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今回は、覚えておくと人生のヒントになる「禅語」をご紹介するシリーズです。
テーマは「他はこれ我にあらず(たはこれわれにあらず)」。
曹洞宗の開祖・道元禅師が、若き日に中国で体験したエピソードをもとに、この言葉の深い意味を紐解いていきます。
「つい楽な方に流されてしまう…」
「やるべきことを後回しにしがち…」
「自分の仕事や勉強に、どう向き合えばいいだろう?」
そんな風に感じたことがある方に、ぜひ聴いていただきたい放送です。
あなたの人生や仕事において、きっと大切な気づきを与えてくれるはずです。
#禅語
#他はこれ我にあらず
#仏教
#道元禅師
#禅
#お寺
#僧侶
#人生訓
#学び
#自己成長
#名言
#standfm
#スタエフ
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テーマは「他はこれ我にあらず(たはこれわれにあらず)」。
曹洞宗の開祖・道元禅師が、若き日に中国で体験したエピソードをもとに、この言葉の深い意味を紐解いていきます。
「つい楽な方に流されてしまう…」
「やるべきことを後回しにしがち…」
「自分の仕事や勉強に、どう向き合えばいいだろう?」
そんな風に感じたことがある方に、ぜひ聴いていただきたい放送です。
あなたの人生や仕事において、きっと大切な気づきを与えてくれるはずです。
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サマリー
禅語「他はこれ我にあらず。」は、自分と他人を区別することの重要性を示しています。この言葉を通じて、道元禅師の修行のエピソードや自己の人生への取り組み方について、考察がなされています。
禅語の紹介
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で、福住職をしております。
今日はですね、皆さんにぜひとも覚えていただきたい、禅語というシリーズをお送りしたいと思います。
禅語というのは、座禅の禅に言語の語って書いて、禅語ですね。
禅の言葉っていう意味ですね。
これ禅語って何かというと、簡単に言うと、禅修の哲学というか思想というか、そういったものを言葉に表したものなんですけれども、
それ自体には、その言葉自体には答えが書いてあるというよりかは、少しヒントになるようなこと。
そういったものが込められている言葉が多いのが特徴です。
なので、これをまるでお守りみたいに大切にしていただいて、
もしこれを聞いている皆さんが人生の中で迷い、あるいは辛いこと、苦しいことなどがあったときに、
ちょっとでも言葉が役に立てばいいなという、そういう思いでご紹介をしているというわけでございます。
今日ご紹介する言葉というのは、「他はこれ我にあらず。」という言葉です。
聞いたことないですよね、きっと。
すごくマイナーな禅の言葉ですね。
気になる方はぜひとも調べていただきたいんですけれども、
これは誰が言ったかというと、総統州の大本山永平寺を開いた道元禅師という方がいらっしゃるんですけれども、
その方の書かれた本、天祖教訓という本がありまして、その中の一節に出てくる言葉です。
これすごく好きなんですよ、私。
なので、それもあって紹介したいなと思ったんですけれども、
なんせマイナーですから、順番的に、ちょっともう何回目かな、これ。
6回目か7回目ぐらいだと思うんですけれども、それぐらい後になっちゃったんですが、
実は一番最初に紹介したいぐらい好きな言葉です。
この言葉の意味ね、これ他はこれ我にあらずという言葉の意味を示すところは、
他人は自分じゃないよと、そのまんまです。
そういう意味ですね、意味自体は。
もちろんそれは表面的な意味であって、
込められたところというのは、どういうことが込められているかというのは、
人生の何かに取り組む態度みたいなところを表してるんですね。
それを説明する前に、道元禅師が書かれた書物、天道教訓の中にどういうエピソードで出てくるかというところをまずは紹介したいと思います。
道元禅師という方は、西暦で言うと1200年頃の生まれた方なんですね。
1200年ぴったりだったかな。
11世紀ですか、その頃の時代の方なんですけれども、
その頃の日本というと、武教も入ってはいたんですが、
やっぱりまだまだ中国とか韓国とか、そちらに比べていたら遅れていたんですね。
中国、韓国、そちらの大陸のほうが最先端の文化であったり、教えというのが広がっていたと。
それに習っていたんですね、当時の日本の方さんも限らず、いろんな人たちは。
なので道元禅師、すごく優秀な方だったんですけれども、
いろんなお寺に行ったりとか、いろんな有名なお坊さんのもとで修行したんですけれども、
いまいち納得がいかなかったんですよね。
それで、じゃあもう中国に行っちゃおうと。
中国に行けばもっと素晴らしいお坊さんがいるはずだということで、
中国に渡りに来たんですけれども、
道元禅師というのは、いわばエリートなんですけれども、
ただ、修行というものを少し勘違いをしていたんです。
つまりどういうことかというと、修行というのは、
この道元禅師の教えというのを、
修行というのは修行というものを、
修行というのは修行というものを修行というものを、
つまりどういうことかというと 修行というのは すごく真理を追い求める
