仕事の達成感とモヤモヤ感
はい、こんばんは、まこやんです。
仕事が終わりまして、今帰りながら収録をしています。
今日はですね、ちょっとなんかこう、もやっとしたことがあったというか、
なんか、良かったんだけど、それってどうなの?みたいな感じのね、体験があって、
それは何かっていうと、あのー、今日はね、ちょっと仕事のやることがね、
どんどんどんどん溜まっていってしまって、トラブルとかね、
イレギュラーなことがちょっといろいろあって、
本当に時間に追われながらやるべきことっていうのが、久しぶりにテンパるくらいあったんですよ。
で、それを無心でね、午前中のうちに何とか処理して、
午後ちょっと、あのー、少しね、残った部分を消化して、
で、ようやくすっきりしてね、綺麗になって、
良かったなーって、本当に心から声が出るぐらい、やったーっていう感じでね、なったんですよ。
で、達成感っていう意味では、やり切ったっていうところはね、すごく良かったんですけど、
ただその達成感が、自分の狙った達成感ではなくて、
余計な仕事って言ったほうがいいかな、元々やる必要がないような仕事ばかりのものだったので、
それをクリアして、その達成感をもらえたっていうのは、
何て言うのかな、自分の中でモヤっとする、狙ってない、狙ってそれが出来たんだったらすごい良いなと思ったんですけど、
狙ってなくて、やらされた感じでそれを得たっていうのは、
うーんっていう感じなんですよね。
ちょっと難しいかもしれないですけど、山があって、その山を自分で頑張って登ったっていう達成感と、
誰かに連れてかれて登って、やり切ったっていうね、
同じ山なんだけど、引っ張られるか自分で歩くかみたいな、
何て言うのかな、与えられたのか自分で求めたのかっていうかね、
その違いでモヤっとするのが今日はすごくあったんですよね。
これ分かりますかね、ちょっと触りにくいかもしれないですけど、
同じ達成感を味わうなら、自分が決めて、自分の力で、自分でクリアして出来たっていうね、
スタートから結末を狙ってやれたら本当は良いなっていう風にすごく思いました。
それがたまたま重なった仕事のものをクリアして、
仕事としてはね、やりがいになるかもしれないんですけど、
ただね、ちょっと不本意かなっていう部分が今日はすごくありましたね。
AIと人間関係
自分でノルマを作ってやるっていうのも結構やってたんですけど、
自分のノルマって結構、自分のコンフォートゾーンの中、安全圏内の中でしか動けなかったりするんですよね。
出来ることを目標にするからそれは余計なのかもしれないですけど、
今回あったイレギュラーなことって自分が予想してないことばかりで、
限られた時間の中でそれをこなしていって、結果なんとかって感じてるんですけど、
自分でノルマをやるぞってやった時に、自分の意気を超えないというかね、
自分の中でしか自分の出来て当たり前みたいな、その範囲中でしかやらないから、
もしかしたら飛び越えた何かを得られるものっていうのはないのかもしれないんですけどね。
それは難しいんですけど、結局やっぱり自分の安全圏内の中で動いちゃうから、
やっぱりそこの外側に出るためにはやっぱり外部のものっていうのが必要にもなるだろうし、
その辺のバランスっていうのはすごく難しいんですけど、
突発的な外部から来るものってやっぱり良いものではないんですよね、正直。
後から思って、それが結果的に良かったなとかね、
自分は病気してましたけど、それも狙って病気になったわけじゃないし、
病気になってから色々そこを乗り越えて今があって、
今からその時を振り返った時にあの体験があって良かったなとかね、
そういうのは思ったりするんですけど、
ただね、自分がこうやって話してる前向きに一歩踏み出すみたいなのを配信してる中で、
どうしても外からのことに助けられるというか成長させてもらったり、
することっていうのはやっとするっていうのが今日のテーマではないですけど、
お話したくてお話ししました。
狙ってね、できることなんてもしかしたら限られてるのかもしれないですけどね、
自分の思った通りにもし動けるとしたら、
