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はい、マモです。いかがお過ごしでしょうか。 今回は、劣等感を抱くことは悪くない、というテーマで話をしていきます。
ここ最近、トレーニングジムに通うようになりました。 週2回から3回ぐらいですかね。
と言っても、民間企業が運営しているトレーニングジムではなくて、市民体育館に入っているトレーニングジムに行っております。
筋肉トレーニングをするのが楽しくて、再びハマり中でございます。
そのトレーニングジムに行くたびに、毎回感じることがあるんですよね。 それが何かというと、劣等感ですね。
毎回劣等感を抱きながらトレーニングをしております。 というのも、周りで筋トレしている人は、みんな筋肉すごいんですよね。
ものすごく重そうなベンチプレスを平気で持ち上げていたり、単純に腕の太さ自分の2倍ぐらいあるという重さも多く見ました。
それを見るたびに、自分ってなんてひ弱な体をしているんだろう。 筋肉ないなぁ、小さいなぁって思いながら、劣等感を抱いているわけなんですけれども、
別に劣等感を抱くことそのものは悪いと思っていないんですよね。 なんでかというと、それが力に変わるからです。
周りすごいな、ちょっと自分も負けずに頑張ろうというのが、筋トレをするモチベーションになるんですよね。
そうやって自分の未来を思い描いて、もっと筋肉がムキムキになっている自分を想像することでモチベーションが上がって、
筋トレ頑張ろう、もっと追い込んでみようかなっていう風になってくるので、 劣等感を抱くことは悪くないし、むしろ自分のエネルギー源になるので大いに結構だと思っております。
ただこれをこじらせてしまうと良くないんですよね。 具体的に言うと、アドラー心理学の用語で言うと劣等コンプレックスですよね。
劣等感と劣等コンプレックスの違いとしては、まず劣等感というのは自分が他人より劣っていると感じる感情ですよね。
それにちゃんと向き合って力に変えられる、これ劣等感ですね。 一方、劣等コンプレックスというのは
自分が他人より劣っているからもうダメだというふうに塞ぎ込んでしまう状態ですよね。 例えば、自分は全然周りを勉強ができない。
どうせやっても無駄だな、もうやめちゃおうとか。 勉強でうまくいかなかったら、ほらやっぱ自分はダメなんだと。
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どうせダメだよな、みたいな感じで自分を卑下してしまう。 そういった状態だと劣等コンプレックスですね。頑張らなくなってしまう。
塞ぎ込んでしまう。 でできない言い訳として自分の劣等感を使う。
劣等感を持っていることを使うというのは完全に劣等コンプレックスで、これは悪い方向に行っております。
エネルギーに変えられるか変えられないかですよね。 これ劣等コンプレックスがさらに酷くなると優越コンプレックスになります。
優越コンプレックスというのは、別に自分に大したことないけどあたかも自慢する、自分すごいだろうアピールをし始めることですね。
何も努力もしてないように。こうなってしまうと究極に痛いやつだし、何も頑張らないという状態が生まれてしまうので、人生が好転するのは難しいですよね。
なのでこの劣等感を劣等コンプレックスに変えないための日々の思考や行動というのはすごく大事で、自分はそこは気をつけるようにしております。
どうせやってもダメだと思ったところで、何も人生良い方向に行かないので、どうこの劣等感と向き合って力に変えていくか、そこに日頃から向き合っております。
今の筋トレにおいては、劣等感を抱きつつもそれを力に変えられている感覚というのがあるので、状態としては悪くないかなって思いますね。
毎日でも筋トレしたいなぁとは思っているんだけれども、筋肉痛の先にやると肉離れとか逆にリスクがあるので、
ちゃんと休業日は作りつつ、自分のフィットレス、筋トレ、あるいは油酸素運動とかも引き続きしていこうかなという思っているというお話でした。
参考になれば嬉しいです。最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしください。