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2025-06-10 19:48

#255 「なぜ死んではいけない?」と感じるのか

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「なぜ死んではいけないの?」

今回は20代の女性から寄せられた、深く、そして切実なご相談にお答えします。

「美味しいものを食べても、好きなことをしていても、心が空っぽ」
「周りと比べて劣等感がつらい」

そんな苦しい胸の内を明かしてくださった相談者さんへ、お坊さんである私コウブンが、生物学的な視点と仏教の教えを交えながらお話しさせていただきました。

「死」を避けるようにプログラムされた私たちの身体の仕組みから、苦しみの根源である「虚しさ」や「劣等感」を乗り越えるヒントまで。 もしあなたが今、同じような悩みを抱えていたり、ふと生きる意味について考えたりすることがあるなら、きっと何かのヒントが見つかるはずです。

番組では、あなたからのお悩み相談も随時募集しています。 コメントやレター、フォームからお気軽にお寄せください。

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Summary

今回のエピソードでは、なぜ人々が死を避けたいと感じるのかを探求しています。仏教の観点から、生きることが生物として基本的な欲求であり、死という存在がどのように恐怖をもたらすのかを考察しています。また、楽しいことをしても心に空虚感や劣等感が存在する理由についても探求されています。劣等感をポジティブな動機づけとして捉える方法も紹介されています。

