柿内くん発信でね始まったイベントっていう感じではあるので、
実際に例えば柿内くんは今までこの男についてとか本層についてってことを文章でいろいろ書いてきた中で、
多少は言及してるかもしれないけど、そんなメインで書いてきたってことはないのかな。
うーん、えっと、自分で出してる本の中で、ベイブ論っていうね、本を作ってるんだけど、
これは映画のベイブっていう豚の映画をひたすら見るっていう本なんだけど、
これの副題があるいは父についての思論っていう形になっていて、
そこの条文に書いたのが今回のイベントの通じるところがあると思うので、ちょっとだけ読んでいいですか。
はい、お願いします。
自身をフェミニストと辞任し、少しでもマシな実践を模索するとき、
父なる者の有害さばかりが意識され、男らしさをそのまま悪なる者と断じてしまいたくなる。
しかし現状を確認したときにすぐさま気がつくのは、妥当すべき父なる者は既に執行しており、
ただ構造としての過不調性だけが残地されているということである。
産ゆと共に赤子を流すというが、むしろ良き父という赤子だけが流されてしまい、
居残った臭い産ゆが男の本質であるように捉えられているのが現在の状況なのではないだろうか。
そうであれば、そんな男は全面的に廃棄すべきであるという印象を受けて叱るべきであろう。
我々はおそらく、今残ってしまっている臭い産ゆを流し切るのと同時に、
大雑把に父としてまとめて流してしまった良き父を下水から救い出す必要がある。
では父において良き者とは何か。僕はこの問いを前に長年立ちすくんでいた。
そのようなものが果たしてあるだろう。 男とは乱暴で汚らしいものでしかないのではないか。
内面化したミサンドリーに阻まれて、自身の性と向き合うことはなかなかに困難であった。
そんな中、ベイブを再発見したのである。 当然飛躍である。本校は映画論を方便としたご機嫌な男性論の試みでもある。
というふうに、ベイブ論という本の序論のところで書いていて、
ちょっとこの時は文章を含め割とふかしているので、
言葉でこうやって喋るとね、少し意味が取りづらい難しめの語彙を使いがちではあったんだけど、
でもだいたいここで書いているようなことが、今も問題意識として連続しているなというか、
結構僕自身が割と、ここで言うとミサンドリーなんで、男性嫌悪的な考えを割と自分の中に強く根付いており、
なんかバッチリだしガサツだし嫌だな、みたいな気持ちが自分に対しても結構強くあるんだけど、
なんかそれによってね、引き受けなきゃいけない余儀部分というかね、
今このさっきの本の中では父という形で言っているけれど、
それなんか不正みたいなことだけではなくて、単純にその責任を負う主体であるとか、
それこそ弱気を助け、強気を駆逐的なものだったりね、
そういうような人に何か優しくするとか良くするみたいな時の一つの指針というか、
それは強がりだったり疑問であったりしたかもしれないけれど、
でも結果的に人に優しくできるような方針だったんだったら、
良き効果自体はあったじゃんみたいなところを、
先にそっちの良い部分が男ってダメみたいな話の時に流されがちで、
悪い部分だけが残っちゃってるなみたいな感覚が非常にあって、
そこでどうすればいいんだっけみたいなことを今回も遠回りしたりしながら考えられたら良いのかなと思ってる。
なるほどなるほど。
ベイブロンはちなみに何年に出した本になるんかい?
