喪失の瞬間
喪失感は突然に、第29回目の配信です。
今回は、辛すぎて何も感じなくなったときについてお話ししたいと思います。
前回の時に、6月っていうのが、ちょうど兄の命日のすぐ後ぐらいなんですけども、
いろいろ思い出すことがいくつもあって、その時書いてた日記、メモというかが、iPhoneのアプリで書いてたので、
いろいろ上がってきたりするんですけども、大体1ヶ月ちょっとぐらいっていう、今それぐらいなんですけども、
全然、亡くなったすぐの時よりも文章量が増えてて、文章量が増えてるっていうか、短い文章が何度も何度も書かれてる状態。
短文が何個も投稿されてる感じなんですよ。
そこでいろいろ見ていたら、兄が飼育していた古代魚、ガーパイクっていうのがいまして、今は申請しないと飼えないのかな。
うなぎみたいな結構長いやつで、白でガーパイクっていう種類の古代魚に入るんですって。
ガーっていう名前をつけてて、兄が亡くなる前に数ヶ月入院してたんですけども、たまに餌をやったりとかしてたんですね、私が兄の家に行って。
部屋片付けたりとか。最初は全然、なんだこのうなぎみたいなやつとかって思ってたんですけど、だんだん兄の部屋に行くときに見ると目が割とクリクリしてて、だんだん可愛く見えてきて。
餌もね、1ヶ月2ヶ月あげなくても大丈夫みたいなことを言ってて、一度お兄ちゃん半年ぐらいあげなくても生きてたとか、わけわかんないこと言ってたんですよ。
でも一応どうすればいいかって聞いて、餌あげたりとかしてたんです。
亡くなってからさあどうしようと思って、結論から言うとですね、兄の家から引っ越ししたんですけど、その次の日に死んじゃったんですよ。
専門の引っ越し業者、引っ越しっていうのかな。椅子をしてくれる業者さんとかもあったけども、ものすごく高くて、友達に相談したら一緒にやってくれるっていうから、どうしたらいいかちょっとわからなかったから、
そういった専門のお店にちょっと相談してみたらすごい親切に教えてくれて、それで兄の部屋でどういうような配線になってたかって写真撮ったんですけど、それで無事に自分の部屋に連れてきて、
水槽もね、すごい汚かったからすっごい綺麗にして、ライトとかもつけて、これから一緒だね楽しみだとかって思ってたら、兄ちゃんの部屋ではヒーターが実はコンセントを抜けてたのか、抜けてたんですよ確か。
それで私はコンセント入れちゃって、それでヒーターのメーターとか温度の調整のところとかがおそらく壊れてたのか、めちゃくちゃ温度が上がっちゃってて、朝起きたらなんかこう上に浮いてて、水槽に手を当てたらめちゃくちゃあったかくて。
いやマジでなんでだよみたいなことを叫んだ記憶があって、それで水槽に手を当てながらあったかさ感じながら、何も考えられなくなっちゃって、涙も出なかった。
辛いとか悲しいとか、何の感情もなく、その場で仰向けになって寝てずっと天井眺めてたみたいな、あの時に感覚?感情というか、麻痺してしまったような感覚で。
引っ越しとその後
兄が亡くなった時は、辛いとか悲しいとかいろんな気持ちが頭の中がいっぱいブワーってなったのに、母が死んだ時は一切何も感じなかったというか。
どれくらいボーッとしたのかちょっと覚えてないんですけども、なんか母に電話して、そしたら今すぐ家からつって来てくれて、それでその日確か泊まってってくれたと思うんだけど、
せっかく来てくれたから、手続きいろいろ兄の亡くなってからの手続きやらなきゃいけないことがあったから、その日もやってっていう感じで、なんか今でもちょっとね、ガーのことを考えると結構悲しいなと思って。
最初にこう思ったのが、兄が亡くなったのは私だけのせいじゃないけど、ガーは私が殺したなっていうふうに思ったんですよね。確実にもう私のせいだった。
もし引っ越しした後、友達とご飯食べに行って、その時はもうヒーターついてたはずなんですよ、電源全部入れたから。
