お祭りの感情
喪失感は突然に、第33回目の配信です。
今回は、お祭りは物悲しいについてお話ししていきたいと思います。
なんかここ最近、地震があったり台風だったり、最高気温がいろんなところで更新されたとか
なんか気候が落ち着かない日々が続いていますが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
来週の気温を見てたら、37度39度っていうのがあって、いやもう今からちょっと恐ろしいですね。
ということで、今回お祭りということでお話ししていきたいんですけども、
この間出かけた時に、至る所でお祭りが、ボンドリーですね。
開催されていて、なんかこう、お祭りだーっていう感じではあるんだけども、
なんかねこうね、ザラザラするんですよ。
なんかちょっとね、早くこの場から立ち去りたいみたいな気持ちにもなって、
もともとその人混みがそんなに好きじゃないこともあるんですけども、
なんかこう、毎年毎年お祭りを目撃というかするたびに、なんかこうそそくさと去りたくなってしまう。
なんかそれは小さい頃の思い出が、たぶんすごい残っている気がするんですよね。
その私が生まれ育ったところというのが、
お祭りとか催し物とかが毎月のように結構あるような地域で、
特に春終わり頃から夏っていうのが一番催し物が多くなっていて、
すごい楽しみにしてて、毎年毎年。
それで家族と出かけたりとかすることも多くて、
父が町会の青年部長とかやってたこともあって、
知り合いもすごく多かったし、手伝うこともあったりとかしてたので、
お見越しが出るお祭りだったりとか、
盆踊りというのも行けば知り合いもたくさんいるという状況だったんですね。
なので、お祭りがあるたびに、思い出しているわけではないんですけど、
物悲しくなってしまうっていうのは、そういった記憶とリンクしてしまう。
思い出の影響
物悲しくなって、
祖族さとかを変える道すがら思い出すのは、
父と一緒に撮った写真。
母と父が写っている写真。
おそらく確実に盆踊りの時の2枚の写真が、
思い出されて、手元にないんですよね、その写真。
どこに行っちゃったかよくわかんないけど。
その写真が思い出すから、
お祭りイコール寂しいみたいなのが、
ひもづいてしまっていて、
そこから他の楽しい思い出とかが上書きされてアップデートしていれば、
どっちも楽しい思い出もあれば、悲しい思い出もあるっていうので、
総裁できたかもしれないんですけども、
残念ながら、上書きできる楽しい思い出がお祭りになって、
小さい頃、盆踊りに行って楽しかったのって、
いろいろ買ってもらえるとか、
出店で何か食べるとかだったりしてて、
盆踊りに行って楽しかったのって、
だったりしてて、盆踊り自体に全然興味がなかったんです。
小さい頃ってそういうもんですよね。
違うのかな。
おばあちゃんたちが踊るお祭りっていう風にしか思ってなかったんです。
でも、今っていろんな曲で踊ったりしてるじゃないですか。
盆踊りの曲だったりとか、
ああいうの見ると、
例えば私、10代の後半とか20代の頃って、
クラブとかに行って踊ったりとかしてたんですね。
だから絶対盆踊りとか楽しめそうな気がするんです。
盆踊りって大体地域で行われる催し物じゃないですか。
わざわざ六本木とかそういう繁華街に行って行くほどのタイプではないので、
行くとしたら地域にはなると思うんですけど、
住むとこ住むとこ、地域で知り合いができたってことがそんなになくて、
さすがに一人で踊りに行く勇気はないですよね。
小さい頃、おばあちゃんたちが踊る踊りっていう風に盆踊りを思ってたわけですから、
もしかしたらもう少し20年後くらい、生きてたらですけど、
盆踊りを楽しめるようになれてたらいいんですけどね。
とはいえ、すごい悲しくなるとかそういうことではないんですよ。
ああいうのなんて言うんでしょうね。
よく言われるのがね、記念日反応とかっていうのを聞いたことあるかもしれませんけども、
明日とか誕生日とかクリスマスとかお正月とか、
イベントごとの前とか、そのイベントの時とかっていうのにやはり少し気分が落ちてしまって、
楽しめないというか、よく言われるんですよね。
おそらくそこにはいろんな思い出が詰まっていて、
その思い出の中にやはり身近な人、大切な人がいたんだけども、
今はいないっていうのを目の当たりにしてしまうから、
そこで悲しくなってしまうというような季節にもね、それはやはりひも付きますので、
