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2013-09-05 15:16

第111回:『早く一人前になりたい!』清見純子さん

「20代はお客さんに信用してもらえないから」と25歳で入社したコンサル会社で一人前扱いされなかった清見さん。
諦めることなくコツコツと努力を続けることで、4年後大きなチャンスが訪れる。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、様々な業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
みなさんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストをようこそ。
ナビゲーターのとたんかずです。
伝説の新人プロジェクトのこみやです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日から新しいゲストをお迎えして番組を送っていきたいと思うんですけれども、
理工ジャパン常務執行役員の清見純子さんにお越しいただいております。
まずは簡単に経験をご紹介したいと思います。
清見純子さんは大学卒業後、統制労働系団体で国民保険の統計業務を担当した後、
20代に向かわるコンサル会社に転職。
20年間のコンサル担当業の前半は、さまざまなサービス業の開業や開発系のコンサル担当を行い、
後半10年はカウンセリングをベースとし、コミュニケーションを確保した人材育成に専念した活動を行います。
2002年、リコーリーズ株式会社に入社し、業務組織改革及び採用育成業務を担当。
2012年10月からは、理工ジャパンの常務執行役員として、CSの仕組み改善を主に奉送しています。
はい、ということで長年コンサル担当されてきたんですけども、
実は色々今回インタビューするにあたってリサーチをしようと思ったんですけど、
なかなか情報が載ってないんですよ、清美さんって。
どうやらコンサル担当時代、かなりご活躍されていたそうなんですけど、
今、この理工ジャパンに専念するために、そういった昔の情報は全部消してくださいって言われて、
情報をあまり公開しないようにしているみたいなので、
非常に楽しみにしています。
ということで、よろしくお願いします。
はい、それでは清美さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず清美さんの経歴というか、20代のお仕事のされ方についてお伺いしていきたいなと思うんですけども、
大学を卒業された後の経歴について教えていただけますでしょうか。
生涯今までの中で4回転職しているんですけども、
まず一番最初のところはですね、2年9ヶ月間、
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実は一般の民間企業に昭和54年、女子大生氷河期と呼ばれた時代なんですけれども、
一番最初に出た時の言葉だと思います。
第二次オイルショックというのがあって、その年なんですが、
なぜかラッキーなことにですね、3社民間を買ったんですね。
その中でどこに行こうかなと考えていたんですが、
当時のゼミの先生が、せっかく特殊な勉強をしたんだから、
自分の行くところに行けと。
特殊な勉強というのは何を行ったんですか。
社会統計学ですね。
当時はまだオフコンしかない時代で、しかも莫大なコストがかかる。
イニシャルコストもラニウムコストもかかるようなものなんですけども、
そういうようなことで、要は理系と文系の真ん中みたいなところをやっていたわけですね。
先生の言う通りに、そんなもんかなと思ってですね、
勉強したことが使えるというのもちょっと魅力的です。
厚生労働省の外閣団体で、国民健康保険があるんですが、
それは都道府県が徴収してくるわけですけれども、
そこのいわゆる統計を、データを処理して、
いつの段階でどんなふうに財政がおかしくなっていくかという調査をしていたんですね。
へー。
2000年には破綻という結果が出たんですけど。
おおむねあってますね。
そんなことをやってたんです。
仕事自体は嫌いじゃなかったですし、むしろ面白かったですが、
こういうところで言うのも難なんですが、
どうしても官僚的な、上の方の人は天下りで来る人たちなんで、
その空気感に馴染めずに、1年経った時には転職しようって思って、
ただまだ何もスキルもないし、できることもないと思って、
どうしようかなと思って、本を小さい時から読むのが大好きだったので、
本屋でバラバラいろんなものを立ち読みしている時に、
何かたまたまコンサルタントという仕事、しかも経営コンサルタントという仕事の本を読んでいるうちに、
面白いなと思ってですね。
2年目の後半に、24歳の時に、たまたまある民間のコンサルタント会社が、
シニア向けに退職後にコンサルタントやりませんかみたいな、いわゆる有料のスクール。
へー。
そのスクールで学んでいただいてキャリアを活かせますよみたいなのを、
ビジネスとして事業展開しようとしていた一期生を募集していたんです。
へー。シニア向けですよね。
私勝手にシニア向けだけどやる気があるんだったらいいんだろうぐらいに思って、
向こうもお金もらえるんだったらいいだろうぐらいに、
まさかこの24歳の一期生の子でやるとは思ってなかったらしく。
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入ったら、たまたまラッキーなことに、日本でも有数の一期生ですから、
有数の例えば某製鉄会社の、日本でトップって言ったらわかっていただけると思うんですけど、
そこの財務本部長みたいな方がいらしたりとか、
それから物流のロジスティックスの日本でも代表するような方々の、
いわゆる物流の仕組みを作るような人たちが来てたりとか、
へーと思ってですね、その方たちに夜の学校だったんですが、
そこで半年間、週3回、9時半まで毎日学んでました。
そこでいろんな教えていただきながら、
スクールの講師というよりもその生の人たちの声というのがものすごく勉強になって、
恩返しはこの人たちを抜くことだぐらいに勝手に考え、
