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2025-03-23 15:22

#210 「人間らしさ」の表現とは

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🌸式典参加で考えた「人間らしさ」とは

今回は、地域の神社の有形文化財指定を記念する式典に参加した際のエピソードをお話しします。

式典での学生たちの発表を聞いて「人間らしさ」について考えさせられたこと、そして、私自身の放送への反省の弁を述べます。

AI時代だからこそ、私たちが大切にすべきこととは何か。

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#二宮金次郎 #有形文化財 #式典 #スピーチ #AI #人間らしさ #個性 #共感 #自己反省
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サマリー

桜町二宮神社の登録有形文化財指定を記念する式典が開催され、地域の学生たちが金次郎さんとの関わりを発表します。その発表は非常に完璧で、まるでAIのように感じるため、著者は違和感を覚えます。このエピソードでは、人間らしさや共感の重要性について語られ、独自の視点や表現方法が楽しさを生むことが強調されます。また、原稿作成時のバランスの取り方や、個性を表現することの意義について自己反省が述べられます。

登録有形文化財の式典
どうも、コウブンです。 栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
はい、今日はですね、 昨日あった出来事についてお話をしたいなと思います。まあ雑談ですね。
昨日、私が住んでいる猛火市でこのような催しがありました。
というのは、桜町二宮神社という、
私のお寺のすぐ近くにある神社なんですけど、そこの神社はですね、 登録有形文化財に指定されたということなんですよ。
で、その登録有形文化財に登録されたので、それの
なんていうのかな、
小賞、登録された小賞ですね、伝達する式、 要するに記念式典ですね、そういったものが行われたんですね。
で、すごくね、
なんて言うんでしょうね、 登録有形文化財っていうのはどういうことなのかという講義であったりとか、
あとはね、二宮金次郎さん、孫徳さんが、 私たちの地域に対してどのようなことをやってきたのか
っていうようなね、そういったまあちょっとお話、講義みたいなものがあって、 さらに地域のね、学生ですね、小学生、中学生、
あとは近くの高校生という方が、 金次郎さんとの関わり合いをどのように考えているのかとか、
どういう行動をしているのかとか、そういう報告であったりというね、 そんなことを大きく
そういう記念式典があったんですね。 私も蓮城院というお寺、私のお寺蓮城院では二宮孫徳さん、
金次郎さんのですね、お墓がありますから、 なので
関わりのある
お寺ということで、 その式典に招かれまして、ゲストとして招かれましてね。 そして
うちのお寺の住職、私の父が
金次郎さん、孫徳さんがね、 蓮城院とどういうふうに関わりがあったのかとか、
今現在は金次郎さんをどういうふうに供養しているのかとか、 そういうお話をしたというわけなんです。
学生たちの発表
すごく良い式典だったんですよ。 この式典を仕切っていた人がおりまして、それは
その二宮神社、桜町二宮神社の
宮司を務めている方がですね、中心にこの式典を今回 開催したわけなんですけども、そこの
宮司さんっていうのは二宮神社に常駐しているわけではなくて、 普段は別の神社にいらっしゃるんですね。
大崎神社って言うんですけども、それは茂川の中では結構大きな神社で、すごく参拝客も多い、そういうところなんですけども、そこの
宮司さんが仕切っていったと。
その宮司さんの、その大崎神社のスタッフさんというか、一人の新職の方、
管主さんがいらっしゃったんですね。要するに大崎神社から二人いらっしゃったということなんですけど、そのもう一人の宮司さんではない方の管主さんは
