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怒鳴る指導を捨てました。おはようございます。いとまです。 夏までに整理収納アドバイザーを目指している中学校教員です。
このチャンネルでは、モノだけでなく考え方や生き方も整理して身軽に生きていこうよということを話をしていきます。
今日はすぐに本題です。 怒鳴る指導を捨てましたというふうに言ったんですが、別に最近やめたわけではなくて、
もうここ4,5年僕はそういう指導をしていないです。 先週土曜日、うちの学校で運動会があったんですね。
運動会の練習ということで、ほぼ1ヶ月ぐらい そういう練習があったんですけど、
まあ皆さん怒鳴り散らす。怒鳴り散らすんですよね。 やれ足が揃っていない。やれ声が小さい。
それをですね、もう むちゃくちゃ怒鳴るんですよ。
おいてめー!みたいな。 そのレベルで。
近くにマンションもあるんですよ。 結構リスクあることしてるよなっていうふうに僕は思うんですけど、
そこまでリスクとっていうことなのかなっていうふうに僕は思います。
30代までは僕もそういうスタイルでやっていたんですけど、やっぱりこれって必要ないなと。
怒鳴ると、確かに速攻性はあります。
すぐに真となりますが、それって本当にこう本質的、本質をね、生徒が、生徒とか自分のおうちの子どもだけど、
本質をわかって、その行動とか考えを改めてるかってことは違いますよね。
怒鳴られるのが怖いから黙るとか。 そういうことが先行すると思うんですよ。
だから自分の中で考えて次に行動を改めるってことは、そういう力っていうのは身につかないと思うんですよね。
だからその怒る人がいなくなると、騒ぎ出すとか。
本当にね何が悪いかわかってないから、そのうちまた同じことを繰り返すとか、そういうことになると僕は思っています。
もちろんね怖い先生がいて、その先生はね一生懸命言ってるのでいいんですけど、
まあ簡単な方法に逃げすぎかなっていうふうに思うんですよね。 時間がかかるけど
じっくり話を聞かせて分からせなければいけないかなっていうふうに思うんですよ。
でそういうメインのねすごいベテランの人がわーって怒っているとですね
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1年目というか1校目か、その学校が初めての教員なんかは、こういうふうにやっぱりやるんだと。
生徒を怒鳴って締め付けて指導するっていうのが厳しい指導、いい指導なんだっていうふうにね思っちゃってると思うんですよ。
もうね、すげー怒鳴る、みんな。
怒鳴りすぎ。あのね、うるせー。本当にうるせー。あっちも怒鳴ってこっちも怒鳴ってさ。
怒鳴るっていうのは僕の中では本当に命の危険に晒されているとか身の危険がある時に言うものだと思っているというか、
その時以外にはもう言わないって決めたんですよ。
ふざけて道路に飛び出して車に引っかえそうになるとか、あとはふざけて自転車で誰かを引きそうになるとか、誰かを殴りそうになる、殴られそうになっている場面を見るとか。
あとはあんまないですけど、完全に僕に向かって喧嘩を打ってきているような時。
ここはめちゃくちゃ声を荒げると思うんですけど、それ以外はいらないよなって、シャツが出てるとか、足が揃ってねえとか、怒鳴らなくていいんじゃないのっていうね、怒鳴るリスクの方が絶対に高いわけですよ。
マンションに響くぐらいの声で言ってるわけですから、そこの教員が怒鳴ってるとか、そういうことで九十四が来て、一生懸命やってるのにその先生が責められて病んじゃうとか、まあね、クビにはなんないけども辞めちゃうとかあると思うし。
実際どうですか。自分の上司、社長がそういう言い方をしたら、その後従おうと思いますかね。
おめえ、仕事来るのが遅いんだよとか、こういう時がおめえが先に動くんだろとかって言われたら、どうですか。
もう絶対嫌ですよね。それと同じで、同じようなことを自分の友達とか同僚あるいは保護者に言ってるんだったらそれは筋通ってるからいいけど、なんで生徒にだけ怒鳴って人を変えようとするのかって。
ちょっと解決方法が短絡的すぎねえかっていうふうに僕は思うんですよ。もう確かに早い。その場ではすぐに治る。
みんなこうやって怒鳴ってると、例えば僕みたいに怒鳴らないっていうふうに決めてる教員もいるわけですよ。
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そうなった時に甘いっていうふうに思われるんですよね。生徒にも周りの教員にも。
なんで伊藤先生は怒んないんだとか。生徒もあの先生は怒んないからちょっとぐらい油断してもいいやとか気抜いてもいいやとか、そうなっちゃうんですよ。
別に僕も緩くしてるわけじゃないです。例えば運動会、僕が体育の教員じゃないですけど、足が揃ってねえよとか個人名挙げて怒るのも指導かもしんないけど、そうじゃない指導。
例えばなんとか君の足が揃ってませんからもう一回やりますとか。できるまで終わりませんとか。