お悩み相談の趣旨
どうも、コウブンです。栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日もですね、お悩み相談会をお送りしたいと思います。
なんで前回に引き続き、お悩み相談会かというとですね、実は前回のお悩み相談、
割と反応が良かったんですね。私の弱小アカウントですけども、いつもより反応が良かったということで、
やっぱりね、人の悩みに応えるということは、きっとこれを聞いている皆さん、自分ごとに置き換えやすいんじゃないかなと思うんですよ。
自分の抱えている悩みとか、ちょっとしたことね、ちょっとした迷いとか、そういったものを聞くことによって、
もしかしたらこれを聞いている方の解決、人生の迷いの解決になるかもしれないというところで、
ちょっとしばらくはこのお悩み相談を重点的に発信していきたいなと思います。
もちろん毎週やっている金次郎さんの話とか、あとはその時話さなくちゃならないようなことがあればそれはそれで話しますけども、
それ以外、ちょっとそういうお悩み相談ということに関して、注力していきたいというふうに思っております。
というわけで、これを聞いている方、ほんのちょっとしたお悩みでもいいんです。
少しでもあったら気軽にコメント欄、あるいは概要欄の方に載せてあるフォームの方から、
私の方までご連絡いただければ、必ず何らかの形でお答えします。どうぞよろしくお願いいたします。
本当に簡単なことでいいんですよ。お坊さんって何で頭反ってるんですか?みたいな、そうなんでもいいんです。
感想でも嬉しいです。ともかく何かしらリアクションを求めています。よろしくお願いいたします。
というわけで、今日もそのお悩み相談会をお送りしたいと思います。
今日のお悩み相談会は、ハスノハというお坊さんが答えるお悩み相談のウェブサイト、そういうものがありまして、
そちらに寄せられたお悩み相談を、私、公文が答えるというものでございます。
死についての考察
というわけで、早速お悩み相談の方に行きたいと思います。
20代の女性の方より、タイトル、なぜ死んではいけないのか。
本文をお読みいたします。なぜ死んではいけないのでしょうか。仏教ではどのように考えるのでしょうか。
美味しいものを食べても、好きなことをしていても、心が空っぽで毎日が苦しみに溢れています。
周りと比べて劣等感があるからかもしれません。少しでも楽な気持ちになりたいです。
といったお悩み相談ですね。
今日のお悩み相談も短いんですが、この短いがゆえに、この方の苦悩というものを表現しているかなと私は感じます。
やっぱり苦しい時ってなかなか言葉に出ないんですよ。
自分の中に湧き上がるいろんな思い、これを言語化するというのは非常に大変です。
その大変な作業、苦しい時ほどなかなかできない。
というところで、私はこういう短い文章を見れば見るほど、きっとこの人大変苦しいんだなぁなんて思ってしまうわけではございますが、
まず最初の問いですね。
なぜ死んではいけないのでしょうか。
これは仏教的というか、生物的にというか、
私たち、基本的に死というのは怖いですよね。
だから死んではいけない。
死んではいけないということをはっきり、仏教では言っているわけではないんですよ。
仏教でもそうですけど、社会の教えでね。
死はいけないとは言ってないんです。
言ってないというか、そういう教えってあるのかな。
死んでもいいとは言いませんし、死んではダメとも言っていないと私は思っているんですけども。
まあそれはさておきね。
そんなルールのことはさておき、死んではいけないとこの方は感じているわけですよね。
なぜ感じるのかというと、そもそも私たち人間も含めあらゆる生物、
その世の中に生きとし生きているものというのは、やっぱり生きたいんですよね。
生き物ですから。生きたいんです。
生きたいというのがデフォルトなんですよね。
だから死というのは怖い、恐怖の対象なんですよね。
そのようにできていると言っても過言じゃないですよね。
そのようなプログラムをされていると言ってもね。
なのでお腹が空きますよね、私たち。
どんなに悲しいことがあったってやっぱりお腹が空くんですよね。
これはやっぱり私たちが生物として生命活動をする上でエネルギーというものが必要だから、
そのエネルギーが枯渇してしまうと私たちは死んでしまうから、
だから体が欲するんですね、エネルギーを。
だからお腹が空くんですね。
食べたいというような衝動が起きるんですね。
これはもう感情ではないですよね。
もう本当根源的な欲求ですよね、生物としての欲求。
これはもうほぼ抗えないんじゃないかな。
強固な意思があればある程度は抗えるとは思うんですけども、
基本的に私たち空腹になったら食べたいという思い、避けられないですよね。
もちろん現代日本に生きていれば極端な空腹の状況、飢餓状態になるということはほとんどないですので、
なかなか本当の空腹の苦しみを知っている人というのは私も含めいないと思います。
私も修行生活の中で普段の一般的な生活よりも食事が制限されるような環境におりましたので、
お腹が空いた時に人間というのは普段出てこないような自分の中の浅ましい感情が出てきてしまうというのは承知しております。
この話はしてしまうと長くなっちゃうので一旦置いておきますが、
ともかく空腹というもの、私たちはどうしても出てきてしまう。
それは生物として死というものを避けるのがゆえの体のシステムですよね。
そのようにまず空腹というのは避けたい。
他にも痛みというのを避けたいってありますよね。
痛いのが大好きという人はあんまりいないんじゃないでしょうか。
もしかしたらそういう人もいるのかもしれませんが、少なくとも私は痛いのは嫌ですよね。
苦しいですね、痛いという感情。
痛いというような予感がするだけでそれを避けたいって思いますよね。
なぜなら、その痛みの先にあるのはやっぱり最終的な死というものが待っているからですよね。
やっぱり死を避ける意味でもできるだけ痛みを避けたい。
あるいは自分の生命活動をより良くするためにも肉体のダメージを避けたい、そう思いますよね。
私は経験はありませんけれども、目の前に刃物を持った男が現れたら、
男ではなきゃいけないですけどね、刃物を持った人が現れたらきっと恐怖を覚えると思います。
怖いと思います。ビビってしまうと思います。
これはやっぱり自分の生命が脅かされるというのが身近に感じるからでしょうね。
すぐそこに命が終わるかもしれないというのを感じるから、
恐怖という感情を持って自分の体をどうやったら生き延びられるかというような状態に成るんじゃないのかなと私は思っています。
恐怖という感情によって生きるということを最優先に思考というかそういうモード、体全体のモードを切り替えるんじゃないかなというふうに思うんです。
そのようにそういうふうにやっぱりできているんですよね、私たち。
他にも私たちは孤独、孤独ってやっぱりつらいって感じますよね。
誰にも相手にされない。
自分の存在がまるでないかのような扱いを受けたらきっと苦しいですよね。
