タイパの概念と感情
喪失感は、突然に、第26回目の配信です。
今回は、タイパの対岸に立つ、です。
なんか、これタイパの対岸っていう風に、なんかこうね、パッと思った時に、
おお、ゴルがいい、でもちょっと、良すぎる、良すぎる?なんかちょっと変な、恥ずかしい感じもちょっとあったんですけど、
でも、なんかこう、タイパの対岸で走ってみたいと思って、
それで、ポッドキャストで喋ってみようかなと思いました。
タイパ、もうすごいね、よく言われる言葉、とはいえ周りで聞いたことは実際ないんですけども、
タイムパフォーマンスですよね。
その、かけた時間によって得られる効果や満足度で、
タイパが良いとか言うと、短い時間で効果や満足度が高いって形になって、
タイパが低いとか悪いとかって言うと、かけた時間、長いのに全然満足度が高くないみたいな感じで使われるようなんですけど、
もちろん私は使ったことないし、実はコスパもそんなに使ったことないから、どちらもピンとこないんだけども、
でも、タイムパフォーマンスや早い時間とかで効果を上げるってことだと、
なんかこう、喪失とかっていう心の気持ち、気持ちの問題というか、
感情とか、そういったところには当てはまらない概念だなーっていうふうに思ったんです。
例えばこう、悲しみとか辛さとか、そういったことを気持ち的には早く解消したいとかはあるし、効果的なことはきっとあると思うんですよ。
ノートに書く、すっごい怒ってしまったとか、悲しいなった時に、ちょっと冷静になってこう、紙に書いてみて落ち着かせるってなると、もしかしたらタイパーが良いっていうふうにも思ったりはするんですよ。
ずっと怒ってるより良いし、辛くないし、悲しんでるより良いしとかって。
でも、一時の感情では、そういったことでやり過ごすことでタイパーっていうことは考えられるかもしれないけども、
自分がこう歩んできた悲しみみたいなものに関して考えると、短いとか長いとか、そういったものが、なんだろうな、大丈夫だと思ってたけどダメだったみたいなこと結構いっぱいあったから、
これやってみて、これすごい良かったとか思っても、全然何年経ったらダメだったみたいなこともあるし、効果とかが分かりにくい。
カウンセリングの重要性
おそらく、辛いとか悲しいとかというふうな時に、いろんなことを手段的にはたくさんあると思うんですね。
もう一つに診療内科に行くとか、カウンセリングに行くとかっていうことがあると思うんですけど、それも短くタイパーだと思うんですよ。タイムパフォーマンスだと思うんです。
その良くするために、短い時間一人でずっと考えていてもラッチが開かないと、答えが見つからないから専門家のところに行って話を聞いてもらいましょうってなるわけだけど、
そこへ行って、1回、2回、人それぞれなので絶対がこうだというわけではなくて、人それぞれだし、本当にいい先生だったりとか、カウンセラーの人とか相性が合うってなった時に、
もしかしたらそれはタイパーが良いっていう風になるかもしれないけど、絶対じゃない。
めちゃくちゃ時間かかっちゃう場合もあるし、めちゃめちゃ時間かかっても、でも満足度、効果、そもそも満足度とか効果みたいなことが、そういったこととかけ離れてるから、そもそも一番の最初の問い立てが変じゃないかって思いつつも、
でもタイパーの対岸に立つっていうのをちょっとなんか思い浮かんだ時に、なんかその縁に自分がいるイメージができてしまったんですよ。
いや本当タイパーとかっていう考えられる領域じゃ全然ないしって思ったから、それでもね、さっき繰り返しになるんですけども、悲しみや苦しみがいつまで続くんだろうかっていう、無限の時間をやっぱりちょっとでも短くしたいっていう風に考えるわけですから、
タイムパフォーマンスが良い何かをしたいっていう、欲じゃないな、すがる思いは消えない。でもタイムパフォーマンスが良いからじゃあカウンセリングに行こうっていうような先にタイパーのことを考えてしまうと、
