そこにアクセスできたのが良かったのかなと。
一方でっていうか、後半で桃音がさんおっしゃってる、
ホモソモ勝手にやってくれやっていうふうにある程度流すこともできるって、
実際そういうこともあるんだって書かれてるんだけれども、
そこはそうなんだよねっていうふうに非常に。
ここどう乗り越えるかなんだよねっていうところっていうのが今後考えたい部分かなっていうふうに聞いてて、
これね読んでて思いましたけれどね。
やっぱりホモソは勝手にやっててくれっていうふうに。
それはもうブラックボックス化されたらもう興味もないし、それで楽しんだったら勝手にやっててくれませんかっていうふうになる。
これならまだいいんだけど、さらに中が見えてないから、
ホモソってものすごい差別的な集団でしょうとか、
そのある本人を見ずにものすごいある種のレッテルバリをしていくっていうようなことっていうのも一方で起こっちゃうんだと思うんですね。
そういう意味で今のホモソシャルって概念から生まれてくる誰かの評価とか、
誰かへのコミットメントみたいなものっていうのを今回のイベントみたいな個人的な話であるとか、
我々の話に引きつけていくことによって、
ちょっとずつ今の空間的な理解を時間的に広げていくっていうか、
過去こういうことがあったから、だんだんこういうようなホモソシャルになってっちゃったんだよとか、
この人にはどういう意図があったのか、あるいはなかったのかっていうようなことがあって、
こういうホモソシャル的な関係性が出来上がっていったんだよみたいなことっていうのをちゃんと考えていく意義っていうのは、
こういう勝手にやってくれを乗り越える上でも大事なのかなというふうに思いました。
うーん、なるほど、そうですね。
その阿部さんが言ってくれたブラックボックスみたいな、ホモソのブラックボックスみたいなすごくいい語彙だなと聞きながら思ってて、
そこを開けたいっていうところ。
ただ僕たち自身もブラックボックスがちゃんと形が見えていないところがあるんで、
どこがブラックボックスでどこがみんなに見えているところなんだろうっていうところは、
結構やりながらわかんないところで、
あ、その感覚がわかんないんだみたいなところみたいなのが触れれたっていうのがすごく良かったかなと思ってて。
この感覚でそのままもうちょっと踏み込んだところが、
じゃあそのブラックボックスをどこに置いて、どうやって解体していくのかっていうところには、
まずはアクセスするしかないというところだと思うので。
ただそこだけやっててもって感じはあるんですが。
なんかちょっと今の話でいくと、
ホモソって言葉の話はイベントの冒頭で、
ホモソシャルとは微妙にニュアンスが違うんじゃないかとか、
もともとのホモソシャルという言葉の提唱者のセリフィックの話だったりからお話をして、
多分今回のイベントで唯一の学術バー級っぽい部分だったかもしれない話をちょっとしてたんだけど、
なんかそれで言うとやっぱりこのホモソシャルがホモソになった時点で、
ある種ソーシャルっていうフォーカス的な概念が抜け落ちたんだろうなっていう感じもするというか、
ホモソになった時点で自分とは関係ない勝手にやってもらえるものみたいな形で、
ちょっとこう外側に出てったんだろうなみたいな感じも持っていて、
なんか僕としてはそのブラックボックスを、
本当にそのブラックボックスを全員につまびらかにしなきゃいけないかどうかとかっていうのも、
あんまり想像しなくてもいいような気もちょっとしてて、
勝手にやってもらえるんだったら勝手にやってもらえばいい。
それぞれに閉鎖的な空間をそれぞれ勝手にやってればそれでいいと思っているところが多分あって、
やっぱりこの性愛が絡むと分かりやすく被害があるって桃子さんが書いてくださっている、
ここが問題だなと思ったら結構今回のイベントで元々考えたところって、
どうやったら勝手にやれるのかっていうかどうやったら男だけで勝手にやれるのか、
人を巻き込まずに勝手にやれるのかみたいなところも込みで、
このホモソって言葉と男子ノリっていう言葉をあえて平地させているところがあったから、
なんかあんまり勝手にやってること自体は別に乗り越えたりするものではもしかしたらないかもなーっていうのもちょっと個人的には思ってるかな。
