今回は、信じることにするということについてお話ししていきたいと思います。
信じるというふうなことを思うとき、皆さんどういう時に信じるって使いますかね?
実際、私がじゃあ身近に何か、何々を信じているとか何とかって、
あるかなと思うと、実はあんまなかったりしていて、
例えば、身近な人に対して信じているっていうのも結構難しいですよね。何を信じるのかとか、
何を持ってそれが根拠になるのかとか、なんかいろいろこう考えてしまうと、
信頼っていうのは、もう少しできることなのかもしれないけど、
信じるってすごい難しい。考えてしまうと難しいなっていう感じするんですね。
今回、この信じるっていうのをどうしてお話ししようかなと思ったのかというと、
白石正明さんという方が書かれた、「ケアと編集」という本で、この方は編集者なんですけども、
医学書院というところで、ケアを開くシステムについて、
自分自身が何をしているのかというと、
ケアと編集という本で、この方は編集者なんですけども、
医学書院というところで、ケアを開くシリーズというもので、いろいろ本を出されてたんですけども、
その方がケアというテーマと自分の仕事の編集を合わせた本で、
その中にですね、「ベテルの家」というのはご存知でしょうか。
ムカイヤチさんという方が設立した障害者の方たちの地域活動拠点で、
当事者研究の創案者でもあるんですね。
そのベテルの家っていうのは特殊というか、
当事者研究というのも、当事者の人たちがみんなで、
一人の人の症状、妄想だったりというのを話し合うようなことをされているようなところなんですね。
そこのムカイヤチさんが、信じるということを書かれていて、
ある信じるというか、信じるというか、
あるシンポジウムとかで質問があって、
なんでそんな簡単に人を信じれるんですか、みたいなことの質問があって、
その返答が本に紹介されていました。
ちょっと読み上げます。
みなさんの信じる、尊重すると少し違うのは、
私たちはあまりそれを気にせず、
口先だけで信じる。
口先だけで尊重する。
そうしてしまうことです。
言ってしまえば勝ちという、そういうラフな字があります。
これは何かというと、
、こういう言葉だと商人規則によっては、
信じる、尊重するという言葉は、
やけくそで信じる、やけくそで尊重する、
言いかげに尊重する、
言いかげに信じる。
口先だけで信じる。
勝ちというそういうラフな感覚で私たちは信じています 実際のところその方がいいのではないか
誰かのポケットでも入っていてはいっとすぐに渡せるぐらいの方があまり美しい物語にしないというのが裏側の伝統なんです
ぜひ試してください と向井八さんはおっしゃっててそれを受けて白石さんはこういうふうに書いています
信じる問題は扱いが難しい 普通は信じる信じないのにコーターリストなってラッチが開かない
不思議なのは信じる要素いくら上げても信じない要素一つでも上げられるとなぜか議論の勝負は 信じない側に傾く
そして信じない方が賢く見える宇宙略でしかし向井八さんはそんな上手いた議論に立ち入ることをせずに 信じる信じないのどちらでもない
ちょっと信じるを持ってきたこれは一見信じると信じないの中間を取ったようなどっち つかずの話に見えるが全くそうではない
信じるからこれができる信じるからこれができないというように先に個人の内面に 真か不真がありそれに従って何がしかの行動が表出するというのが普通の人間の思考回路
だ しかし向井八さんはそうではない嘘でもいいから先に真過去仮のカードを出すことによって 私とあなたの間に真が少しずつ具体的に生成してくる
そんなモデルへの転換だ信じる信じないを個人の内面の問題として言語的に説明する という暗黙の前提から離れて現実的な対人関係の問題をずらしていると言ってもいい
真を探ったり隠された真の欲望なんてものを押し量る必要もなくなるというふうに書いてありました これを読んだ時にそういえばソウソウのフリーレンってこの間何回か前に話した漫画アニメの中でもこういった信じることにしたっていう話が出てくるんですね
