2025-11-27 12:16

残された時間について考えてみる。

「自信がない自分」でも、誰かの力になれるかもしれない。
そんな想いで、日々の気づきや感じたことを、自分の声で届けています。
自分をちょっとだけやさしく見つめて、前に一歩踏み出すきっかけになれたら嬉しいです。

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サマリー

残された時間について考える中で、親との貴重な時間や後悔しないための行動の重要性が強調されています。実家に帰ることや日常的な小さな気づきが、人生の大切な瞬間であると示されています。このエピソードでは、残された時間について考え、身体が動く限り楽しむことの重要性について語られています。また、自分の過去の経験を振り返りながら、今できることへの感謝の気持ちも表現されています。

残り時間の重要性
おはようございます。まこやんです。この配信では、明日がちょっと幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、残り時間について考えてみる、ということでお話ししようかなと思います。
残り時間ってね、ちょっとなんか大きいタイトルになっちゃいましたけど、最近ちょっとね、こういろいろ本とかを読んでね、ちょっと思うことがあって、それはあのうち今ね、こうなんだろう、実家からね、ちょっと離れたところで今住んでるんですけど、実家に戻るタイミングってそうですね、月に1回あるかないかみたいな、そのぐらいなんですけど、
で、だいたいね、その1回行くか行かないかを、後でいいかなとかね、なんかそういうふうにね、結構考えたりするときがあって、それをね、いろんな本を読んでる中で、その残り、あとうちのね、親にね、会える回数は、
何回あるのかな、回数というか時間ですよね、どのぐらいあるのかなってね、計算したら、だいたいその月1って考えると、まあそうですね、12回、1年でね、12回って単純に考えて、で、あと今がね、67とかかな、で、仮に80ぐらいの年齢まで生きたとね、仮定して、
まあ約ね、12回ぐらい、12年か、12年とかそのぐらいで、それのまあ12回ぐらい、だからちょっとやさこしいな計算か、まあ100回ちょっとぐらいかな、に、まあなるんですよね、そうすると100回しか何か会えないのかってね、こう思った瞬間に、
何かもっとその、何だろう、時間の大切さというか、そう、何かその迷ってる時間すらは何かもったいないんじゃないかって、うん、思ったんですよね、そう、で、基本的にはその実家に帰る時っていうのは、あの息子を連れて行くので、まああの孫ですよね、うん、まあこのうちの子がね、まあ大きくなって、もしかしたら、あの、その大人ね、成人するまでに、あの、見られないかもしれないとか、
そう、もっとやっておくべきことが、うん、何だろう、後で後悔しないか、しないだろうかとか、そう、何かね、ちょっといろんなことをね、考えるようになったんですよね、そう、だから、あの、昨日もね、えー、その実家に行ったんですけど、そう、別に、あの、何もしてないんですよ、特別に何かこうどっか出かけたりとか、何か、あの、ご飯食べに行ったりとか、何かそういうことは全くしてなくて、ただ、あの、会いに行ったっていうね、うん、そんだけの行為なんですけど、
何か、それ、まあそういうことが、何か、そう、大切になってくるのかなって、何かね、そういうふうに感じたんですよね、うん、まあ何をこう、しとけばよかったっていうのは、まあそれはね、あの、何ていうのかな、こう、どうしても多分何をやっても多分出てくると思うんですよね、うん、何をしてても多分何、あの、ああしとけばよかったっていうのはもう多分ね、後悔は絶対つきもんだと思ってるんで、
そう、だけど、その、今ね、こうやっておきたい、そう、後悔、今ね、後悔しないようにするための、何か、行動っていうのは、やっぱ取っていきたいなっていうふうに思っていて、そう、だから、そのね、その、ちょっとね、そのいろんな時間ですよね、うん、今日もね、あの、実はあの、朝ね、えー、いつも、ちょっと今、あの、1時間くらい朝ね、勉強しようと思って、えーと、起きようと思ってね、頑張ってるんですけど、ちょっとね、あまりにも寒すぎて、うん、