2023年かな。
うーん、じゃあそっから3年経ってっていう感じで読んで繋がれる本だと思うんですけど、
なんかそういう、またこのイベントで終わった後にその逆に鍵内さんの3年前のアプローチにアクセスして読んでみるみたいなのも、
また楽しめる動線としてあるかなと思いながら、そういう意気込みも。
そうだね、会場にちょっと何冊か持ってこようかな。
ぜひともっていうところなんで、その辺の動線もいろんな、いろんなところに繋げれたらいいなという、
この3人でやるっていうのも僕にアクセスしてくれてる人、鍵内くんにアクセスしてくれてる人、
安倍さんにアクセスしてる人みたいなのがそれぞれ違う動線でいろんな刺激になったらいいかなと思うので、
なんか鍵内くんはそういうすでに本を出してそういうところを考えたところがあるっていうのは、
よりいろいろ広がるきっかけにもなっていいだろうなと思いながら、意気込みを聞かせていただきました。
はい、じゃあ次に安倍さん、阿部廣二さんから自己紹介と今回のイベントについてどんな感じでみたいなモチベーションと教えてもらえればなと思います。
はい、今回シャークサメ君と鍵内将軍君と一緒に登壇させていただきます、阿部廣二と申します。
簡単に自己紹介をすると、基本的には大学と仕事、大学で仕事をしつつ、こういうちょっとカルチャー寄りのというか、
やってることは心理学とか社会科学の研究を大きくはしてるものになります。
かつ、学術バー級でさっきほど鍵内くん、サメくんがサメ大社こうやってるコミュニカティブバー花火っていうところで、
たまに私もイベントをやってたりとか、普通に楽しい場所なんで、昨日も言ってたんだけど常連としてお店で遊んでるようなものになります。
そういうような形で男に還元されて、男であるってことを押し付けられるみたいな印象を持つこともある。
そういうものを、もちろん今まで男性だからって言ってきた人たちの意義みたいなことを否定するつもりもあんまりないですね。
そういう思考も大事だから。それでやってみえてきたことっていうのはいっぱいあって、
それで議論できることもたくさんあるから、全く無意味ではないと思うんだけれども、
せっかくだったら、この2人で話すなら、みんなが
男性であると言われた仕草の中の男性じゃない部分っていうのをちゃんと見ていきたい。
さっきの、さきのえさんの言葉で言えば、ある種の残り湯の中の多様性をちゃんと学ばしていきたいっていうのはある。
そうじゃないと、お父さんの一番臭かった部分って見えてこないんじゃないかなって気がしてて、
ちゃんとその残り湯の中の何かっていうことをちゃんと見ていって、
これやっぱりお父さんだよねっていうところもあるはずなんですよね。
でも単純にほら、単純に水が古くなった可能性とかも全然あって。
うーん、それが何なのか分かんないとね。
そうそうそう、っていうところもあると思うので。
もちろんそこはお父さんを無視するっていうわけではないんだけれど、お父さんの何かを無視するわけじゃないけど、
そうじゃない部分っていうものも一緒に考えていく中で、
改めてお父さん性みたいなこととか、私たちの男性性とか、そういうものを浮かび上がらせていく。
そういうようなことができるといいかなっていうふうに思っております。
っていうのが意気込みでしょうか。
はい、ありがとうございます。面白い話で。
まあそろそろ全然ルーツも違えば、育った地域とかって別に今言っても大丈夫ですかね。
僕は、書き換えしたいと思います。
僕、名古屋です。
僕、京都で、安倍さんは群馬でしたっけ。
群馬ですね。
そう、なんでまあそろそろ北関東、東海、近畿と、まあ関西の中でもいろいろあるし、もちろん東海の中でもいろいろあるし、北関東でもいろいろあるんですけど、まあそれぞれ違って、
まあ年で言うと、僕と書きなり君は同い年、91年生まれで、安倍さんがちょっと上で何年生まれでしたっけ。
88年生まれですね。
88年生まれ。まあと言ってもまあ3つぐらいしか変わんないんで、
まあだいたい同世代、まあ30代後半に我々もなってくるかなという感じの世代で、
時代感覚とか、世代の感覚みたいなところは共有しているところもあると思いますし、見てきたものとか、
それぞれの生活環境とかね、影響を受けたものとかは全然違うんで、
めっちゃ違うところもあれば、なんか同じようなものを多分見ていたこととか、同じような特性を持った友達だとか、
同じような男たちの中にいたみたいな経験もあるのかなっていう。
なんで今回は、第1回はそれぞれみんなの話が聞けたらいいなとか、
そこでいろいろ付き合わせてお話できたらなというところが、まずは。
まずはってこれ何回やるんやって言ってましたんですけども、
僕としては引き続きやっていくことにすごく意味があるというか、と思ってるんで続ければなと。
第1回もする前からこんなこと言ってていいんかというのもあるんですが。
