喪失感と一言の影響
喪失感は突然に、第4回目の配信です。
今日は、世界が一変するたった一言ということで、
父が死んでから、兄が死んでから、過ごす中で、何気ない一言で、
なんかいろんなものが崩れ落ちていくような感覚。
今、目の前でやっていた全ての動作が止まってしまうとか、
突然涙が溢れ出すとか、集中できなくなるとか、
その言葉がずっと頭の中をリフレインして、しばらく何日も考えてしまうこととか、
いろんなことがありました。
最初の頃は、その言葉っていうぐらいだから、何がどうと防ぎようがないんですよね。
テレビ見てても、映画見てても、誰かと喋っていても、
先にどんな言葉が出てくるかもわからないし、
どの言葉に自分が反応するかもわからないから、
いざその時にならないと、もうわからない。
そういうことが20代の頃とかは、
なんかもう、うまく言葉にもできなかったし、
自分がそれを聞いて、ただ辛いとか悲しいとか涙が出るとかみたいな状態で、
なんでこの人はこんなこと言うんだろう、あんなこと言うんだろう、みたいなことは、
たくさん考えてきたように思うんですけど、
相手もね、そんな別に対したというか、
本当、何だろうね、何の気もなく言った言葉だと思うし、
責めようにもないというか、まあ責めることはないんだけど、
相手が別に悪気で言ったわけじゃないし、全然関係ない話だったりもしているから、
折り合いがつけられなかったことがあったなと思って、
だんだんこう、分かってきた時に、
分かってきたというか、こういうの自分ダメなんだなとか、
っていうのはだんだん分かってくるわけなんですけども、
そうすると、行かなきゃいいだけだ、その場に危ない、危険だから行くのやめとこうとか思えばいいし、
回避できることそんな多くないんですけどね、
いくつか困ったなぁと思ったことを、
今日なんかふと思い出したので、
なんかその話をしたいなぁと思います。
なんかセミナーに出てて、オンラインで、
それでしたらなんかこう、普通の会話で、
借金で首が回らなくなるみたいな言葉を聞いてた瞬間に、
それをちょっとね、笑いながら講師が話してたんですよね。
それ聞いた瞬間に、勉強モードだったので、
もうその言葉を聞いた瞬間と、
もうそのヘラヘラ笑っているような講師の顔と声が、
急に頭にこびりついてしまって、離れなくなってしまって、
せっかくお金払って出てたセミナーだったんですけど、
もうその場でも画面落として、
しばらくなんかそれがもうずっと考えちゃって、
ほんと何気ないんだろうなぁと思って、
ああいう場面は割と日常の会話の中ではないけども、
ドラマとかそういったところでは出てくる場合もあるセリフとかだとなったりするから、
ほんとね、ドラマとか映画とかなんかそういうのだったら、
映画館はちょっと困るけど、今までにすればそういうのないな、映画館は。
ドラマとかだったらもうテレビ消せばいいだけだし、
お金払ってわざわざ出たのになんだよってすごい思って、
これもオンラインのセミナーだったんだけど、
YouTubeで見てて、
Webのアクセス解析の話になって、
バズると折れ線グラフの数値がドーンと上がって、
その後急降下して、一定なる動きを指を動かしながら説明してるんだけども、
バズった後ドーンと上がって、その後ピーって指を急降下させて、
一直線に横になぞる仕草をして、
神殿図のようになるとか、ピーと神殿図のようにっていう風に言ったんですよね。
確かにそうなんだけど、
私それほんとその日必要なの?って思って、
実際私は父が亡くなった時に、
神殿図のピーってやつを音と、
あのやつ見てるんですよ。
ちょっとねだいぶ時間も経ってるから、
忘れてしまってるような気もしないでもないけど、
でもこの瞬間に、
ふっとなんかこうね、
我に書いたとかなんかこう一瞬のうちにお父さんのこと思い出したから、
おそらく見ているんじゃないかな。
それでなんか、
まあそれもやっぱしパソコンも閉じて、
それじゃもう嫌だなと思って、
この時はもう母と一緒に暮らしてたから、
もうちょっとあんま深く考える前に、
もうすぐにお母さんのとこ行って、
ベラベラたやむない話をして、
で部屋に帰ってきたみたいなことがあったんですね。