そうね、どっちもの方向も変わるよね。
1個だけ、それで言うと僕すごい今の話面白く聞いてたんですけど、
この性の話のところに桃子さんの感想のところで書いてくださっているところと関わらせて、
僕ホモソと性ってそんなにストレートに結びついてないの。
逃げずに言ってるところで、私としては行ったなっていう感じも、
なんかあんまりしっくり来てなくて。
っていうのはイベントでも話したけど、
私がホモソの周辺にいた、端っこにいたっていうところがあって、
中心の人たちは結構それにやってて、
私は乗り切れずに端っこで話し合わせてるみたいな存在だったわけですね。
そういう意味でね、勝手にやってくれって言われると、
いや俺やる気なかったしみたいな。
勝手にやりたいっていうふうに、もうやるぜって言われると、
え、俺別にそうでもねえんだけどなみたいな感覚が結構あるんですよ。
だからね、勝手にやることを肯定するっていうところは、
結構ホモソ中心からしたらそうなのかなっていうふうに思うんだけど、
周りの人以外にそれやりたくないかもっていうのはちょっと思ったりした。
そこはすごくわかるな。
その辺りちょっと含めて、次のお便りのところとリンクするんで、
ちょっとそこでアルダムで話してみましょうか。
じゃあモモンガさん、一旦ですね、このお便りいただいてありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、じゃあ次のお便りをご紹介します。
お名前、ささこさん。
お疲れ様でした。
私はホモソに苦しめられながらもホモソによって育てられてきたような辞任があり、
非常に興味深いイベントでした。
ホモソに対して様々な感情を持っているのが自分だけじゃないとわかっただけでも嬉しかったです。
ホモソを考える上で議題に挙げたい独特の感覚があり、
まずは私のホモソ的重大イベントのエピソードを聞いてください。
それは高校時代の修学旅行の話です。
修学旅行の夜はホテルに宿泊しましたが、男女きっかり部屋を分けられ、
誰かの部屋にクラスの男子が全員集まり、男子のりの会話で盛り上がれる場面がありました。
どんな会話かというと、クラスの女子の誰がエロいかやれるかという話題です。
あまり男女で会話することがないクラスでしたが、私は女子の友人もいたため、
男子陣にあいつはやれる、あいつは物過ぎで無理だろうと、
具体的な友人が物のように扱われている場面が耐え切れず、
一人だけ自室に戻り、泣きながら夜を越えた思い出があります。
ホモソにおいて男性は仲間・友情という概念を好む印象がありますが、
この同じ人間でありながら女性については物のように扱えるという感覚が
ホモソ独特な点ではないかと思い、提言させていただきました。
皆様はこの感覚についてどんな意見を持たれますでしょうか。
あと、追伸的な質問ですが、童貞がダサいと思ったことはありますか。
この感覚もホモ素敵かと思い、質問でした。ということでいただいております。
うわー、これねー。
まあ今お話、阿部さんが仕掛けたところとかともすごく、
まあ言ったらそこの話なのかなという。
そこの話ですね。
このさ、ホモ素の…あ、阿部です。
で、ホモ素のこの巻き込まれみたいなのって絶対的にあって、
これ、あいつブスすぎて無理だろって、
いやこれでもホントにホモ素的現象だなっていう風に思うんだけれども、
たぶん面と向かって言える奴はたぶん、そこまでバカな奴っていないと思うんですよ。
あいつはやれるとかももう無理だと思うんだよね。
でも、なんかこういう否得された環境において、
それが言えてしまうみたいなことって、
なんか個人の意思を超えた問題で、
なんかまあさっき私が言った巻き込まれみたいな、
まあ巻き込まれるからじゃあ免罪婦になるかって言ったらそうでもないんだけど、
みたいなことってやっぱあるんだよなっていう風に思ったりして、
やっぱりこれを勝手にやってくれっていう風に言われると、
結構困っちゃう人もまだいるだろうなっていう。
そうだよね。
一方でかけあいさんが言いたいことは、
これはたぶん勝手にやるっていう風に言いたいわけではないとは思うんですよ。
てかこれはバレますからね。
これはうちうちで、その面と向かって言える言えないとか関係なしに、