なんかこうフォーマンス転倒というか、自分の気持ち、早く悲しみだと難しいなぁ、向き合えないんじゃないかなぁと。
たぶんタイパーっていうのを気になるのは、私はすごい時間がかかったと思っているんです。その20年30年近く。もちろん今でも悲しかったりとかはしているし、ただ全然毎度違うんですよ。
悲しくなくなったわけではなくて、悲しみ方が変わったというか、突然やってくる何かっていうのはもう私は自分がコントロールできるものじゃないから手放しているし、そうなった時の対処というか、対処は何もしてないんですけど、泣くだったりとか、また来たなぁとかっていう想定内という風になれた。
っていうものが、もっと早ければよかったっていう思いは消えないんですね。
だからこう、早ければよかったのかっていう、もう私は私でしかないから、もうここまでかかった私っていうことと、それとは別に、じゃあどうしたらよかったんだろうかっていう考えることも、
なくならないから、それを考えていく。というので、こういうポッドキャストもやっていますし、遺族の方の支援だったりとか、そういうことを考えていきたいというふうに思っているんです。
もしこういう感情のものに対するタイムパフォーマンスが良いものっていうことを考えるとしたら、もしかしたらAIが今何かできるのかもしれないけども、とはいえAIカウンセラーとかAIで死に向かってしまった人たちがいるっていう現状もあるので、
一概にこう、デジタルとかが良いとはもちろん思わないんですけども、ただ、人手不足もあるでしょうし、ちょっと前にこう相談するかしないかできないかっていう話の中で、人に相談がしづらいとか、人に迷惑をかけてしまうとか言った時に、
やはりデジタルの何かに頼るっていうことで、一人じゃない時間を過ごせることが、自分の辛さを少しでも解消していく手助けになるかもしれないし、
もっと身近になる、スマホを持ってる人が結構大半かと思うんですけども、例えば、対面のカウンセリング、オンラインのカウンセリングでもいいですけども、やはりそこには時間が伴ってて、予約しなければいけないとか、予約した後待つ時間があって、かつ話しするにも時間が決まっていて、
そこだけで結構膨大な時間がかかると思うんですよ。それが他の方法、今はないかもしれない。少しずつあるかもしれないけど、こう自分のタイミングで相談できる何かツールとかあるとしたら、もしかしたらそれはタイムパフォーマンスが良いものになるのかもしれないな。
AIと心の問題
本当でも、ものすごいそれは簡単にできることではないと思うんですね。実際、アメリカでキャラクターAIっていうものを作れる会社が、キャラクターAIって会社なのかな、自分で好きなAIが作れるサービスがあって、
それと話をしていく中で、死に誘導されて自死してしまったお子さんがいらっしゃって、今その親御さんが裁判を起こしていて、キャラクターAIの会社とそれを出資したGoogleを訴えているっていうようなものだったりとか、
やっぱりAIカウンセラーも問題になっている部分もあるようで、一概、簡単にデジタルに移行してタイパーが良いみたいなところで、心の問題が扱えるのかって本当難しいと思う。
私が考えるのは、タイパーが良いから、デジタル、AIとか使うとかいうのではなくて、今自分が辛い悲しいっていう、たった今どうにかしたいっていう時に、すぐに手を伸ばせば繋がれる場所がないかっていうふうにずっと考えています。
それが結果的にタイパーが良かったっていうふうに思えれば、タイパーっていう言葉も悪くない。タイパーの対岸に立つっていうふうに、もう全然かけ離れたとかいうふうに初めしゃべり始めたんですけど、
その目的が時間を短くするということではなくて、結果的に時間が短くて良かったっていうふうになれれば、やっぱりその人生において他のこともできる時間になるし、
でもね、どっちが良いとか悪いとか、正直本当それが言いがちになってしまうんですけど、タイパーが良い方、時間短い方が良いって言ってしまったものの、別にタイパーが良いから良いわけじゃない。