ちょっと起きられなくて、ただね、朝の筋トレとかはできてるんですけど、それよりさらに1時間早くっていうのはね、ちょっと今、きつくて、で、それもね、こう、できなかったときに、何か、その時間をね、まあ、無駄にしちゃったなって、で、多分、明日もまた同じ時間は来るんだけど、そう、でも今日っていう、もうその1時間は帰ってこないし、うん、まあ、あの、うつろうつろでね、まあ、今日は、あのー、まあ、自分で納得しておきなかったんですけど、そう、だけど、
その、今日のね、こう、当たり前にあるような1時間とか、まあ、普通の、なんだろう、今ね、これ朝、ウォーキングしてるんですけど、こういう時間とかって、多分、今日しかもうないんですよね、そう、あの、明日も同じような景色でね、こう、やってるかもしれないけど、多分感じるものも違うし、こう、日常の変化だったり、なんかそういうのも多分その瞬間しかね、こう、味わえないものとかもね、えー、あるだろうし、まあ、それは、あのー、まあ、ね、結果論で、
しかないけど、そう、明日も過ごしてみて、今日のね、違いなんてわかるわけでもないし、うん、ただ、その時、その時の選択は、まあ、あのー、自分がね、まあ、選んだ選択の中でね、えー、間違ってないんだけども、ただ、その中身をね、さらに、こう、自分の中で、こう、ただね、こう、生きちゃうんじゃなくて、
しっかりと、自分の中の、こう、考えの下でね、こう、動けるっていうのが、なんか、まあ、大事なのかなーっていう風に、最近はね、こう、考えさせられてますね、うん、そうなんですよね、そう、今になって、こう、いろんなね、えー、本とかを読むと、そう、生き方だったりね、こう、死に方だったり、そう、まあ、自分自身っていうのがね、こう、わかってるようで、やっぱわかんないし、うん、で、やっぱね、こう、
あのー、迷、迷子にね、こう、いい意味の迷子なのかな、今、そう、になってる時もあるしね、まあ、もしかしたら皆さんも、こう、なんか、自分ってこのまま生きてて、ね、こう、何に向かって生きたらいいんだろうとか、そう、なんか、あるかもしれないんですよね、うん、で、そう、昨日はね、そう、実家にね、そう、帰って、よかったことが一個あって、あのー、地元のね、友達が、ちょっとしばらくも会ってなかったんですけど、ちょっとだいぶ体の調子が悪いらしくて、そう、で、あのー、
なんかね、腸のね、腸閉塞、はい、あのー、一回ね、こう、なんか、肝臓かな、肝臓を悪くしちゃって、それで手術した後に、やっぱり、そこからね、空気が入っちゃって、やっぱり腸閉塞に、ちょっとなっちゃって、で、それのね、手術、こう、もう今、ケアしてながらで、なんかすごく大変だってことで、あのー、やっぱりこう、離れちゃうと状況とかはね、やっぱり、あのー、そういうのも全然入ってこないんで、あのー、わかんないんだけど、昨日はね、それはいって聞けたので、あのー、ちょっとね、その、やっぱり、
今できるね、こう、ことっていうのも、あのー、やらなきゃいけないこともなんかあるかなって、なんか、すごく思ったし、そう、それも知らないでね、こう終わっちゃう、あのー、こともね、えー、あるかもしれないから、うん、それはね、やっぱりその瞬間に言ってよかったなっていうふうに思ったしね、そう、まあ、あのー、なんでしょうね、まあ、結果、まあ、結果なんですけどね、そう、どっちに転んでも結果、まあ、変わってないかもしれないんだけど、ただ、
その、選択をできるっていう、なんだろう、部分に、こう、入れるかっていうのは、そう、時間をね、こう、後ろの時間をちゃんと、自分の中で意識しながら、そう、考えていくだけでも、うーん、なんか違うのかなっていうふうにね、えー、思います。
日常の大切な瞬間
それは、うちのね、今のこの実感に戻るっていう、親との時間っていうね、まあ、その孫との時間ですけど、まあ、そういうのもね、えー、こう、考えたけど、自分がね、こう、勉強できる時間とか、あとは、働けるね、まあ、
今はね、定年とか伸びてるから、まあ、ちょっとあれだけですけど、あのー、あと何年働けるだろうとか、そう、あのー、あとはね、あと何年体が動くのかなとか、うーん、ちゃんとね、ずっとこういうふうに何もなく体が動くことっていうのもね、突然、やっぱり、あのー、できなくなることもね、えー、やっぱ、あると思うんですよね。