めっちゃいいと思いますけどね。
とは思っていて、さっき安部さんがおっしゃってたところで、
多分その安部さんももちろん研究とかをしっかりされていたし、
加木内君も自分で本を書いて勉強したりとか、
僕もポッドキャストを配信する中でいろんな事実に基づいて喋ることが大事だと思ってるんで、
いろいろ個人的に勉強を野良でやっているという感覚があるんだけども、
その言ったらお父さんのくさいところがわかんなければならないみたいなところっていうのは、
ジェンダーの研究をされている人は、されている人の中でしっかりお話したりしっかり調べられたりしてると思うんですけども、
一般的にもうやっぱり男って女ってみたいな話とかするときに、
言ったら学術的なアプローチとか、事実に基づいたアプローチというか、
しっかりじゃあこれがどこまでどうでどうなんだろうねみたいなところを全部見ようとするみたいな姿勢。
全部一回自分たちとか先人たちの研究とか書いたことにアクセスして、
じゃあ僕らはどうしましょうかっていう。
僕はこれしかないと思ってるんですけど、あらゆる言葉とかあらゆる生きていく中でこれがすごく欠けていて、
でも必要だからこういったことをやりたいと思っているっていう感覚があって、
そこは3人共通してあるところで、
それぞれ言ったら専門みたいな感じはないと思うんですけど、こういうジェンダー論みたいなところは。
でもそれでもそういったアプローチをしていく中で、
ただ自分たちの健康で文化的な生活のために喋っていきたいなっていう感じのアプローチでいけるのかなっていうふうに聞きながら、
お二人のお話を聞きながら思った次第ですね。
今回やるところが学術バキューっていう、
それこそ専門地にいろんな人がお酒飲みながら楽しくアクセスできるみたいなところでイベントをやるわけだけれども、
今さなみくんが言ってくれたように、
基本的に学術というか勉強してそこで得られる知見と、
我々が当事者として実感していることっていうものは必ずしも一致はしない。
というか、基本的に理論だったり抽出していくものっていうのは抽象化されていくから、
具体とはだんだん離れていくものでもあるんだけれど、
僕個人としては学術的なアプローチの一番いいところは過度な一般化を避けていくことだと思うんだよね。
要するに自分の実感だけで男とはみたいな話をぶち上げちゃうのって、
過度に一般化してるんだよね、自分の実感を。
そうですね。
自分の実感としては本当なんだけど、
それを男全般にしてしまった途端にそれはちょっと変わってくる。
やっぱりそこのバランスをどう取るかみたいなのが結構大事だなと思ってて、
個人の実感は実感で必ず大事なものだし、
とはいえ、それだけだと人といい具合にシェアできる次元ではなくなってしまう。
それは一旦君にとっては本当だけど、
人と共有し得る形にそれをどういう形にしていけば渡せるかなみたいなところを考えていくっていうのが必ずセットじゃないといけないと思っていて、
今回は単純な3人の素敵な語りっていうのを思う存分やるためにも、
一応勉強してきたものを持ち寄るみたいなところを両輪でやれたら理想だなっていうのは思ってるかな。
なんか今聞いてて、スピード感どう考えていくのかって結構大事な話なのかなっていう気がちょっとしてきてます。
やっぱサメ君がさっきおっしゃってた、第一回でこれでいいのかって、
逆に言うと、なんか正解がある感じがしてるんですよね、我々イベントって。
例えばこの3時間だったら3時間のパッケージで男性性について考え終わり、ある程度の答えを持って帰るみたいなこと。
これはある種の、さっき柿内さんがおっしゃってた一般化って言われるようなことと無関係ではない。
いろんなことあるけど、結局はこういうことだよねっていう形で理解をして、
一般化って私基本的には理解のためにあると思うんですよね。
個別具体で全てのことを考えることはできないから、一般的なものとして思考していって、
理解したことにしていくっていうことに一般化の効果としてあると思うんだけど、
そうじゃなくて、考えるゴールがイベントにあるんじゃなくて、
そこから考え始めていくっていうようなことの、
スタートにあるようなイベントになるといいなっていうふうに思ってます。
だから速度を上げすぎなくてもいいんじゃないかな。
もちろんそれは会場で盛り上がったらすごくいいことだと思うんだけど、
なんかでもそれさって言うってなんだろう、
男のりで言うとなんかさ、心機臭いとかノリ悪いみたいなそういう発言とかがあっても全然いいんだと思ってるんですよ。
それ自体を考えたいし、もちろん盛り上がったらいいけど、
いやそれってどうなんすかね、みたいなところっていうのを
スピード下げて、速くしすぎないで考えていくってこともまあいいのかなっていう。
大事なのかなっていうのはすごくある。
