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2025-11-25 10:20

#323 環境が私たちに与える影響とは

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今日の栃木県は深い霧に包まれています。
視界が悪い霧の中を歩いていると、不思議と耳が澄まされ、普段気づかない音や感覚に気づくことがあります 。

そんな霧の中の散歩から、曹洞宗の道元禅師が残した言葉を紹介します。

「霧の中を行けば、覚えざるに衣湿る。良き人に近づけば、覚えざるに良き人となるなり」

霧の中でいつの間にか服が湿るように、私たちも知らず知らずのうちに環境や周りの人の影響を受けています 。 より良い人生を送るための「環境選び」や「身の置き方」についてお話ししました 。

#仏教 #道元禅師 #曹洞宗 #禅 #人生哲学 #環境 #人間関係 #マインドフルネス #夜の散歩 #栃木県 #副住職の日常 #コウブン
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サマリー

このエピソードでは、霧の中での経験を通じて周囲の環境が与える影響について考察しています。特に、道元禅師の言葉を引用し、良き人に近づくことで自己成長が促進されることが示唆されています。

霧の経験と感覚
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある殿上院というお寺で、副住職をしております。
私はこの放送を収録するのは、いつも夜、散歩をしながら撮っているというところなんですけども、
今日の栃木県は、11月25日の夜8時の栃木県は、現在霧です。
今日の昼間は少しだけ雨が降ったんですよね、栃木県は。
夕方になって、だんだんと晴れてきて、その影響で気温がぐっと下がってきたというところで、
湿った空気がだんだん冷えて、霧状になってしまったというところでございます。
霧の中って、いつもと違うから、結構好きなんですね、私。
視界が、霧の中っていうのはあまり良くないせいか、周りの音がよく聞こえるような気がするんですね。
目が見えないからこそ、耳の方が発達するみたいな。そんな急に発達はしないんですけど、
意識が多分耳に集中するんでしょうね、おそらく。だから周りの音がよく聞こえる。
ってなってくると、普段気がつかないことも気づいてくることってありますよね。
例えば、歩いていると、上空に飛んでいる飛行機の音。
その飛行機の音も、よく聞いていると、同じ音がずっとしているんじゃないんですよね。
波があるんですよね。音にも波があるなぁとかね。
なんでかなぁなんて急いで想像で膨らませることができる。これも霧のおかげなのかなぁなんて思ったりもします。
夜の散歩をしていますと、当然ながらライトが必要なんですが、霧の中、ライトを照らすとどうなるか知ってますか?
実はこのライトの光源のすぐ近くというのが、霧の影響で反射して明るくなるんですよ。
その明るいところをよく見ると、水の粒が飛んでいるのがわかるんですね。
水蒸気ですよね。空気中の水分が冷えて、結露したものが飛んでいるんですよね。
その水蒸気というものを手で触ってみようとしても、感じないんですよね。
それぐらい微細な水分なんですけど、それが飛んでいるんですけども、
その状況の中を歩いていると、いつの間にか服が湿ってくるんですよね。
経験あるんじゃないですか。おそらく誰でも。
道元禅師の教え
いつの間にか自分の衣類が湿っている。そういったことってありますよね。
そういったことを私どもの宗派の総統宗の昔の偉いお坊さんの道元禅師という方がいるんですけども、
その方が残した言葉でこんなことがあったんです。
それを今日は霧の中を歩いていたら紹介したいなと思ったんです。
どんな言葉かと言いますと、霧の中を行けば覚えざるに衣をしめる。
良き人に近づけば覚えざるに良き人となるなり。という言葉なんですね。
もう一回言いますね。霧の中を行けば覚えざるに衣をしめる。
良き人に近づけば覚えざるに良き人となるなり。という言葉です。
ちょっとわかりやすい言葉だと思うんですが、解説をします。
霧の中を行けばというのは霧の中を歩いていればというところに思ってもらえば大丈夫かな。
今日の私のように霧の中を歩いていると覚えざるにというのはいつの間にかということかな。
いつの間にか衣というのは衣装のことですね。服のこと。
服がしめる。しめるというのは湿っているということですので、濡れてしまったということですね。
霧の中を歩いているといつの間にか服って湿っぽくなるよね。ということを言っているんですね。
そしてその後に続く言葉は良き人に近づけば良い人が近くにいるのであれば覚えざるに良き人となるなり。
いつの間にか良い人となっているよね。ということですね。
近くにいると自分もいつの間にか良い人になる。
つまり私たちというのは周りの影響をいつの間にか受けやすいよね。
それを考えると自分の人生を良くしたいんだったら周りに良い人が集まる。
そういう環境に身を置くことが大事だよね。ということを言っているんですよね。
自己改善と環境の重要性
私たち人間というのはどうしても一人で生きることができないんですね。
必ず誰かの助け、誰かの支えがあって、私たちというのは生きているものですから、だからこそ環境って大事だよね。ということですね。
例えばこれを聞いている方は日本人の方がほとんどだと思うんですが、日本はとても平和です。
だから心穏やかでいる時間というのは、おそらくね、ウクライナとかそういった戦争の多い地域よりかは穏やかな時間って長いですよね。
そのようにして、私たちの人生というのは周りの影響をいつも受けている。
だからこそ、より良い穏やかな人生を目指すのであれば、より穏やかな環境というものを自分で作っていくというのも大事ですし、またそういった場所に赴くというか、そういったところに飛び込んでいくというのが大事だよということですよね。
とはいえね、今私の人生はあまり良くないことが多いなと思った時に、じゃああいつのせいかというふうにね、そんなふうに捉えることももしかしたらあるかもしれません。
確かにそれもゼロではないと思うんですが、大事なのはどういうふうに自分の人生を良くしていくかということに対して前向きに考えるかというところが大事だと私は思っております。
なので、自分に人生がもし良くないことが起きたのであれば、そこから自分は何を学べるのかという姿勢が大事なんじゃないかなと思うんですよね。
つまり不満とか愚痴をただ言うんじゃなくて、良くないことが起きた時に次はどういうふうにまた同じようなことが起きそうな時に自分はどのような対処をすればいいのかということを鋭く観察するというのは大事なのかなと思うんです。
すぐにうまくいくとは限らないです。少しずつ少しずつちょっとずつでも改善してより良い人生になることを目指す。そのように受け止めるというのが大事なのかなと思います。
もしできるのであれば、なるべくより良い環境になるように、そのような人たちが集まるところ、自分の心地よいと思えるような環境に飛び込んでいくことが大事ですよね。
もしもしもですよ、会社、職場、あと学校、そういったところであんまり良くないなと思うのであれば、そこから離れるということも視野に入れながら自分の人生を設計してみるというのは大事かなと思うんですよね。そういったことが道元前次のおっしゃっていることだと私は受け止めました。
皆さんはどういうふうに受け止めたでしょうか。人生を大きく変えるというのは非常に難しいです。なので少しずつにはなると思いますが、もし今現状に不満を持っていて、もっと良い人生を送りたいなと思っているのであれば、少しずつ変えていく努力、環境を変えていく努力及び学ぶ努力ですね。
そういったものが大事なかなというふうに思います。このようなお話で今日は終わりたいと思います。
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というわけで蓮城院副住職の幸文でした。ではまたね。
10:20

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