そういう目で見てるなとか、
そういう話してるなっていうのは普通にバレますからね。
そんなチャチなことをなんかやっていきたいっていうわけじゃなくて、
一方でこういうある種のインナーファークルでの、
ある種のかけあいみたいなところから生まれてくるもの。
これはこういう下ネタを話すことでってことじゃなくて、
もっとミューチャルなって言い方だとややこしいな。
要はそれを親密な関係において、
お互いいろんなことを言うことによって何かを盛り上げていくみたいなことって一方であるわけで。
よくわかります。
だから安倍さんが言いたいことも柿内君が言いたいところもどっちもあって、
今回僕らが目指しているところとか肯定的に評価したいホモ層的コミュニケーションみたいなのって、
そのホモ層の内部の中でインナーサークルにいない中では評価されない男子みたいなものを、
そいつのナイスさを発見するっていうところ。
ホモ層の中にいるからこそそいつがいいねって言い合えるみたいなところっていうのが、
ある種ケア的な文脈にも取れるし、
そこに割といいところがあるっていうところをもうちょっと見つめてみたいっていうところがあって、
そこの肯定的な評価をしたいがために現状とそこで良くないことがあるっていう話をしてるんだけど、
今回の今の修学旅行の話で言ったら、
女性を選んでみたいなそういう風な話をしてしまうっていうところっていうのは、
ナイスなコミュニケーションをするところに正直ついてくるところではあるっていうところが、
多分安倍さんの言いたいところであって、そこの感覚は僕もすごくよくある。
だから本当はナイスなコミュニケーションだけしたいっていうんだけど、
そのホモ層っていうコミュニケーションの中で、
これはできるけどこれはなしだっていうことを選別することっていうのがすごく難しいっていうところで、
ナイスを見つけようとすると、こういったところも嫌をなしについてきてしまうみたいな、
ウイルスみたいな感じでついてきてしまうみたいなところがすごく問題だから、
っていうところがあるのかなっていう感覚ですね、僕からすると。
ウイルスはいいね。ウイルスって完成したとき気づかないもんね、自分ではね。
気づいたらこういう風にさ、なんか結構ひどいこと言っちゃってたりするんだよね。
雑にお前いいねとかお前天才だねっていうのと同時に、
あいつとやりたいねっていうところも、言葉のハードルとかいろんなものが落ちることで、
何でも言いやすくなってる分、そういうことを言っちゃうっていう。
でもそこはダメなんだっていう線は、やっぱりそのインナーサークルの中だから、
そういうものが機能しなくなるっていうところがすごくあるんだと思いますね。
柿田医さんとしてはちょっと聞いてみたいところなんですけど、
今さっきのバレるじゃんっていうふうにおっしゃってたと思うんだけど、
逆に言うとバレなかったらいい?
バレなかったら2つあって、1つ実践的な話で言うとバレなきゃいいと思う。
でもバレなきゃいいって無理だと思うんですけど、
でも基本バレなきゃいいと思う。
僕この話をホモソのところでも仕掛けて、
ちょっとなかなかまだ突っ込みきれないところもありつつ、
それからもいろいろ考えていて、
このホモソのイベントの後に新宿のロックカフェロフトっていうところで、
すごい僕の中では引っかかるところっていうか、
男性同士がコミュニケーションしたいし、
そういうことが言えないから他の人を消費してしまうっていうこと自体はあってるんだけども、
うーん、なんかね、
もうちょっと近しい、
クラスの女子に対して評価をするっていうこと自体に意味があると思っている部分があると思ってるんで、
なんかそこがちょっと難しいとこだなっていうふうに聞きながら思ったかな。
なるほどね、結構ここは3者でなんだろう。
なんか立場がいろいろあり得るなと。
もう3時間イベントの観点だけで立ち上げないといけない話な気がするね。
でもなんか実際その僕も今の話しながら巧妙にこのクラスの女子の話は結構早めにオミットしているというか、
そこはもう何だろう、それは絶対にダメなんだけどっていうところで聞いちゃったけど、
そっか、なるほどね、このクラスの女子じゃいけない必然性は、
