2025-10-08 11:24

想いはちゃんと届いていく😌

「自信がない自分」でも、誰かの力になれるかもしれない。
そんな想いで、日々の気づきや感じたことを、自分の声で届けています。
自分をちょっとだけやさしく見つめて、前に一歩踏み出すきっかけになれたら嬉しいです。

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サマリー

このエピソードでは、日常の小さな気づきと共に、祖母との思い出や愛情の大切さについて語り、時間をかけて親子の絆がどのように深まっていくのかを考察します。また、田舎での農作業を通じて得られた貴重な体験も紹介されます。

日常の気づきと農作業
おはようございます。まこやんです。
この配信では、明日がちょっと幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、想いはちゃんと届いていくということでお話ししていこうかと思います。
いつも配信は2日前とかで予約を取って放送しているので、実際今日今この配信を撮っているときは月曜日かな、6日の月曜日になるんですけど、
昨日一昨日と、ちょっとお隣の畑のおじいちゃんの手伝いをしてきたんですよ。
そのおじいちゃんがね、ちょっと体を痛めちゃって、農作業ができないからちょっと手伝ってほしいということでね。
日頃、本当に田舎あるあるですけどね、野菜がいっぱい届いたりとか、自分の野菜をあげたりとかね、
本当に田舎だなって思うようなことがいっぱいあるんですけど、日頃ね、いろいろ草むしりとかもできない人がやってくれたりとかね、
ちょっとしたね、周りへの協力っていうかね、そういうのもやっぱりあって、自分もできるときは手伝いをしてたりするんですけど、
今回ね、ちょっと大がかりで、どうしても手がかりたいということでね、それならばぜひこちらこそということでね、やったんですけど、
何をしたかというとね、土曜日は芋掘り、さつま芋の掘り、手で掘って、そこの枝とかを掃除したりして、
それが半日くらいかな、時間取れて、で、それをやって、で、次の日、昨日ですね、昨日は栗の栗拾いですね、栗拾いでやってきました。
さつま芋やったことあったのかな、去年、なんですけど、栗拾いは初めてで、やってみてね、本当に痛感したのは、めちゃくちゃ大変だったってことです。
本当にね、いっぱい拾えるんだろうと思ったんですけど、実際ね、ずっと中腰で、栗はもうトゲトゲの中に実があるので、
それを足で広げて、ひばさみで取って、で、それをね、傷がないかとか腐ってないかとか、虫に食われてないかとかを見て、で、入れて、
で、それをね、こうやっていくわけなんですけど、一つの木でね、綺麗に落ちてるものを綺麗にするのに、
そうですね、だいたい1時間くらいかな、1時間で終わったかなっていう感じですね、あの一つの木が、そこに落ちてるものはね、
で、その木をね、木の周りで落ちてるのを選別しながら、で、この殻もね、殻もこう集めてね、燃やすとこに持ってって、
で、やってて、で、そうこうしてる間にね、こうまた栗が落ちてくるんですけど、そう、で、あれ?って思って、全部綺麗にしてもまた落ちてるよって思ってね、
そうそうそう、あのー、こう言ったちこっこみたいな状態だったんですけどね、そう、ただ、あのー、ほんとにやってみるとね、でもすごく面白くて、
祖母との思い出
そう、あの大きいね、こう、栗が出てきた時とか、綺麗な栗が出てきた時はね、すごくなんか、やったーってね、こうちょっと宝探しみたいな感覚になるんですけど、
そう、あのー、ほんとにやって楽しいなーって、自分、そういうのもともとね、農業なんてやったことなんかね、ほんとになくて、
そう、こっちに、そう、家建てで引っ越してから田舎ですけどね、そう、で、そこから家庭産園とかね、ちょっとずつやってて、まあそのお隣さんのね、そう、農家さんとも仲良くなってこういうご縁があったんですけど、
そう、で、えっと、今回ね、その、ちょっと前置き長くなっちゃったんですけど、そう、その栗拾いをしてて、で、子供もね、一緒にみんなでやってて、で、子供がその2,3時間経ったらね、疲れちゃったんですよ。
そう、で、疲れちゃって、で、抱っこしてほしいって言われたんですけど、あのー、ちょっと作業ができなくなっちゃうんで、あのー、頑張ってって言ってたんですけどね、どうしてももうダメでってことで、
おんぶをね、あのー、してって言うからおんぶしてたんですよ。そう、で、そのおんぶをね、うちあんまりこう、ちっちゃい時からしてあげることがなくて、今はもう3歳なんですけど、そう、あんまお互いにね、俺もそうですし、子供もおんぶ慣れをね、あのー、してなくて、
ちょっとこう、重心決まんないなみたいなね、こうもどかしい中で、しかも今16キロぐらいあるんでね、結構重いっていうね、そう、で、そのね、おんぶをこうして、中腰になって、クリオをね、こうやってて、うわーこれめっちゃ大変だなーってね、こう感じた瞬間に、
ふとね、こう昔のことを、こう、なんて言うんだろう、こう振り、こうバッてね、こうビジョンが、こう、なんか映画みたいですけど、こうふわっとね、こう入ってきて、何かって言うと、昔自分もこうちっちゃい時に、おばあちゃんによくこう、おんぶされてたなーって、なんかその、その映像がね、こうバンって出てきたんですよね。
あっと思って、で、おばあちゃんの背中にね、こう、よくね、こう自分乗ってたんですけど、で、あの紐でね、こう縛られて、うん、で、その時に、こう、おばあちゃんそれをしな、おんぶしながら畑やったりとか、自転車漕いだりだとか、ね、あの歩いたりだとか、で、なんかいろいろやってたなーって、その時すごい、こう思い出して、で、自分が今ね、その、
