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030.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.14~権力と信念の衝突
2025-07-07 28:01

030.日本の細菌学の父『北里柴三郎』:Part.14~権力と信念の衝突

前回に引き続き、日本の細菌学の父・北里柴三郎をご紹介していきます。

今回のエピソードでは、突然の研究所移管命令に、北里柴三郎とその弟子たちはどう向き合ったのか?政治と権力の駆け引き、そして研究者たちの誇りの行方とは?

シーズン2
「ノーベル賞に最も近づいた最初の日本人、北里柴三郎」
の参考図書は

ドンネルの男・北里柴三郎
山崎光夫
東洋経済新報者

北里柴三郎 感染症と戦い続けた男
上山明博
青土社

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00:06
生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
MCの金澤秀明です。
アシスタントの山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回、コウホー先生を見送るというところまでの話でしたが。
はい。コウホー先生。
はい。今回は。
本当に幸せな時間を過ごした北里でしたが、
1914年、大正3年ですね。
北里はですね、61歳になっています。
もう本当なかなかいいお年になっていると。
そうですね。
はい。というところで大事件が起こります。
10月14日ですね。
伝染病研究所が突然文部省に移管されるということが突如発表されます。
突如か。
はい。内務省のですね、管轄だったですね、伝染病研究所ですけれども、
これが文部省の方に移管するということは、
要は東大罰の3課に入るということを意味いたします。
そうですね。
はい。
気にしてたことが起きてしまったってことですね。
そうですね。福沢先生が気にしてたことが予言通りになったっていう感じですね。
予言通りに。
時のですね、第14代内閣総理大臣の大熊茂部内閣はですね、
北里に事前の断りもなく、突然ですね、これを移管するということを閣議決定しまして、
同日発表の官報でこれを公示するんですね。
知らしめちゃうんだ。
で、官報に乗るっていうのはですね、官報を出す前に天皇陛下が承認するということをしますので、
天皇陛下に拒否権は基本的にはなく承認するわけなんですけれども、
ということは、これに出してしまった場合はですね、もうひっくり返すことはほぼ不可能になります。
これはもう先ほど申し上げた通りで、帝国大学の参加、青山種道のですね、学長の軍門に下ることになるということにします。
やだー。これはなんか裏があるんですかね。
これはですね、大熊茂部ですね、総理大臣の主事位だったのが青山種道なんですよ。
あー、そういうこと?
なので、健康診断っていうふうなことを名目にですね、大熊の主体に自由に出入りできるんですよね。
03:09
青山はですね、やっぱり大変な危機感があったというか、焦りがあったんだと思います。
というのもですね、当時の伝染病研究所はですね、東大の医学部でもですね、
東大医科大学でも持ってないですね、最新の設備を持ってたりとかしたんですね。
例えば延伸分離器だとか、あと殺菌装置ですね。
そして微生物用の冷蔵庫とか。
これらを駆使してですね、免疫血清を製造することができるですね。
日本で唯一の医療機関だったんですね。
最高学府だと言ってる東大でも、免疫血清を製造することができる技術を持った人間というのはいなかったんですね。
またですね、各地に置かれた衛生課の課長はですね、
必ず伝染病研究所で衛生学の講習をですね、北里から受けております。
つまり全国にですね、北里の弟子たちが散らばっているような状態ですね。
その衛生課の人間からですね、地方の会議用意たちは感染症に関しては相談をしたりとかしてですね、
どうすれば臨床に対して診断ができるのかとか治療ができるのかというところを習ってますので、
北里が地域の医療を支える柱となっているというところで、
