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おはようございます。コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
本日はお悩み相談会をお送りしたいと思います。 このお悩み相談会というのは、
蓮の葉というお坊さんが答えるお悩み相談サイト そちらに寄せられた
お悩み相談、それをですね、私コウブンが答えるといったものでございます。
はい、ではね、早速お悩み相談の方に行きたいと思います。
30代の男性の方、外国の方ですね、おそらく中国の方かなと思います。
題名が輪廻転生について質問です。 といったタイトルですね。はい。
私は空を理解していますし、信じていますが、輪廻転生が存在することは、
証明も反証もできないと信じられません。 この問題を解決するにはどうすれば良いのでしょうか、というね。
そういったお悩み相談でございます。
輪廻転生、ちょっとこれを輪廻転生について分からない方に 説明いたしますと
仏教では 人が亡くなると6つの世界に生まれ変わると、そのように説いております。
その6つの世界というのは何かというと、1つは地獄堂 それと2つ目がガキ堂
3つ目が畜生堂 4つ目が修羅堂
5つ目が人間堂 6つ目が天堂というね、この6つの世界に生まれ変わるんだというね、そのように説いております。
この6つの世界というのは 苦しみがある世界というふうにされております。
今聞いて 見て分かったと思いますけど、地獄がね
地獄というものがとにかく苦しみが多いと、逆に 一番最後の天堂が一番苦しみが少ないということで、レベルに応じてあるいは行いに応じて
そういった 苦しみというものが分けられているということでございます。
そういったところに生まれ変わるというふうに仏教は説いているんですが、その 生まれ変わってしまうことに対して
必ず苦しみのある世界に生まれ変わってしまうことに対してですね、 そうならないための教えというのが仏教であるというふうに言っているわけです。
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つまりですね、修行して悟りを得ること 仏になることですね、仏になればそういった苦しみの繰り返し
いつまでもいつまでも苦しい世界をぐるぐる回ってしまうところから脱出する すなわち下脱するというのは、それが
仏、悟り
涅槃、いろんな言い方ありますけども そういう形をとっております。つまり仏教というのはこの苦しみの輪廻、苦しみの繰り返しから
脱出すること、それを目的とした教えが仏教なんですよね。
この仏教、仏になることを目的としておりますけども 仏になるということは前提として輪廻転生がなければならないんですよね。
じゃないとその立て付けが成立しませんから。 ということで仏教ではですね、その輪廻転生というものを前提としてあって、それで下脱をするということですよね。
この質問者さんにとっては輪廻転生というものは 証明することも反証することもできないから信じられないんだというふうに言っているわけですね。
それはどういうふうに理解すればいいかというところなんですけども、これはシンプルに言うと
仏教にとって 輪廻転生という考え方が
あった方が 人々に伝えるためには都合が良いかなという部分はあるのかなと思います。
というのはですね、 これはあまりお子さんが言うべきことではないんだと思うんですけども、
やはり私たち人間がどのように生きてきたか、それに対しての結果ですよね。 亡くなった後の結果、
そういうどういう形で現れるかという部分ですね。 それを
きちんと表現した方が 伝えやすいんですよね、仏教するためには。
悪いことをしても何もなりません。 ペナルティありません。
じゃあ悪いことをしたっていいじゃないかという考えにもなりますし、良いことをしたって良い結果がありません。
じゃあ良いことをしてもしょうがないじゃないか、そんなふうに捉える方もおります。 なのでやはりそういった何らかの結果があるんだというような
伝え方をするという部分はどうしても あるんですね。さらに仏教においては因果の方、
原因があって結果があるんだというような解き方をしております。 より良い生き方をするためにはより良い行いをする。
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当たり前のことなんですけども、そのような形で 人生のクライマックス、一番最後の瞬間にその結果というものがどのような形で現れるのか
という部分を表現したというのが輪廻転生 というふうにも言えるのかなと思います。
他にも ちょっと別の考え方
別の視点で考えてみますと
私たちの体というものはなくなると必ず
それまで生きていた肉体がですね、何らかの形で分解されますよね。火葬されたりとか土葬されたりとか
いろんな形で分解されます。 例えば土葬されたとしますね。土に埋めることを土葬と言うんですけども
土に埋めたとします。自分の体を。 そうすると土の中の微生物たちがですね
人間の肉体を分解して、そしていろんな栄養素に分けて、そしてその栄養素というものが土に吸収されます。
