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2025-08-28 11:02

#287 禅に学ぶ「今」を味わうヒント:喫茶去(きっさこ)

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心がふっと軽くなる「禅語」シリーズ。

今回は「喫茶去(きっさこ)」という言葉を深掘りします。
「まぁ、お茶でも一杯どうぞ」という意味に隠された、もっと深いメッセージとは?

日々の忙しさの中で、会社での役割、家庭での立場など、たくさんの「自分」を使い分けていませんか?
そんな肩書きや考え事をそっと横に置いて、目の前の瞬間に心を向けるヒントがここにあります。

お茶を飲む時間、ごはんを食べる時間が、今より少しだけ豊かになるかもしれません。
なんだか心が休まらないな、と感じているあなたに、ぜひ聴いていただきたいお話です。

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サマリー

ポッドキャストでは、「きっさこ」という禅語を通じて、日常生活における「今」を味わう重要性が語られています。お茶を飲む行為を通じて、肩書きやしがらみを少し脇に置き、自分自身と向き合う時間を大切にすることが提案されています。

禅語「きっさこ」の紹介
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院という寺で、副住職をしております。
今日はですね、皆さんに覚えていただきたい禅語のシリーズでお送りしたいと思います。
ここのところ、週に1回ぐらいのペースで、禅の言葉、禅語を皆さんにご紹介をするというシリーズ。
今回で5回目かな?6回目かな?どっちかな?忘れちゃいましたけども。
とにかくそれくらいです。
今日、皆さんにぜひとも覚えていただきたい禅語というのは何かと言いますと、
きっさこという言葉です。きっさこ。ちょっと言いづらい言葉ですよね。
きっさこ、聞いたことありますか?
どちらかというとちょっとマイナーなんじゃないかなって私は思ってるんですけども。
どういうところで見かける言葉かというと、おそらくですよ。
茶道。茶道ってありますよね。茶道とも言いますけども。
茶道の茶室。
茶室に必ず床の間があるんですよね。
一段高くなって掛け軸が置いてあったり、花が生けてあったりする場所。
あそこを床の間って言うんですけども。
その床の間のところに掛ける掛け軸の言葉に書いてあるようなイメージです。
伝わるかな?
あとは何だろう。ちょっと和風のお茶屋さん。和風の喫茶店。
喫茶店って言っちゃいましたね。普通に。
というところに掛かっているようなイメージの言葉。きっさこ。
それぐらいしかあまり見かけないかな。
どういう字を書くかというと、喫茶。喫茶です。喫茶。
喫茶店の喫茶。
「きっさこ」の意味と受け取り方
喫茶店って最近はあまり言わないかもしれませんね。カフェっていう言い方はしますけども。
キッズっていう字はね。これはね。味わうみたいなね。そんなニュアンスの言葉です。
なので喫茶は茶を味わう。
他にも喫煙とか喫パンとかありますよね。
喫煙っていうのはタバコを味わう。タバコを吸うとかタバコを味わう。
キッパンは飯を食べる。飯を味わうということですね。
そのような意味がキッズ。
キッズさんのサはお茶ですから。お茶を味わう。
で、喫茶この子は猿っていう字ですね。
猿って言ってもね、モンキーじゃないですよ。
じゃなくて、たち猿とかの猿ですね。
つまり、お茶を飲んで猿。直で読むと。そのままで読むとそのような意味ですね。
ちょっと乱暴な言い方ですよね。
もう少し柔らかく解釈すると、お茶でも飲んでから行きなさいよというような意味ですね。
お茶でもどうぞみたいなね。
そんな言葉ですね。これが喫茶子なんですが。
当然ながら、またいつものように。
お茶をどうぞの意味が茶室にかかっているわけないですよね。
そうじゃなくてというところが、これが今日のお話なんですけども。
一体どういうふうに解釈すればいいのかというところですね。
禅の言葉、禅語というのはどちらかというと答えを差し示すというよりかは、
ヒントになるような、人生のヒントになるような言葉ですので、
当然ながらこの喫茶子という言葉もまた、自分の人生のヒントになるような言葉が詰まっております。
その受け取り方は人それぞれにはなってしまうんですが、
私が思う喫茶子の意味というのをご紹介いたしますと、
お茶を飲んでいきなさいよと。
お茶を飲んでから進みなさい。
いったんゆったりしてから人生進もうじゃないかみたいなニュアンスだと思うんですよ。
