1. 喪失感は、突然に
  2. #28 信じることにする
2025-06-18 19:20

#28 信じることにする

先日読み終えた「ケアと編集」(白石正明)の中で紹介されていた向谷地生良さんの言葉「ラフな感覚で信じる」や、漫画「葬送のフリーレン」のなか、フリーレンは何を考えているかわからないから「言葉を信じることにした」を読み、私自身で似たような経験がありました。
私が安室奈美恵さんを「信じてみた」結果、生き方考え方に変化が訪れたことについて、お話しました。

白石 正明著「ケアと編集」、漫画「葬送のフリーレン」を読んで「信じる」ことについて / 信じる信じないの議論は不毛になりがち /まずは「信じることにする」のが良い / 私は安室奈美恵さんを信じることにした / 安室さんのライブを見て「今を生きる」ことが足りないと気がつく / 信じる相手を持つことで、自分自身と向き合えた /「信じる」とは、内側で育てる感覚

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サマリー

このエピソードでは、信じることの難しさや重要性について考えています。白石正明の「ケアと編集」とムカイヤチの「ベテルの家」を通じて、信じることの意味を探り、アムロナミエを通じて個人的な体験が語られます。アムロさんとの出会いを通じて、自己の存在意義や信じる力についての気づきが語られ、喪失感の中で今を生きることの大切さを再認識し、信じることが心の支えになる方法が模索されています。