そう、自分もあの、先週ね、ちょっと足ずーっと痛めて、あのー、朝のこのウォーキングとかもね、ずっとできなかったんですけど、あのー、ちょっとね、広くなったんで、今日、えー、久しぶりに、あのー、ウォーキングしながらね、こう、配信もできてるんで、あとそれにはね、あのー、感謝してますし、あのー、本当によかったってね、えー、思ってます。
だからね、今はね、この、できることっていうのはね、もう存分ね、楽しみながら、えー、配信してるんですが、本当に、でもそのね、この波がね、やっぱり、えー、あるね、ことっていうのは、やっぱ、いろんなことにね、こう、気づかされる、そう、人とのね、きっかけなんですよね、うーん、だから、あのー、まあ、あればね、このへこみが、へこみっていうか、こう、アップダウンがね、あればいいっていうわけじゃないんだけど、あのー、どうしてもね、やっぱり生きてる上では、そういう波っていうのはどうしてもあるし、そう、だけど、
そう、その時にね、まあ、なんか自分がダメかなーとか、うーん、できないなーとか、なんかそういうふうに、まあ、感じちゃうことも多いんだけど、その瞬間は、何かこう、自分の、うーん、一つ一つの、こう、再確認っていう、うーん、意味っていうかね、うーん、なんかそういうタイミングになんだなって、結構思うように、自分はね、結構してるんですよね、そう、なんか、昔ね、結構病気、昔っていうか今はその、難病でね、あのー、まあ、あのー、治療はしてますけど、
そう、当時ね、ひどかった時っていうのは、やっぱ入院をね、こう、ずっとしてて、で、社会とも外れて、人とも外れてってね、あのー、結構苦しい時期がね、自分の中であったんだけど、その時はね、あのー、もう、あのー、何も分かんなかったけど、時間が経って、今となってはね、そこはすごく大きな自分のね、なんか、価値というか、うーん、大切なものを、こう、気づかす、気づかせてくれた、まあ、大きなね、出来事というか、うーん、その一つだったので、
そう、あのー、それは本当に感謝してる、まあ、病気はしちゃったけど、あのー、それはすごい本当に感謝してて、で、そこからは、なんか、一つ一つのね、こう、やっぱり出来事っていうのには、ちゃんとなんか意味があるっていうふうに自分は、こう、考えられるようにね、えー、なってきて、で、やっぱそう考えていくと、悪い、よう、あの、実際こう起きてることっていうのはね、こう、悪いように見えるんだけど、あのー、本当は、なんか、そこにはちゃんと自分のための、こう、なんでしょうね、スピリチュアル的に言っちゃうとこう、
神様がね、こう、与えてくれた、こう、なんだろう、贈り物っていうかね、なんかそんなふうに、こらえることもできるけど、うん、そのちょっと自分の中で、その解釈っていう部分で、少しね、こう、変えていくだけでも、また見え方っていうのはね、たくさん変わってくるんだなって、えー、思います、だからね、この残された時間っていうのも、ちょっと計算してみたり、うん、あと何回自分がこれ、今やってることが出来るんだろう、あと何年出来るんだろうとかね、そう、で、もしね、明日、
明日っていう日がね、来なかったとしたら、今の自分がこれをね、まあ、やってる、やりたいことっていうのはちゃんと出来てるのかなとかね、うん、少しちょっとこう、あのー、目を向けてみるだけでも、えー、だいぶね、こう、世界が変わって見えるかなって、えー、思います、はい、えー、ということでね、今日ちょっと久々のウォーキングでね、ちょっと行き上がりながら、喋っちゃったんですけど、あのー、ほんと良かったですね、うん、あのー、気持ちいいね、ほんと、外は、うん、なんかいろんなものをこうね、
解放してくれる、あのー、このなので、あのー、ちょっと寒いんですけどね、うん、やっぱりこれは、自分の中でか、あのー、欠かせないものだなって、思いながらね、毎日ちょっとずつ、やっていこうかなと思います、はい、えー、ここまで聞いて下さいまして、えー、ありがとうございます、ちょっとね、かじかみながらの、ほんとにですね、あのー、動いてるとはいえ、すごく寒いので、皆さんもね、お体に、えー、気を付けてね、えー、お過ごしください、えー、では、えー、ここまで聞いて下さいまして、ありがとうございました。
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