言葉への配慮
20代の頃とかね、
こういうのほんと一つ一つ腹立てた。
で泣いてた。
本当悪気ないのわかるから、
誰も責められないし、
なんかこう、
なんでもっと配慮したことなんかが言えないのかと思うんだけど、
これははっきり言って、
詩に関するから神殿図の横のピーって、
テレビとかでよくなくなる瞬間の絵としてね、
出てくるものだから、
あまりそんなにいい比喩ではないと思うんですよ。
全然配慮できそうな感じだし、
とはいえ、それ以外って、
そうじゃないときでも全然あるから、
全部を全部配慮してほしいとも言えないんだけども、
でも詩に関してはもう少し、
いろんな人が聞いているわけだから、
登壇者としてね、
それぐらいちょっと配慮があってもいいんじゃないかなとは思ったけど、
ただまあ、
人が、身近な人が亡くなる経験をしてないと、
そういうのって割と難しいかなとも思えるようになったから、今は。
だから、
今回その神殿図のピーの話のときは、
もうすぐに気持ち切り替えようと思って、
お母さんと喋って、
終わりにしたわけだけども、
これは亡くなった直後とか、
別に父と兄は自身なんですけども、
そうじゃなかったとしても、
神殿図を見た方って、
それなりにいらっしゃると思うんですよね。
亡くなる瞬間に、
その場に居合わせたりしたら。
こういったように、
例えば、私も外に配信しているわけだから、
どんな人にも配慮したいとは思ってもいますけども、
それでもやはり、
どなたかの何かに引っかかってしまうような言葉があることも、
やっぱり私は考えていかなきゃいけないなーって思ってます。
以前スペースで少し喋ったときに、
遺書の話をしたことがあって、
そのときに、後から聞き直したときに、
なんかこれはすごい良くなかったなーって思うような時があって、
私はこうだったって話はもちろんしてはいるんですけども、
でもそうじゃない。
いくら私がお主婦にしたとしても、
そうじゃない方が聞いたときに、
自分のときはそうじゃなかったみたいな、
思い返してしまうとなると、
そこで傷つく人もたくさんいることを、
私はやっぱり考えていかなきゃいけない。
そういったところで、
もしこういった表現が、というところが、
もし聞いている方でいらっしゃったら、
本当に申し訳ないと思うし、
今後はそういうのをやめていきたいと思う。
もし教えていただけるのであれば。
そういったこともありながら、
ちゃんと自覚的でいたいって思うんです。
何気ない一言で、私は傷ついてきたと思うし、
私もやはり何気ない一言を言ってしまう側になることもある。
というのをきちんと自覚的にいただいて、
それを改善していきたいなと思っています。
というので、
本当にこの何気ない一言で深く傷ついてしまう。
今はね、さっきの心電図のPも、
昔だったらすんごい激怒しているような気がするけども、
だいぶ経った後だったから、小骨のように引っかかりはするけども、
過剰にはならないで、
こうやって冷静な形で話もできるようになっているし、
自分も気をつけなきゃなというふうに思えた時かなというふうに思います。
こういった時にね、本当に自分にとって突き刺さってしまう一言があって、
何が大変かっていうと、
世界が一変してしまう。
ちょっと大げさかもしれないけど、世界って。
思いがけない一言の影響
でも本当そうだと思うんですよ。
例えば私はセミナーを受けようと思って、
勉強しようと思ってその場にいました。
けど、その全然関係ない一言で、
もうその勉強には集中できない。
もうこの場にいられないってなって、
もう違う時間を私は過ごさなきゃいけなくなるし、
その後、だいぶ腹を伝っていた気がする。
失うものは意欲と時間なんですよね。
さっきの神殿図がピーって鳴っているみたいに言葉が出てきた瞬間に、
私の中に見えているものは病院に運ばれて、
もうダメかもしれないっていうふうな形でずっと外で待っていて、
何時間くらい待ったんだろう、2時間くらい待ったのかな。
そういった時の2時間、2時間までは覚えていないけど、
待っているときに何してたかとか呼ばれて、
その後どうやって帰ったかとか、
家帰ってどうだったかとか、