信じることの重要性
今回は、信じることにするということについてお話ししていきたいと思います。
信じるというふうなことを思うとき、皆さんどういう時に信じるって使いますかね?
実際、私がじゃあ身近に何か、何々を信じているとか何とかって、
あるかなと思うと、実はあんまなかったりしていて、
例えば、身近な人に対して信じているっていうのも結構難しいですよね。何を信じるのかとか、
何を持ってそれが根拠になるのかとか、なんかいろいろこう考えてしまうと、
信頼っていうのは、もう少しできることなのかもしれないけど、
信じるってすごい難しい。考えてしまうと難しいなっていう感じするんですね。
今回、この信じるっていうのをどうしてお話ししようかなと思ったのかというと、
白石正明さんという方が書かれた、「ケアと編集」という本で、この方は編集者なんですけども、
医学書院というところで、ケアを開くシステムについて、
自分自身が何をしているのかというと、
ケアと編集という本で、この方は編集者なんですけども、
医学書院というところで、ケアを開くシリーズというもので、いろいろ本を出されてたんですけども、
その方がケアというテーマと自分の仕事の編集を合わせた本で、
その中にですね、「ベテルの家」というのはご存知でしょうか。
ムカイヤチさんという方が設立した障害者の方たちの地域活動拠点で、
当事者研究の創案者でもあるんですね。
そのベテルの家っていうのは特殊というか、
当事者研究というのも、当事者の人たちがみんなで、
一人の人の症状、妄想だったりというのを話し合うようなことをされているようなところなんですね。
そこのムカイヤチさんが、信じるということを書かれていて、
ある信じるというか、信じるというか、
あるシンポジウムとかで質問があって、
なんでそんな簡単に人を信じれるんですか、みたいなことの質問があって、
その返答が本に紹介されていました。
ちょっと読み上げます。
みなさんの信じる、尊重すると少し違うのは、
私たちはあまりそれを気にせず、
口先だけで信じる。
口先だけで尊重する。
そうしてしまうことです。
言ってしまえば勝ちという、そういうラフな字があります。
これは何かというと、
、こういう言葉だと商人規則によっては、
信じる、尊重するという言葉は、
やけくそで信じる、やけくそで尊重する、
言いかげに尊重する、
言いかげに信じる。
口先だけで信じる。
勝ちというそういうラフな感覚で私たちは信じています 実際のところその方がいいのではないか
誰かのポケットでも入っていてはいっとすぐに渡せるぐらいの方があまり美しい物語にしないというのが裏側の伝統なんです
ぜひ試してください と向井八さんはおっしゃっててそれを受けて白石さんはこういうふうに書いています
信じる問題は扱いが難しい 普通は信じる信じないのにコーターリストなってラッチが開かない
不思議なのは信じる要素いくら上げても信じない要素一つでも上げられるとなぜか議論の勝負は 信じない側に傾く
そして信じない方が賢く見える宇宙略でしかし向井八さんはそんな上手いた議論に立ち入ることをせずに 信じる信じないのどちらでもない
ちょっと信じるを持ってきたこれは一見信じると信じないの中間を取ったようなどっち つかずの話に見えるが全くそうではない
信じるからこれができる信じるからこれができないというように先に個人の内面に 真か不真がありそれに従って何がしかの行動が表出するというのが普通の人間の思考回路
だ しかし向井八さんはそうではない嘘でもいいから先に真過去仮のカードを出すことによって 私とあなたの間に真が少しずつ具体的に生成してくる
そんなモデルへの転換だ信じる信じないを個人の内面の問題として言語的に説明する という暗黙の前提から離れて現実的な対人関係の問題をずらしていると言ってもいい
フリーレンの教訓
真を探ったり隠された真の欲望なんてものを押し量る必要もなくなるというふうに書いてありました これを読んだ時にそういえばソウソウのフリーレンってこの間何回か前に話した漫画アニメの中でもこういった信じることにしたっていう話が出てくるんですね
フリーレンの話はちょっとどこかで補足していただければと思うんですけども 主人公のフリーレンはエルフで魔王を倒す勇者一行のパーティーの一人で魔法使いなんですけども
他は人間とドワーフがいてフリーレンだけ少しちょっと感情が乏しいみたいなところがあって意思疎通がうまくできないところもある
何考えているかわからないっていうふうに言われるんですけどもその中で僧侶のハイターがフリーレンは何を考えているかわからないところがあるから
だから私は彼女の言葉を信じることにしました 彼女は魔王を倒すと言いました私はその言葉を信じたんですっていうふうに言葉を信じたっていうふうに言うんですね
これも特に根拠があるというよりも信じることにしたっていう前提を決めてしまったということであると思うんですね
さっきの文脈が違うにしても 向井足さんが信じることにそのラフな感じで信じるとすごく似てるなぁと思っていて
この2つを読んだ時に私もとりあえず信じることにしようと思った時があったんですね
それはアムロナミエさんのことを信じてみようっていうふうに思った時があったんです 何言ってんだよってとこで自分でも思ったんですけど
なんか30代の真ん中ぐらいに突如アムロナミエさんのファンになってしまったわけなんですけども
初めて女性の…小さい頃にプリンセスプリンセス好きだったけどちょっとまた違うんだけど
アムロさんを好きになったきっかけはただかっこいいとかライブ行ってみたいなとかそんな感じだったんですけど
でも何回かお話ししてるから聞いたことあるかもしれないけど
なんか自分と似たような環境というふうに少し捉えてしまったことがあって
身近な人をなくしてもなおこんな強く生きていけるのは何でなんだろうというふうに
ファンになった少しぐらいにやっぱ思ったんですね
それまでなんかこう尊敬するとか好きな人はとか言うとダライラマとか星野道夫さんとか
亡くなっている方だったり宗教者だったりとか男性だったりとか全然かけ離れた人たちだったんですけど
一番その中で短い…全然短いじゃないんだけどもでも同じ女性だったりとかするし年齢も一つしか変わらないとか
っていうのでなんかこの人のことを見続けてみようと思ったんですよね
それでね一番最初にやったのがロングブーツを買ったんですよね
今でも覚えてる自由が丘でその頃自由が丘で働いててたまたま
AMPMっていうねコンビニでアモロさんの曲が流れててアモロちゃんの曲だすっげえかっこいいと思って聞いて
それでYouTubeで検索したらすっごいかっこよくて
それでまぁすぐライブに行きたいと思ってファンクラブ入ってとか
じゃあせっかく好きになったんだからちょっと外見もう全然私女性っぽくない感じの見た目だから
ちょっと少し変わるきっかけとしてロングブーツ買ってみようと思って買ったんですけど
でもその頃ロングブーツって言わなくてニーハイブーツだってなんか買うものを始めから間違えてたんですけど
ちょっとねアムロさんの場合は私からは無理だったねなんかこう