東大バスの人間からするとですね、自分たちの立場を危うくする人間がどんどんどんどん増えているというような焦りがあったのかなというふうに思います。
なのでたぶん、自分の知恵のですね、政治家が総理大臣になったっていうところをいいことにですね、
なんとかこれを自分の参加に置くことができないかっていうので、いろいろと工作を仕掛けたのかなと。
いやー、いやだなー。
いや、ほんといやらしいですよね。
いやらしいなー。
えー。
北里はこの事実を知るとですね、最初ちょっと新聞にチラッと官報に出る前に、
この話が出たみたいなんですね。
そうするとですね、津久志川岡の病院に出社してですね、
経営を任せていた田畑を呼び出しまして、この遺憾についてですね、まもなく官報で発表されるらしいと。
06:01
行政整理ということでですね、青山がおそらく大熊総理を動かして、
研究所が文部省にですね、移管されると。
で、もうたぶんこれはすぐ官報に出るよと。
まあそういうふうに伝えてるわけですね。
この時点で青山が動いてるっていうのはもう察知してたんですね。
察知してたみたいですね。
で、これ伝えられた田畑のですね、日記によるとですね、
独断慌てもしなかったみたいで、その後どうするという相談もなくですね、
このニュースを淡々と田畑に伝えただけだったみたいですね、最初は。
で、ちなみにですね、長屋がどういう動きをしてたのかっていう、
長屋じゃない、青山ですね。青山がどういう動きをしてたのかっていうのが、
長屋先生の息子の長屋又郎という方の日記によりいろいろ判明してます。
長屋又郎は先生の息子なんですが、東大医学部のほうにまず行ってですね、
結構優秀だったみたいで、この時点では病理学の教授となってたんですね。
なので東大罰でもあり、かつ北里とは長屋先生を通じてですね、
親戚ぐるみのようなお付き合いがあるというような立場でした。
青山はですね、北里はこうなったらおそらく文科省に移管されるということで、
辞表を出してやめるだろうと。そうすれば、彼からすれば非常にいい形で研究所が手に入るというところになります。
ただ、そうは言っても、新しい研究所も作ることができずに、
また文部省に泣きついて戻ってくるだろうっていうふうに考えてたみたいなんですね。
そういったことを長屋又郎に対してもらおうとしてたみたいです。
で、他の研究者たちは、伝染病研究所の他の研究者たちですね、北里の弟子の人たちは、
誰も辞めないだろうと。もし辞めるような事態になったとしても、
いやいや、東大教授の椅子をやるよというふうに言えば、移留できるだろうというふうに考えてたみたいです。
権威を振りかざしたわけですね。
そうですね。で、いろいろなこの例に対して、伝染病研究所からのアクションがあるだろうから、
それを長屋又郎にですね、なんとかうまく収めてくれるように立ち回ってくれないかっていうふうな形で、
09:04
北里とは親戚同士の付き合いっていうのがわかってますので、
というふうな形で、青山は彼に言い含めてたみたいですね。
実際は。
実際はですね、北里がもちろん当然非常に怒っておりまして、
勝手に自分が育てた研究所がですね、文部省の下につくことも、
放題の軍門に下ることもですね、絶対にしないっていうふうに宣言します。
これ新聞記者とかに、なんかこんなことになってますよみたいな感じで取材が来たときにですね、
そんなのを言ったりとかしたみたいなんですけれども、
そういったのが人づてに伝え聞くとですね、青山はですね、若干慌てたみたいでですね、
とにかくこの長ようにですね、北里におとなしく文科省の3課に入って、
処置を続けるようにっていうふうな形で、説得を依頼したりとかしてます。
結局ね、研究所が手に入ってもそれを使える人がいないっていう状態になっちゃうってことですね。
そうですね、それがちょっと困るというところでですね。
大正3年、1914年の10月14日ですね、官報に正式に研究所の遺憾が発表されまして、
10月16日ですね、官報に載った2日後になりますけれども、
大熊内閣の文部大臣の一期文書ですね、文部大臣は北里を官邸に呼んで、
それでですね、文部官僚が作成した文章を彼に読み上げます。
北里自体はですね、いやもうそんなの官報に書いてあるとおりじゃねえかと、