私はやはり4月、5月、6月あたりが父と兄の明日もあったりとか、
兄の誕生日があったりとかしていて、
それが終わると夏でお祭りがあって、
まあというか、1年中ね、思い出すきっかけっていうのはほんとたくさんあるから、
しかも思い出すきっかけが毎回同じじゃなかったりもするので、
数回前にお話した隣にひっついてる穴にね、何かこういつ踏み外して落ちるかなんて、
コントロールできるものでもないので、
兄との思い出
今回は物悲しぐらいで収まってよかったかなというような感じですね。
ちょっとタイトルと違う話にはなるんですけども、
ちょっと前に兄の誕生日があって、
実はそっちの方がすごい落ちてしまったんです。
久しぶりになんかこう、おえーってなるぐらい涙が出てしまって、
きっかけは兄が亡くなった後に作ったプレイリストがあったんですけど、
その話を配信したいなと思ってもう一回ちょっと聞いたりとかしてて、
それと同時に、前の日記をちょっと読めたんですよ。
そこには43回目のお兄ちゃんの誕生日、初めてお兄ちゃんがいないみたいなことを書いてあって、
43って、なんか見た時に、
ふわーっとなんかね、こみ上げてくるものがあって、
その時に頭によぎったのが、自分は47だっていう。
それも別に47なのにって思ったとかじゃなくて、
こういう時って、なんかこう、頭の中に43っていう文字と、
兄の誕生日、47、私の年、みたいなこう、なんだろうな、こう、
思考が流れているところではなくて、
キーワードのある言葉だけが思念として浮かび上がって、
それがなんか結びついてみたいな、
もうその時には涙が溢れ返っている。
で、それを総括して考えると、
兄は43歳になる前に死んでしまい、私は47まで生きているっていうこの事実。
なんか今も事実って言う前くらいから、ちょっと涙がこみ上げてきてしまうんですけども、
その涙がこみ上げてしまった理由っていうのを、
少し考えれば、私は理由付けはできるんですけど、
でももう今終わってしまった感情っていうのが本当なのかどうかって、
私には確証が持てない。
だから、いつもこうなんじゃないか、ああなんじゃないかっていうので、
一応メモとしては残しておくんですけども、ちょっと話は反りましたけど、
その日記を読んで、なんかすごいね、その後2時間ぐらいちょっといろいろ考えて、
泣いては止まり、泣いては止まりみたいなことをやっていて、
完全に止まったのは、ワイヤレスイヤホンのペアリングが途中で切れちゃったんですよ。
止まっちゃったの。
そこでハッと割に帰って、ピタッと涙が止まって、
あ、ペアリング切れてよかった、ナイスって思ったんですよ。
なんかそういったこう、ふとね、こう、ブサッと切ってくれる何かがあるって、
すごい助かるなぁと思ったんですよね。
それで時間見たら2時間か、長いんだか短いんだかっていう、
2時間っていうと、なんか長い感じもしたんですけど、
でも、亡くなってすぐとか数年とかっていうのは、こういうのがもうずっと続いてたわけですから、
そう思うとすごい短くなったんだなっていう感覚でした。
ただこう、おえーってなってしまうぐらいの泣いてしまうやつっていうのは、
いつ来てもあれは変わらないものだなぁっていうのを改めて思ったりしました。
やっぱこう記念日的な何かっていうのは、やはりなんかこういろんなことを想起させる時期になるので、
本当それが嫌な時もやはりあるので来て欲しくない時っていうのは、ギュギュギュってこう、
蓋を思いっきり閉めて、
今回私はこう、亡くなった後に作ったプレイリストを聞いてたっていうトリガーがきちんとあるので、
いつ来てもおかしくなかったし、むしろ私自身が引き起こしたものでもあるなぁと、
そんな兄の誕生日を過ごしました。
そのプレイリストっていうのも、
亡くなってしまった人とか離れてしまった人への思い出を綴った曲を集めたものなんですよ。
一部ちょっと私の思い込みというか、そう聞こえてしまったっていう曲もあるんですけども、
そのプレイリストを結構アップデートしてってるんですよ。追加していったりとか。
そういったプレイリストの話をしようって思ってて、
でもちゃんともう一回聞かなきゃなと思って聞いたらこんなことになってしまったので、
なのでもう少しちょっと熟成させてからお話できたらなぁと思っています。
では今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。