5種類目は「人間が最小単位で心地よく生きていけるコモンズ(共同体)を作る事」。なぜ、こんな事をやり始めたのか?宮城県東松島市の東日本大震災の被災地との出会いの話
サマリー
第69回では、近藤ナオ氏が災害支援の取り組みや地域再建に関する経験を話します。具体的には、愛知県の復興計画や宮城県東松島での支援活動について触れ、地域の協力による生活再建の重要性が強調されています。また、キリンチョ株式会社の顧問に就任したことを契機に地域活性化のプロジェクトを始める様子が語られ、愛知県の復興計画を通じた連携や土地利用の拡大についても言及されています。
災害支援の背景
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第69回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回から、僕が始めた100種類のことの5種類目という形で、人間が最小単位で快適に過ごしていける共同体、コモンズみたいなものを
作るっていうのが、今5種類目に始めたこととして話していて、前回は何でそういうことをやろうと思ったのかということで、
僕の地元の愛知県の南海トラフで津波が起こったときに、地元の愛知県の復興計画を有志と考えてたっていう話をしながら、
あるきっかけをもとに、宮城県の東松島の東日本大震災で津波がかかったエリアっていうのに出会うっていう話をしていて、そこに何で出会ったかっていうと、
1月1日に、2024年の1月1日かな、野戸での地震が起こって、その後すぐに僕らの仲間が熊本災害チームっていう熊本の時期の地震のときにボランティア支援チームみたいなのが作られていて、
そこのメンバーがそれ以降ずっといろんなところで災害があるたびにボランティアに行って焚き出ししたりとか、いろいろ瓦礫の撤去とかそういうののお手伝いをしているチームっていうのがずっと残っていて、どんどん強力なメンバーも増えていって、どんどん人材的にも人が育ってっていう形で、
ある種焚き出しとかそういうレベルにおいては自衛隊と同じようなレベルでできるぐらいのチームになっているところがあるんですけど、そこのチームは1月1日に地震があった後すぐに動いて、1月3日とかには上のほうの和島とか野戸町とかまでは行けなかったので、
ギリギリまだ車でも行きやすいエリアでライフラインが残っている、水が結構切断されちゃいましたけど、その七尾市とか野戸半島の下のほうまでも真ん中あたりである七尾市とかはまだそれが何とか人が暮らしができるレベルでは残っていたので、そこの百貨店じゃないな、そういうような場所のワンフロアっていうのを借りて、
ボランティアの人たちがそこで寝泊まりしたり、毎日のようにそこから車で北のほうに出発して、そこで炊き出ししたりとか準備をするような拠点みたいなのを1月3日にすぐに整えて、そこに、野戸の地震って覚えてらっしゃるかあれなんですけど、個人のボランティアの受け付けっていうのがかなり遅いタイミングで、最初のうちはなかなかそれを受け入れる体制が整えなかったりとか、
なかなか道が、北に行く道が少ないので、そこを1個人のボランティアさんとかが車とかで来られても行けなかったりとかも含めて、なかなか体制が整えられない中で、僕らの仲間たちは一般の人を募集したっていうよりは、メンバーの仲間たちとか今までボランティアで来てくれた人たちっていう顔見知りの人たちだけでまずチームを作っていって、
一気に1月3日からどんどん滝出しを作りに行ったりとか支援しに行くような動きをしてました。
ボランティア活動の展開
実際、そうですね。その時に、面白かったというか興味深かったのは、僕も行こうと思ったんですけど、僕の代わりに行きたいっていう人がいたので、僕の代わりに何人かが行ってくれた状況が起こったんですけど、
その時に水が使えないので、なかなか滝出しとかも何千人分とか作るときに食材を切ったりとかそういうのがすごい大変な中で、どうやってやってるのかなって思ったら、宮城県の東松島に木ぼっちゃっていう廃校じゃない平行、津波がかかってしまった小学校が平行になって、
その学校をキリンチョ株式会社っていう会社のミーちゃんっていう社長がそこを引き取って、家賃ゼロとはいえボロボロの状態でそこに補助金を少し取ってきたり、自腹で結構な金額を入れて場所を再生させ、