僕はなんかある種ないだろうから勝手にやってくれよと、男同士やってくれよみたいな話し方をしてたけど、
ここがむしろ無視しがたいポイントとしてあるんだっていうことなんだね。
うん、だからさっきの桃河さんが書いてくれてるわかりやすい被害っていうのは、やっぱクラスの女子であるということだと思うんだよね。
そうだね。
で、多分この笹子さんが書いてくれてるのは、そこが嫌だったって話でもあるしね。
具体的な友人が僕のように扱われてるっていうのが嫌だったっていうところで。
うん。
そうなんだよな。だからギュッとしちゃうってとこなんだけどね。
だから、想像力っていうのがないから、クラスの女子じゃないと話せないっていうところがあるっていう話ではある。
だから彼らに想像力をもっともっと大きく羽ばたかせましょうみたいな提言とかはあるよなとか、なんかそういうのはいろいろあると思うんで。
ロマンティックすぎる女子のファンタジーっていうのは違うっていうのは言い切れないところではあるんだけど。
どうかな。
なるほどね。
うーん、そうね。
これもつながるんで、ちょっと次のお便りに行きましょうか。
はい、笹子さん、今回これはありがとうございます。深められております。
はい、ということで、お名前ルネッサンスさん。
ホームソーシャルに意識的な方の話を聞けるのは非常に貴重で大変面白かったです。
素敵なイベントを企画していただきありがとうございます。
暴力性を否定する男性は素敵ですね。
お三方の属していた様々な社会では、女性を介して絆を強めるといったことをしている人はいましたか?
最初に説明を受けた文学費用的な文脈で使われ始めたホモソについてです。
自分自身、男性が多い環境で育ってきて、
強い男性たちが女性の貧病をして、女性本人の預かりしないところで名誉が傷つけられている、
かっこ嘘も含む、という状況を目にしてきて嫌だなぁと思うことがあったので。
学術バー級初めて行ったのですが雰囲気良くお酒も美味しくてリラックスして参加できました。ありがとうございました。
ということでいただいております。ルネッサンさんありがとうございます。
はい、ここは直接的に繋がるところだと思うんですけれども、やっぱそこがみんな気になるんだね。やっぱね。
ここが一番話さなきゃいけないところでは。
このさ暴力性を否定するっていうことがどのように可能かっていうところがやっぱり1個の焦点になるかなって思いましたね。
単純にそれをやらないっていう宣言って誰でも言えるというかね、あれだと思うし。
さっき言った巻き込まれ問題みたいなこともあったり、
さっきの柿内さんの想像力、そういうものをちゃんと考えていくっていうような問題っていうのはありつつ、
そこが暴力性と分離し得るかどうか。
できるとも思うし、できた時にそのいわゆるホモソ的な魅力みたいなものが、
これまで言う魅力って格好好きの魅力ですけど、魅力みたいなものも引き剥がされていく可能性もあるんじゃないかとかってちょっといろいろ思ったりしました。
なるほどな。僕も言ったらホモソの中で育っているんだけども、
この女性を貧強するみたいな会話っていうのが、僕がいる中でそういう会話があんまりされなかったっていうのがあるんですよ。
そうなんだ。
これはゼロではないし、ある程度そこに乗ったこともあるし、なんなら僕から振ったっていう時もあったと思うんだけど、
他の人より多分少なかったっていうのはあって、それは多分僕が女性と一緒に行くことが長かったし、女性と距離が近かったりとか、
多分このホモソの中で、今はこいついるけど、こいつはどっちかというと女性側に立つだろうなっていう匂いがしてたんだろうなっていうことは僕思ってるんですよ。
だから、僕がいる中でこういう話をしたら、こいつは何か言ってきたり、あっちに言ったりするかもしんないなみたいな危険性があったんだと思う。
だからそれをバラすんじゃねえかみたいな危険性。
そういうことを言ってたら最悪だよねって言いそうな感じがしてたんだと思うんだよね。
だからそれでそういったコミュニケーションを避けてたんじゃないかなとか思ったりするんだよね。
僕がいる前では。
なるほどね。
なんで僕がした今回のイベントの中でもそういった女性を貧強する話みたいなのが、僕から出てこないのっていうのはあんまりなかったからっていう。
