5種類目は「人間が最小単位で心地よく生きていけるコモンズ(共同体)を作る事」。なぜ、こんな事をやり始めたのか?宮城県東松島市の東日本大震災の被災地で始めた1万人が快適に暮らせる場作りと良い感じの実家的な場をまずは作る、構成要素①食についての話。
サマリー
第70回では、近藤ナオが「快適に暮らせる共同体」の重要性について語り、東日本大震災後の防災教育や地域再生の取り組みに触れています。愛知県と宮城県の地域コミュニティの実例を通じて、彼は心地よく生活できる場所づくりとその必要性を強調し、具体的なビジョンを示しています。東松島市では、地域住民が定住し、持続可能な食料供給システムを構築することの重要性が議論されています。特に、緊急時に備えた食料の確保方法について、多様なアプローチが提案されています。
釈然とした社会のために
こんにちは、近藤ナオです。今日は近藤ナオという生き物の第70回の話をさせてもらえたらなと思っています。
2、3回ぐらい前からかな、ちょっと何回前か忘れちゃったから、次のテーマで話を今、
話を進めていて、僕も含めて世界中の人たちが釈然として生きていける世の中を作るために始めたことの100種類っていうのを
いろいろ話をさせてもらっていて、今それの5種類目の話に入ってきました。人間が最小単位で心地よく生きていける
Commons、共同体を作ることということで、そういう活動を始めていて、きっかけは南海トラフで
津波が来たときに、僕の地元の愛知県がボコボコにやられたときにどうやって再生するかという再生計画を作ってたっていうところで、
その計画をまさか、そのまんまじゃないですけど、近いものを試せる場所が東日本大震災で津波がかかったエリアに
実は存在していたということで、そこで偶然であり宮城県の東松島市の伸びるエリアっていうところで、
みーちゃんっていう女性の代表が中心になり、そこで6年7年前から津波がかかってしまった小学校を利用して、
彼女としてはきっかけは、なんで始めたかっていうと、防災教育を子どもたちに教えたいっていうモチベーションが生まれた人で、
もともと20代の頃は自衛官だったりもした人で、その後自衛隊5年ぐらいで辞めてビジネスの世界に入っていって、
そこでもかなり成功を収めるような人なんですけど、東日本大震災が3.11があったときに自衛隊の仲間から声をかけられて、
みーも手伝えみたいな感じで現地に行ったらしいんですね。そこでいろいろ手伝いしたりして現場を見てて、
日本人の防災力の低さみたいな部分とか、もう少し最低限のそういうものを知っていれば、もう少し助かった命もあったんじゃないかっていうこととかを通列に感じたらしいんですよね。
そのときにもうガンガンビジネスをするっていうより、そこで培った資金だったりとか能力というか力みたいなものを使いながら、
どこかこの東日本のエリアで子どもたちに防災教育をもっと教える場所が作りたいと思っていたみたいで、
防災教育だし子どもたちにだから廃校とかいっぱいこういうエリアだと出そうだからどっかないかなみたいなことで、
探してたところである人がマッチングしてくれて、旧ノビル小学校っていうところを舞台に活動をスタートできたようです。
そこで当初は、まずは地域の人たちが何とか集まって来れたりとか遊べたりとか子ども連れで遊べるような場所を作ろうということで、
最初あまり防災教育って言っても人が来ないので宿泊ができたり、それよりも子どもたちが来て校庭で遊べたりとか、
あと室内遊具場やっぱ天気の悪い時とかに数千人とかの街とか1万人の街ですらやっぱり大きな室内遊具場とかってなかなか、
正直ビジネスにもならないので多分なかなか作られてないんですけど、そういうものも校舎の中に作ったりとかして、
あとは飲食店とか、ヒノキじゃないんですけどマキっていう地元のヒノキみたいな感じの木を使った大浴場とかも用意したりとか、
宿泊施設も用意して、最初は宿泊施設というよりはそういう室内遊具場とかレストランとか大浴場に入るために人が少しずつ来るようになってきて、
だんだん宿泊もしたり、庭とかでバーベキューをやったりとかみたいな形で少しずつ地域に認知されていき、宿泊施設とかもあったりもしますし、
