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2025-11-02 14:11

#315 二宮金次郎の哲学:「道徳なき経済は犯罪である」(前編)

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今回は「金曜日の金次郎」

今回のテーマは「儲けるだけではダメですよね」 。

金次郎さんの哲学を表現した「道徳なき経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である。」という有名な言葉があります 。 今回は【前編】として、「道徳なき経済は犯罪である」という言葉を深掘りします 。

自分だけが儲かればいい、社会や他人がどうなっても構わないという考え方は、なぜ「犯罪」とまで言われるのか? そして、金次郎さんが600もの村を復興させるために実践した、「至誠(しせい)」と「推譲(すいじょう)」とは何なのか?

「推譲」とは、利益を未来や社会のために積極的に譲る(再投資する)という考え方です 。 この思想は、渋沢栄一の『論語と算盤』や、松下幸之助さんの「企業は社会の公器である」といった、現代日本の資本主義の土台にも繋がっています 。

次回は【後編】として、「経済なき道徳は寝言である」についてお話しします 。

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サマリー

このエピソードでは、二宮金次郎の哲学について、「道徳なき経済は犯罪である」という言葉を中心に、経済活動と道徳の関係を考察しています。さらに、金次郎の復興活動やその影響が現代にどのように受け継がれているかについても触れています。