だから自分がホモソ的嫌だったっていうのの中で、そういうことをお前なんか言えよとか振られたりとかっていうことがあんまりなかったっていう。
たぶん他の人たちよりもその暴力性に女性を貧強するみたいな流れに僕がいる前ではなかったから、
そこが実感としてあるんで出てこなかったっていうのがすごくまず自分の立ち位置としてはあってっていうところで。
だから正直、僕の場合はそれこそ柿内君が言ってることがすごいわかるというか、ファンタジーだなみたいな感じで聞かれたりしたら、すごいファンタジックな話をするみたいな。
そういうないけど、こういったことがあったら面白いんじゃないかみたいな話とか、そういうエピソードトークみたいな。
面白いエピソードトークとかに変えたりとかして話したりして。そういう大喜利だと思ってたんだけど、どうやらそうじゃないっぽい。
たぶん、もしくは僕がそういう毎回エピソードトーク大喜利みたいなんで返しちゃうから、そういう面白いことを言うの無理だと思って言われてたけど、
マジでそうやって貧評したいっていう欲望とか、その征服欲みたいなことが僕は全然よくわからなかったりするんだけども、
そういうのの確かめ合いとしてやりたかったんだみたいなことは、そういうことは僕も実感してないし、よくわかってないから言えなかったみたいなところがある。
ただ、こういうふうに何者、それぞれ女性から言われることもあるし、そういう貧評されて嫌だったって話で一番多いし、たぶん男性の、さっき笹子さんの語りであった中にある中でそういうことを圧を受けて嫌だったみたいなことっていうのは起きてるから、
だからそこから俺はちょっと逃れられてしまってるところがあったなっていう反省と、だからこそちょっと考えないといけないなみたいな感覚があるっていうところはちょっとありますね。
そうだね、これは結構さ、今回僕らは学術的なアプローチだったり、一般的にこうであるみたいな話よりも、
自分たちから見てきたものっていうのはどうだったかっていうのをなるべく素直に開示していくっていうスタイルで、今回のイベントも今の話もしているんだけど、
それで言うと、この3人だとできない話というか、実感値としてアクセスできない話なのかもしれないって思ったね。
元々の告知のノートで僕もナイスな俺たちからいらないと言われた僕の側からっていう文章を書いてるんだけど、
これもまさに幼稚園の頃にスカートめくりをして遊んでた男の子を友達の女の子たちと一緒にハブにしていじめたみたいなことを書いてるんだよね。
僕自身もだからあんまり同性の友達が、これはちょっとイベントの時にもきっかけとしても話してたけど、
同性の友達があんまりうまく作れないまま大人になってしまって、
だからこの中での実際の男の子同士でのコミュニケーションの仕方みたいなものに対しては、
あんまり当事者意識とか実感値みたいなものはあまり持てないまま来てしまっているから、実際どうなんだろうねみたいなところを話そうと思ったんだけど、
鮫君も安倍さんもどちらかというと、実は結構多くの人がそれに対してど真ん中のそういう関わりみたいなものから結構距離があるというか、
自分が周辺にいるみたいな意識が結構誰しもあるんじゃないかみたいなのが浮き彫りになったのが今回のイベントだったかなと思ってはいるんだけど、
そうでない人はぬいぐるみに徹しすぎるかありのままの自分を受け入れてほしいという欲求が暴走して暴力的なペニスとして表出しているという印象があります。
イベント中におっしゃっていた男性は極端であることを良しとするというのは本当そうと膝を打ちました。
なぜ中央でいられないのかあるいは透明化しているのか極端な人だけなわけじゃないじゃんというところ気になります。
男性の辛さはいわゆるホモソの男性間コミュニケーションに由来しているものが多いように感じています。
男性間で辛くならないコミュニケーションが取れるようにはどうしたらいいのか。
女性の立場としても一方的なケア労働からは親子ごめんとしていきたいところなので、一緒に考えていきたいと思います。
志向が次から次へと溢れ出るような良いイベントでした。また次回参加できるときを楽しみにしています。
ということでいただいております。
ありがとうございます。
千葉さんから男性の性欲について聞いてみたいという。