怒鳴りはしないけど生徒からしたらね、ちゃんとやんなきゃまずいな嫌だなっていうふうに思わせるようなことってできるわけじゃないですか。
怒鳴るよりは指導に関しての良くない指導があったみたいな。そういうリスクは避けられるし。
そもそも怒鳴るとこっちのエネルギー使うでしょ。それがめんどくさいし。こんなことは正直職場では言えないですけど、人の子に対してそこまでエネルギー使って余裕ないんですよ。
そんな足が揃ってねえとか更新ができねえとか、そんなことで怒鳴って喉からして体力消耗して、しかもその後不登校になっちゃうとか、親からクレーム来るとか、そういうリスク背負ってまでやることじゃないんですよね。
僕の中でもそんなことよりもそんなことをしてる時間はないんですよ。だから僕は怒鳴らないんですよ。治んなかったら治んなかったでもいいの。自分の子供じゃないんだから。どうでもいいのそんなこと。
っていうのを僕は子供できてから余計思いました。あと自分の子供がそれをされたらどう思うって。モンスターペアレンスとか言いますけど、学校に苦情を言ってくる親は全員モンスターペアレンスかって言ったらそうじゃなくて。
例えばうちの子が運動会の時に真面目にやってるつもりなんだけどなんか遅いとか揃ってないとかでめちゃくちゃ怒鳴られて全員がいる前でね。
で、学校に行くの嫌だとかなったらそれは文句言いますよ。そういうことなんですよ。自分の子にしてほしくない指導は僕はしない。だから子供を生まれてからは子供をね、生徒をね、生徒のことを呼び捨てにも基本しないですね。
くんさんで呼んでます。って嫌じゃないですかなんか。同じことをね僕は1年目2年目の頃やってました。お前とか言ってましたけど。それは完全な間違いですね。自分の子にしてほしくない指導はしないし、自分の同僚とか友達にも言わないような言い方はしない。
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そうすると怒鳴るっていう指導はないんですよね。うちのね、うちの子空手行ってますけど、空手の先生はね、下の名前で呼んでるし厳しい指導もしてくれる。それはそういう場所ってことを分かってて言ってますから。分かって生かしてますから全然いいんです。
でも学校ってそこに住んでるからそこの学校に行くじゃないですか。そこの家の近くにあるから行くわけで。そこの学校じゃなかったら、そこの学校の近くに住んでなかったら別の学校に行ってて、別に怒鳴られることもない。何か間違ったことがあったら別の方法で指導してくれる。それでいいと思うんですよね。
結局怒鳴ってるのって、怒鳴ってる人がちょっと気持ちよくなってるだけだと思うんですよね。その場を支配してるみたいな。で、怒られる方だって本当に何が悪いか分かってるわけじゃなくて、ただ反射的に静まっているだけで、別にそれがね、今後正しい行動になるとは限らないわけじゃないですか。
だから必要ないかなって思うし、今の学校でね、その怒鳴ってるベテラン先生を見て、怒鳴る指導が正解だみたいな感じで思って、ちょっとね、有力感、自己有用感とか自己効力感とか持っちゃってるのは危険だよなってことをですね、思うし。
ちょうど運動会の後の飲み会でね、そういう話になったんで、今ね、2年目の人とか2校目の人ね、怒鳴ること、怒鳴る指導ばっかしてるって自分でも言ってました。
その後輩たちに僕が言ったのは、そういう時もあってもいいかもしれないけど、こんだけのリスクがあるんだよとか、今言ったような話をしました。
まあきっとこの後も彼らは怒鳴っていくと思うんですけど、僕は怒鳴らずに怒鳴らない指導をしていきます。
いとま先生は甘いというふうに思われても別にそれはいいです。またそこでね、そこに合わせて僕が怒鳴っちゃったりすると、またブレて余計ね、面倒くさいことになったりしますから、僕はこのスタイルでいくし、3年言い続けても治んないものは治んないんだし、自分のことじゃないんだし、他人だしね。
ただ自分の中で指導していくことは指導していきます。で、その中で治っていい方向にいてくれればそれでいいし、そうじゃなければもういいんですよ。そんなね、人の子だから。人の子なんだよ。
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だから中学校卒業した後別に関係ないでしょ。だからいいの、そんなリスク背負ってまで怒鳴ったりしなくたって、と僕は思います。そうするとちょっと身軽に気軽にね、気を楽にしてやっていけると思うんですよね。
なんかこう失敗しちゃいけないとか舐められちゃいけないっていう気持ちもわかるんですけど、でも3年だから長くたって。そう思って僕はやっていきます。
ちょっとね、この運動会の練習を通していろいろ思うことがあったんで、今週はですね、片付けよりもですね、学校寄りの自分の中の教育感というか指導感なんていうものについて話ししていこうかなというふうに思っています。
別にね、あのこれ、学校の先生じゃなくてもお子さんを持っている親御さんにも通じることかなというふうに思いますので、ちょっとね、いろんなご意見いただけたらなというふうに思います。はい、今日はこの辺でおいてもいたします。また明日。