それはこれもまた私たちというのは一人で生きることはできませんから、やっぱり集団の中にいて私たちというのは生きる喜びというものを得るようにできてるんですよね。
なぜなら一人だと生きられないから、一人だと死んでしまうから。
死ぬ確率が高いからといった方がいいかな。
だから集団というものを私たちにとっては好ましい状況というふうにできてるんですよね。
これはもしかしたら人間だけなのかもしれませんけども、他の生物はわかりませんが、少なくとも私たち人間にとっては孤独というのはとてもつらい状況であるというふうにね。
これは死というものを避けたいということの代表的な辞書ですよね。
その上でというか、これが死んではいけない理由になるのかなと私は思います。
生物として生きたいから、これが理由でしょうかね。
仏教ではどのように考えているのかということですけれども、私たちというのは死というものに対してね、
死というものが怖いから、さっきも言いましたけど怖いから、だから生きるということをどうしたら自分の人生をより生きられるようにするのかということを考えているのが仏教ですよね。
より良い人生を過ごすためにどうしたらいいのか、これを説いているのが仏教ですよね。
つまり死んではいけないというよりかは、死というのは怖いというのが前提にあるから、
だからその怖さに対してどのように向き合っていくのか、自分はどうやって死というものを乗り越えていくのかというのが仏教ですね。
宗教と死の向き合い方
おそらく仏教だけじゃなくて世界中のあらゆる宗教、ティリスト教とかイスラム教、そういった宗教ももろもろみんな同じことを言っているんだと思います。
やっぱり死というのは根源的に怖い、だからこそそれは避けられないことですし、だからそれに対してどう向き合っていくか、
そういったことを宗教というのは教えてくれているということなんじゃないかなと思います。
その次に書かれている、美味しいものを食べても好きなことをしても心が空っぽである。
何かつまらない、毎日が苦しみに溢れているというふうに書いてありますね。
これはですね、おそらく楽しくないという答えになっていないですね。
食べることも好きなことをすることというのは本来楽しいことです。
心にとっては嬉しいこと、喜びの行為なのにもかかわらずそのように感じられないということですよね。
これはどういうことかというと、おそらく好きなことをしていてもといっても、
これは好きだと思っている行為自体はもしかしたら好きなのかもしれませんが、
共に分かち合う人がいないからなんじゃないかなって私は思いました。
もし違ったら申し訳ないんですけども。
私の過去の経験で、自分の過去の経験で好きなこと、私は例えばバイクが好きなんですね。
車とかそういう機械が好きなんですけども、車とかバイクを運転しているのは楽しいです。
確かに楽しいんですけどもっと楽しいことがある。
それはどういうことかというと、同じ価値観を持った人と出会い、
車とかバイクについて語っているとき、これは非常に楽しいなって感じますよね。
自分の気持ちが通じ合う。自分のことを理解できるし、相手のことも理解できる。
この瞬間はとても楽しいって感じるんですよね。
だからこの方、好きなことをしていても虚しい。
虚しいというのは、共に仲間がいなく、自分の感情を分かち合う人がいない状態で、
自分の気持ちというのは、自分の気持ちを表現する場所がないんじゃないんでしょうか。
劣等感のポジティブな面
だから空っぽとか、つまらないから、それがやっぱり虚しい。
虚しいということは満たされない。
満たされないという感情が苦しみのように感じられるんじゃないでしょうかね。
周りと比べて劣等感があるかもしれません。というふうに言ってますよね。
確かに劣等感というもの、誰しもが持つ感情の一つであると私は思うんですけど、
私も当然劣等感はあります。
例えばお坊さんだとしても、私よりもすごく仏教の知識もあるし、
お話も上手だし、表情も豊かだし、
すごくお坊さんらしいという人がいると、自分はまだまだだなって、劣等感をいただきます。
だからこの劣等感を抱くという感情、これはごく自然なことだし、むしろ感じて当たり前だと思うんですよね。
悪い感情ではないと思うんです。
劣等感があるからこそ自分もあの人のようになりたいんだというような、
自分を駆動させるための動機づけにもなっていきますよね。
だから劣等感を感じるということに関して恥じる必要はありません。
劣等感を持っているからこそ自分は頑張れるんだというふうにね。
むしろ劣等感をどんどん探して自分はこの人に対して何を劣っているんだと思ったら、
その人の追いつくように目標を立てればいいじゃないですか。
劣等感を感じるんだったらむしろチャンスですよ。
自分を高める、自分の人生を豊かにするチャンスですよね。
そのように捉えていけばいいんじゃないかなというふうに思います。
そういうことができること、もしも自分が目標としている人が見つかって、
目標としているというか自分よりも素晴らしい人、優れている人に見つめて、
あの人になりたいな、あの人の同じように位置に行きたいな、
立場になりたいなとか、成績を同じような成績になりたいなというのを思ったのであれば、
その人にやっていること、どういうことをやっているのかなということをきちんと調べて、
リサーチをして、そして真似をしてみて、
どうしたらその人に追いつくんだろうかということを考えている過程はきっと楽しいと思います。
苦しいはずはないですよね。
ましてやどんどんどんどんその方に近づいているような実感がもしあるのであれば、
それこそ楽しい、人生は充実する、そんなふうに思うんですよね。
今簡単に言いましたけれども、これは非常に難しいことです。
自分の目標としているというか、自分よりも優れている人を見て、
その人を追いかけるというのは大変なことですけれども、
でも、でもですよ、劣等感を感じているのであれば、
少なくてもそういう対象が見つかる可能性は高いですよね。
なので、自分のないところばかりに注目するんじゃなくて、
今すでに自分で持っているところに注目し、
そしてそれをうまく活用するということの繰り返しが、
きっとより良い人生を作るんじゃないかなというふうに思います。
はい、というわけで、今日のお話はここで終わりたいと思います。
はい、くどくどとね、あんまりビシッとまとまったお話じゃありませんでしたが、
このお話を聞いてね、いいねとか参考になったという方はどうぞ、
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はい、それと最初にも申し上げた通り、
お悩み相談、人生相談、あるいはリクエストなどあれば、
コメント欄、もしくはフォームの方からお寄せくださいますよう、
よろしくお願いいたします。
感想とかでも、もちろん大歓迎です。よろしくお願いいたします。
はい、では、連常院副住職の幸文でした。
ではでは、またね。
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