大事ですね。なんか僕今回目標として、ちゃんと気まずくなろうってちょっと思ってます。
なんだかんだ私たち3人も、
ことについて書いていて、
で、
サメ君は60点で合わせようやっていうね、
これまた非常にいい文章、
それこそ多分、
僕や安倍さんがどちらかっていうと、
もうちょっと男子ノリの可能性を探ろうとしている中で、
いやあんなの最悪やったぞっていうのをね、
こうちゃんと指してくるっていう形で、
それこそいいバランスで、
3人ともエッセイを書いているんだけど、
なんかあんなかで言われているその、
安倍さんが書いているフードコートの憧れの男子のイケてるっぽさみたいなもの、
でもそこであったノリの規制って、
なんかみんなを60点で合わせようみたいな方向でのノリだったかもしれないみたいな、
こうサメ君の指摘とっていうのが、
なんかそれを更新する感じにできたらいいなというか、
この3人だったら、
ある種、フードコートで食べるときに、
そのフードコートが単純にその市場ノリだけに収まるわけでもなく、
さらにそこで目指されるのは常に100点なんだ。
俺らで100点を目指していこうぜみたいな高め合うような形での、
なんか別のノリに移行していくみたいなことも含めて、
試してみれたらいいんじゃないかなみたいなことを、
なんか割とね、お二人の文章を読んだりしながら考えていました。
ほんとそうですね。
あとは柿内君がもちろん書いてくれてるやつとしては、
多分僕、安倍さんって結構近しい経験というか、
どっちかというと男同士の中で結構やれているというか、
それぞれ嫌だったり、適応してやった部分はあるっていう感じながらも、
男の中で育ったっていう感覚が僕と安倍さんにはあるような気がしてるんだけど、
柿内君はちょっとそこには入れなかったからの憧れというか、
どうなんだろうみたいなところがあるっていう文章だなと思うんだけど、
その辺とかそういう認識でいいんかな?
そうだね。このイベントでお二人に声かけてるのも結構そうなんだけど、
僕はあんまり男同士の関係性みたいなものはあんまりうまく作れてこなかったんだよね。
それこそフードコートに呼ばれない側としてやってきた感があるから、
実際自分としてはどっぷり本物に使ってそれを内面化してしまってみたいな自覚はそんなになかったんだけど、
それこそ最初にベイブで話したような形でやっぱり通じるんだけど、
安倍さんと柿内君と友達になってから、
この人たちめちゃくちゃいいなって、ナイスだなって思うときに、
で、その二人が持ってるナイスさをやっぱり僕は持ってないんだなって思うときが結構あるんだよ。
この二人はちゃんと男の子をやってきた人たちのナイスさなんだろうなって感じるの。
で、その時に単純に男子ノリみたいなものが完全に全て悪なんだって言い切れなくなる一つの根拠にもなってるんだよ、お二人は。
お二人が培ってる人との接し方とか話し方とか振る舞いとかっていうものの中に、
ちゃんとその人に必然性のある気遣いとかを感じるんだよね。
で、逆に言うと僕はそれを持たないままここまでやってきてしまったなっていうのをたまに感じるんだよ。
で、なんだけど逃れ難く男であることに変わりはないから、
なんかそのね、男の所持方をむしろちゃんと身につけているのは、かつてその男ノリの中にちゃんと一回いけた人たちの方が持ってんじゃないかみたいな。
で、今からそれをそのまま再生産するのはちょっとナンセンスだなとは思うんだけれど、
でもやっぱりそこをちょっと学んどいた方がいいなみたいな。
なんかその外側で、自分がその男子ノリに参与できなかったなって実感があるからこそ逆に、
なんか男子ノリの悪いところだけを温存しちゃってて、
自分の中で相対化できてないというか、まだその表に上がってきてないものとして、
えぐい形で残っちゃってるんじゃないかなみたいなね、感覚が。結構強くある。
そこをお二人と話す中で、いやいやそれは男だからとかじゃなくてお前がクズだからだろうとか、
逆にそこはもうちょっとこう気をつけた方がいいかもねみたいな話とかもできたらいいなと思ってて。
外側に、人事として見てたからといって、自分が男であることがなくなるわけじゃないはずなのに、
なんか相対化して男って嫌いよねみたいな話をこれまでし続けてきたことによって、
ごまかしてきたところかなりありそうだなみたいなことを、これはまだねあんまり上手く言えないんだけど、
ぼんやり予感してるって感じ。 だからまあ端的に言うとお二人はなぜそんなにナイスなのかっていうことを、
ちょっとこう自分なりに探っていきたいなみたいなところもある。
なるほど。 なあ、逆な感じだけどなあ。
柿内さんのナイスさみたいなことって、やっぱサメ内社交のお二人にやっぱ聞きたいんだけど、
このなんか、柿内のナイスさがスイングしてあのイベントになってるんじゃないんですか?
