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以前書いた仏教用語「我逢人(がほうじん)」についてのブログ記事が、なぜか今でも多くの方に読まれています。
その理由をAIに尋ねてみたところ、Mrs. GREEN APPLEさんの楽曲『我逢人』にたどり着きました。
「出会いは尊い」と綺麗事で語られがちなこの言葉ですが、道元禅師の思想やミセスの歌詞を深く味わってみると、そこにはもっとヒリヒリするような「人間関係のリアル」が見えてきます。
嫌いな人とも会わなければならない苦しみ(怨憎会苦)と、それでも人と関わらずにはいられない人間の矛盾について、お坊さん視点でゆるく、深く考えてみました。
結論の出ない話ですが、そんな「迷い」も共有できれば嬉しいです。
感想やリクエスト、人生相談もお待ちしています。
#仏教 #曹洞宗 #我逢人 #MrsGREENAPPLE #ミセス #歌詞考察 #人間関係 #悩み #道元禅師 #怨憎会苦 #副住職の日常
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
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その理由をAIに尋ねてみたところ、Mrs. GREEN APPLEさんの楽曲『我逢人』にたどり着きました。
「出会いは尊い」と綺麗事で語られがちなこの言葉ですが、道元禅師の思想やミセスの歌詞を深く味わってみると、そこにはもっとヒリヒリするような「人間関係のリアル」が見えてきます。
嫌いな人とも会わなければならない苦しみ(怨憎会苦)と、それでも人と関わらずにはいられない人間の矛盾について、お坊さん視点でゆるく、深く考えてみました。
結論の出ない話ですが、そんな「迷い」も共有できれば嬉しいです。
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サマリー
ミセス・グリーンアップルの曲『我逢人』を通じて、人間関係の複雑さや仏教の視点が考察されています。特に道元禅師の教えを取り入れながら、出会いと人との関わりの重要性が探られています。
我逢人の考察
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお手屋で副住職をしております。
今日はですね、まだ自分の中で答えが出ていない話、そんなことをしてみようかなというふうに思います。
なのでね、今日はこういう結論です、みたいな、そういう話にはね、多分なりません。
最近ね、ちょっと不思議だなと思うことがあったんです。
私、このスタンダードFMの放送、これは放送の後、AIで文字起こしをしまして、そしてブログに直して投稿しているんです。
去年の夏ぐらいにね、『我逢人』という仏教の言葉について書いた記事、それがあるんですけども、これがなぜか今でもずっと読まれているんです。
1年半ぐらい前の記事ということですが、毎週アクセスの上位に来ると。
正直、なんで、なんでかなというふうに思ったんです。
で、これをなんで読まれているんだろうということをね、AIに聞いたんです。
そしたら、なんと、ミセス・グリーンアップルに、我逢人という曲がありますよね。
その意味を調べて、たどり着いた人がいるんじゃないですか。
っていうふうに言われちゃったんです。
なるほど、そういうこと。
いや、なるほどかなって同時にも思ったんですよ。
我逢人という言葉、総統集ではね、割とよく聞く言葉なんですね。
我、人に、逢う。
大体は、出会いは尊いよねとか、後は、ご縁に感謝しましょう。
というね、そういう文脈で語られることが多い言葉なんですよね。
私自身もこれまでね、そういう形で受け取っていたということなんです。
この言葉、道元禅師という方の言葉なんです。
ちなみに道元禅師という方はどういう方かと言いますと、
総統集の大本山、永平寺というでっかいお寺があるんです。
そこを開いた方ですね。
この道元禅師の言葉、道元禅師という方はちなみにですね、
ちょっと難しい書物を残した方です。
大変大変難しい消防現像という、そんな書物を残した方なんですが、
その道元禅師の言葉として紹介されているということなんですよね。
でもですね、道元禅師という方は、すごく難しいことを言う方なんで、
そんなにわかりやすい励ましの言葉をポンと投げかけてくるんだろうから、
というふうに最近ちょっと思うようになったんです。
道元禅師の文章というのは正直優しくはないですね。
わかりやすく説明してくれるというよりかは、
自分で考えろ、体験しろというふうにね、
そういう感じで突き放してくる、そういう感じさえもあると。
でも、人と関わるのは素晴らしい。
そういう言葉、おそらくそんな単純な話はしないんじゃないかなと思うんです。
むしろ人の迷いとか執着とかどうしようもなさをかなり冷静に見ている。
そんなふうに思うんですよね。
だから、最近このがほうじんという言葉も、
出会いって素敵だよねというよりかは、
お前は結局人にあって生きるしかねえんだというね、
ちょっと突き放した言葉にも聞こえてきてしまうということなんですよね。
これは私の勝手な読みというところかもしれませんけども、
でもなんとなく道元禅師っぽいなというふうに思ったりもしています。
そんなことを考えていた時に、ミセス・グリーンアップルさんのがほうじんという歌詞を改めて読んでみたんです。
仏教と人間関係
そしたらいきなりこんな言葉がありました。
嫌いになった人は全部少しの仕草でもダメになっちゃう。
気づけば嫌い探しです。
はい。きれいじゃないですよね。
でもやたらリアル。そんなふうに思いました。
これはちょっと言いにくいんですが、
私たち僧侶でも普通に人のことを嫌いになったりはします。
この人ちょっと苦手だなって思うことは正直あるんです。
一回そう思っちゃうと、だんだん嫌い探しを始める。
あの人のこんな口癖が嫌だな。
あの人の仕草が嫌だな。
あの人の着物の色が嫌だな。
これは修行してたって起きることなんですよね。
仏教には御像役という言葉があるんですね。
詳しいことはちょっと細かいところは少し省略しますけども、
これはどういうことかと言いますと、
嫌いな人とも会わなければならない。
それが人生だという話なんですよね。
つまり仏教というものは最初から人間関係ってしんどいよねと言ってるんです。
その上でじゃあどう生きるんだというふうに問い続ける。
これが仏教なんですよね。
他にも曲の途中でこんな言葉がありました。
例えば出会いなんてなくてそしたらそう間違いなく一人は寂しく悲しいから息を止めるんだろう。
ここを読んだ時に正直重いなというふうに思ったんです。
でも同時にすごく仏教っぽいなとも感じました。
人と出会うから傷つく。
でも人と出会わなければ生きられない。
これはどっちも本当なんですよね。
道元伝人もたぶんこんなこと言いそうだなと。
だからその矛盾ごとちゃんと生きろ。
そんなふうにきっと言うだろうと。
そんなふうに思ったんです。
正直に言いますと私はまだこの我方人という言葉をうまく説明はできないですね。
尊いとも思いますしね。
人との出会いは尊いとも思いますし。
またしんどいとも思います。
奇例ごとにも聞こえるし、現実そのものにも聞こえる。
でも最近は人と会わずに生きようとするよりも
会って迷い続ける方がまだ仏教っぽいのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えているということなんですよね。
今日は結論のないお話でした。
でもこの考え中の感じこそがきっと今の私にとっての我方人なのかもしれないなと思いました。
またこの考えが変わったらその時にお話をしたいと思います。
今日のような話また聞きたいなという方どうぞコメント欄あるいはフォームの方からリクエストよろしくお願いいたします。
また人生相談やお悩み相談なども受け付けています。
どうぞご検討ください。
ということで連常院副住職の幸文でした。
ではまたね。
09:09
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