その先の自分の成長は止まってしまうのかもしれないですよね。
まあ難しいですけどね。
会話でね、会社でね、
面白いというか普通に話してて楽しかったことがあって、
今AIとかがすごい進化してる中で、
本当に会社内でも揉め事とかはあるわけですよ。
従業員とか人間関係。
それをまとめてる側からすると、
もうみんなAIの置き換わって機械になったりして、
もう人なんかいらないんじゃないかっていう話が出てきて、
確かにそうだよねって。
そうすれば確かに問題は起きないし、
仕事もスムーズだし、
間違いとかもないかもしれないよねって言って。
仮にそうなった時、人がいなくなった時に、
自分たちはどうするんだろうって。
何も問題が起きない、波風が立たない、
何も変化のない日常が来た時に、
果たしてその人生は楽しいのかなって。
なんか思ったりね。
そんな話をしてて。
全部が代替された世界で、
自分たちに役割がなくなった、
ただ生きてる世界になった時に、
果たして自分たちは何を思うのかなってね。
すごく思ったんですよね。
だからもし自分がね、
わかんないですけどね、
想像で考えるにめちゃくちゃつまんない人生なんじゃないかって。
毎日ね、
毎日ではないけど、
生きてる上でやっぱり病気とかした時は、
生きる、生きたい、死にたくない、
体調を戻したい、元気になりたい、遊びたいとかね。
やっぱりできないことがあるから、
できなくなったからこそ、
やりたいことがより大切になるし、
好きな人とかも一緒になりたいと思うかもしれないけど、
うまくね、自分の思い通りにいかなくてね。
やっぱり好きな人がいて、
自分にはダメでしたってなった時は、
やっぱり本当は、
気持ちもね、
悔しい気持ちやね。
いろんな気持ちがあるけども、
それも自分が大切に思ってたものを知る機会だし、
そういうのが一切なくなってね、
何も不自由がなくなって、
それはいいことなんだけど、
それの代償としては、
もしかしたら生きる意味というかね、
そういうのを見失ってしまうのかなって、
それも感じたんですよね。
痛みと人生の価値
痛みを知らない。
たまに考えるんですけど、
病院とかでね、
手術とか検査とかでね、
やっぱり苦しいじゃないですか。
そういうのって一切痛みがなくなったらいいのになって、
そしたらいくらでも検査してあげる、
検査できるのになったかって思うんですけど、
もしかしたらその痛みを知らないから、
何だろう、
いつでも治せるとか、
別に病気になってていいやとかね、
手術すれば治るだろうってね、
もしかしたらそう思ってたとして、
思ってたとしてというか、
自分はそう思っちゃってたんですけど、
それはもしかしたら自分の大切なものを
失くしているのかもしれないですよね。
本当に痛みを知ることで、
大切にしなきゃいけないもの、
周りの人たちだったり、
自分の苦しみだったり、
そういうのが見えなくなってしまう世界っていうのが、
来ちゃったりするのかなって思うんですけど、
だからそういう苦しみや、
自分でコントロールできることなんて、
何しつつなくてね、
それは大切に自分たちが生きるための
必要なものなのかなって思ったりもしますしね。
だから自分で何これあれこれコントロールして、
自分の達成感を得たいなって思った話だったんですけど、
結果やっぱり自分一人では生きていけないのかなって思いました。
それはそういうふうに自然の設立でなっているのかなっていうのが、
負に落ちるというか、
納得する自分の中で落ちる場所なのかなって思いますね。
自然のようにというか、
自然の成り行きで自由に生きるっていうかね、
そういうのが結構好きなので、
流れに身を任せるっていうのも結構教わってきたことなので、
その辺も自分のバランス取りながら、
生きていければいいかなと思います。
ちょっとよくわからない最後の話になってしまったんですが、
聞いてくださいまして、ありがとうございます。
また朝、定期的に配信していますので、
よかったらそちらも聞いていただけると嬉しいです。
フォロー、コメント、いいねなどもいただけると非常に嬉しく思います。
ありがとうございました。