そもそも全然別次元の人でなんかこう綺麗になろうっていう感覚が私のやっぱりちょっと難しくてメイクちゃんとしようとか
そもそもねアムロさん自身もそんなにこう無頓着だったっていうのもね割とわかってしまって
あの人はこう仕事で着飾って綺麗にしているけどそんな多分服とかメイクとか興味ないっていうのも後からわかってきちゃって
まぁ早々にね外見を真似ることはやめたんですけど無理だし
外見のことはちょっと置いといてこの人が本当にどうしていろんな大変なことがあっても強くしなやかに
今ここに立っているんだろうかということを見ていきたいなぁと思って
それが私にとってアムロ奈美恵さんを信じてみようというふうに思い立ったんですね
なんかね自分でも全然忘れてたんですけど
数十年後になんかこうね
Facebookのメッセンジャーのなんかルームみたいな作れる機能があって
そこになんか精神と時の部屋とかいうなんかね
ドラゴンボールかみたいな感じの友達と作ったところがあって
そこに友達に書いてあったの
私はアムロちゃんを信じてみることにするって言った友達もしかと聞いたぞみたいなこと言ってくれて
だからなんか割とこう真剣は冗談ながらも真剣で
アムロナミエとの出会い
友達もそれをすぐ受け止めてくれてっていうのも
だんだんこうね楽しくなりすぎちゃってそういうの忘れちゃうんですけども
でもやっぱりある時立ち止まった時に
すぐ私はこの信じるってことを言ったなぁ
とかアムロさんのことを書くブログを長年書いていたりとかして
一番最初にこの人を見ていこうという風になった時に
やっぱ自分にとってのロールモデルだったりする人
他の回でもなんか話したかもしれませんけども
そういった人が私には必要だったってことを
後からね思ったわけなんですけども
どう生きていっていいか本当に
16歳の時に父親亡くなって自死して
周りにいたような人なんて誰もいなかったし
どうしていけばよかったのかも本当わかんなかったけども
でも30代後半になって
ずっと昔から知っていたアムロさんを
改めて見た時に
身近な人が亡くなった1週間後に
アムロさんがテレビに出て歌を披露しているんですよ
それもお母さんが亡くなった日に
発売されたCD曲だったんですけども
それを歌ったわけなんですけども
どうしてそんなことができたんだろうか
どうしてかもちろんわかりませんけども
わかったことは私が何度も言った
このライブのステージっていうのは
アムロさんが1日1日を本当に大切に生きてきてて
それでこのステージが完成されてるっていうのを
すごく理解したことだったんですね
今何十回言っても
アムロさんは曲を変えたりとか
MCがあるとかで全然変わらなかったりすることが多いんです
曲がちょっと変わることはあっても
ほとんど変わらずに全てのステージを
時に一番多かったのは100回公演とかをされていて
それを怪我せずにやって抜けている
声が出なくなって
途中でやめるとか
公演始まる前に中止になったとか
いく何回かはあるんですけども
でもそれでもそんな多くない
怪我したっていうことも
おそらくなかったんじゃないかな
それはやっぱりそれだけ
1日1日準備してきているっていう
今を生きているっていうことを
すごくリアルに実感したことで
自分に足りてなかったのは
たった今を生きることのことに気づいたんです
例えば過去のことで
いろいろ考えることもあれば
未来のことを考えることもあったけど
じゃあ今何をやるべきなのかっていうところを真剣に
考えてなかった
ゼロではなかったけども
でもなんかそんなに意識しないで
素通りをしていって
生きていってしまったような気がしたんですね
そのアムロさんと比較した時に
それでアムロさんがライブツアーをやってる時に
ブログを書いてる時があって
その時は私ファンじゃなかったから
友達に見せてもらったんですけども
確かに肺炎になって体調が悪くても
ツアーとかコンサートやった時があって
その時のブログだったのかな
皆さんに謝っている文章から始まるブログがあって
そこにこんな風に書かれていたんですね
ライブを楽しみにしていた皆様
ゲスト皆様本当にごめんなさい
それでもそんな私を応援してくださった皆様
暖かかったです
本当にありがとうございました
昨日のライブはどうだったかな
ライブはあと9本思うことはいろいろあります
良いライブの時も悪いライブの時も
全て私なのです
特に思うようにライブができなかった時は
現実を受けるのに時間がかかってしまったりもします
そんな時はいつも自分に言い聞かせます
自分らしく今日の精一杯をって
良い意味でも悪い意味でも
ライブは生物です
良い時は嬉しいし
悪い時は惜しく見ます
そんなライブというものに
私は魅力を感じているのです
なので今日も私らしく精一杯頑張ります
っていう風に自分らしく今日の精一杯をっていう
なんかこの言葉が
今の自分の座右の銘になってたりも
するんですけども
まあとはいえ
今日の精一杯今日やったかっていうと
今日やってない
今日休みでずっと家にいたんですけど
さすがに今日暑いじゃないですか
家からコンビニ行ったくらいで
全く出なかったんですよね
でもちゃんと自分の仕事のメールは
全部返した
やったやった
っていうので
なんかこう
アムロさんであっても
あのすごいライブをやる人であっても
こう一回一回苦悩していて
それでも自分のことを受け入れてて
みたいなのも
買いまみる文章だったと思うし
引退を発表した時も
私らしく
2018年9月16日を迎えたいと思います
っていう風に記述されていて
あ、やばい
ちょっと私アムロさんの話をすると
ちょっとオタクなので
すごいなんかこう
いろいろな話をしたくなってしまって
ちょっともうやめるんですけど
というように
私にとってこう信じることにしたことによって
本当大げさではなく
アムロさんを見ながら
自分を投影して
なんかこう自分に帰れた
というような経験があったから
なんかこう憧れとか尊敬とかっていうのを
信じることの大切さ
なんか若い頃
10代20代とかって全然いなくて
むしろなんかそういうのをちょっと
ミーハーのような感じがすごい
たぶんあったんじゃないかなーと思って
誰か好きになるとかっていうの
でも実際なんかこう自分に必要だったのは
こういう尊敬できる誰かであって
信じるっていうことを決めてしまえる相手が
私は本当あの時遅かったかもしれないけど
できて本当に良かったなというふうに思いました
それでフリーレンの漫画だったりとか
ケアと編集の中で
その信じるっていう言葉が出てきて
あすごい自分も似たようなことだったなー
っていうので
今日お話ししてみようと思いました
何かを信じるっていうのは
何かこう自分の内側で
最初は小さい光かもしれないけども
育てていくような感覚っていうのを
これからも持ち続けていければいいなー
というふうに思ってます
では今日はこのあたりで
終わりにしたいと思います
またねー
19:20

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