ご飯食べに行って、寝る前に水槽に手を当ててみればすぐ気づいたのに、たぶんしなかったんでしょうね。
だから何時間なんだろう、3,4時間?4,5時間ぐらいしか私は自分の家で水槽を眺めてないというか、水槽を置く台買ったりとかして楽しみにしたんですよね。
お兄ちゃんの分身のように思ってたのかもしれないなと。兄が腕を怪我して入院している時に、もし退院したらガーの世話とかも大変だろうから、家で引き取ってもいいみたいな話をしたことがあって。
そしたら兄が絶対お前は無理だよって言われたんですよ。なんでだよみたいなことを言い返したんですけど、本当にその通りになって、1日も育ててあげられなかった。
なんかそう思うと今でもなんか辛いなーって。なんかあと今日、ちょっとね、ガーのこと思い出して悲しくなったりしてたんですけど、こういうのって実際以前の日記を読まなければ思い出すこともなかった。
そういうときに、自分の中のバランスをとっている部分があるのかなーって思うし、そういうときにわざわざ悲しむために読むつもりではないから、もしその日記を読まなければ思い出すことができるかもしれない。
そういうときに、ガーのことを思い出す機会ってほんとなくなって、兄の家にいたときに写真も動画も結構撮ったんですよ。
兄の家に行くときってだいたい部屋を片付けに行くときだったんだけども、仕事終わってから行くから疲れてるし、なんかちょっと嫌だなーとかって思うときもあったけども、ガーのことがすっごい可愛いと思うようになってから行くのは結構楽しみになってて。
話しかけてこっちに来ることはないんだけども、なんかすごいね、動いてるか動いてないかよくわからない感じで浮いてるんですよ、その魚、古代魚、ガーバイク。
だからずっと見てないと動いてるのがわかんなくて、気づくと浮かび上がってきたりとかしてて、だからずっと見てるのが楽しくて。
家に来るのをすごい楽しみにしてたの。なんかたくさん思い出作れるといいねーぐらいのことを日記に書いてあって、数日前の。それもなんかね、数日後にもう死んじゃっているんだけども。
感情と記憶の交差
だからこの喪失とか悲しみとか辛さとかっていう、そっちのちょっと辛い方の気持ちとか思い出とかと、同時に楽しいとか可愛いとか、なんかそういったプラスの感情がもうセットである。
それはお父さんもお兄ちゃんもガーもそうで。なのでなんかこう、読まなきゃ悲しむこともないのにって毎回思うんだけども、でも毎回これ読んだからあれもこれも見ようと思ったよなとかって思い出すから、相反する気持ちをまるっと持ち続ける人生みたいな。
この時期の昔の日記は、やっぱこう生々しいものが多くて、言葉も結構淡々と死にながら鋭いから、ちょっとしたことでこうグサッて刺さる。
数回前に過去の私にわかってるかみたいなことを喋ったと思うんですけど、過去の私が本当に私のウィークポイントをグサッと刺してくるんですよ。
でもまあよくわかってるよなーって感じ。ということで、なんかこう辛すぎて何も感じなくなった時っていうの、私あんまり実はそんなになくて、結構どちらかというと感情が湧き上がって涙が溢れてしまう方なんですけど、
この時ばっかりはなんかこう着して、あ、そうだ思い出した。それで、あ、これやばいって思ったんですよ。なんかこのままだとどうにかなってしまいそうだって思って、それでお母さんに電話して来てもらったんです。
話して、何も感じなくなったというところはすぐに出したからよかったんだけど、でもなんであれ私何も感じなくなってやばいって思ったんだろう。
そのことに関しては全然覚えてないんですけど、硬直したらなんでやばいのか、ちょっと今後のテーマとしていきたいなと思います。では今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。