若い方で、いろいろお話をしながらね、神社業界のことをね、いろんなお話を聞いたりとかいうことをしてね、すごくね、その異文化交流ではないですけどね、別の宗教、宗派との
関わり合いっていうのはね、すごく楽しいなぁなんてね、思ったわけです。 それはすごく良かったんですけども、実はすごく私は個人的にですけども、気になった点が一つだけあったんですね。
気になったというか感じた点があったんですね。 それはですね、あの地域の
中学生、あとは高校生ですね、その何て言うんでしょう、 孫徳さん、金次郎さんとの関わり合いのところの発表のところがね、少し気になったんですよ。
どういうことかというとね、すごくね、
なんて言うんでしょう、良かったんですよ。 すごく良い発表だったんですね。
すごく良い発表が何で気になったかというと、良すぎたんですよね、あまりにも出来が。
出来が良すぎたんですよ。どういうことかと言いますと、 まずですね、中学生の方なんですけども、中学生のそのメッセージというのは
言葉遣いがものすごく大人びいてたんですよね。
大人びいていて、なおかつその 語っている内容というのはちょっとね、無難な感じ
と言ったらいいのかなぁ。
とにかくね、すごく良い内容なんです。 私の周りにいた方々もすごく良いこと言ってたねって言ってたんですよ。
良すぎて、ちょっと私はその時少しだけ違和感を感じたんですね。 その後ですね、高校生が、今回高校生はいらっしゃってたんで、高校生も発表したんですね。
二宮孫徳さんとの関わりを、どういう普段行動しているのかという部分の発表があったんです。 それもすごく良かったんですよ。
淀みなく発表して、内容も立派で、すごく良かったんです。
で、すごく良かったから違和感を感じたんですよね。
どういうことかと言いますと、あまりにも良すぎて、機械的だなって思ったんですよ。 つまり、AIっぽいなって思っちゃったんですよね。
思っちゃったんですよ。
なんででしょうね、不思議ですよね。 ものすごく出来がいいのに、それを変だなって思っちゃう。
きっとね、私自身がバイアスがかかっているのかな、いわゆる認知バイアスってやつですよね。
認知バイアスがかかっているが故に、
あまりにも良すぎるものというのが不自然に感じてしまった。 ちなみに認知バイアスというのは何かと言いますと、自分自身の経験とか知識に基づいて、
基づいた先入観によって、そして情報を無意識のうちに偏って判断してしまうことですね。
例えば、お医者さんが日頃見ている病気に当てはめて症状を見てしまう、などですね。
普段がよく、
例えばね、がんをよく診断しているお医者さんがいたとしたら、
やっぱりね、そのがんに似てるんだけど違うものももしかしたらがんかなっていう。 そのがんありきでちょっと判断してしまったりとかね。
そういうことなんですよね。これを認知バイアスと言うんですが、私は普段からAIを使ってますので、そのAIを使っているが故に、
この学生たちの発表というものが良すぎて、その認知バイアスをかかってしまったなと思ったんですよね。
いいんですよ、すごく内容自体は。 立派なんですけども。
で、AIを使うことに対して私は反対はしてないし、むしろ積極的に使うべきだと思ったんですけども、ただ、
思ったのは、その良すぎたゆえにちょっとつまんなく感じちゃったんですよね。
AIの影響
なんて言うんでしょう。予定調和って言ったらいいのかな。 流れがすごくスムーズで、
ストレスなく進む感じ。
聞いてて、ストレスないんですよ。
逆に言うと、予定通りって言ったらいいのかな、予想通りって言ったらいいのかな、そういう展開だったんですよね。
多分そこに違和感を持ったんですよね、きっと。
だって、やっぱり中学生あるいは高校生っていう年齢だと、
その持っている語彙力であったりとか、あとは自分の気持ちの表現方法だったりとかっていうのは、なかなかね、やっぱり大人と同等レベルっていうのは難しい
ところだと思うんですよ。ましてや、
なんて言うんでしょうね、すごくお話が上手な人だって、
やっぱり、どっかね、お話の中でね、
淀み、言い淀みの部分っていうのがあると思うんですよね。
間が空きすぎてしまったりとか、あーとかうーとか言ったり、そういうのはあると思うんですけども、もちろんね、すごく入念に準備して、