私は時間がかかったけども、それでもやはり今だからとか、時間がかかったからこういうふうにいろんなことを思えたっていうふうにも思えるし、全てタイミングだったと思うんですよ。
結局この受け入れてるだけなのかな。長くて良かったなんてやっぱ思えないな。
後々自分がやってきたことを振り返っていろいろ考えると、もっと早く認知行動療法をやってもらっていれば良かったんじゃないかなと思ったんですよ。
自動思考になってしまうこういう自分をどういうふうに考え変えて行動していくかみたいなことっていうのを、似たようなことをやってたんですよ。
だからきちんと体系化されているものだから、やってもらえる病院とかに行っていれば20年も30年もかかんなかったんじゃないかなって思うし。
この話してしまうと堂々巡りなんですけども、そもそも自分がサポートとかケアとかされる側だと思ってなかったから、自分は大丈夫だって思ってしまってたから、そんな繋がれるわけもなくっていう感じなので、タイパー悪い。
病院に行く決断
タイパーを考えられる思考だと、たぶん合理的に物事を進められると思うんですよ。
合理的にとか、そういうふうな気持ちにならないから大変だと思うんですよ。
勝手に感情やってくるし、この辛いのやってくるし、やる気になろうと思ってもやる気出ないしとか。
だから合理的に考えられるときはまだ元気なんじゃないかなと思って。
だからそういうときに時間のことを考えるのは悪くないのかもしれないな。
今何か思い出した。私がタイパーを考えたわけではないんだけども、結果的にタイパーが良かったっていうのは、
お兄ちゃんが亡くなってから1週間寝らなくなったら病院行こうって決めてたことが私にとってタイムパフォーマンスが良かったことかもしれない。
早かったかもしれないんですけど、寝れなくなったら、もしかしたら病気の始まりになってしまうなっていうのを思ってしまっていて。
だから寝れなくなったら病院にとりあえず行こう、診療内科行こうって決めてて。
それで実際に寝れなくなった時があって、その時に幻聴みたいなのが聞こえたんですよ。
今思うとただのちょっと夢だったのかもしれないんですけど、
お兄ちゃんの声っぽい人が耳元で、お母さんが階段から落ちたっていうふうに申し訳なさそうな感じの声が聞こえてパッと起きたんですよ。
今のは夢なのか幻聴なのかって分かんなくなっちゃって、これはもうちょっと病院に行こうと思って。
それで病院に行って、睡眠導入剤かなとカウンセリングを受けたんですよ。
1ヶ月ぐらい通ったのかな。だんだん2分ぐらいの診療とカウンセリングでセットだったのが結構お金かかったんですよ。
毎週行ってるとこんなの毎週お金使えないしって思って、
それが絶対寝てやるぞと思って、強い意志の下を寝れるようになったっていうのがあって、あれはだから早く行ってよかったな。
結果的にタイパーが良かったっていうふうに言えるね。だから結果論でしかないよね。
でも世間で言われてるのはきっと違うよね。これタイパーがいいから。
まあ逆ではあるけども、結果的にね、やっぱり良い方が、というか時間がかかって効果や満足が高かったって。
タイパーがどっち?分かんないね。私今日はタイパーって何回言ったんだろう。
今まで一度も言ったことなかったんですけど、もう一生分言った気がする。日常で言わないし、コスパだって私言ったことない気がするから、もうきっと言わない気がするタイパーですが。
改めて今日しゃべったことによって、自分の心霊内科に行った経験を振り返って、眠るってことに対して心霊内科に行ったことはタイパーが良かったっていうふうに思えたっていうのは、割とまさかな感想でした。
ということで、今回はタイパーの対岸に立つっていうことを発してみたいということから始めたポッドキャストでしたが、全然対岸に立ってなかったなというのが結論ということで、今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。