高貴なもの 崇高なものみたいな もしかしたら表現がよくないかもしれないですけど
要は修行というものに対する態度というものが偏ってたんですね
それを心構えというのを完全にへし折られたというお話なんです
道元禅師 中国に渡りました
天道山という有名なお寺に着いたとき そこで修行してたんです
そこで出会った年老いたお坊さん 老僧ですね 老僧と出会ったときのお話です
その老僧という方は食事係だったんですね 天造という役割なんですけども
なので天造老子というふうにお呼びいたします この天造老子という方は
夏の暑い日に椎茸を干してたんですね 外で 食事係ですから 食事の準備のために椎茸を干して
そしてそれを食事に使おうということで その準備のために暑い日の中 汗をかきながら椎茸を干していた
その様子を見ていた道元禅師 あまりにも汗をかいていたので 天造老子に声をかけたんですね
そんな大変な作業は老子自らやらずに 若い者にやらせたらいいじゃないですか
そんな風に言ったんです そうしたら老子は これは私の修行だ だから他人がやったんじゃ自分の修行にならないよね
他はこれ我にやらず そういう風に言ったんですよね ああそっかって道元禅師は軽くショックを受けたわけです
確かに我々は修行しにお寺にいるのに 自分がやらないで他人にやらせたら それ確かに自分の修行にならないよなって思ったんです
でもまだちょっと納得いかなかった道元禅師はさらに じゃあこんな暑い時じゃなくてももう少し日が陰ってきて
もう少し日が落ち着いてきた時に暑い日じゃない時に こんなめちゃくちゃ暑い時じゃなくて涼しくなってからやればいいじゃないですかと言ったんです
そしたら天津老朽は
今この暑い時に干さないで 涼しい時に干したって仕方がないだろうと 今やらないでいつやるんだという風に返したんですね
道元禅師はそれで打ちのめされられたと 修行とは何たるか
お寺で修行しているのに自分がやらないで他人にやらせるとか やるべき時にやらないとか
自分はその修行というものに対して勘違いしていたということに 気づかされたよというお話なんですね
自己の人生への取り組み
ということで他はこれ我にあらずというのは 他人は自分じゃないよという意味なんですけども その意味するところというのは
他人にやらせてしまったら自分のやったことにはなりませんよということなんですよね
修行もそうなんですけども 私たち一般の生活の中でもいろいろありますよね
例えば分かりやすく言うと あんまりいい例じゃないかもしれませんが 勉強 宿題ですね
宿題を夏休みなんか時間いっぱいあるのになかなかやらないで 最後一生懸命やりますよね
結局終わらずに2学期になって 学校来てから友達に移したりとかしませんでした?
私はしました それってけどよくよく考えたら自分のためじゃないですよね
そもそも宿題って誰のためにやるのって自分のためにやるんですから 自分の学びのためにやるのに他人が学んだものを丸写しする
それは自分のためにならない そういうことなんですよね この言ってることは
本来自分がやるべきことをやらない
それでやったことにしようというのは それは本質とずれてますよねっていうことを言ってるんですよね
私たちはついつい楽しようと
現代で言ったらお掃除 ロボットに掃除させたりとか
あとはインターネットでポチッとして アマゾンで配達してもらったりとか そういうことをしがちですけども
本来ですよ 自分の部屋をきれいにするという作業というのは 自分の人生においてすごく重要だと思うんであれば
自ら手を動かしてやるべきことはやった方がいい というところはあるんです
自分の人生において大事であれば だけどもついそういった外部委託というんでしょうか
楽しちゃうところってありますよね
でもそれは横よく考えたら 本来あなたの人生にとって あなたのためになることなんですかというような部分で
そういう視点で考えるんであれば それはちょっと違いますよねっていう
そういったことを教えてくれる そういう言葉なんですよね
なので これを聞いてる皆さんが 自分の人生の文脈で使える限定的ではあると思うんですけども
例えば何か会社でプレゼンをしなくちゃならないと 会議とかでプレゼンをするために資料を作る
これをどこかの誰かが作った資料というものを インターネットにあるものをコピーしてペーストして
それを自分からのように 自分が作りましたよという顔をしてプレゼンしたって
それはあなたの言葉じゃないし そもそもあなたのためにもならないですよねと
さらに言うと会社のためにもならないですよね そういうことなんですよね
本当にその良い会社にとって貢献をしたいんであれば 自ら手を動かしていろいろとやるべきですよね
もちろん1から10までやればいいっていう それがいいんだって言ってるわけではありませんよ
ただ本質の部分ですね 丸投げするんじゃなくて 自分がやるべきことはきちんとやりましょう
そしてやるべきときにそれをやりましょうと そういうことなんですよね
というわけで今日はこの辺で終わりたいと思います
今日のようなお話 また聞きたいなと思った場合はリクエスト そういったものを概要欄の方にあるフォームの方から送っていただければ
それに必ずお答えしますので どうぞよろしくお願いいたします
もちろんコメント欄からでも結構です
というわけで現状委員副住職の幸文でした ではでは またね
12:47
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