金次郎の活動の背景
どうも、コウブンです。栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
一週間ぶりの放送となっております。一週間サボっていたわけなんですけれども、なんでかと言いますと、
先週は他のお寺のお手伝いに行っていたんですね。自分のお寺じゃなくて他のお寺。
しかもその他のお寺というのは、大きい専門僧道といわれるお坊さんが修行する場所で、大変大きな行事をやっていたんですね。
大きな行事のために、そのお寺に詰め込んでいて、そこから出ずにいろんなお手伝いをしていたということですので、
なかなかそうなってくると収録する時間が取れないんですよ。収録時中、誰かと一緒にいますから。
そうなってくると収録できないということで、事前に対策を練ればよかったんですが、何もしなかったので、このようなこととなってしまいました。
でもこの11月になりましたから、発信活動を10月より多くしたいなと思っているので、頑張っていきたいと思っております。
ということで、今日は金曜日の金次郎をお送りしたいと思います。
この金曜日の金次郎というコーナーは、二宮金次郎さんのことをわかりやすく皆さんにお伝えするというものです。
なぜお坊さんがこんなことをやっているのかというと、私のお寺、蓮城院には二宮金次郎さんのお墓があるということで、
この放送を通じて、二宮金次郎さんにお墓参りでも行ってみようかしらと思う人が出てくればいいなと、
そんな淡い期待をしながらこのような活動をしているというわけでございます。
道徳なき経済の意味
というわけで、早速いきたいと思います。
今日の金曜日の金次郎のテーマは、儲けるだけではダメですよねというようなことでお話をしたいと思います。
金次郎さんといえば、やっぱり小学校とか中学校とかそういうところで堂々のイメージですよね。
薪を背負って本を読んでいる少年の姿なんですけれども、実は金次郎さんというと、
本当にすごいのは大人になってからなんですよね。
勤勉な姿も確かにすごいんですけれども、そこがメインじゃなくて、どちらかといえば大人になってから活躍したというところですね。
どんな活躍をしたかというと、約600もの村々を建て直した、復興した、V字回復したというようなコンサル的な活動をしていたのが、
金次郎さんなんですよね。
その金次郎さんを思想とか哲学とかそういったところを表現した有名な言葉があるんですよね。
それは、「道徳なき経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である。」という言葉なんですよね。
この言葉自体は金次郎さんがおっしゃったわけではないんですけれども、よく金次郎さんを語るときにこの言葉が使われる。
なぜなら金次郎さんはそのような生き方をしてきたから、そのような哲学を持っていたからということなんですよね。
なので、今回はこの、「道徳なき経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である。」という言葉を掘り下げていきたいと思います。
ちょっとボリュームが出てくるので、前編後編の2回に分けていきたいと思います。
なので今回は前編ですね。
道徳なき経済は犯罪であるという言葉です。
ここに犯罪というワードが入ってますから、ちょっとドキッとする感じですよね。
そこを今日はじっくりと掘り下げていきたいと思います。
まずですね、この犯罪ってどういうこと?
犯罪という言葉は強いですから、ちょっとそう思いますよね。
経済活動が犯罪?これはどういう意味なのかな?
きっと孫徳さんが言いたかったのは、自分だけが儲かればいいとか、
あとは社会や他の人がどうなっても構わないという考え方で経済活動を行うのであれば、
それは社会全体を害する犯罪と同じくらい罪深いことなんだよと、
そういうことをきっとおっしゃっていたのかなというふうに思うんですよね。
それぐらい良くないことなんですよね。
例えば短期的な利益だけをおげ求めて、いろんな人を困らせたりとか、
あとは環境破壊したりとか、そういうことなんですよね。
1980年代の終わりぐらい、90年代初頭あたりかな、日本はバブル経済という状態になりましたよね。
これは冬季バブルといって、不動産冬季バブルといって、
不動産の冬季の仕方というのが正しいやり方ではなく、実態のあるやり方ではなく、雑なやり方を行っていたと言った方がいいのかな。
そのために正常な評価ができず、ぐぐぐっと土地の値段が上がったというようなことがありましてね。
それを利用して、自分が儲けようと、そういう人たちが多くなって、非常に経済が良くなったんだけれども、
その実態がないものですから、後で歪みが生まれて、バブルがはじけるように日本経済はガタガタになってしまったという。
そういったことが昔ありましたけれども、まさにこれはそのまんまですよね。
自分だけが儲かればいいとか、他の人、社会とか、他の人がどうなっても構わない。
そういう発想があったがゆえに、それしか頭になかったから、こうやって社会全体がおかしくなってしまった。
そして日本は30年間もの経済が向上しない、停滞活動してしまったというようなことなんですよね。
これぐらい強い影響を与えてしまうんだというところで、道徳なき経済は犯罪である。
そんなふうに言いましめた言葉なんですよね。
つまり奪い取るだけの活動というのは良くないんですよということですよね。
これが犯罪という言葉の解説ですね。
どうしたら犯罪にならない経済になるんだろうかというところなんですけれども、
現代への影響と哲学の継承
それはやっぱり金次郎さんももちろん考えていて、このような言葉で説明しています。
それは資生が大事という言葉ですね。資生。
資生というのは至ると書いて、そこに誠と書きます。
これをわかりやすく言うと真心、あとは誠実さというような言葉になってくるかなと思います。
全ての行動の出発点というのは、内面の誠実さというものがなければ、
わべだけの虚しいものになってしまうんだよということですよね。
まず人としてどうあるべきかという道徳的な土台があって、
初めてその上で行う経済活動に意味が生まれるんだというようなことなんです。
さらに言うと、その真心を持った上で経済活動によって生まれた利益を
未来とか社会のために譲るということが大事だよということも言っています。
これは再投資、現代で言うとこの未来への投資活動ですね。
これを推譲というんですね。推譲というのは、推は押すという字ですね。
よく押し勝つなんて言いますよね、アイドルをファンの活動のことを押し勝つと言いますけれども、
あの押すという字ですね。これは押し進めるという意味なので、
積極的みたいなニュアンスですね。そこに譲というのは譲るという字を書きます。
つまり積極的に譲るよというのが推譲なんですよね。
要するにこの自分の利益というものを積極的に他の人へ回そうということですね。
これは単なる寄付とか事前活動というわけではなくて、もっと戦略的な未来への投資というところ。
これが大事なんだというふうに言っているんですよね。
そのおかげで金次郎さんは600もの村を復興させることができたということなんですよね。
お金をただただ配るんじゃなくて、水上によって集まったお金を使って
用水路とかため息を整備したりとか、農家の方に新しい農具を提供したりとか、
共同の基金を作ったりとか、そういった共同体全体の生産能力を高めることということに対して再投資をしたというところなんですよね。
言ってみれば、犯罪という部分が社会から富を奪うような行為だとするのであれば、
水上というのは社会に富を返して、そしてさらに未来の富を生み出す土壌を育てるということなんですよね。
この経済活動は社会とか公のためにあるべきだというような金次郎さんの考え方というのは、
実は現代の日本にも深く根付いているんですよね。
例えば渋沢栄一さん、今1万円札の肖像画で有名な方ですけれども、
彼は日本の資本主義の父というふうに呼ばれております。
特に有名なもので言うと、著書で言うと論語とソロ版というようなものがありますけれども、
これは経済と道徳は一緒でなければいけないというような内容ですよね。
特に金次郎さんの考え方そのものなんですけれども。
他にもパナソニック創業者の松下幸之助さんは、
企業は社会の工期であるというような言葉を残しております。
これは全部金次郎さんの道徳なき経済は犯罪であるという考え方というものを、
そういう哲学を受け継いでいるということですよね。
ということで、今日は前編として道徳なき経済は犯罪であるという言葉、
つまり二宮金次郎さんの水上イコール未来への社会的投資という考え方をご紹介いたしました。
経済活動というものは、自分のためだけではなくて、
未来や社会を豊かにするためのものであるというような、
とても温かくて、そして力強いメッセージだったのかなというふうに思います。
さて、でも金次郎さんというのは、
そういう理想的な部分だけを語っていたわけではないんです。
理想化だったというわけではないんですよね。
同時に、金次郎さんは同時に、すごく現実主義者、リアリストだったんですよね。
道徳や理想は大事なんだけど、でもそれだけじゃというところですよね。
そこは後編というところで語りたいと思います。
後編は、経済なき道徳は寝言である、
こちらもまた厳しい言葉なんですけれども、
理想を現実にするための具体的な仕組みについてというようなところでございます。
というわけで、次回もお楽しみにしてください。
今日のお話はこんなところで終わりたいと思います。
今日のお話がよかったという方は、どうぞいいねボタンよろしくお願いいたします。
他にもリクエストなどあれば、
コメント欄あるいはフォームの方から連絡をいただければというふうに思います。
では、蓮城院副住職の幸文でした。ではまたね。
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