いろんなことを思い出す時間になってしまう。
本来ならば私はセミナーを受けて、
そういった勉強をしようと思える。
で、終わってからも自分の勉強に当てる時間だったかもしれないのに、
私は聞いたことによって過去の出来事をずっと繰り返してしまう。
頭の中で。
それが怒りに変わってしまう場合もあるし、
そうなった時にはもう涙が出てくることもあったし、
もちろんそれで眠れなくもなる。
そうすると明日が起きられない。
というふうに、すごい長い時間を取られてしまう。
というので、とてもこういったことをね、
昔はこの地雷って話を思ってたんだね。
地雷がどこにあるかわからない。
自分もわからないし、もちろんその何がで引っかかるかもわからないから、
どこにも地雷だらけだっていうふうな表現をすごいしてたんですけど、
そう、この地雷って言葉もやはり良くないってある時から思って、
実際に戦争で地雷によって亡くなった方や、
体が不自由になった方もいるわけだし、
というので、自分も同じことをしているような気もなって、
もう使わなくなったんですけど、
対処方法と振り返り
火を使わなくなるってすごい難しいなって、すごくちょっと思いました。
ほんと一瞬でね、何か言われて大泣きしてその場からいなくなったことも確かにあった。
本当に考えるよりも前に体が反応したみたいなこともやっぱりあったし、
あれは本当にもう自分もどうしていいかわからなくなるからね。
その時どうしたらいいか。
なんか今の言葉すごく傷ついたとか友達とかだったらね、
もしかしたら今の言葉すごく傷ついたっていうのを聞きたくなかったとか、
もし言えるものなのかな、私たぶん言えないと思うんだよな。
真っ白までに考えると思考が一瞬停止するんだよね。
次の言葉がもう出てこなくなってしまう。
そういえば今でもちょっと前かな、あったかな。
なんか出てこなくなっちゃうんだよね、言葉が。
だから、その時はね、言ったその後に言葉が出てこなくなってしまう。
だからもうそうなってしまうっていうのを仲いい人たちに、仲いい友人とかには伝えておくのがもしかしたらいいのかなと思う。
決してその言葉で相手のことを嫌いになるとか、もうそういう感じでは今は自分自身はなくなっているから、
思いがけない一言があるとちょっと言葉に詰まってしまうとか、
なんだろうね、悲しくなるっていう気持ちが出るんじゃないんだよね。
さっきの借金例とか、ピーとかっていうのって悲しくなるから辛いんじゃなくて、
一瞬のうちでフラッシュバックするから辛かったことが。
強烈な記憶が溢れ出てきてしまう。
それでなんかもうね、気持ちが追いつかなくなっていく。
だから世界が変わるんだよね。
今見ている目の前の世界と、頭の中に広げられている壮絶な激しい映像のフラッシュバックみたいなので。
だから、ここ最近はほとんどないけども、なんだろうね。
ないと思ってたら突然来たりするから、本当に一生付き合っていくのかなっていうふうに思う。
だからもうできることは、そういった言葉に出会った時に、自分がこう、世界が変わるんだ。
一瞬思考が停止してしまうとか、出会ってしまったらちょっと距離を置くとか、
そういったことでやり過ごしていくしかないかなって今思ってます。
しばらく少し経ってから、私はわりとその強い衝撃というか、意識がこう揺れた時というか、心が揺れた時に、
あとで日記を書くようにしていて、この時こうだったから、ああだったから、みたいなことをできる限り書こうとしている。
そうしていくことで、想定内にしていくというか、自分で心がけていく。
やっぱり大丈夫って思って、私は数十年生きてしまって、全然大丈夫じゃなかった時が訪れたから、あんまり大丈夫って思わないようにしていこうっていうのが私の蘇生術。
皆さんはいかがでしょうか。何気ない一言で、すごい傷ついたとか、悲しくなってしまったとか、思考が停止して、
もう今世界が変わったぐらいに思ったとか、その後どう対処していこうと思ったかとか、その人とこれからどう付き合っていけばいいのかと。
どうやって皆さんが受け止めていって過ごしていったのか、もし教えていただけたら、またその話を紹介していけたらなと思います。
今日はこの辺で失礼いたします。
じゃあねー。