▼ハスノハサイトはこちら!
「世界と未来が恐ろしい」
https://hasunoha.jp/questions/74518
▼お悩み相談・リクエストボックス
https://forms.gle/mmwtAribqPbMZCxj8
【放送内容】仏教の視点から見る「世界と未来への不安」〜お悩み相談会〜
今回の配信では、「ハスノハ」というお坊さんのお悩み相談サイトに寄せられた質問に答えています。
30代の方からの「世界と未来が恐ろしい」という深い哲学的な悩みについて考察しています。
相談者は現代の豊かな生活に感謝しつつも、それが他者や環境の犠牲の上に成り立っていることへの罪悪感、そして未来への漠然とした恐怖を抱えています。
これに対して、仏教の「正見(しょうけん)」という概念を紹介。物事を色眼鏡やバイアスなしに見ることの大切さを説きます。
「搾取」という一方的な見方ではなく、すべての生命が「支え合って」存在しているという視点から、罪悪感よりも感謝の念を持つことの重要性を解説。
いただいた命を無駄にせず、自分の命を使い切るという考え方を提案しています。
現代社会での生き方に悩む方、人生の意味を探求している方におすすめの配信です。
#仏教 #お悩み相談 #人生相談 #生き方 #マインドフルネス #正見 #感謝 #哲学 #現代社会 #生命観 #蓮城院
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
「世界と未来が恐ろしい」
https://hasunoha.jp/questions/74518
▼お悩み相談・リクエストボックス
https://forms.gle/mmwtAribqPbMZCxj8
【放送内容】仏教の視点から見る「世界と未来への不安」〜お悩み相談会〜
今回の配信では、「ハスノハ」というお坊さんのお悩み相談サイトに寄せられた質問に答えています。
30代の方からの「世界と未来が恐ろしい」という深い哲学的な悩みについて考察しています。
相談者は現代の豊かな生活に感謝しつつも、それが他者や環境の犠牲の上に成り立っていることへの罪悪感、そして未来への漠然とした恐怖を抱えています。
これに対して、仏教の「正見(しょうけん)」という概念を紹介。物事を色眼鏡やバイアスなしに見ることの大切さを説きます。
「搾取」という一方的な見方ではなく、すべての生命が「支え合って」存在しているという視点から、罪悪感よりも感謝の念を持つことの重要性を解説。
いただいた命を無駄にせず、自分の命を使い切るという考え方を提案しています。
現代社会での生き方に悩む方、人生の意味を探求している方におすすめの配信です。
#仏教 #お悩み相談 #人生相談 #生き方 #マインドフルネス #正見 #感謝 #哲学 #現代社会 #生命観 #蓮城院
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
サマリー
本エピソードでは、未来への不安とそれに伴う罪悪感に関する相談に対して、仏教の正見という概念が紹介されています。相談者は、平和な生活の裏にある犠牲を意識し、葛藤を抱いている様子が描かれています。未来に対する不安を解消するために、仏教の正見の教えが重要であると述べられています。自分の命を感じ、感謝の念を持つことが、より豊かな生活へと繋がるとされています。
未来への恐怖
どうも、コウブンです。栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で福寿浴をしております。
今日はですね、久々にお悩み相談会をお送りしたいと思います。
このお悩み相談会というのは、
蓮の葉というお坊さんがお悩み相談に答えるウェブサイトというものがありまして、
そこに寄せられたお悩み相談を私、コウブンが答える、そういったものでございます。
ではですね、早速お悩み相談の方に行きたいと思います。
30代の方ですね、性別は書いておりません。
タイトル、世界と未来が恐ろしい。
ちょっと、なんでしょう、哲学的な問いみたいなのを感じるようなタイトルですよね。
では本文の方を早速お読みしたいと思います。
今はそれなりに平和に生きています。
飲食中に困ってもいないし、まだ戦争に巻き込まれているわけでもないと思いたい。
世界的に見れば、ものすごく贅沢な生活をしていると感じます。
だからこそ、この生活が終わることを恐ろしく感じ、また今の生活を続けることに罪悪感もあります。
人間でも自然界でも、いまだに摂政は行われ続けています。
私も肉や魚を食べることだってありますし、コーヒーやチョコレートを口にすることだってあります。