土に吸収された栄養素が別の生物、例えば草とか樹木とかを通じて
それが入って入り込んで、その樹木に それまで人間を構成した肉体の一部が入り込む
それ自体がもうすでに輪廻転生というね、もしかしたら呼べるかもしれません。考え方によっては。
別の生物の一部になるのであれば、それこそ輪廻転生じゃないか。そんな考え方もできるのかなと思います。
そういうわけで、 輪廻転生の捉え方としましてはそういう理解もできます。
他にももう一つ、これは心の状態であるというふうに考えることもできるのかなと思います。
私たちの今生きている世界というのは、 私たち人間にとってはですね、苦しみが多い世界であるというふうに仏教では捉えております。
一切皆苦というふうに言うんですけども、 なんで一切皆苦かというと、
自分が思った通りのように 物事がきちんと思い通りにならないことがあまりにも多いから
大概のことは思い通りにならない。 思い通りにならないことを思い通りにしようという私たちの思いとか願いというものが
叶わなかった時に私たちは苦しい感情が芽生えるんだというふうに考えますから。
そういうふうに捉えますから、仏教では。 その苦しい感情が
芽生えるということは、すなわちこの世の中がほとんど思い通りにならないということは、世の中は苦しいことだらけなんだと。
ということで、この世の中というものは、六道そのものである。 心の状態ですね。まさに
六道の中に私たちがいるのと一緒じゃないかというふうに考えるわけです。 例えば
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ガキ道という、 六道の中で一つにありますけど、ガキ道というのは
もっともっと欲しいという 欲望が
常に不満足で、欲望に支配されている状態がガキ道であるというふうに
言うんですね。 まさに私たちそういったガキ道に陥っている人っていっぱいいると思うんですよ。
もっと欲しい。お金が欲しい。車が欲しい。食べ物が欲しい。 もっと大きいもの。もっと強いもの。もっと
たくさんとかね。そういったね、もっともっとの繰り返しである。それが常に心の中を支配しているという、そういった人たちを
ガキ道。 この人はガキの中に生きてるんだというふうにね、そんな風に見ることもできます。他にも
いつも喧嘩ばっかりしている人、争いの中にいる人、 狂騒心とか怒りに支配された状態にある人のことを
修羅道にあるというね、そんな風に表現をしたりもします。 つまり六道輪廻というのは、そういった私たちの苦しみの多い世界に
どっぷり使っている状態というものを 表現したというふうにもね、捉えられるのかなと思います。なのでその苦しみがあまりにも多いところから
脱出しましょう。 心が楽な状態になりましょうというのが
仏教の教えなんだというところで
そういうふうにね、心の状態が六道輪廻であるというような、そういう理解の仕方もできるのかなと思います。
はい。 これ答えになったのかな?なったと思います、おそらく。
要するにこれをね、まとめますと 仏教にとっては不協するのには都合がいいという部分があるから
六道輪廻というものを使っていると。 その打ち分けというものは
因果の法則というものに基づいておいて、良い行いをしたら 良い結果が出ると。悪い行いをすれば悪い結果が出るんだと
いうものを分かりやすく伝えるために このような表現をしているという理解の仕方。他にも
他の別の理解の仕方としては 自分の体、構成した物質が
分解されて、そしてまた別の生物の構成する物質に生まれ変わる。 それこそが輪廻転生であると、そのように捉えることもできる。
そんな理解の仕方もできますし。 輪廻転生すなわち心の状態であると。私たちの普段の
日々の生活の中で苦しみが多いところをぐるぐるぐるぐるさまよっている。 だからこれはこの世の中
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六道輪廻転生の苦しみの繰り返しなんだと。 そんなように理解することもできます。
そういった形で理解していただければいいんじゃないでしょうか。 これが全て確かに
正面も反証もすることはできません。 けどそのように捉えていただいて、そして
自分の人生がより良い方向に行くのであれば、それは結果として良いのかなというふうに思います。 どうぞこの相談者さん
仏教というもの、仏教じゃなくても構いませんが、 自分の人生をより良くするための一つの考え方なんだと。
そんなふうに捉えていただいて、別に仏教じゃなくても 他の宗派でもいいと思います。他の宗教でもね。
自分の人生を良くするのであれば、それを柔軟に取り入れていくというふうにしていただければ
よろしいんじゃないでしょうか。 本日の話は以上となります。
今日の話を聞いてご意見ご感想等あれば、どうぞコメント欄の方へよろしくお願い致します。
また、人生相談、お悩み相談等あれば スタンドFMのレター機能を使ってですね、私の方に直接届けていただければ
このような、今日の放送のように、放送を通じてですね お答えできることも可能ですので、どうぞご検討ください。
はい、では蓮城院副住職の黄文でした。 ではでは、またね!