それを目の前で読んでくれて、そんなの知ってるよって言わなかったみたいなんですね。
するとですね、一期大臣はですね、まあまあまあまあと、
このまま研究所に留まってくれないかという形で異流を求めたみたいです。
北里はですね、この面談の後すぐにですね、もう辞任するということを決めてですね、
19日にですね、大熊茂部首相宛に辞表を提出いたします。
ちなみにですね、この当時辞表を提出するときにはですね、
病院の診断書をつけるというのが常だったみたいなんですけれども、
診断書はですね、神経症があるからというところで診断書を書いてですね、
辞表を提出したみたいですね。
事実は北里自体はですね、どんねるおやじというふうに呼ばれてたみたいで、
雷おやじ、どんねるおやじですね。雷おやじっていう意味なんですけれども、
もうしょっちゅう研究者をですね、怒鳴りつけてですね、
12:02
お前これどうなってんやつって怒るような激しい起床が、
特に年を取ってからどんどんどんどん酷くなってたみたいで、
確かに神経症と言えなくもないような激しい状態だったらしいんですけれども。
で、政府はですね、北里が辞任するとなるとですね、
慌ててですね、北里の皇帝を一人ずつ官邸に呼び、移留工作を行います。
まずですね、北里の右上でと言われるですね、研究部長の北島太一を官邸に呼び、
移留します。で、北島がですね、これを一周するとですね、
次にですね、第一部長の滋賀清志を官邸に呼ぶと。で、滋賀も断ると。
で、これによってですね、政府は北里一人を追放してですね、
他の庶民を残そうとしてるということがですね、分かりまして、
7人皇帝がいたんですけれども、その弟子たちはですね、結束を固めます。
で、この7人全員でですね、文部省に辞表を提出いたします。
さあ、向こうのマーク通りには行かないぞっていう。行かないぞっていう感じですよね。
で、翌20日ですね、北里はですね、省員を集めて語ります。
研究所は突然文部省に移管することになったと。
今後は帝国大学ですね、東京帝国大学の医学、医科大学の方に併合されてですね、
大学所属の機関となると。これは私が目指してきた研究所とは相入れないので辞表を提出したと。
で、続けてですね、善とのある若い君たちだと。
みんな私を追ってやめるようなことはしないでくれと。
国民のためにこのまま伝染病研究所に留まってほしいというようなことを伝えて、
最後の訓示としてですね、その場を立ち去ったそうです。
うわー、なんか最後までやっぱり人のためというか。
かっこいいですよね。なんかいちいちかっこつけるな、この親父って感じですよね。
はい。で、私たちはどうしたんですかね。
続いてですね、もう辞表提出している7人の校庭のうちの1人ですね、
トップの北島大地部長がですね、前に出てですね、
同じようにですね、我々は北津先生についていきますと。
で、ただ君たちはですね、先生の言葉通り、
善とがあるので慎重に考えてここに留まり、さらに研究を続けてほしいというふうに伝えます。
そうするとですね、助手の1人が立ち上がってですね、
署長もいなくなって部長たちもいなくなって、
どうして私たちだけここに残れと言うんですか、というふうに詰め寄ったらしいんですね。
15:06
で、その後ですね、備室に行って、助手や女校などですね、
で、みんなでいろいろ協議をしたみたいですね。
ほぼ全員がですね、辞表を提出することを決めます。
やっぱりそれだけみんな、やっぱり向こうの下には着きたくなかったんですね。
向こうの下に着くということだけはやりたくないと。
その後ですね、ということは全員研究所を辞めてですね、
新しい研究所が立ち上がらなかったらチリジリになってしまうということになってしまうわけなんですけれども、
田畑がですね、7人の校庭を集めて伝えますと。
養生園で経営で貯めたお金があるよと。
新しい研究所をこれを元に作ることができる、というふうに伝えます。
福沢由吉が田畑に指示してた通りですね。
あれですね、お金はちゃんと貯めとけよってやつですよね。
それがついに生きてくるという感じですね。
田畑は養生園の運営でですね、30万円の資金を貯めてたんですね。
約30億円に相当します。
すごい。