あとはそこからだんだん防災教育っていうプログラムを少しずつ始めて子どもたちに教えていったりとか、
林間学校じゃないけど、ちょっとその子どもたちにお泊まりで防災教育を体験してもらうみたいなことを始めたり、
そこからだんだん企業研修みたいなものとかもどんどん取れるようになってきて、少しずつ安定して何とかその施設を運営できるようになっていったんですけど、
新しいチャレンジのビジョン
そんなところからどんどんどんどん規模を大きくしていくんですが、今話したかった話としては、
みーちゃんがそういう基盤を作ってくれていて、そこに僕が2024年の2月17日の僕の誕生日にそこに行くことになり、そういう場所に出会い、
そこのみーちゃんが作り上げたネットワークのおかげで、使えるんだったらどんどん市が、ほとんど市が持ってるんですよね。
今も津波の前は地元の人たちがそこに家を建ててそれぞれ暮らしてたんですけど、市が買い上げてあげて、そのお金で、買い上げてあげてっていうとあれですけど、
買い上げて高台移転をするための費用で、そこに新しく家を建てる費用の一部にしてもらったので、それで東島市がほとんど所有しているので、市がOKといえばどんどん借りていけるっていう状況ぐらい、
みーちゃんが代表するキリンチョ株式会社は信頼されているという状態だったので、そこを舞台に、僕がこんな街を再生して作り上げておくべきなんじゃないかっていうことを試すことがスタートできました。
やっぱりそういうことを今どんどんスタートしていく上で、どうしても必要だなと思うのが、今みーちゃんは東日本大震災でそういう心を痛めたような人たちが少しずつ津波がかかってしまった元小学校のところに戻ってこれるようにステップは踏んでいったので、今回は時間がかかりましたけど、
この今作ろうとしているモデル自体は全国で僕は100ヵ所とかいろんなところに作ったほうがいいと思っているし、次はできればノトハントの地震があったエリアとかで廃坑とか廃病院とかでもいいんですけど、ある程度大きな、しかも区体がしっかりした箱物とかが余っているという状況が作られればそこを起点に、
まず最初に作らなきゃいけないのは、僕の中で100人以上の人たちが快適に寝れる場所、あったかい布団で寝れてあったかいご飯を食べれるという場所をまずベースを作らなきゃいけないというのが、これの人間が最小単位で気持ちよく暮らせる共同体を作る上ではすごい僕は必要なんじゃないかなと思っていて、
僕はそういう場所をいい感じの実家って呼んでるんですけど、巨大すぎて100人だと実家規模じゃないかもしれないですけど、やっぱりいい感じの実家っていうのを体験したことがない方々もいらっしゃると思うので、そういう人たちにはすいません申し訳ないですけどイメージつかないかもしれないですけど、
いい感じの実家がキープされてるところだと、いきなり今日帰っても連絡入れずに究極帰っても、そこで寝る場所があって布団が用意されて、それでご飯が出てくるっていう状態の場所を僕はいい感じの実家って呼んでいて、そういう場所があるとチャレンジができるというか、
どんだけチャレンジしてボコボコにやられて心もお金もなくなって心もザボロになったら、いい感じの実家に一回逃げ込んで、そこで英気を養う、もう一回立ち上がって前に進めるような気持ちになってきたらまた実家から出ていってチャレンジしたらいいと思っていて、
そういう意味で僕は本当にこういう新しいチャレンジをしていく上で、1万人の人たちが快適に暮らせるためには本当にいろんなことをやっていかなきゃいけないので、その上でそういう人たちが逃げ込める場所ではないんですが、定住して暮らす人もいるし、僕のように日引き居住で頻繁に毎月のように戻ったときに、
寝泊まりができてご飯の心配をしなくていい場所っていうのがあることで、攻めるっていう単語を使いたくないんだけど、今だと緊急時300人の人が寝泊まりできる場所っていうのをベースになる部分を守ってくれる人たちが、
食料供給システムの構築
比較的東松島市のいろんなところに定住してくれてるような方々がベースを守ってくれていて、定住してる方でもどんどん攻めていってるというか、新しい要素を作り上げていくポジションの人もいますし、日引き居住者の人とかっていうのはほとんどが新しい構成要素を作るに東松島に戻ってやっていく人たちが多いので、
