罪悪感の背景
おはようございます。まこやんです。
この配信では、
明日がちょっと明るくなるような
日常の小さな気づきなどを
お届けしています。
本日はですね、
罪悪感の正体
ということで
お話ししていこうかなと思います。
罪悪感ですね。
なんか悪いことをしているかもしれないとか、
なんか嫌な気持ちになるとか、
そういうのって
結構ね、
日常であったりすると思うんですよね。
でもそれは、
本当に悪いことをしているわけではなくて、
そういう風に感じてしまう場面
っていうのは
あるかもしれません。
例えば、仕事場でね、
おはようございますと
声をかけた。
だけども、相手がね、
それに返してくれなかった。
という状態があった時に、
なんか、あれ、なんか自分
悪いことしたかなとか、
なんかもしかしたら、
自分のこと嫌ってるのかなとか、
そういうシチュエーションで、
自分の中でね、
なんか勝手に
悲というか、
悪いことを
したんじゃないかな
というような
ネガティブな発想とかもしてしまって、
ものすごくね、
嫌な気持ちになったりするとかね、
シチュエーションは違えど、
そういうのも結構
あるかなと思うんですよね。
その時に生じる
罪悪感というものって、
一体何なんだろうって。
それをちょっと
知ることで、
少しね、
場面にね、
出くわしたり、
今そういう状況でね、
ちょっとあったなっていった時に、
少し考えがね、視野が広がるような、
そのきっかけになればいいなと
思ってお話しします。
他者の目と自己評価
ちょっと調べた内容で、
ちょっとお話しさせていこうかなと
思うんですけども、
まずですね、
人は人の目や
社会の基準によって、
自分を評価しようとする。
いわゆる他人の目
っていう感じですよね。
人からどう見られてるんだろうとか、
会社から社会から、
どういう風に自分は評価されてるんだろう
っていうように、
勝手にね、
外からの評価で、
自分をね、
形成しようとしてしまう。
その際に、
自分が描いている、
自分の理想像ですかね、
自分はこういう人間だ、
だからちゃんとしてるっていう
確信があるんだけども、
実際外からは、
いやあなたはできていませんとか、
全然ダメですよって言った時に、
なんかそのね、
ズレが実際に起きると、
そのズレっていうのが、
認知的不幸とか、
心の不快感とかね、
そういうのを生み出して、
あれなんか、
自分ってダメなのかなとか、
悪いことしたかなみたいなね、
そういうのを発生してしまうと。
その時に、
心の自然な原理で、
その不快感をですね、
減らすために、
自分は、
自分は、
それでも、
自分は例えばさっきの挨拶で言うとね、
自分は挨拶したから、
自分は悪くないとかね、
相手が、
ただ聞いてなかっただけだとかね、
なんか勝手にそこに、
自分の都合のいいように、
物事っていうかね、
それを作り出して、
要するに心のバランスですよね、
を取ろうとする。
これは結構あるんですよね。
自分もやっぱりね、
職場とかで間違えた時に、
まずね、
自分の非を認めたいんだけども、
正直に、
あの時、
誰かが声をかけたりね、
忙しくしてたから、
自分は間違ったんだって。
あくまで自分は、
ちゃんとやってたよっていうのをね、
アピールしたくなるんですよね。
これは防衛反応みたいなものだと思うんですけど、
だから人によっては、
これなんかね、
間違ったりミスをした時とかは、
強くね、
言ってくる人もいると思うんですよ。
いや、やってないですよ私とかね。
私は間違ってないです。
ちゃんとやってましたとかね。
強く言うっていうのは、
一種の表れでもあるんですけど、
なんでそういう時に、
心のバランスをね、
否定されたりすると、
バランスを取りたくなって、
ついね、
それを反射的にやってしまうという、
人間のね、
そういう特性というか、
心の使用みたいなね、
だからね、
仕方ないとは思うんですけどもね。
なんでそれがね、
そういう風に起きてしまうかというと、
根本的にあるのは、
自分が、
あのー、
ちゃんとやってる、
もうちょっと言うと、
自分をね、
自分は間違ってない、
ちゃんとしてるっていうのを、
ちゃんと思ってるっていうね、
気持ちの裏返しなのかな、
っていう風に思うんですよね。
だから、
人っていうのは、
自分の心をちゃんと、
大切に思うっていうね、
大切に思ってて、
そこにずれを生じると、
そこに不快感が生まれて、
そのバランスをね、
取りたくなるっていうね、
そういう仕組みになってるんですよね。
心のバランスを取る
そうなんですよね。
だから、
よくね、
仕事場とかでね、
そういうのは、
何か注意をしたり、
指摘をしに行くとね、
逆に言われて、
逆切れみたいな感じで言われるんですけど、
でも自分たちが、
言いたいのは、
その人を指定したりしたいわけではなくて、
仕事だったら仕事の内容を、
改善したいとかね、
そういう話でね、
持っていきたいんだけど、
どうしても反射的に、
人ってそういう風になっちゃうから、
受ける方もね、
ちょっとは理解はしてるつもりだけども、
受けてる方も、
嫌な気持ちになってしまうっていうのは、
こういうところからね、
来る部分があるのかなって、
感じました。
だからね、
少しでもね、
この罪悪感っていうもののね、
仕組みっていうのを少し知ると、
ちょっとね、
客観的に、
自分を見て、
こういうのって、
セルフリフレーミングっていうらしいんですけど、
自分の枠組み、
自分の中で形成してる、
心の枠というか、
そういうのを一回、
自分の外側から見てみて、
自分は今こういう状態なんだ、
っていうのを、
客観的に見ることで、
今、生じて、
否定されたことで、
ちょっと心のずれが生じてるんだなって、
ただ、
自分はちゃんとやったことと、
否定された、
想像であるところ、
っていうのを、
ネガティブな感情を、
ごっちゃにしちゃうと、
わかんなくなっちゃうんだけども、
そこを切り離して、
ちゃんと自分はやった部分は、
ちゃんとやってるんだけど、
さっきの挨拶で言うと、
挨拶はしたけども、
相手の、もしかしたら、
嫌ってるっていうのは、
自分の想像でしかないわけで、
事実とはまた違うと思うんですよね。
だから、
もうちょっと違う考え方すると、
挨拶したけど、
もしかしたら、
手が離せなくて、聞こえなかったとか、
集中してて、
全然耳に入らなかったとか、
そういう視野も入れていくと、
もっと広く
物事を見れることで、
自分に対する、
罪悪感っていうのも、
違うのかなって、
ちっちゃくなっていったりもするので、
いろんな考え方っていうのを、
ちょっとずつ、
頭に入れておくだけでも、
いざ、こういう時に、
自分が辛いなってなった時に、
少し気持ちが、
柔らぐ、
一つの方法かなと思います。
ということで、
罪悪感ということで、
お話しさせていただきました。
少しでも、
心が軽くなるような、
そういう小さなきっかけになれば、
いいなと思っておりますので、
引き続き聞いていただけると、
嬉しいです。
ありがとうございました。