しっかり貯め込んで、この日に備えてくれておりました。
11月10日ですね、伝染病研究所が引き渡されることになります。
引き渡しに備えてですね、伝染病研究所側はですね、後で恥ずかしくないようにということでですね、
あと、感染病患者さんたちに迷惑をかけないようにということで、
免疫結成をですね、引き渡し日までですね、一生懸命増産してですね、
約1年分の免疫結成の備蓄をしています。
そこはしっかり。
そこはしっかりですね。
あとは野となれ、山となれではなくですね、
やっぱり患者さんのことを考えて、きちんと、
俺たち去ったら作れなくなっちゃうでしょ、というところで備蓄をしたというところですね。
職員たちはですね、福原文部次官に帳簿を手渡してですね、
それから一生懸命、引き渡し日まで掃除をしてたみたいなんですけれども。
すごい、引き渡し。乗っ取られるのに。
乗っ取られるのに立つ鳥跡を濁さずですね、
隅々まで掃除をしてですね、各施設を案内して引き渡しを完了いたします。
ちなみになんですけれども、このときにですね、
辞めた職員が183名いたそう。
辞めたじゃないや。
このときに働いてた職員が183名いたそうなんですけれども、
18:05
このうちですね、北里について行った人間が105名だそうです。
3分以上。
はい。これはですね、書員の名簿が残ってたというわけではなくてですね、
北里しげさぶろうの本を書いてくれた方の本のようにですね、書いてあったんですけれども、
ここをもう閉めるっていうふうになったときに、書員全員で写真を撮ってるらしいんですけれども、
その写真をですね、一生懸命その本を書いてくれた人はですね、数えたみたいですね。
で、183名いると。
すごい。
ついていた人が105名だということで、
かなりの人が先生についていくという形だったんですね。
ちなみにこの時点ではですね、新しい研究所が立ち上がるだろうぐらいな感じでですね、
まだ立ち上がっては当然ないわけですね。
なので、つまり辞めた人間はしばらく給料が入ってこないっていうことになるので、
そこが見えてなくても105人はついていったわけですよね。
もうどれだけ慕われてたんだろうなというふうに思います。
本当ですね。
実際その給料が、新研究所が立ち上がるまでの間、どのようにされてたのかっていうのはちょっとわからなかったんですけれども。
結局ここから1年後に新研究所が立ち上がりますので、
だいたい1年間ぐらいはいろいろどうされてたんでしょうね。
何職でもして頑張ったのか、
もしくは運営資金の一部をみんなに払ってたのか、
そのあたりはちょっとわからなかったんですけれども。
この問題は国会でも追及されることになります。
12月10日に行われた議会で清水一太郎大議士がこの遺憾問題を取り上げております。
清水議員、国会で北里は天才で偉大な学者であると。
北里のおかげで伝染病研究所はパッスル研究所やコフホ研究所と並んで世界最大の研究所と言われるようになった。
にもかかわらず北里に何の相談もせず、一変の知らせだけで組織変更するとは国家が天才に対する処遇ではない。
法令で定められているように学理を極める大学と、学理を実地に応用し大学の教室では到底できないことをする伝染病研究所では
21:00
目的が全く違うのではないかというふうに質問を投げかけます。
この清水さんというのは全く別に関わりなくて問題を指摘した。
そうですね。問題を指摘してくれたということですね。
これに対して一期文部大臣は答えます。
学者を問じないという言葉がありましたが、政府にそのようなことは決してありませんと。
ただし行政の所管変更は学者の研究に何ら差し支えのないところなので、特に相談する必要はないと判断しましたと。
へー。
腹立ちますねこれ。
腹立ちますねー。そんなことないだろうっていう。
そもそも作るのもね、こっちの私費でやってるのにっていう最初のね。
最初のところはそうなのにって感じですよね。
大熊総理はですね、これもっと腹立つんですけど、清水君は何か誤解されているようで、
帝国議会における質問の答弁をよく読まれると、そういう考えは全く誤解から生じたということがよくわかるでしょうみたいな感じのことを言ってるんですよ。
ひどい。もういかに丸め込まれてるかっていう。