言いたいのはそういうこと。
どういうことかというと、
いったんゆるりとするというのは、
いったんゆっくりするというのは、お茶でも飲んでゆっくりするというのは、
今まで自分の人生においていろんな肩書きでありますよね。
人間生活していれば肩書きありますよね。
例えば男性でいえば、会社の中でいえば会社の中の課長さんかもしれない。
部長さんかもしれない。社長さんかもしれない。
そのような役職がありますよね。
そして家に帰ればお父さんみたいなね。
地域のコミュニティの中でいったら、地区内の会長さんだったりとか、
それぞれのコミュニティ、それぞれの市員での立場、肩書きというのはあったりしますよね。
女性の場合であれば、もちろん会社でいけばいろんな役職があったりもするし、
家ではお母さんであり奥さん、妻であったり、
そういったそれぞれのコミュニティでの役割があったりする。
そういった肩書き、自分の背負っているものというものをいったん捨てて、
お茶と自分といった目の前のことを一対一で味わう。
お茶をお茶のままで味わう。
何かおいしいとかまずいとか、そういうのは関係なく。
お茶というものを飲む、ただそれだけの行為というようなことをいったんしてみませんかと。
いろんな目的、目標、そういうのは全部捨てて、ただただ味わう。
そういったことをいったんしてみませんかと。
そうしてからまた歩みませんかというようなことですね。
つまり一休み、いろんな肩書き、しらがみ、しがらみ、そういったものをいったん脇に置いておいてお茶を味わう。
味わうことの重要性
例えばお茶を飲むときに口にお茶が入ってくるときにその温度、その味、苦味とか甘みとか、
鼻に抜ける香りとか、そういったものを感覚でお茶から伝わってくるもの、そういったものを味わう。
ただただ味わうというような瞬間というものが大事じゃないですか、人生においては。
だからいつもいつもは無理かもしれない。
ただ今この瞬間はそうしてみるといいんじゃないですかっていうのがきっさこなんじゃないかなと思うんですよ。
めんどくさい説明ですよね。いつもいつも。私もそう思います。
もっとスマートに説明できればいいんですが、なんせ私の語彙力もないですし。
何ともこの禅の言葉というのを感覚的に捉えているところって私の中であって、改めてこうやって言語化するとなるとなかなか難しいんですよ。
言い訳はします。言い訳なんですけども。
ともかくそういった目の前のことを味わうということを一旦人生に取り入れてはどうでしょうかというようなのがきっさこというふうに私は思っております。
どうでしょうか皆さん。これを聞いてきっさこという言葉を見たら、ぜひともちょっとお茶を飲むということに練習中というか、ただただそこに対峙する。
お茶を飲むことに対峙するということをやってみませんか。
ちなみにですけども、別にお茶だけじゃないんですよ。これはお茶というものを使ってそのように表現しているだけで。
例えばね、食事でもいいです。喫食でもいいと思います。きつ肉とかでもいいかな。
肉を食べるんだったら肉を味わう。寿司を食べるんだったら寿司を味わう。
ジュースを飲むならジュースを味わう。酒はあんまり良くないかな。
味わうのはいいんだけど、あんまりお坊さんとして勧めるべきところじゃないかなと思います。
ともかくですね、目の前の今行っていることに対して味わう。五感を使って、古に使って味わうということがこの人生では大事ですよね。
いろんなことにとられるんじゃなくて、そういった肩書きであったり、未来のこと、将来どうなるのかとか、あるいは過去のこと。
嫌なことがあったとか嬉しいことがあったとか、そんなのは一切捨てて、ただただ目の前と味わう。
そういったことができたらどんなにいい時間でしょうというようなところで、今日のお話は終わりたいと思います。
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このような禅の言葉であったり、あるいは仏教の言葉、またはお坊さんの日常であったり、何でもいいんです。
何かこんなことを聞きたいなというリクエストがあれば、どうぞリクエストのフォームの方から、あるいはコメント欄の方からよろしくお願いいたします。
人生相談、お悩み相談でも結構です。
フォームの方から送っていただければ必ず匿名でお答えいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ということで蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。
11:02

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