当時だと100人ぐらいの人たちが寝泊まりもできてご飯も食べれて、あとは子どもたちの室内遊具場があったりとか、そういう場所として再生して地域の人たちからも愛される場所っていうのを6、7年前から運営していて、そこに結構大きな調理場みたいなものというか人が集まるスペースとかもあったりするので、
そこで当時東日本大震災の被害を受けたような方々がいろんな人に助けてもらったからっていう部分で、今度は自分たちも助けたいっていうことを言ってくれるような方々が50代から70、80代のおじいちゃんおばあちゃんまでが毎日のように40人50人ぐらいそこに集まって、
全国からそこにネギだったり大根とかいろんな食材が届いて、そこで全部カットするんですよね。カットして真空パックでノトの方に持ってったら袋を開けてドドドって入れるだけですぐにそういう豚汁だったりとかカレーの具材だったりとかになったりとかっていうのを東松島の方で作って、
真空パックだけじゃなくてクロスチャージっていうスタートアップがやっている生物とか生野菜とかがそこに1日とか数時間入れるだけでキャベツとかもそこにずっと入れとけば1ヶ月以上腐らずにキャベツがそのままに残ったりとかするような特殊な技術があるようなものもそこの施設にあるんですけど、
そういうところに野菜を何時間かだけ入れることでより長期に新鮮なままのものを保ってて、それを大体ですけど1万食分とか作って、そうするとそれをハイエースとかにドーンって1万食入れて、1人か2人、人も乗れる人は乗ってボランティアに行って、それで一気にノトに持っていって、
七尾の拠点に降ろして、また東松島に戻ってまた食材をピストンして運ぶみたいな形でやっていて、その仕組み自体よく考えたなっていう形だし、確かにそれだったらすごいスピードで炊き出しとか提供できるし、
実際1月の9日か10日にはノト町の9個の小学校と中学校をスタートさせたいっていう相談が来たみたいで、そこの学校給食全部よろしくみたいなことそのチームが頼まれて、確か毎日900食だったかな、みたいなのもすぐに体制を整えたりとかして何とか提供できるようにしていて、
そんなことをバックアップする拠点が東松島にあるんだっていうのを知って、2月の17日が僕の誕生日なんですけど、誕生日にどっか行きたいとこあるかなと思って、
キボッチャっていう場所が唯一気になってたので、ちょっとそこに行ってみようと思って、その誕生日の日にそこに行ったんですけど、そのタイミングでみーさんっていう人は僕のことを誰かから話は聞いてたらしいんですよね。
みーちゃんも1月1日の野党に行ったときに、当時その頃キボッチャは300人の人たちが災害があったときに300人の人たちは快適に受け入れられるっていう避難所として東松島市とも協定を結ぶっていうレベルでやってたんですけど、
でも300人程度じゃあこののその地震レベルでも全然救えないんだっていう、だからそれをもっと大きい規模にしていかなきゃいけないっていうことを思い始めてたらしいんですね。
で、それをある人に相談してたら絶対そういう規模をやるなら、近藤名を入れとかないとできないよみたいなことを偶然言われてたみたいで、それで僕が2月17日に行くっていうので知って、僕らが自腹でお金払って泊まってるのに、みーちゃんは2泊3日予定を全部空けてくれて、
それでみーちゃんとお話しするとか夜ご飯もずっと一緒みたいな時間になってくんですけど、それで初日の夜バーっていろいろ話して、僕の話を多分4時間か5時間ぐらい、近藤名という生き物みたいな話のダイジェスト版をずっと聞いててくれて、
それで地域とか案内してもらったときに、こんな状態でまだ津波が起こった後さらちのまんま何もされてない空間がこんなに広がってるところがあるんだと思って、それが引きで見たら東日本大震災の津波がかかったエリアの多くが海沿いがこんな風に残ってるんだっていうのを初めてちゃんと認識して、
なんかこれ愛知県のもし津波がかかった後こうなるんだなーって思って案内をされてました。
そしたら次の日せっかくだから僕らが考えた愛知県でこんな風に再生させていったらいいんじゃないっていう話を一回話そうよって朝1、2時間僕が考えてる構想をみーちゃんに話してたんですけど、そしたら急にみーちゃんが
キリンチョ株式会社の顧問就任