あとこのいわゆる縫いペニ問題。これ聞きそうでいかんかったね。
そうだね。
なんでその辺とかをどう思ってますかみたいな。男性の性欲についてこういうふうに書いていただいてるんですけれども、どうでしょうか。
じゃあちょっと私、阿部です。
これね、さっきの話とも関わってくる部分で、私として私が性欲を持っているんだっていうことを相手にちゃんと伝えるっていうことって、
私は直感的に相当難しいなっていうふうに思っています。
そうすることによって否定されるかもしれないみたいな可能性であるとか、
あとなんだろう、さっきの話と関わらせると周りからあいつなんかあんなことしてるよとか、
なんか最近エロガルみたいな言葉とかもあるけど、あいつまたエロガってるわみたいなこととかって大学生とか見てるとよく話してるんだけど、
そういうようなところで、ここで言うペニスを出すっていう表現は面白い表現だなと思ったけれども、
そういうようなことを気にしすぎるがあまり逆に透明化してるっていうのもいい方だなと思ったんですけど、
透明化しちゃうってこともやっぱりありますよね。
それがあっても、これなんか鮫君とかにも話聞いてみたいところなんだけど、
鮫君ってコミュニケーションの継続がとても上手だと思うんですね。
そこから続けていくみたいなことっていうことっていうのが、
これはイベント見ててもそう思うし、プライベートで関わっていても、
1回のイベントで終わらせないっていうかさ、ずっとそれを友達として続けていくみたいな、
逆に1回がっきりのお祭りで終わらせるのがもしかしたらホモソ的なのかもしれないんだけれども、
その辺なんか鮫君がどういう形で継続を考えてるのか聞いてみたいなと思いました。
継続っていうのは、ペニスとぬいぐるみのあれの春か。
ペニスみたいな形、もちろん性的なコミュニケーションを継続してるってわけじゃなくて、
そこも含めて特に異性との関係を続けるの上手じゃないですか。
それは、鮫君が周りの人にペニスを出してるとかって言いたいわけではなく、
そういうところも含めて、異性と関係を継続していくっていうこと。
たしかに、これは勝手なんだけども、さっき柿内君が言ってたような、
女の子の友達の中にいる男の子みたいな感じのコミュニケーションと、
多分、僕が女性たちといたときのコミュニケーションって、
僕はあくまで男性としてめっちゃ立ってる中に、
割と近い距離でいたみたいなところで、ちょっと距離があると思うんですよ。
だから、僕はペニスがある男性として、割と女性側の方にいたみたいな感覚があるんですよ。
だから、ぬいぐるみ問題って、
僕からすると、ペニスがなくなっているっていうところが正直わかりかねてるところがあって、
この話を聞くたびに、ぬいぐるみっていうのが、その立場があんまりよくわかってないみたいなところがあって、
僕としては、実感として、あんまりこの女に対してうまく言葉を持ってないなみたいな時間があるんですけど。
だから、ペニスを表出させるっていうのが、他の人にとっては適切に出してるところがあるんだと思うんですよね。
そこがどうなってんだろうな。
私、逆で言われたことあるかも。
ペニぬいなんだ、お前はって言われたことがあって。
どういうことなんだよ。
なんかさ、ちょっとわいざつな人間というか。
ワイルドに見えますよね、阿部さんは。
そうそう。
見た目の問題としても、発言の下ネタとか話すところとかもさ、そういうところで見られて。
でも実際あんまり、性欲みたいなコミュニケーションで、他者を欲望するってことはあんまりしないんですよ。
お前どっちなの?みたいな。
なんでそのペニスみたいな見た目してんのに、その中身ぬいぐるみなの?みたいな。
ペニスならペニスで来いっていうコミュニケーションをする人もいるから。
そうだと思ったら、ペニスじゃないんだ、みたいな。
でもそれはさ、正直暴力性を伴ってないから。
言い方あれだな、阿部さんのペニスの問題じゃないですか、それは。
笑っちゃうのはあれなんだけど。
だからそれはそれで別に、そういうことがあるってことは教えてもらってすごいいいし、なるほどなと思うんですけど。
だから反対だと問題になるっていうところですよね、やっぱりね。
そうだね。そこが極めて暴力的に見えるからね。