もう何か答えになってない答えですよね。
本当ですね。青山さんをすごい信じ切ってるのか、もうちょっと周りを見てくれよって思っちゃいますね。
本当ひどいですよね。
東京帝国理科大学を卒業して、医師、そして議員となった若杉大理事という方もですね、
自分の出身大学に対するですね、次回の委員も含めてですね、
32名の賛同者とともにですね、東京帝国大学理科大学教授の職責に関する質問趣旨書というのを提出しております。
ちょっとこれ長くなるんで割愛しながらですけれども、
我が国最高学部で名誉ある帝国大学理科大学の教授陣についてですね、
国会で取り上げるのは本院だが、研究所の遺憾問題で、青山学長と大熊首相との関係は多くの国民の知るところなので、大熊首相にお尋ねしたいと。
青山学長は市場をもって工事を犠牲にし、学者としての本分を忘れ、衛生行政と伝染病研究所に多大な障害を生じさせた。
結果、いろんな書員がいなくなることになりましたので。
また他の先生書士はただ学長に盲授するのみで、北里博士以下の書員が地表を出すに及んでもなお平然として、
伝染病研究所の懇任者の多くを理科大学の教授が就任して、学抜の勢力拡大に余念がないと。
24:05
研究所をいっぱい人が辞めてしまいましたので、そこの空いたポストを東大の教授陣がどんどん入ってきたという形になっています。
なので勢力拡大に余念がないということですね。
伝染病研究所と理科大学の業績を比較すると、北里市の波小風菌の培養をはじめ、
滋賀市のセキュリキンの発見ですね。
他ちょっとまだ紹介しきれてないんですけれども、旗市のサンバルサンの創生、
それから梅の市のワクチンの創生など、実に世界的な大事業があると。
対して、理科大学には世界的な大発見をした人はほとんどなく、あるのは、伝染病研究所に対する嫉妬心のみである。
こんな先生に習った学生が将来社会に出ることは有料すべき事態だと。
政府は理科大学の教授書誌に懲罰を加えるなど、適切な処置を取らないのかというふうに聞いているんですね。
これに対してですね、政府は後日文書で回答すると。
多分相当場が荒れたんじゃないかなと思うんですけども。
で、文書で回答するというふうに約束をしたそうなんですね。
で、最後出てきた文章がですね、質問のごとき事実なしっていう、ただそれだけだったんです。
ひどいな。一言で終わらせられた。
一言で終わらせられましたね。
というちょっとドタバタをお伝えしたところで、今日は終わりにしたいと思います。
いやー、腹立ちますね。
腹立ちますね。
えー、大隈さん。
大隈首相大っ嫌いになりましたね。
なんかね、おひげのなんか気のいい首相っていうイメージがあったんですけどね。
あったんですけどね、本当に。
はい。
あらー、残念ですね。
はい、残念ですね。
えー。
いい政治もやったでしょうが、ぜひ見て、もうこれ、このことはちょっとひどすぎるなっていう感じですね。
ひどすぎますね。
はい。
でもね、その、権威に欲にまみれたじゃないですけども、やっぱりそういうのがやっぱりあったんだろうなーっていうのが、この時代からも感じておりますね。
よくわかりますよね。
ただ、なんかこういう嫉妬に駆られてこういう行動した人間っていうのは、歴史に残りますからね。
結果、僕みたいな人間にここでボロクカスに言われるわけなんで。
そうですね。
本当、そういうような汚いことっていうのは、本当に死んでやらないようにした方がいいですよって思います。
27:00
いやー、本当に、北田先生は最後の最後までかっこいい引き際というか。
でも、ちゃんと市民のためとかね、患者さんのためにっていうところまで見習ってほしいなーって思うところですよね。
思うところですね、本当に。
今後どうなっていくのか、すごい楽し、どうなっていくのか。
そうですね。
田畑が残してくれた資金を使って、新しく研究所を立ち上げていくというところを今後話していきたいと思います。
はい、ありがとうございます。
ぜひ次回も聞いていただければと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
28:01

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