何回も何回も書き直してっていう可能性はありますよ。AIを使っているという証拠は全くないんですけども、
やっぱりね、お話の面白さっていうのはこういうところだろうなって思いました。
人間らしさと共感
つまり、私が言いたいのは何かと言いますと、人間らしさ、あとは共感を呼ぶような個人的な視点、
というのがね、大事なんだろうなーって思います。人間らしさっていうのは要するにさっき言った言い淀みの部分だったりね、間の部分であったりとか、
そういうところですよね。やっぱり完璧じゃないところ。
なんかね、お話も途中でね、右行ったり左行ったりで脱線する。用意した原稿がね、右行ったり左行ったりっていうのはおかしいと思うんですけども、
やっぱり原稿もね、使っている言葉とかも若干ちょっとそれ違うんじゃないとか、
そういうところがやっぱり面白かったりするんですよね。面白い表現方法をするなーとか、変わった言い回しをするなーとか、
そういう部分。そういった人間らしいっていうか、個性が出ていると言ったらいいかな、そういう部分っていうのはやっぱり楽しいわけで、
そんな風な言い方するんだとかね、面白い観点で物事を見るなとかね、そういうところが良かったりするっていう部分はありますので、
やっぱりね、私もね、今回の発表してくれた人たちを否定しているわけではなくて、
自分自身がこういうスタンドFMを放送する上で、こういうことは気をつけなくちゃいけないなと思いました。
特に私なんかは、何かをね、特に難しいこと、お経の解説とかもそうなんですけども、原稿を用意するんですよ。
すごくね、言い間違いっていうかね、変なことを言って余計な勘違いをさせてはいけないということで、きちんと調べてね、原稿を用意して、
ある程度のレジュメを作るんですけども、レジュメの流れが良すぎちゃって、あとはそのレジュメを作っている段階でね、何回も何回もいろいろなところで確認するから、
無難な感じになっちゃって、冒険心のあるような、冒険の心のあるっていうか、飛躍的な表現方法と言ったらいいのかな。
お経を伝える表現の仕方が、安易な感じになってしまっていったらいいのかな、そういうふうになりがちなんですよね、やっぱりいろんなところで調べると。
無難な言葉を使って、無難な表現方法を使って。それはね、やっぱり気をつけなくちゃいけないなと思って。
もちろんね、そのお経というものをきちんと正しく、仏教もそうですけど伝える上では、大きく外れてはいけないと思うんですけども、あえて外すとか、
そういったね、私なりの表現方法、個性の部分、人間らしさの部分っていうのを、やっぱりきちんと出していきながら、
なおかつ、それでいて、お経の良さというものを伝える、仏教の良さというものを伝えるようにしなくちゃなというふうにね、反省をしたという話です。
自己反省と個性の表現
タラタラと長い話をして、要するに自己反省をしたという話ですね。
決して、何回も言いますけど、決してその学生さんたちが悪かったわけではないんです。いやむしろすごく良かったんです。
良すぎたゆえに、自分もこういうね、現代的な無個性な雰囲気になってないかという、いましめになったというところですね。
ああ、また結局悪口になっちゃったな最後。悪口じゃないですよ。すごく良かったんで、無個性っていう表現は良くなかったですけども、
ともかく自分ごとに置き換えて、自分はもうちょっとね、こう、こういったSunday FMで話す上では、人間らしさというものをしっかりと出して、自分の独自の視点とかがね、そういったものを出せるようにしていきたいなというふうに思ったというわけでございます。
はい、というわけで今日のお話はここで終わりたいと思います。本日のお話を聞いて、いいねと思った方はどうぞ、いいねボタンよろしくお願いいたします。
また、人生相談およびリクエスト、そういうものがございましたら、人生リクエストボックスを設置いたしましたので、そちらの方にご意見等をお寄せいただければ、何らかの形でお答えいたします。よろしくお願いいたします。
はい、では、連常院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
15:22

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