急にぬいぐるみだったと思った人がそうなっちゃったってね。
うーん、し、今の話逆にすごい大事かなと思うと、だからペニスだってわかってる人に関しては別に、
そんな怒る人は、ペニスだと思ってる人にペニスだって怒る人は多分あんまいないっていう話なのかな。
この今やってる行動自体がそういうことをやってるんですっていうことでもあるかなぁとは思ってます。
これはその答えをね、今後も見つけていけるといいかなと思います。
そうですね。はい、ということでちゃんべさんいただいてありがとうございます。
じゃあ最後にご紹介します。お名前、津田けんきさん。
感想を書くのが苦手なので、現地アーカイブを見ながら思ったこととその後に考えたことをごちゃ混ぜにして書きます。
まずお三方は、ホモソ的な結束を高めるためのヤダミを感じる行動として風俗に行くことや過度な飲酒などを挙げていたが、これに自分はギャンブルも入ってくると思った。
男気ジャンケンもこれに含まれるのかもしれない。
このヤダミを感じる行動が、いわゆる飲む打つ買うにまとまるのが興味深く、かつ根が深そうにも思えた。
この3つに共通するのは、多少の背徳感とリスクを伴うところ、簡単に快楽物質を出せるところだろうか。
そういった状況を共有することによって結束を高めているのかもしれない。
また、その場のノリという言い訳を作ることにより、そういった場に行きたいという欲を満たしているのかもしれない。
じゃあホモソってどこから始まるんだろうと考えたときに、思い浮かんだのが柿内さんがホモソ編歴で挙げていたガトリングハンマー以下、電気アンマーだった。
僕が初めて電気アンマーと出会ったのは自宅だった。兄か父のどちらかが遊びの延長でされたのか最初だと思う。
僕自身は当時もそれも遊びの延長として捉えていたので、特段嫌な気分にはなっていなかったのだが、確かに男同士の間でしか起こらないコミュニケーションである。
ここまではいい。問題なのはこれを外に持ち出したときだろう。
僕個人としては電気アンマーを家の外で人にやった記憶はないが、家と同じノリで外でやってしまったという人も中にはいるはずである。
そういった各家庭などの小さな共同体で子供が男性特有のノリのようなものに触れてしまう。
そしてそれが外に持ち出され、男同士のコミュニティに各家庭から小さな男性ノリが持ち寄られる。
さらにそれが仲間うちのノリとして熟成されていく。
ホモソノリが生まれる要因の一つはこれではないのかと僕は考えた。
この考えに至ったのはシャークさんの地元にあった差別の話がヒントとなったからだ。
おそらく差別も家族や小さなコミュニティ内で垣間見えた差別意識が子供に伝わり、
複数人の小さな差別意識が集まることで目に見える大きな差別になるのだろう。
だって生まれたばかりの子供には地域や家系の差別意識なんてものはないはずなのだから。
親戚やその他、次の世代に対してそういったことはしない、伝わらないようにはしようという凡庸な結論に僕はたどり着いた。
でも改めて大事なことだよなとは思う。
以上が今回のイベントの内容から自分が考えたことです。
全て予想の域を出ないかつありふれた結論ですが、自分にとってはここまでちゃんと考えることがなかったので、
とても有難い機会になりました。ということでいただいております。
津田さんありがとうございます。
ありがとうございます。
今までは言ったら通じて、僕らがちょっと話し切れなかったそのホモソ外の外、
男性から女性とか、男性からその他の性別の肩に向いてるところとか、そういったところのお話だったんだけど、
この津田さんのは言ったら、僕らが話してた男という男、男内の圧みたいなところのお話っていうのを書いていただいてるのかなというところで、
そういった経験とかを持ったところを考えてお話いただいてるって感じですね。
柿屋君どうでしょうか。
そうだね、このガトリングハンマーって多分聞きなじみのない言葉に関しては、
是非ねイベントでその真相を確認してほしいなっていうふうに思うんだけど、
でもなんかここでその津田さんが書いてくださってる話って、
それこそホモソに限らずここにも差別の話だったりね、何も展開してもらっているけれど、
今自分がこうであることであったり、
今同時代を生きる人たちがこのような振る舞いをしているっていうことについて、