そういう人たちが寝る場所とご飯を食べることっていうのに心配があると集中できないので、そういう部分でまずはしっかり安心安全な場所を作るっていうのは非常に大事な要素の一つだと思ってます。
それが作り上げた後、順番にここから構成要素ごとに話をできたらなと思うんですけど、まずは1個目は食事ですかね。将来1万人分の人たちの食事を毎日確保し続けるっていうのをどうやるのかっていうことなんですけど、
正直ここが緊急時に1万人の人たちが食事をできるっていうだけの避難所、国の単語で言うとシェルターって言うんですけど、内閣官房の人たちが見学に来てくれて、快適なシェルターじゃないみたいな単語を使われて、シェルターって言うんだみたいな感じだったんですけど、
とはいえ、ただただ緊急時用のシェルターだけだと活用されないとそれを維持するための維持費っていうのがすごい莫大にかかってしまうと思うので、それを維持するためには簡単に言うと売るほど作っておくしかないっていう感じですね。
平常時には1万人の人たちが一応3食食べれる想定で、1ヶ月とかが十分、全ての生存が止まって、ちょっと言い方が難しいな。
1万人の人たちが1ヶ月とか食べていけるぐらいの食料っていうのをキープし続けるには、売るほど作って平常時は売っておくしかないなと思っています。
いろんな食料をいろんな方法で作るんですけど、作り方もこれから一個一個いろいろある程度軽くですけど説明できたらなと思ってるんですけど、例えば既存で言えば僕らの仲間たちで牡蠣の漁師とかがいるエリアなので、
一人牡蠣の漁師で、僕ら牡蠣先輩っていうあだ名で呼んでるんですけど、牡蠣先輩とかは自分の1個の会社だけで1日3万個の牡蠣をあげられるぐらいの規模で作っているので、毎日3万個牡蠣が上がってくるんで、それを平常時はどんどんなるべく高く売れるところに売れば僕はいいと思ってて、あんまり地元に売るとかじゃなくてもいいし、
冷凍保存して、東南アジアとかの更新国だけどお金持ちが増えてきてしまったエリアとかに冷凍した牡蠣を輸出したりとかもしてるんですけど、日本国内だとやっぱり冷凍すると魚介類とかは価値が下がるみたいな価値観がすごい強いし、
実際冷凍すると魚だったり肉とかもそうですけど、食料が持っているエネルギー値みたいなものが下がるみたいなことは実際あるらしいんですが、もちろん冷凍じゃないものが食べれたら理想ではあるっていうのは分かってるんですけど、
海外とかは生で牡蠣を手に入れられない国がかなり多いので、そういう中では冷凍だとしても牡蠣の需要っていうのがすごいあるので、そういうところに売るまでするとかなりの高単価で売れたりするんで、平常時は別に高く売れるところに売ったらいいかなと僕は思っていて、
それがピンチになったときは輸出をやめれば牡蠣で言えば1日3万個の牡蠣が毎日取れるわけですよね。それを取りに行くための船をどう動かすか、それを自然エネルギーで動かせるようになってたり、木質バイオマスみたいなものとかで動かせるようになってれば、緊急時にガソリンとかが手に入らなかったとしても船が動くっていう状況になると思うんですけど、
船さえ動けば3万個の牡蠣が毎日手に入って、緊急時に牡蠣でお腹がいっぱいになるかって言われるとわかんないですけど、牡蠣食べれる人がいたら1万人なので3万個を取れるんだったら1日3個牡蠣が食べれるっていうか、
それって緊急時に避難所とかに逃げてきた人の炊き出しというか食事に牡蠣が出るとかってすごい優雅な気分になって面白いんじゃないかな、面白いっていうか、すごい贅沢だなと思うし、東松島のエリアならではのできることなので、そういう形で常時から1万人が食べれる食料をいろんな分野で用意するっていうことを今やっています。
食事確保の方法
次回からは食事というか食料っていうのかな、僕は食事を確保するって感じなんで食料って言い方はちょっと違うかなと思ってるんですけど、それをどんな方法で確保していこうとしてるかっていうのを順番にお話したいと思います。ではまた次回に。
15:24
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