自分の息子をね、おんぶして、その作業をやってた時に、いやなんてすげーことやってたんだろうなーって、うん、こんなことできねーよと思って、あの本当にね、あのそれをこうね、ふっとね、こう一瞬で痛感したというかね、そう、あの思ったんですよ。
で、その子供はね、やっぱり自分の子供こう、やっぱり慣れてない性格落ちちゃったりね、こうバランス崩したり、位置が決まんないとかでこう動くわけですよ。そう、で、こっちは必死にね、それをね、こう支えないといけないからね、そう、重心を探したいとか、うん、してて、子供が落ちないように、寝やすいようにってね、こう思いながら、こう、そっちも気にしつつ作業もしつつみたいなね、そう、ことをやってたんですけど、
それがね、こうちっちゃい時、自分は背中に乗ってただけだったけど、そう、おばあちゃんはずっと多分こういうことをいろいろ思って、こうしとっててくれたんだなーってね、うん、なんかすごくそれをね、あのー感じて、なんか、なんでしょうね、こうあったかくなるというか、そう、なんか今をね、こう、おばあちゃんとはね、もう会えないんですけど、
そう、あのー、会ったら、なんかそういうことを話したいなってね、なんかすごくそれは感じたんですよね、そう、うん、なんか、そう、子供が産まれるとね、その親の気持ちがわかるってね、まあ、あのー言って、まあ、やっぱね、それは痛感するんですけど、今回感じたのはね、その、おばあちゃんにね、こう背中に乗ってたり、こう甘えたりだとかね、こういろいろそうやったり、で、もちろんね、その頃は畑もね、こう自分がこう、
あのー、なんだろ、やるようになって、ね、子供がね、そうやっぱ土好きだから、こう、いじく痛くなっちゃうんですよね、こう、穴掘ったか掘ったかあると、そう、でもー、それもね、やめてくれーってね、あのー、そう、あのー、なったりする、親の、親っていうかね、その大人側からするとね、えー、なるんだけど、なんかそういうのもなんか全然言われたことなかったなーと思って、結構なんかやりたい放題やってたのに、うん、あた、あたかくね、それをなんか見守っててくれた気がするなーとかね、思いながらいて、
そう、なんだろう、なんか、愛情をたくさんもらってたんだなーっていうね、うん、なんかそれを改めてこうね、えー、痛感したっていう話なんですよね、そう、うん、だからなんかこう、背中にね、こう、持ってたけど、普段はね、そのうるさくてね、なんか、あのー、なんだろう、離さないでよってね、こう思う時期とかもやっぱりいっぱいあったりして、こう、自分のタイミングでね、こう、どこ連れてけーとかね、言ってたりしたんだけども、なんかね、そう、今振り返って、
そういう時期をね、こう思い返すと、なんか、大変だね、そう、決して自分もね、ちっちゃい子供じゃなかったので、大きかったので、なんていうか、そのー、いろんなものをね、こう、背負いながらね、こう、やってくれてたんだなーっていうのを、なんかね、すごい今感じて、でー、なんか、またね、この自分の子供がね、また孫ができて、その自分の子供がそういう体験をしたときに、なんかちょっとでも、そう、あ、あのー、
愛情の伝達
父ちゃんにね、こう、背中をぶって、あの、自分こんなことしてたなーっていうね、記憶がちょっとでもあって、それを自分のまたね、子供に伝えていければ、うん、その、なんかね、そういう、愛情がね、こう、ちょっとでもね、こう、伝っていければ、なんかすごく嬉しいなーっていうね、そういう、あのー、なんで、経験というかね、あのー、ことをね、思いました。
なので、こう、思いっていうのはね、そう、いろんな形でね、こう、つながってって、決してそれが、あのー、いい形でね、まあ、あのー、なんだろう、すぐね、こう、ピョンって届くわけでもないし、今の子供、今の自分の息子にね、こう、何かやって、ちょっと、あのー、あなたはね、怪我しないようにこうしてるんだよって、注意してるんだよって言っても、今はやっぱ分かんないと思います。
なんでそんな、あのー、ダメダメダメダメ言うんだろうとかね、うん、やっぱそれは時間経って、こう、振り返った時にあってね、こう、なる。で、その、なんだろう、そのタイミングで気づいてもらえれば、それでいいのかなって、なんか思えたんですよね。そう、どうしてもね、こう、あれこれ、あのー、気をつけてとかね、ダメって言っちゃうけど、それはね、今は分かんなくても、でもその、愛情だけはね、こう、あのー、届いて、うん。
あのー、後からでも、こうね、ちょっと届いて、自分のね、こう、少しでもこう、心の中にね、残ってると、なんか嬉しいかなっていうね、うん、そういうことがね、えー、あのー、ありました。そう、なんでね、えっとー、ちょっとでもね、なんかこう、いろんな出来事で、こう、いろいろ、自分のね、こう昔のことを振り返ったり、そう、あのー、なんか、こういうの与えてもらってたなーとかね、うん、なんかそういうのを感じた時がね、あったら、ちょっとね、こう振り返って、
自分も、もしかしたらこの後ね、そういう、いろんな形で、そのー、子供とかだけでもなく、あのー、仕事でもね、えー、家族でも、こう、届いて、いくってね、えー、こう、ちょっとも思えたら、なんかね、また違ってくるのかなっていう風に、えー、感じました。はい、えー、ということでね、えー、今日も、えー、ここまで聞いてくださいまして、ありがとうございます。えー、また、えー、続いてね、えー、配信していきたいと思いますので、よかったら聞いてみてください。ありがとうございました。
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