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2025-07-16 11:51

#269 禅に学ぶ自分との向き合い方:脚下照顧(きゃっかしょうこ)

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お寺の玄関でよく見かける「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅の言葉をご存知ですか?

今回は、この四字熟語に込められた深い意味を、「靴を揃える」という日常の身近な行動から紐解いていきます。

日々の生活で、ついやってしまう「横着」。 実はその小さな手間を惜しむことが、結果的に私たちの時間を奪い、人生の質を下げているのかもしれません。

放送では、「脚下照顧」という言葉を通して、日々の暮らしと心を豊かにするヒントについてお話ししています。 ぜひお聴きください。

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サマリー

このエピソードでは、脚下照顧という禅の教えを通じて、自己反省の重要性が語られています。講師は、日常生活における小さな行動が人生の質に与える影響について、靴を脱ぐことや扉を閉めることを例に挙げて説明しています。

脚下照顧の意味
どうも、コウブンです。
栃木県の片田舎にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
今日はですね、皆さんにもぜひとも覚えていただきたい言葉、禅の言葉、これをお伝えしたいと思います。
というのは、脚下照顧という言葉ですね。聞いたことありますでしょうか?脚下照顧。
この言葉、どこでよく使われているかと言いますと、お寺の玄関です。
特に禅宗のお寺。禅宗というのは、座禅を修行の中心に据えている宗派ですね。
曹洞宗、臨済宗、大漠宗などがあたりますけども、その宗派のお寺の玄関ですね。
そこに行くとね、小さい看板みたいなのが立っていて、脚下照顧、あるいは照顧脚下って書かれてるんですよね。
そのような言葉が書いてある。そういったことをね、この玄関にわざわざ設置してるんですよね。
さっきから脚下照顧、脚下照顧って当然のように言ってますけども、どういう字を書くかと言いますと、脚は足ですね。
脚。それと、下は下という字ですね。脚下で足元ってなりますね。
照顧の照は照らす。そして、子。最後の子という字は帰り見るという字ですね。
これね、今口で説明するの難しいので、みなさん調べてください。帰り見るという、調べると出てくる字です。
これで子って読みますね。この4つを合わせて脚下照顧、足元を照らし帰り見るというふうに書きます。
もうちょっとね、分かりやすく言うと、きちんと自分の、今自分を見、なんだ、振り返ってみましょう。足元を振り返ってみましょうというような意味ですね。
なんかスムーズに出なかったな。恥ずかしいですね。そのような言葉が脚下照顧です。
日常の行動と反省
なんでわざわざそれが玄関に設置されているのかというと、これはですね、玄関といえば、みなさんどうしますか?
靴脱ぎますよね。日本の家だったら、特にね。海外だったら、そういうことも少ないんでしょうが。
靴を脱ぐ。この靴を脱ぐという行動をするときに、みなさんどうしますか?自分の家の玄関でもいいと思います。
大概の人は、靴を脱いで、脱いだら、脱ぐ前にちょっと後ろ向きになって、入り口の方に向き直って、靴を脱いで揃えておく。
あるいは靴箱にしまう。だと思うんですよ。そうだと信じたいです。
ところがですね、特に子供、お子さんですね。玄関から入ってきたら、入り口から入ってきたら、玄関で靴を脱ぎます。
しかしながら向き直ることなく、そのまま正面から脱いで、もう乱暴に脱ぎますね。もう手も使わずポイポイと。足の力で脱いじゃう。
散らかった状態で入ったりとか、ということはありますよね。
あるいは、混み合っている玄関、靴だらけの玄関。靴の置き場もないから、誰かの靴を踏みながらね、侵入する。
侵入するって言い方よくないか。家に入るとか。ありますよね、そういうことって。
でも、それって本当に気持ちの良いことですか?っていうことなんですよ、この却下証拠。
あなたの今のその行動って、あなたの人生にとって良いことですか?っていうことを突きつけているのは、却下証拠なんですよね。
どういうことかと。4文字熟語でしかも玄関でそこまでのことを考えるかって言ったら、あんまり考えません、私も。
ただ、その却下証拠という字を見ることによって、私は横着をしそうになった瞬間があるけども、そうではいけないなって思うことができるんです。
振り返ることができるんですね。横着する、どういうことかと言いますと、さっきも言ったようなことですよね。
