納得してれば別にそれでいいはずなんで、共同体って。
でもそこを恋愛に代理していくと、いろんなやや可憐性分を含みますけど、
でも究極的には別に、本人たちが納得してあったらそれが幸せだったら一番いいよね。
本法に触れていいじゃないか。
さっきの事業計画で、ではこのプロジェクトでは何を目指しますかっていうところがね、
どういう形だったら一番いけるかみたいな。人生を味わえるかみたいな。
そうです。
そういうとこがあるというかね。
一般的なテンプレみたいなおすすめセットみたいなところに、
やっぱり気にしないとそこにはめ込まれちゃうみたいな。
どこでもあるんで。
恋愛観もそうですけど、マーケティングとかもそうじゃないですか。
なんやかんやで、あんまりそこに対して改造とかないと、
これがせいだよみたいな。そうなんで。
恋愛観も確かにあんまり慣れてない。
めちゃめちゃそこに向き合う。パートナーシップとか共同体とかにめっちゃ向き合って。
例えばこれはね、さっきまさに葵さんが言った自分が誰を幸せにできるかみたいなところまで
向き合えるかどうかに結構かかってるかもしれない。
なんとなく、そうか、向き合ってないからか。
なんとなく今時共働きだよね。
仕事もできる人のほうが反省できるなみたいな。
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キャリア男性が同じくらい話し合うとして、
結婚生活ってこんなの?もうちょっと面倒とか見てくれると思ってたみたいな。
お互いとか無理でしょって。
お互い忙しいからみたいな。
やっぱりそういうやってみて、あ、みたいなのってすごくあるなと思うんですよ。
そうですね。なんとなくのイメージってありますよね。
ぐるぐるね、その後PDCA回す、トライアルしていけばいいんでしょうけど、
結婚でバツリチ気にしないであったらぐるぐる回すのもありでしょうけど、
なかなかそこも抵抗ある方多いんでしょうね。
そこまで労力かけたくないというね。
労力かけるの楽しいんですけど、効率よくやりたいなって言いますよね。
そう、だからそれを言うと役割の時代は良かったですよね。
自由により不幸になったり、
宗派が増えてしまったことにより大変なことになって、いっぱいいるなって思います。
それはそう。
普通がない時代、大変。
そうですね、それはそうだと思います、私も。
その分楽しい人はめちゃめちゃ楽しくなったんでしょうけど、
大多数の人はちょっとうーんってなるかもしれないなという気がします。
いきなり好きにしろって言われてもどうしたらいいの?みたいに。
恋愛観以外でも山ほどある。
考えて言語化しなさい、試しなさいっていうのは全てにはできないじゃないですか。
そういうものが人生とか仕事とかあらゆるものに広がった時に、
恋愛はちょっと手出せないですねっていうことになってしまっているんですよ。
そうか、そういうことか。
今恋愛はやりたい人、でも結婚はまだギリやりたい人いるんです。
でも多分これ5年10年でしたい人もっと減るんだろうなと。
でも人生考えたらやっぱり昭和だって言われるのかもしれないんです。
でもあったといいのかなってなるような気がするんですよね。
人といられない自分になってしまうことに。
でもなんかそれは結婚じゃないかもしれないじゃないですか。
まさにこのシェアハウスみたいな。
人といるっていう形が見えてくれば別にいいのかっていう気はやっぱり。
私も人といたい人なんで。
前ちょっと喋ったときに言った。
私ダウンするのも人なんですけど、復活するのも人なんで。
やっぱり誰かしらの過ごすみたいなところは、どんな形であれ残っていくんだろう。
ただ結婚した方がいいよねみたいな話とか、子供いた方がいいよねみたいな話は、
どちらかというとシュリンクする傾向にあるかもしれません。
結婚した人が減っていくみたいな。
なんか結婚自体全然減っていいと思ってるんですよ。
ただその中でシェアハウスってどれくらいの人が居るかっていうと、
多分そんなに取らないように聞いて。
正直結婚に難易度高いと思う。シェアハウスの。
それはね、そう。
人といるっていう形を、そのうち相性がいい人がいたら結婚したいなみたいな感じで、
一人暮らしとか実家にいたりすると、人といられない自分になると思う。
ああ、そっか。そうかもしれないですね。確かに。
寂しいけど人といられない人が私は増えていると私は思っている。
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それが私が今の課題か何かできないかなって思っている一番のところで。