その本人だけの、今ここの本人の思想心情みたいなものだけで測ろうとするって多分結構間違いで、
結構今回のイベントで僕も鮫君も阿部さんも自分たちがどういう子供時代を過ごして、
どういう青年期を過ごしてっていう話を話していったイベントでもあったんだけど、
僕これ若い頃ね、そういうのあんまり好きじゃなかったの。
なんか半端な感じがしてというか、自分語りだけで、
なんかそれこそこう理論とか、みんなで共有可能な話を全然してないみたいな、
それ逃げじゃないかというか、
なんでみんな年取ると自分の話ばっかりするんだみたいなことを思ってたんだけど、
この津田さんのお便りにあるように、実は自分がどういう環境で育ってきて、
それを外にどういうふうに持ち寄って、
そこからどういう形で正解だったり不正解みたいなものの価値観が形成されていったのかって、
実はセンスとは別々なんだよね。
この津田さんは多分男の兄弟が多い環境で育ってみたいなことを多分書いてくれてて、
鮫君はさっきも話してたようにさ、
基本的に女の人ばっかりの環境の中でこれまでやってきたみたいな話もあったけど、
やっぱりそういう自分が当時自明のこととして受け取ってきた環境自体が、
結構みんなそれぞれ全然違うんだっていう、
そのことに気が付くみたいなのも今回のイベントの重要なところだったのかなって感じもするから、
誰にでも適応可能な正解っていうのがあるんだっていう、
で、もう1個言うと、やっぱり乗れないやついるんですよ。
そうだね。
私は端っこで乗れちゃったというか、
そういうタイプで、
そこに完全にはまってないけどできちゃったみたいなところがあるっていう意識があるんだけど、
そうじゃなくて、こういうの本当に嫌な人もいるし、
やめてっていう人もいるでしょうし、
まああれですよね、柿内さんのノートで言ったらスカートめくりみたいな話に近いかな。
みなさんとかそういうの全然楽しいと思わないっていう人がいたりして、
でもああいうコミュニケーションがすごい楽しいと思う人たちがいて、
この乗れない人たちに対してどういうふうな目を向けるのかっていうことと、
一方で乗れてる人たちっていうのをどうそれが加害性がないものにしていくのか、
加害性がないものにしていくのっていいことなのかなとかって思ったりとかっていうのはちょっといろいろ考えました。
スカートめくりとかは性的な被害になるからもちろんないはないんだけども、
話して話して言うと肩パンとかね、ちょっと軽く肩をガンって殴り合うみたいなところとかって、
よくはないんだけれども、それがノリの一つというかの中でできる。
ただもちろん例えば体格的に細かったりとかいう子に対して肩パンするとマジでアザとかになるんで、
そういったところとかもあるし、できるできない、ノリが乗れる乗れないみたいなところっていうのはありつつ、
ただそれがお互い頑丈な中でやるものとしての位置コミュニケーションみたいなのの楽しさみたいなのとかっていうのは、
それこそ勝手にやっといてくれやっていうところ。
放送の中で勝手にやっといてくれやの中のいいところみたいな、
互いが了承してる中での肩パンみたいなところとか、ちょっと良くないけど、
飲酒とかもそれはそうだと思うんだよね。あるし、やっぱドラッグはドラッグだから、
飲み合うみたいな、ある程度ちょっとおかしくなるまで飲み合うみたいな、
それも危ないんだけども、そういったところも言ったら軽い暴力というか軽いノリみたいなところには終始されるところだと思うので。
その辺はどう?
アビさんがおっしゃってたような、いいノリの一つとして捉え直すところがあるよな、みたいなところ。
難しいけどね、やっぱね、もちろんサミ君がおっしゃってること否定してるわけではなく、
それをね、肯定していくことがなんだろう、正面切っていいよねとも言えないけど、
やっぱそれがすごく脱色されてったりとか、なんかすごくなんか殺菌されていくみたいな形で、
それこそさっき言ったようなウイルスがどんどんなくなっていった時に、
逆にそれはそれでディストピアみたいな形になっていくような気もするんですよね。
で、こういうある種の身体的なある種の暴力的なものっていうのはあるんだ。
ただ、やっぱ最後のところでやっぱりやりすぎてはいけないみたいな、