ほんのちょっとのことなんですよ、靴を脱いで揃えるなんて。時間にしたら数秒しかかりません。
そのたった数秒を惜しんで、ちょっとした手間を惜しんでやらない。これを横着って言うんですね。
だってやったって意味ないじゃん、揃えたって意味ないじゃんって思う方いるかもしれませんよね。
確かに人生の中でそれってどれくらいの重要度があるのっていうことを考えたら、それほど重要ではないかもしれません、もしかしたらね。
でもですよ、また靴を脱ぐことについて考えてみますと、きれいに脱いできれいに揃えた状態で玄関に置く、あるいは靴箱に置いた状態だと、家から出るとき、スッと靴履けますよね。
靴履くまでのアプローチがスムーズですよね。一方で散らばった状態の玄関、どうしますか。
自分の靴をまず揃えなくちゃなりませんよね。右に行った靴と左に行った靴を自分のとこまで持ってきて、目の前に持ってきて揃えて、そして履く。
これって脱ぐときと履くときでどれだけ違いがあるんですかっていうことなんですよ。
たぶんね、おそらく脱ぐときにきちんと揃えた方がトータルでお得かなと。お得って言うとちょっと変だな言い方が。
気持ちよく過ごす時間が増えるんじゃないかな、人生の中でね。ほんの数秒ですけども気持ちよく過ごせる時間あるんじゃないかなと思います。
そうなんです。私たちは日々の生活で様々なところで横着をします。楽をしたつもりでやります。しかしながら本当はそんなに楽じゃないんですよ、対してね。
結果的に時間がかかっているわけですから、それと同じです、いろんなことが。
楽をしたつもりがそんなに楽になっていない。その現実に気がつかず、なんとなく靴が散らばった状態だと出るときにちょっとめんどくさいな、ちょっと嫌な気分を抱えながら
人生のクオリティー向上
過ごす。そんな人生、果たしていいんでしょうか。同じように、私たちの日々の生活ですね。
例えば、扉を開けたら閉める。これ結構やりがちなんですけど、ほんのちょっと開いている状態。
引き戸ですよ、引き戸。隙間が開いている。これね、例えば冬だったら冷たい空気が入るし、夏だったら冷やした空気が逃げちゃいますよね、エアコンで。
冷やした空気。結果的にちょっと嫌な時間が増えますよね。他にも、食事の後にすぐ食器を洗う。
めんどくさくてついシンクに溜めたりしていませんか。どうせ洗うのになぜか溜めている。
その洗わなかった時間のせいで、例えば油汚れだったら冷え固まって落ちにくくなってしまったり、
あるいは匂いのせいで虫が寄ってきたりしてしまったりとか、見た目が良くないですよね。
そこを見るたびに少し嫌な気分になるとか。ともかく人生のクオリティーが下がるんですよ。
これを私たちのご先祖様は作法として残したんですよね。
そうならないために、人生のクオリティーを上げるために作法として残したんですよね。
最後の食器を洗うに関しては作法かどうかなんとも言えないんですけど、
ただ、すぐ片付けるとか、靴を揃える、扉を閉める、そういったことを日々きちんと丁寧に行うことさえできれば、
長い目で見たら、私たちの人生は嫌な時間が少ないと思います。
そういったことを却下症候という言葉は教えているんですよね。
その四文字の言葉の中にそういったことを思い巡らせる。
そういう時間が大事だよ。
今あなた、靴を脱いだ瞬間に横着していませんでしたか。
あなたの行動は、果たして本当にいいんですか。
そういったことは、変えにみる。
これが却下症候でございます。
これは私なりの考え方です。
皆さんは皆さんの受け取り方があって、いいものです。
仏教の、特に禅の言葉というものは、どちらかというと、答えをバーンと提示するんじゃなくて、
考えさせるようなものが、そういうタイプの言葉が多いですよね。
その言葉を通じて、自分はどういうふうに受け止めて、
そしてそれを自分の人生にどう生かすかというのが禅の言葉でございます。
というわけで、このような皆さんに覚えてほしい禅の言葉、素敵な言葉をね、
時々考えながら、自分の人生にどう使うかというのが禅の言葉でございます。
今日のお話を聞いて、いいねと思った方どうぞ、いいねボタンよろしくお願いいたします。
また、今日のようなお話、もっと聞きたいよという方、
あるいは、お寺の仏教のあれって何なの?
お寺に金いっぱいあるけど、何で?とか、
お寺の仏教のあれって何なの?
お寺の仏教のあれって何なの?
お寺の仏教のあれって何なの?
お寺に金いっぱいあるけど、何で?とか、
そんなことを聞いていただいても結構です。
どうぞコメント欄の方に、あるいはリクエストフォームの方を設置してありますので、
そちらの方から質問していただければ必ずお答えします。
お悩み相談、人生相談でも結構です。どうぞよろしくお願いいたします。
というわけで、蓮城院副住職の幸文でした。
ではでは、またね。
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