小さな気づきの重要性
おはようございます。まこやんです。 この配信では、明日が少し幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、小さな気づきに理由を求めてはいけないということで、お話ししていこうかと思います。
結論から言いますと、「だから何?」を、「それでいい」に変えるということですね。
もうタイトルがね、「小さな気づきに理由を求めるな」っていうことなんですけど、自分がその小さな気づきを配信していながらね、こういうことを言うっていうね、ある意味ちょっと逆説的な感じになってしまいそうなんですけど、
実はですね、毎日小さな気づきを取り入れながら、それを皆様に何かの価値になるような、小さなきっかけになるような、
少しそういうことをお届けできればと思って続けているんですけれども、それをしている中で、
例えば、いつも朝ウォーキングをしているんですけど、この間ウォーキングをしているときに同じところを何週間回るんですけど、その最後の頃に赤い木に赤い実がなってたんですよ。
その赤い実がなっていることに気づいて、ずっと気づかなかったけど、3週目でようやくここに気づけたって自分の中ではね、こうなったんですよ。
で、じゃあこれじゃあ誰かの価値になるかなって、そこでねすぐ変換を頭の中でしたんですけど、いやこれならないなというか、ならないというか、だから何言って自分の中でなっちゃったんですよね。
だから、そうなんかじゃあこれは使えないなとか、
じゃあ太陽がね、あのその日寒かったから太陽が出て暖かいなって感じたけど、だから何みたいな、そうなんかあの全部に対してなんか突然ね、そうあの答えを求めちゃうみたいな、だから何なのみたいなのをすごくね自分に問いかけるようになってしまったんですよ。
で、それをやったら、なんか自分やってることってこれ何なんだろうなって、なんでこの小さい気づきを拾い上げて伝えて、そうで、それは何のためになるんだろうみたいな感じにね、こうだんだんなってしまってて、おやおやってね、気になっちゃったんですけど、
外的価値の探求
で、それをね、ちょっとあのチャットGPTでね、ちょっと整理をね、ちょっとしたんですよね、自分の中で。そしたら、ちょっとね、なるほどなっていう部分が少しあって、まず価値っていう部分、まあね、価値を届ける、まあそれがいろいろね、価値がね多分あると思うんですけど、価値にも2種類あると。
で、その価値って何なのかっていうと、内側の価値と外側の価値ですね。この内側の価値と外側の価値。先ほどの、例えば赤い木の実を見つけたっていうね、その一つ言うと、自分の中ではその3周回って、その赤い実を見つけた。
で、そういうところに気づけた自分がいたんだなっていう、なんか視野の広がりというかね、心の余裕というか、そういうのが広がったなっていう内向きな価値だったんですよね。ただ、今回それをだから何ってなっちゃったのは、そこから外向きの価値に変えようとしたんですよね。
じゃあ、その赤い実を見つけたから何を提供できるんだろうとか、そこって外側に対しての完璧を求めるというかね、理由を見つけるみたいな、そういうのを全てに当てはめちゃったんですよ。
だから内側の価値で十分なのに、外側の価値にそれを無理やり繋げようとして、そこはね、別に何だろう、そこを無理やり繋げる必要は本当はなかったんだけども、それをなぜかね、自分の中で外側の価値としてつけようとしちゃって。
で、それで自分の中で苦しんじゃうっていうね、そういうサイクルに陥っちゃったんですよね。価値っていうものが全て自分と相手両方に一致するっていうわけではないということに今回気づけたんですよね。
で、あとは完璧っていう部分であればね、100点を目指したいとかね、それを見つけて完璧な発信をしようとか、配信をしようとか、SNSに上げようとかって考えがちなんだけども、そこがね、無理やりそれを外に向けようとした失敗になっちゃったんですよね。
で、それを考えた時に、外と中、外に逆もね、自分の方には内面的な価値はそこまでなかったとしても、周りの人には助けられる価値かもしれないっていうのも逆にあるし、その価値一つ取っても、答えは全部に共通してないというかね。
理由をそれに全て当て込む必要はないんだなっていうふうにね、気づいたんですよね。
で、それはじゃあどういう考え方かっていうと、だから何っていう質問がもし出てきてしまったら、もうそれでいいと。
その気持ちをその気持ちでそのまま評価とかはしなくて、その気持ちをそのまま受け止めるっていう感じにすることがね、なんかいいのかなっていうふうに思いました。
例えばね、さっき言ったの太陽が出てあったかかった。やっぱり太陽気持ちいいなっていう、その自分があったかくなったその気持ちだけを受け止める。
そうすることで、外と中のこの区切りっていうかね、それをちょっとちゃんとつけるっていうね、ことをできるようになるっていうね、そういうことがいいかなっていうふうに思います。
そうすると場合は自分をね、ありのままの自分が外ばっかりね、外外外っていうふうに意識がいくと、結局自分のいいところ、自分のちゃんとしたフィルターがあるのにそれを無視して無理やり外の形に変えちゃう。
結局自分は何をしてたんだろうとかね、そういうふうに合わせすぎちゃうね。そういうところに繋がっていっちゃうのかなっていうこともね、あるんですよね。
なので、自分を育てながら、ありのままの自分を受け止めて、好きなこと、気づいたこと、何でもそうなんですけど、まずそれを自分の中で大切にして、そこで区切りをつけちゃって、
それが自然と、外でもし気持ちが晴れないんだよねっていう人がいたりして、そういう時にちょっと外で歩いたりすると、こういうのを感じられて気持ちが切り替わるようとか、そういう経験をそういう時に役立てるのがいいのかなって、そういうふうに思ったんですよね。
だから何より、だから何っていう質問は内向きの、外向きの声であって、それでいいって思えることが内向き、自分に対しての優しさだったり、それは完璧じゃない、自分でいいって思える心の土台みたいなね、そういうのを作る大事なことなのかなって思いました。
本当にこういう発信とかやってると、みんなもっといい内容を届けたいとか、誰かのことを救いたいとか助けたいとか、そういう思いがたくさんあると思うんですよね。
それに執着じゃないですけど、意識が偏りすぎちゃって、全部相手に届けなきゃ届けなきゃみたいな、すごいそういう気持ちになるのもすごくわかるし、自分も今もそうですし、やっぱりもっともっと価値を高めたいなって正直思うし、
ただね、そこに突出しすぎちゃうと、自分をくりしめる負の最高にはやまってしまう可能性もあったし、何より自分らしさっていうね、自分自身を大切にしていくことで、本当は自分の価値っていうものが生まれてくるのに、その逆なことをしてしまってたかなっていうね、そういう部分もあったので、
今日はこういうお話をさせていただきました。ということで、小さな気づきを大切にして、自分の豊かさを設けつつ、そのフィルターを通しながら皆さんに届けてこれからもいけるように頑張っていきますので、引き続き聞いていただけると嬉しいです。
本日はここまで聞いていただきましてありがとうございました。