いやなおくんさ、うちのキリンチョ株式会社の顧問になってもらって、この街でそれを一緒にやろうよみたいなことを急に言われて、おーおーみたいな、別にまさか僕としては試せる場所があるなんて思ってもいなかったので、ちょっと2つ返事っていうのかな、おーいいっすよみたいなやりましょうみたいな形で、
出会って24時間経ってないうちに顧問になることが決まり、その1週間後にはもう契約書すら交わし顧問としていきなりスタートしていくんですけど、別に顧問として大きい金額を僕はもうもらいたいわけでもないので、
6、7年前の日本で地域活性とかのコンサルとか企業のコンサルしてる頃は顧問料として月100万円みたいなのが、1年間で1000万円以上じゃない限り契約は受けませんみたいなノリで、ちゃんと自分の会社に対して利益を残すみたいなことを意識してやってた頃はそんな感じだったんですけど、
もう今は生きていく上での最低限のコストっていうのを、今回話してる2種類目のこととかの最低限の暮らしができる方法みたいなのをタンザニアだったり、静岡の南イズエリアとかでやってみてきたので、本当にかなり生活コストは下げられてる自信があるので、
お金はいざとなったらちょっとしたお金ぐらいはすぐ作れるし、お金稼いでくれてる友達たちに土下座すれば僕の生活費ぐらいはサポートしてくれたらなみたいな、すら感覚がお金に対しては全然怖さはないので、顧問料とか本当に数万円みたいな形でもいいんでみたいな感じで、
でも本当にこの街でやっていくとしたら、キリンチョ株式会社っていうのが相当7年間かけて地域でちゃんと根付いてるし、市長とか初号会議所の会長とかに会ったとしても本当にもうみーちゃんのことはもう信用してるから、みーちゃんがやりたいと思うことはもう何でも市としてはバックアップというか応援してるからよろしくみたいなことを言われちゃう関係になってて、
そういう関係を築き上げるっていうのは本当に本当に普通いきなり外の人が入ってってそこまでの状態になるのってめちゃくちゃ時間かかるんですけど、それはもうみーちゃんが作ってくれているので、その信用を全部とは言わないけど一部手に入れるためにはどうしても僕としてはキリンチョ株式会社の顧問みたいな名称を持つことで、
顧問って結構便利な言葉だなと思っていて、ただの英語にするとadvisorってだけなんですけど、日本語にすると顧問って偉そうに感じれるので、そういう名称を僕はいろんなプロジェクトで、僕個人の名称は持ってないんですけどいろんなプロジェクトでは顧問という形の名称を持つようにしていて、
そうすることで一気にキリンチョ側のそれなりのポジションの人がコメントを言ってるっていうことになるので、そんな形で顧問契約をしました。
出会って一週間経たないうちに契約も交わしてスタートし、そのタイミングで出会った次の日にみーちゃんから顧問になるって言われた瞬間に、僕は愛知県の復興計画を作ってた友達に電話して、やばい、やばい、なんか俺らが考えてたことが試せる場所があったよみたいな。
は?みたいな、何言ってんのナホ君みたいな感じで言われて、とりあえず3月いつなら行けるみたいな感じで、3月15日とかなら行けるかなみたいなこと言われたら、その日行こうみたいな感じで仲間に連絡して、早速3月にそいつとまた東松島に戻って、
同じ津波防災地域っていうエリアとか、きぼっちゃんの今再生した校舎だったりとかグランドだったりとか、その周辺も今どんどん借りて、最初借りた面積は多分2ヘクタールぐらいだったのかな、1.5か2ヘクタールぐらいのところをまず借りたんですけど、そこからどんどん増やして、今6ヘクタールぐらい土地を借り、
まだまだ土地余っているので、そこにどんどん広げていって、本当に緊急時には1万人の人たちが快適に暮らせる共同体というかコモンズみたいなものにしていこうという形で広げていってるんですけど、その辺を仲間に案内して、本当だナホ君ここでやろうよみたいな形で、結局そいつもジョインして、
ちょっと細かい話ありますけど、彼も関わって1年後に東松島に1個共同代表で彼が代表になる会社が作られていくぐらい巻き込まれていくんですけど、その辺の詳細はまた次回に。
15:31
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