けれど、これ自体が何かへの加害、搾取であるということも事実です。
電気や水を使うことは自然破壊につながります。
けれど、この生活を誰かに明け渡せと言われても拒否してしまう浅ましさがあります。
今の生活は何の根拠もなしになぜか成立しているチューブラリンなもので、ちょっとした間違いで崩れ去ってしまいます。
そして世界的に見れば、そのバランスは日に日に悪くなっているように思います。
終わるかもしれない生活、何かを傷つける生活を続けるのは怖いというのに、どうしても今の生活が続くことを望んでしまいます。
安心して生きたいだけだけど、自然界で天寿を全うできる生き物は少数派なのだろうという事実。
解決策が見つからず悪い方へとばかり進む人間社会。
オカルトな視点から破滅的根拠ばかりが積み重なる7月5日。
都市伝説・先世術・物滅・都事、これらが重なり、今になって自分の命と生活を惜しんでしまいます。
生物の命や感覚や自我を作り出しているのは脳みそや神経などの生物反応でしかありません。
つまり、たとえ死んでもまた物質世界のどこかに生まれてしまいます。
それが恐ろしい。死よりも死に至る苦痛が恐ろしいのです。
ようやくすると未来が怖いということになるのでしょうか。
すべてを忘れて自分の生活に集中していれば心は楽ですが、それは正しいことではないように感じられます。
かといって、自分のすべてを投げ打って他者のためにだけ生きる正しさを実行する勇気もない。
そして、いつかはどう足掻いていても残酷な流れの中に放り込まれる。
それはこの命のうちかもしれないし、この命が終わってからかもしれない。
けれど、いつか必ずそれは起こる。
極楽浄土が本当にあればいいけれど、人間が発生する前、恐竜の時代も極楽浄土はあったのでしょうか。
取り留めのない文章になってしまい申し訳ありません。
解決策などないことも知っています。
世界は真理論に値しますか?その根拠は?というお悩み相談でございます。
正見の概念
はい、すごくね、なんて言うんでしょう。
うーん、スケールが大きいって言うのかな、こういうのは。
スケールが大きいって言うとちょっと違うような気がしますけど。
お悩みの方向性というのは、何か目の前のことというよりかは、
自分の生きていることのすべてに何か生きどりを感じているというか、
何か納得がいかない感じを持っているということなんだろうなと思いました。
ひとまずね、すごく長いお悩み相談だったので、まとめていきたいなというふうに思いました。
まずこの相談者さんは、すごく物に恵まれた平和な現代日本の生活に感謝している。
だけども、それがいつか失われるかわからないというようなことに怯えている。
あとは、自分の生活というのは誰かの犠牲の上で成り立っている。
環境破壊とかね、そういった上に成り立っているということに対しての罪悪感、
そういうものに苛まれているということですよね。
他にも、そういうふうに罪悪感とかを持ちつつも、それを手放すことができないというね、
そういった利己的な気持ちも持っている。
そういった倫理的な正しさと、あとは自分の利己的な感情、
その間で葛藤しているという部分もありましたよね。
他にも、未来へ漠然とした恐怖みたいなものを感じているというところもありましたよね。
特に、世の中がどんどん悪くなっているんだという、
そういったどちらかというとオカルト的な情報をどこかで聞いて、
それで不安が増幅しているみたいな感じもありましたよね。
とにかくね、自分の生活を、
自分の今やっている目の前のことに集中すればきっと楽だろうなというふうには思っているんだけども、
そういった何かに集中するというか、誰かのために生きるとか、
そういったことに身を投じるような勇気もないんだというような揺れをおいている感情ですよね。
そういったものを持っているというようなお悩みでしたね。
誰しもがやっぱり抱える悩みなのかなと思います。
もちろんね、この方に対してこれでOKというような解決方法は、
解決方法というか、お悩みを取り除くような方法はないと思います。
ただ、一つ言えるのはね、私が思ったのはあくまでも、
物事を見ること、何か自分が感じていることであったりとか、
知っている情報だったりとかということに対して、
少しね、正しく見れていないのかなというふうに思いました。
正しく見れていない。
仏教には正見という言葉があるんですね。正しく見るという言葉。
世の中を正しく見る。正しく見るって何なんだって思いますよね。
仏教で言う正しく見るというのは、自分の色眼鏡をかけずに物事を見るということなんですよね。
もうちょっと現代的に言うんだったら、バイアスをかけないで物事を見る、物事を観察するということなんですね。