どういうイメージなんだろう?
それはそうだと思います。
うん、それはそうだとは思いますけど。
柿内さんはサメ君に対して多分なんか持ってないものを、自分が持ってないある種のナイスさを持っている。
しかもそれはある種のホームソーシャルの中で、おそらくちゃんとそれを経験してきて、
それにどっぷり使ってるとかって言いたいわけじゃないと思うんだけど、
獲得したある種の眼差しがあるって思われている気がしていて、
サメ内社交ってとっても面白いのが、そういう意味で言ったらジェンダーバイアスそんなないイベントで、
そうですね。
一応、僕はポッポっていうところとか、
フードコートっていう場所って、
伊藤洋門っていう館の中なんだけど、
一応いろんな人が出入りする密室じゃない空間っていうのだから、
割とナイスなものが見つかるかもしれないみたいな。
で、僕の文章はそれを受けて、
物質とか玉売り場とか誰かの部屋っていう密室っていうのだから最悪だったっていうのを書いてるんだけど、
やっぱり物質とかって、教室とか学校っていう、
もっと伊藤洋門みたいな資本のものと、
教育機関っていうのでは緊張感というか抑圧度が全然違うんで、
その中でのさらに密室っていうのになると、
なんかすごい最悪の最悪、ソドムの位置みたいなことになっていくんだよな。
でもそれってこれは多分、場所だよねっていう話なんですよね。
男のヤバさは場所によって増幅されてるんかもしれんよねっていう話にできると思うんですよ。
だからそれはもしかしたら、コミュニティとか場とか建築の人からのアプローチで、
心理的な抑圧からみたいなことにアクセスできるかもしれないみたいな。
なんでこういうエッセイ書いた段階でも、
こう3人の中でそれぞれいろんなものが見えてくるっていうのは面白いし、
なんかこういったことがやりたいなという感じですね。
あとはやっぱ柿内君の初めの動機のところでね、
中村拓哉さんの秘宝家の中村拓哉さんのポッドキャストの中で、
天才を見つけるみたいな、男の中で天才を見つけるみたいな話、
っていうところにすごいヒントというか、
なんかそのポジティブなところを柿内君は感じてるのかなっていうのを持ってて。
なんかあれもやっぱ中村さんの言葉で流石だなというところは、
ポロッといった言葉なんだろうけど、天才っていうね、なんでもない男たち。
だから男っていうんじゃなくて、その違う名前をつけるみたいな。
しかもそれは天才と呼ぶみたいな。
なんかそういう置き換えによって全然景色が変わるみたいな。
言葉の置き換えみたいなところっていうのとかも、
なんかそういった言葉のほうに可能性を感じてるのかなっていうふうにとか、
僕は読んだりとかしてて。
あれは本当に100点を目指そうっていうある種閉鎖的なノリの中で、
いかに100点というか、突き抜けた天才を発見するかみたいな、
そういうポジティブな行動のほうにフォーカスを当ててる、
お語りだなっていうのを感じるから。
だからなんかそういういろんな人の言葉とか、
みんなそれぞれ持ち寄ってきたりとか、
じゃあこういう分野でっていうところもしゃべれるとは思うんですけど。
大変のね、いろんな形での語り直しっていうか、
男らしさみたいなことで見えなくなってきちゃったものをちゃんと、
そういう部分もやっぱあったよねって言って。
その語り直しの可能性が今とにかくないから、