最後テストがあるんですけど、財務のテストだとか、
そういうところではとりあえず1位を取るだけの力をつけさせていただいて、
その後そのまま良ければその会社で契約しませんかとコンサル会社が言ったものですが、
手を挙げたらまさか24が手を挙げると思わなかったらしく、
ダメって言われたんですけど、その会社に10日間、
会社はその間有給取って休んでですね、通い詰めてやらせてくれと。
最初はもう何でもいいからと、雑巾掛けでも何でもしますぐらいの。
で、行ったらお客さんが信用しないと20代はと、コンサルタントとして。
30になったらおいでと言われて、いやでもそうなのかもしれないけど、
だからその間は女子事務員さんと同じ給料でいいよと。
30まではそれでいいですから、何でもいいですからやりますからと、
語彙に入れていただいた。それが25歳の時です。
なんでそこまでコンサルタントをしたいと思われたんですか。
あのですね、ちょうど学生時代に理系のことと文系のことをしていて、
その真ん中がいわゆる統計学だったんですね。
だから定性的なことをこうだというふうに根拠付けというには、
統計学のデータをうまく使って話さないといけない。
でもそれはあくまでも手段なわけですね。
手段を使って何を変えたいのか、何をしたいのかということに、
なんかね、すごい興味があって。
例えば国民健康保険がもうダメっていうふうになった時、
じゃあこの国の健康保険の健康というのは誰がどんなふうに保障して
維持し続けるのかということにものすごい興味が湧いてたんですよ。
そういう企業にお手伝いする時に第三者的なのかもしれませんけども、
何をしたいんだろう、何をするためにどんな分析を、今度は逆ですよね。
何をこの人たちはなさりたいんだろうか。
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それに対してどういう分析をしたお手伝いの一助になるんだろうか
ということに興味がガンガン湧いてきちゃったんですよね。
じゃあ本当にまさに清美さんがされてきたことを活かせる場が
多分そこに可能性を感じられた。
うちはそう思ったんですよね。
25歳で入りました。
そうしたら体育会計の会社だったんですね。
非常によく分かったんですけど。
まず一番最初に、2年経って物にならなかったら自分でやめろと。
まずそれを言い渡された。
物になるというのはどういうことを言うのかというと、
1ヶ月のうち大体最低でも15日の仕事が入る。
お客様から入る。
売れっ子になると大体25日くらい入る。
超売れっ子になると30何日入る。
30何日ですか。
回転率で言うと1.何日。
どういうことかというと、昼間行っているときと夜のお客さんが違うとこういうことなんですけども
そういうふうになるわけ。
24日くらい働いて、平均単価が1日あたりのフィーがこのくらいになったらこのくらい稼がなきゃダメということをガツンと言われて
厳しい世界ですね。
2年以内にそれかと思って出たんですけども、最初はコピー取りからやって
それでそのうちに今度は女の人は、当時私の先輩で女性はみんな接客マナー訓練の講師しかやってなかった。
私はそれをバカにはしてなかったんですけど、やりたいこととは違うというふうに思って
最初はそんなのがいっぱい来るんですね。
マナー講師みたいなのが来て、それで食っていかなきゃいけないのでやりましたけれども
それで会社に戻って、常に夜でもみんな書き物をしていたり分析していたり
それをこうやってコピーのお手伝いありませんかとか、小さな計算だったらやりますよとか
いろいろいろんなことを言って
先輩のコピーを取らせてもらうと、コピー一部もらっていいですか?とかできるじゃないですか
そういうことをして25から27、28まで何とか目標はクリアしながら
接客マナー研修で数字は作りながらも、夜は会社に必ず戻って
土日も必ず会社に行って、そういうことをやっている人がいるので、もらっていた
すごいですね、まさに伝説の新人のあるべき姿という感じ
いやいや、そんなことはないです。その頃はとにかく早く1年間にならないと追い出されてしまうという強迫観念で
だからといってマナー研修でフルに売れっ子になった人もいるんですね
でもそれで売れっ子にはなりたくないと、どうしてもというふうに思って
バカにしているわけじゃなくて、そっちでは売れっ子になりたくなくてやりたいことがある
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というふうにしたらたまたま時がバブルに差し掛かってきたので
そしたら29歳の時に最後ギリギリ滑り込みセーフぐらいなんですけど
たまたまバブルだったので、大型の仕事が先輩たちがみんなスケジュールが空いてなくて
たまたまコンと私に振って
はい、ということで清美さんの20代の頃のお話について色々伺ってきたんですけど
すごいパワフルですよね
コンサルになりたいと思って
シニア向けの学校に
唯一の20代として入って勉強して
その後、お前には無理だろって言われて
学業から何でもやりますっていう感じで
コツコツと積み上げてきたのかなと
ししっと感じましたね
最初に第一印象でお会いした印象から
なんとなくすごくパワフルという表現もそうだし
安定感とか、応用力みたいなね
人的な大きさをすごく感じたんですけど
今までも何人かのお話を聞いている中で
ここ消耗動機だっていう時に何でもやるんで入れてくださいみたいなね
花の繰り方というか
共通していることが何人かいらっしゃいましたよね
そこで自分で掴んでこられたという自信が
すごくみなぎっていて
魅力的な方ですね
非常に元気になりました
20代の終わりの時期に大型案件に取り組んで
そこからチャンスが増えていったというお話を最後にされていたんですけど
その話について次回以降詳しく伺っていきたいなと
そうですね、いろんな話ができて楽しみです
ありがとうございました
本日のトークはいかがでしたでしょうか
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この番組は伝説の新人養成プロジェクトの提供でお送りしました
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