フリーレンの話はちょっとどこかで補足していただければと思うんですけども 主人公のフリーレンはエルフで魔王を倒す勇者一行のパーティーの一人で魔法使いなんですけども
他は人間とドワーフがいてフリーレンだけ少しちょっと感情が乏しいみたいなところがあって意思疎通がうまくできないところもある
何考えているかわからないっていうふうに言われるんですけどもその中で僧侶のハイターがフリーレンは何を考えているかわからないところがあるから
だから私は彼女の言葉を信じることにしました 彼女は魔王を倒すと言いました私はその言葉を信じたんですっていうふうに言葉を信じたっていうふうに言うんですね
これも特に根拠があるというよりも信じることにしたっていう前提を決めてしまったということであると思うんですね
さっきの文脈が違うにしても 向井足さんが信じることにそのラフな感じで信じるとすごく似てるなぁと思っていて
この2つを読んだ時に私もとりあえず信じることにしようと思った時があったんですね
それはアムロナミエさんのことを信じてみようっていうふうに思った時があったんです 何言ってんだよってとこで自分でも思ったんですけど
なんか30代の真ん中ぐらいに突如アムロナミエさんのファンになってしまったわけなんですけども
初めて女性の…小さい頃にプリンセスプリンセス好きだったけどちょっとまた違うんだけど
アムロさんを好きになったきっかけはただかっこいいとかライブ行ってみたいなとかそんな感じだったんですけど
でも何回かお話ししてるから聞いたことあるかもしれないけど
なんか自分と似たような環境というふうに少し捉えてしまったことがあって
身近な人をなくしてもなおこんな強く生きていけるのは何でなんだろうというふうに
ファンになった少しぐらいにやっぱ思ったんですね
それまでなんかこう尊敬するとか好きな人はとか言うとダライラマとか星野道夫さんとか
亡くなっている方だったり宗教者だったりとか男性だったりとか全然かけ離れた人たちだったんですけど
一番その中で短い…全然短いじゃないんだけどもでも同じ女性だったりとかするし年齢も一つしか変わらないとか
っていうのでなんかこの人のことを見続けてみようと思ったんですよね
それでね一番最初にやったのがロングブーツを買ったんですよね
今でも覚えてる自由が丘でその頃自由が丘で働いててたまたま
AMPMっていうねコンビニでアモロさんの曲が流れててアモロちゃんの曲だすっげえかっこいいと思って聞いて
それでYouTubeで検索したらすっごいかっこよくて
それでまぁすぐライブに行きたいと思ってファンクラブ入ってとか
じゃあせっかく好きになったんだからちょっと外見もう全然私女性っぽくない感じの見た目だから
ちょっと少し変わるきっかけとしてロングブーツ買ってみようと思って買ったんですけど
でもその頃ロングブーツって言わなくてニーハイブーツだってなんか買うものを始めから間違えてたんですけど
ちょっとねアムロさんの場合は私からは無理だったねなんかこう
そもそも全然別次元の人でなんかこう綺麗になろうっていう感覚が私のやっぱりちょっと難しくてメイクちゃんとしようとか
そもそもねアムロさん自身もそんなにこう無頓着だったっていうのもね割とわかってしまって
あの人はこう仕事で着飾って綺麗にしているけどそんな多分服とかメイクとか興味ないっていうのも後からわかってきちゃって
まぁ早々にね外見を真似ることはやめたんですけど無理だし
外見のことはちょっと置いといてこの人が本当にどうしていろんな大変なことがあっても強くしなやかに
今ここに立っているんだろうかということを見ていきたいなぁと思って
それが私にとってアムロ奈美恵さんを信じてみようというふうに思い立ったんですね
なんかね自分でも全然忘れてたんですけど
数十年後になんかこうね
Facebookのメッセンジャーのなんかルームみたいな作れる機能があって
そこになんか精神と時の部屋とかいうなんかね
ドラゴンボールかみたいな感じの友達と作ったところがあって
そこに友達に書いてあったの
私はアムロちゃんを信じてみることにするって言った友達もしかと聞いたぞみたいなこと言ってくれて
だからなんか割とこう真剣は冗談ながらも真剣で