なんか相性がいい人がいたらうまくいくかも。
じゃあ全然ないじゃないですか、本当に。
山ほど工夫いるけどね。
そうですね。なんか根っこのところはやっぱり似てるとかマッチするみたいなのが多分いると思うんですけど、
足回りというか、細かいところに関してはたぶん擦り合わせ、言語化とか擦り合わせとかルールとかがあるので、
まあまあ工数かかりますもんね、その辺は。
その辺が短期で人と住むか場を持ってもいいんですけど、
でもちょっと形を知りつつ人と会いつつどうしたいか考えたりするといいよねって思ったりもしますね。
そうですね。シェアハウスっていう今の定義じゃなくなるかもしれないですけどね。
シェアハウスライクな何かができるかもしれないですけどね。
今シェアハウスが、まあ普通に考えて確かに結婚以上にハードル高いよねってまさにその通りなんですけど、
なんかここ数年とかでまたそういう形がどんどんどんどんトレンドとして変わっていくと、
まあ今シェアハウスって言われてるような形態かもしれないけども、
名前とかちょっと形をモディファイしたものがゆくゆくは出てくる、
そういう共同体の一つになるかもしれないかなっていうのは時に出て思います。
そうですね。そう、共同体関心ありますね。
いやー、そう、なんか何歳になっても独身だったら一緒に住もうねとかありますけど、
絶対にうまくいかないと思うみたいな、そんなに簡単ではないと思うみたいな思いが私の中で結構あるので。
あー、確かに。そこで始めたら確かにそうなりますね。
うまくいく人もいるでしょうけどそこそこハードル高いぞみたいな。
どういきたいかっていうのを考えたときに、
自分で軸を切れるくらいのタイミングで一回考えられた方がいいと思っているんでしょう、パートナーシップ。
なんかそのうちとか後回しにしていくと他人といるのすごいきつくなる。
そうです。確かに。いやもう、グーの音も出ない。
多分その通りだと思う、俺も。
年を食えば食うほどやっぱりその辺の、なんだろ、
本当に欲も悪くもこだわりっていうのが強くなったりしますし、
そこの擦り合わせる柔軟性は確かに年とともに。
やっぱり私はそのやっぱり自分の凸凹にこの環境ですごい困っているので、
今まで私は人にさせてもらっていたんだなっていうのがあって、
しんどいなーって思って。
言えなくなっちゃう状態で私は今まで人と暮らせてちゃってたんですよ。
ここに住んで、例えば相手がこうだっていう時に、
私は主張としてはこうなんだけど場の空気としてはこのこっち側の主張が強いぞみたいな。
何も言えなくなってしまうとか、別に強く言われてるわけじゃなくても思ってること言えなかったとか、
そういったところも含めて私はまだまだトラウマというか、
こういう環境が苦手とか、こういうタイプが苦手とかがあって、
直していかなきゃいけないし、
でも今までそれを相手側がどうにかしてくれてたんだなっていうのがすごい分かって、
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この歳できつーって思いますけど。
それでもまさに言ってらっしゃる、育て直しをしっかりやってらっしゃるのかな。
人とぶつかって自分に気づくとか、育て直すとか、磨くとか、
尖りを取るみたいなのを今私はしているんだろうなぁと思うし、
これがさ、やっぱり婚活とかもさ、自分は仕事でうまくいってるんだぞっていうプライドがある中で、
しかしこのフィールドでは全然できませんって、
どんどんきつくなっていくじゃないですか。
確かに。
人といったんだから、早めに何かこうやってみて、やりたいかどうか選びやすいうちにな感覚です。
それは間違いないです。
でもなぁ、それをやりなさいって言われてしまうと逆にやる気がなくなるのも当然人としてあるし、
やりたいと思った時にやるのが一番いいけど、それがやっぱり遅くなるみたいなところは、
確実にあるんで結構悩ましいところです、実際。
入り口はどっちでもいいので、自分を知るための対話会とか場所とか、
そういう感じのイメージ、自分で選ぶのは当然なので。
そういう入り口をいっぱい作ってあげるのはとてもいいですね。
いろんな形で。
いいかな、いい感じかな。
ありがとうございます。
1時間くらいなんでこの辺でいきましょうか。
面白いですね。
どうしましょうか。
はい、じゃあ1回ここで音声録画切ります。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございました。