2025-12-03 12:48

ダサくてもいい、頑張る姿を見せる理由。

「自信がない自分」でも、誰かの力になれるかもしれない。
そんな想いで、日々の気づきや感じたことを、自分の声で届けています。
自分をちょっとだけやさしく見つめて、前に一歩踏み出すきっかけになれたら嬉しいです。

🌿ブログも更新中:
https://note.com/maco_yan8343

#初心者配信  #自分らしく生きる  #心が疲れたときに  #小さな気づき  #等身大の言葉  #自己肯定感  #standfm初心者  #日常のひとコマ  #やさしい時間


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/654a2d718dfcbf013e77aec8

サマリー

ダサくても頑張る姿を見せることは、他者に影響を与える可能性があると言われています。また、親の姿が子どもに与える影響についても考えられています。自己表現の重要性や他者への影響についても話されています。頑張る姿を見せることで、周囲に良い影響を及ぼす可能性があるというメッセージが伝えられています。

頑張る姿の重要性
おはようございます。まこやんです。この配信では、明日がちょっと幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、ダサくてもいい、頑張る姿を見せる理由ということで、お話ししていこうかと思います。
ダサくてもいい、頑張る姿を見せる理由ということで、お話ししていこうかと思います。
実は、いつも朝ウォーキングしていると、毎朝同じ顔ぶれの前の人たちがいて、特に大きく話すことはないんですけど、挨拶ぐらいにおはようございますって言って終わるぐらいなんですが、
今日はその人からちょっと声をかけられて、学生さんですかって言われたんですよね。全然42の親父なんですけどね。
よく若いとは言われるんですけど、また学生さんかとか思いながらね、サラリーマンですって話して、
毎朝寒いのに偉いねって言って、なんでやってるのって聞かれたから、朝こうやって運動すると気持ちいいんですよねって言ったら、いいですねって言って終わったんですけど、
これって別に自分の中では自分のやりたいことでやってるし、特に何かを求めてやってるわけでもないんで、日常の習慣というかそのぐらいなんですけど、
そういうのを誰かが見ていてくれて、それを認めてくれて、今日小さく声をかけられて本当に嬉しくてね。
誰かのためではないけど、やっててよかったなってすごく感じた日だったんですよ。
そういうのを考えた時に、こういう頑張ってる姿、頑張ってるってことは大きなことだけじゃなくて、今自分がやってる単なるウォーキングかもしれないけど、
そういうので心を動かされる方ももしかしたらいるかもしれなくて、もちろん大きいことで成功してる方の努力とかも見て、やっぱり歓喜されて動ける人もいるし、
その代償は様々だけども、少なからず頑張っている姿っていうものには心を動かされるものがあるんだなって思ったんですよね。
昔を振り返って思い出した時に、うちの父親にちょっと思い出して、うちの父親はサラリーマン時代に家に帰ってくるとすごい荒れてたというか、
殴ったりそういうことはしないんですけど、本当に怒鳴ってたり会社の愚痴を言ったりね、母親とかにぶつけていたりね、すごく嫌いだったんです。
なんで家に帰ってくると酒飲んで暴言吐いてみたいな。それが表面上、自分の中では父親がすごく嫌だっていう、そういうのもあって、自分は怒ったり怒鳴ったり揉めたりするのがすごく昔から嫌いで、
その辺の影響があるんだろうなと思うんですけどね。そういうのをなんでこの人は家に帰ってまでそういうこと言ってるんだろうってね、帰ってくると一緒にいたくなくてね、そういう時期もあったんですけど、今は全然違いますけどね。
その時に、そういうことがあったなって今ふと思い返した時に、なんで認められなかったんだろうとか、そう考えた時に、母親と父親の見え方の違いをパッと思いついて、母親に関しては割と介護職をやってて、介護の仕事場に結構行くことが多かったんですよ。
そこでおじいちゃんおばあちゃんとかね、やっぱりやりたくない仕事とかもあるし、怒られてるのを見てるし、怪我させちゃったり危ないこととか注意されてるのを見てるし、人間関係とかもいろんな人がいる中で愚痴を聞いたりもしてたし、
その中でも頑張ってそれで家に帰ってきてね、父親とかね、義理の母とかね、本当にその中で生きてるのはすげえなと思って、自分も助けてあげなきゃとかね、守ってあげなきゃとかね、子供ながらに感じてた記憶があります。
父親の方はね、そういうのを一切見てこなくて、職場っていう仕事をしてる姿というのが全く思い描けなかったんですよね。
それをね、最近仕事を変えてからはこういう仕事をしてるんだとか言って、外仕事なんですけどね、そういうところを草刈りとかそういう全く、もともとはその衣服、服飾関係のね、ミシンとかを扱った仕事をやってて、
ずーっとね、ちんちんミシン売ったり、パートさんたちのね、管理をしてたりとか、そういうのをやってたんで、まあ本当に神経をすり減らしてやってたんだなっていうのは後から知りましたけど、今はね、転勤して、外の仕事で草とか買ったりね、苗木の剪定したりとか、増援の仕事をしてるんですけどね、
今はね、転勤して、外の仕事で草とか買ったりね、苗木の剪定したりとか、増援屋ですよね、とかをやりながらすごく明るくなったんですよね。そう、その仕事を変えてからは人が変わったように本当に明るくなって、で、その外の仕事をやるようになってから、この外の、今一緒に出かけたりするとね、ここはあれをやったんだって言って、やったところがこうこうこうでとかね、坂道とかだとすごくね、足腰疲労が溜まったり、
自分もね、やっぱり草刈りとかやってわかるけども、やっぱりすごい疲れるんですよね。で、この刈り方がどうとかね、いろんなことを教えてくれて、あ、すげー頑張ってんだなと思って、そう、なんで、なんか今までそういうのは知らなかったというか、うん、なんかそういう頑張ってる姿っていうのを徐々にね、こう本当に最近ですよ、割と10年ぐらいの間で聞き始めたんで、
そう、で、それからはなんかちょっとやっぱり持つ印象も変わって、まあやっぱりね雰囲気も変わったっていうのはあるんですけど、そう、そういうなんか頑張ってるところっていうのをこうやっぱり見せることっていうのはすごくね、大事だなーって思って、そう、で、自分もね、今3歳の息子がいて、で、こうなんだろう、失敗する姿ってあんまり見せたくないじゃないですか、子供に。
うん、やっぱり成功してるかっこいいお父さんとかね、うん、そういうやっぱりイメージで言ってほしいから、あの、あんまりこう失敗してるところって見せたくないから、そう、なんだろう、うーん、こうね泥臭いこと、失敗してることっていうのはなんか、なんていうか、うまくこう何でって表現するのは難しいんだけど、うん、ご飯とかも、あのー、こう作ってるね、そう、あの綺麗にはいできたよって言いますか、まあいてねーとかね、そう一緒にお手伝いしようとかっていうのはあんまりさせてないんですけど、そう。
あんまり仕事場とかでもね、あんまり連れてって、あのー、ないので、そう、なんか自分もそう言われたらなんか見せてないなと思って、いろんなこう失敗とかもね、そう、うん、だからなんかそういうのはなんかこうやってることをありのままこういうことはしてるんだよっていうのをなんかこう伝えていったほうがいいのかなーって、うん、思ったんですよね、そう。
いやそれは、あのー、結果がどうあれ、その頑張ってる姿とか、なんかやってる姿っていうのは、なんか自然ときっと、なんだろうね、こう伝わっていく、うん、それは子供だけじゃなくて、こういう配信も含めて、そう、あのー何かをね、こう、動かすね、こうちっちゃなきっかけになるかもしれないんじゃないかなって思うんですよね、うん。
自己表現の重要性
だからこう、今なんかそう、あのー、自分も昔ね、立ち止まってしまった時期があって、えー、自分には何もないって、うん、他の人が全部できるじゃんって、うん、正直そういうふうに思ってて、あのー、いる存在すらね、えー、なんか意味がないんだなってずっと思ってるんですけど、そう、でも実際違くて、なんかその人にしかこう伝えられないこととか、その人にしかできないことってすんごいいっぱいあって、
で、それは自分じゃ絶対にね、こう分かんないんですよ、うん、あの人にね、これを、思いを届けたいって思ってて、たとえばね、好きな人にね、あのー、まあ、何回かこう、プロポーズってアップでね、告白をね、たとえばしてて、で、でも絶対に私は違う人が好きです、でも諦めきれないから、あのー、3回もね、4回もこう、彼に告白してるとね、して、で、その姿を別の女の人が見て、で、その、あの人はなんでこんなくじけないんだろうとかね、
そういうふうに、あのー、見えて、見てくれてて、で、その姿に惚れて、あのー、好きになるっていうね、うん、そういうのもあるかもしれないし、うん、なんかそういうふうに、なんか、自分の頑張ってる姿って、うん、なんか、自分の思ってる方向がね、違うところから、こう、意外とね、こう、あのー、反応が来たりとか、なんかすることもね、やっぱりあるんですよね、うん、だから、そう、今日はね、そのー、頑張ってるものっていうのは、やっぱりこう、どんどん見せていったほうがいい、
そう、うん、ダメなことでも、すべて、そう、だから、自分もこうやって配信して、失敗もね、たくさんするし、うまくまとまらないこともね、いっぱいある、で、あのー、朝だってね、うん、起きられないこともいっぱいあるし、そう、あのー、今日も起きられなかったけども、30分だけでも時間作ろうと思って、あのー、今日ね、朝、パソコンを開いて、えー、筋トレやって、で、一応ね、できなかったけど、ちょっとやられたっていうね、うん、そういうものもたくさんあるけど、そう、でもそれをね、あのー、
なんだろう、もしかしたらその小さなことだって、何かね、こう、誰かの何かを救うきっかけになるかもしれない、うん、そういうのは、もうどんどんね、こう、見せていったほうがいいのかなって、えー、すごく、えー、思いました。
で、そういうものが積み重なっていくと、こう、いつかね、その、ものっていうのは、どっかにつながっててね、うん、自分も、あのー、救うものになるかもしれないし、誰かを救うものになるかもしれないけど、
そう、その、そういうことを、あのー、完璧じゃないんでね、人なんて、そう、完璧になんかなれないし、そう、未完成のままが輝いてたりするんですよね、きっと。
うん、で、そこには、やっぱり、見えないものがあるから、みんな気になったりするし、うん、自分には見えない、こう、輝きっていうのは、うん、自分がね、あのー、なんだろう、ダイヤモンドだとして、ダイヤモンドが光ってるっていうのはね、自分からは見えないじゃないですか。
まあ、あのー、これ、自分の顔をね、見れるかっていう話と似てて、自分の顔って鏡越しとかね、反射のものとしては見れるけど、実際自分の顔を、自分で、生身で見れるかっていったら、絶対見れないんですよね。
そう、だからそれと一緒で、もしかしたら自分が見てる世界っていうのは、外から見たらね、全然違うものかもしれないし、うん、あのー、自分が思ってる世界っていうのは、全く違うふうにできてるかもしれないしね。
そう、なんかそういうふうに、こう、ちょっとね、こう、考え方が、あのー、違う視点がね、こう、持てたら、きっと今いるつらいね、環境とかも、あのー、一歩ね、外に、こう、出れるようなね、うん、そういう気づきになったらいいかなと思います。
だから、自分もこれからもね、ダサくても、えー、頑張ってるね、姿、うん、頑張ってること、小さなことでも、まあ、お届けしていければいいかなと思っています。
えー、今日もね、ちょっと長くなってしまったんですが、ここまで聞いてくださいまして、えー、ありがとうございました。
12:48

コメント

スクロール