生活の支え
ありのままに感じるままに捉えるというようなことですよね。
どういうことかと言いますと、この相談者さんに関しては、
平和な生活を享受していながらも、自分たちは多くの犠牲の上に成り立っている。
そこに罪悪感を感じるというふうにおっしゃっているんですよね。
確かにその通りなんです。多くの犠牲の上に私たちというのは生活が成り立っている。
そうやって一方的なものの見方をしてしまうと、そういう言い方になりますよね。
確かにそういう見方もできる。だけども、誰かの支えがあって私たちは生きているとも見えますよね。
つまり何が言いたいかと言いますと、
私たちの生活、今現代の日本の生活は、確かに誰かの犠牲という見方もできますが、
誰かの支えがあるからこそ生きている。
もっと言うのであれば、私たち人間に限らず全てのものは支え合って生きているんだというところですよね。
そういう事実があるんだ。寄り合って生きているんだという事実があるんだということをきちんと認識する必要があるのかなと思いました。
だから、犠牲とか誰かを搾取するということも確かに見方によってはそうなりますけれども、
誰かのために自分の命を提供し、誰かが生き延びるということで世界というのは成立しているのであれば、それは必然であって悪いことではないんですよね。
だから、もしかして自分の目の前で生きていた、例えば鶏さんが目の前で命を奪って、そして料理をして、自分でそれを食べてというのが辛いというのであれば、
それでも私たちは食べないと生きていけませんから、食べないと死んでしまいますからね。
であれば、命を奪うということが感じるのが辛いのであれば、その命を目一杯使っていただいた命を目一杯使って自分の命を使い切るという風に考えていけばいいんじゃないかなと思うんです。
命を受け継ぐという考え方ですよね。
そのようにして考えれば、たくさんの命を誰かの、自分が生きるために犠牲になったものたち、生き物たちとか植物たちもそうですけど、こういったことに感謝できますよね。
感謝が先に来るようになるんです。
そういうふうに思うのであれば、罪悪感よりも感謝が先に来るのであれば、少なくても今日本の生活、私たちが豊かな生活していることに関してそこまで苦しい思いはしないんじゃないでしょうか。
もちろん命を無駄にしてはダメですよ。
命を無駄にするというのはどういうことかというと、簡単に言えば誰かに迷惑をかけるということですよね。
迷惑をかけずに人は生きられませんが、少なくとも悲しい思い、苦しい思いをさせるような行為というのは避けるべきですよね。
そういったことをせずに、誰かの笑顔を作るんだというような、より良い、みんなが楽しい生活にするんだというようなつもりで命をいただくのであれば、罪悪感なんていうものはないんじゃないかなと思います。感謝しかないと。
そんなふうに思います。そんなふうにね、物事を見る、私が言ったことが100%あっているかと言ったらそうではないとは思いますが、少なくてもですよ。
正しい物の見方
自分が生きていることに罪悪感を感じるというような生き方は正しいものの見方ではないと私は思います。
なぜなら、世界はそのように成り立っているから。誰かの命をいただくことで世界は成り立っているから。
そういったことを全部の、今日お悩み相談の内容を全て答えていたら、膨大な時間がかかっちゃいますから、
今日は一点だけ、物事を正しく見るということ、これを心がけていただきたいなというふうに思います。
つまり、自分の考え方が本当にあっているのかな、もしかして偏見とか、誰かの情報だったりとか思い込みとかないかな、
そういうふうに疑ってみて、自分が生きているってなんだろうとか、そういったことを改めて問いを持ってみるということですよね。
そのようにして、今生きていることに対しての感謝という念を持つようにして、
少しでも自分の生活が、自分の人生が楽しいものになっていけば、きっと今までいただいた命も、
その与えた側ですよ。与えた側からすれば、自分の命を提供して良かったなと思えるんじゃないでしょうかね。
といったわけで、ちょっと取り留めもないお話になっていますが、このような形で今日のお話は終わりたいと思います。
今日のお話を聞いて、いいねと思った方はどうぞいいねボタンよろしくお願いいたします。
また、こういった人生相談、お悩み相談、そういったものがあれば、
お悩み相談リクエストボックスといったものは概要欄の方に設置してありますので、
どうぞそちらの方からお悩み相談を投稿してみてください。
というわけで、連常院副住職の幸文でした。ではまたね。
17:14
コメント
スクロール