至れり尽くせりの指導って、受け手からすると楽なんですよね。
でもその「楽」は、あとでしんどくなるかもしれない。
学習塾での実体験をもとに、自立と成長について、少し立ち止まって考えてみました。
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サマリー
楽を求める思考は一見望ましいですが、最終的にはどこかで行き詰まることがあります。特に中学受験や教育の場では、自己管理を育てることの重要性が強調され、楽を選ぶことのリスクについて考察されています。
思考の行き詰まり
はい、マモです。いかがお過ごしいでしょうか。 今回は楽したい思考のままでは、どこかで必ず行き詰まるよね、という話をしてみようと思います。
これは私自身の今しめでもありますね。 私は学習塾に勤めていて、
ご家庭と生徒、そして科目を指導する講師をつなぐ立場として仕事をしています。 ある時、中学1年生の
生徒の家庭から 講師を変更したいという相談がありました。
完全1対1の指導塾なんですけれども、理由は、理由というか学生講師じゃなくて、社会人の
大人の先生にしてほしいという要望でした。 この生徒は中学受験の時に社会人の先生の指導を受けていて、その先生というのがかなり面倒見の良い
タイプの方で 自覚でやることを細かく決めてくれたり
その自覚内容の進捗状況を授業でしっかりチェックしてくれたり できていれば褒める
みたいなそういう関わりを続け来られた先生方がほとんどでした。 複数人の社会人の先生指導を受けていたので、そういう面倒見の良さ
に低評のある先生方が主に指導をしていたんですね。 そのおかげもあって無事に第一志望の中学校に合格をしました
中学・進学後は社会人の先生は正直 費用がかかるので、そのいったご家庭の予算の兼ね合いもあって
学生講師中心の指導に切り替えたんですね
ただしばらくしてから学生講師の先生の指導を受け 続けていた本人が
中学受験の時の先生の指導が忘れられないと 社会人の先生の良さ
というのを思い出して それを踏まえてやっぱりちょっと費用はかかるけれども
社会人講師への 希望が出たという
流れですね。ここで誤解なきように一つはっきり言っておきたいのが 正直その生徒を指導していた
学生講師が悪かったわけでは全くないと思っております むしろかなり熱心で責任感も強くて
なんとかこの生徒を伸ばしたい良い方向に持っていきたいという思いが 必死と伝わってくる先生でした
指導力という点でも社会人の先生を上回る可能性も十分あると感じていたし 解説のわかりやすさであればその辺の社会人の先生より
よほど良いんじゃないかなって思うぐらいですね 正直学生の先生にしてはという言い方とちょっと失礼かもんだけど
珍しいぐらい責任感が強く熱心な方でしたね 何でそういう状況になってしまったかというと
私とその学生講師で共通していた認識 というのは勉強というのは自己管理ができるようになることがまず一番大切だよね
っていう点でした 実際大学受験でしっかり成果を出す生徒で
毎日勉強の内容を先生に見てもらうとか やっていた内容を細かくチェックされる
そんな指導を受けている子っていうのはほとんど見たことないんですよね
でそういった引い出た結果を望む結果を出す多くの生徒は自分でまずやることを決めていますと
まず自身で出来栄えを振り返る その前提の上で指導を受けているんですね
だからこの学生講師もまずはその生徒自身が自分で考えて やってみなきゃダメだよねというスタンスで関わって
いたんですよね 私自身もそれはそうした方が間違いなくいいよねと
大学受験を見据えた時に そっちの方が正しいと思っておりました
ただご家庭 特に本人の意向 希望というのは違ったんですよ
私とその先生はまず自分でやってみると 能動的に授業を活用するんだからしてもらうために
まず授業でどういったものを扱いたいかを自分でまず決めてみようよと
自学の内容をまず自分でこれやってみるというふうに 自己決定の上でやってみましょうよっていう話だったんですけれども
ご家庭としてはそんなことなかったんですよね
中学受験の先生のように面倒見のいい 至れり尽くせりの先生を望んでいたという形で
社会人講師に変更するという判断になったわけです
自己管理の重要性
この結果においては私の説明や伝え方が足りなかった部分ももちろんあると思っています
ただその背景には やっぱり何でしょうね
楽にしたいと 楽な方を選びたいという気持ちがやっぱりどうしてもあったんじゃないかなというふうに思っちゃいます
やることを決めてもらえる やったかどうかチェックしてもらえる
できたら褒めてもらえるっていうのはやる側 生徒側からするとぶっちゃけ楽なんですよね
でも同時にですね自分で考えること 自分で自分を動かすこと
自分試行錯誤したり自分で動機づけをしたりっていう 部分をちょっと
やらない状態にしてしまっているのでこれは良くないかなというふうに思いますね
ぶっちゃけここで言っておきたいのはまた楽をしたいという気持ち自体は別に悪くはないと思うんですよ
人間そういうもんですからね 子供に限らず大人も基本的に楽な方を選びたいし
それ自体は自然なんですけど 最終的にでもどこかで苦しむっていうのは覚えておいた方がいいんじゃないかなって思いますし
それこそ自分自身にも忌まし目としてちょっと 言っておきたいっていう感じですね
だから今楽になる代わりに将来しんどくなるのか それとも今ちょっと大変だけれども後で楽になる力を育てるのか
この違いは中学、高校、大学受験直前になるにつれて大きく変わってくるかなと思います
仮に社会人行使で至れり尽くせりの指導を受けていて最初はいいとしても やっぱり高校に入ったあたりからちょっとそれじゃ通用しなくなるし
それに大学受験ではより厳しくなると思っています
だから別に面倒見ない指導がダメだと言いたいわけではないし
単なる今の楽を取るのか後で楽に力を育てるのか その分かれ道っていうのは多くの方が思っているよりずっと早く訪れるんじゃないかな
ということをちょっとお話ししたかっただけになります
はいちょっとなんかポエム的な自分の微暴力的な話になってしまいましたが 以上でお話を終わりにします
最後までお聞きいただきありがとうございました それでは良い一日をお過ごしください
08:18
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