1. 喪失感は、突然に
  2. #36 死にたかったときのこと
2025-08-31 21:31

#36 死にたかったときのこと

#8月31日の夜に / 16歳で父が自死し生きるのが辛かった / 母からの酷い言葉 / 死にたいとカッターで手首を切った / 痛すぎて無理 / 友だちに見られて恥ずかしかった / 35歳の時シンガポールへ行ったときに死にたいと書いた日記 / 仕事も遊びもできない辛さ / でも写真では楽しそうに笑っていたことのギャップ / 遊ぶためだけに仕事をしても良いという考え方に変化し救われた
【音声配信】 #36 死にたかったときのこと(喪失感は、突然に) |サーシュ
https://note.com/nobody/n/nc473ccb252d9

サマリー

このエピソードでは、死にたいと思う瞬間やそれに関連する様々な体験について語られています。特に、16歳の時の父の自死による心の痛みや、35歳で感じた生きづらさに焦点が当てられています。また、辛い時期を経験した話や、アムロナミエの影響についても触れられています。自己発見と人生の変化についての気づきが共有されています。

死にたかった瞬間
喪失感は突然に、第36回目の配信です。
今回は、死にたかったときのことについて、お話ししたいと思います。
いやー、今日もすごい暑い日でしたね。
37度だったかな、うちの方は。
いやー、なのに今日は、なんか宗教仕事だったんですけど、
何度もね、おコンビニ行ったりとかして、ちょっと疲れたなって感じです。
あと今日は、8月31日ということで、夏休み最後の日。
この翌日、9月1日っていうのは、子供の自殺が一番多い日というふうに言われています。
数年前から、NHKは、そういった生きづらさを抱える子供たちに向けて、様々な取り組みをしています。
昨日、その一環として、ラジオで尾崎世界観さんという方が、とりあえず明日を生きるラジオというのを放送していて、それを聞いていて、
なんか、大人たちがアドバイスするとか、そういうこと全くなくて、そうだよね、あーだよね、みたいな感じで受け止めをしてくれたり、
自分たちはこうだった、だった、っていう話だったり、
視聴者からお守りの曲っていうのを紹介されたりというような番組でした。
私も今、自治遺族等のサポートに関わったりとか、自殺防止の活動にも関わっていたりとかしていて、
苦しい思いを抱える子供たちが、いろんな発信をしているのを読むと、
すごい言葉が生々しいというか、すごい鋭く自分にも刺さってくるような感覚があって、
なんかこう、自分の子供の頃、16歳の時に私は父が自死をしたんですけども、
その時から、なんかこう生きるのが結構辛かったんで、
それで、結構昔なので全部が全部覚えているわけではないんですけども、
明確にこう、死にたかったっていうことが過去2回覚えているのであって、
今日はそういう体験談というか、話していければなというふうに思っています。
16歳の葛藤
一番死にたいって思った時っていうのが、
16歳の時の、多分父が亡くなって1、2ヶ月とか、2、3ヶ月とか、そういう時だったと思うんですけども、
母と喧嘩ばっかりしてたんですよね。
結構こう、ひどいことを言われたりもしてて、
それ言ったら終わりじゃないかっていうようなことも言われて、
でも子供ながら、その言葉を言い返したら本当に終わってしまうんじゃないかって思って、
黙ったんですよね。言われてこう、嫌だったけど。
でもなんか、結構それはずっと覚えていて、
もちろんそんなことを母が言いたかったとは思って、本当にそう思ってるかっていうと、
多分そうではないんだと思うんだけど、子供ながらやっぱりすごい傷ついたし、
今でもこう、たまに母と喧嘩すると、たまに思い出して、
なんでこんなひどいこと言われなきゃいけないんだろうなって思ったことが結構あって。
でもそういった喧嘩の中の1つだったと思うんですけど、
お父さんの家だけがあったのかな。家があって、母は前にいて、私が後ろにいて、
2人で黙っている状況で、どんな喧嘩したかもちろん覚えてないんですけど、
その時に本当にもう死にたいって思って、
なんで手元に持っていたかわからないけど、カッターかナイフがあったんですよ。
それで手首をちっちゃく切ったんですよ。
でもすぐに傷はつかなくて、何度も同じ場所をギコギコじゃないけど、
本当に1センチあるかないかぐらいのやってて、めちゃくちゃ痛くて、
でも何か×ってやったんですよね。だから2箇所というかをやって、
血が出たかどうかは覚えてないんですけど、そこでこんな痛いのはマジ無理と思ったのを覚えてて、
それで数日後かな、翌日かちょっとわかんないけど、
学校で友達にそれ見られてしまって、何それヤバくない?みたいなことを言われて、
それがすごい恥ずかしかったんですよ。
それでずっと隠して、それから恥ずかしいからもうやらないみたいな感じと、
もちろん痛いからもうやらないっていうような感覚でそれっきりだったんですけど、
あの時はもしかしたら死にたくてやったというよりも、
お母さんへの、母への見せしめでもあったようにも思うんですけど、
でも後にも先にも狂気というか、体を傷つけたのは16歳のあの時だけで、
その後もしかしたら死にたいって思ったことはあったかもしれないけど、
どちらかというと、今この場からいなくなりたいが多かったかなって。
バスに乗ってて、このままこのバス事故ればいいのになって、
高校生の時はずっと思ってた。
毎回乗るたんびに、まあ覚えてないからずっと、
事故ればいいのになーとか、自分から死ぬのは難しいから、
事故が一番いいなーっていうのは思ってました。
あと、まあ死にたいとかってないけど、
友達が結構大人になってから教えてくれたのは、
一番大事なことは、
生きることに執着してないっていうふうに、なんか私言ったらしいんですよね。
全然覚えてないけど。
だから、生きることが嫌だった、死にたいっていうよりも、
そんな感じで、10代、20代を過ごしてて、
まあでも、このあたり優勝したら、
高校生の頃の写真があった?つって送ってくれたんですよ。
めちゃくちゃ私楽しそうな笑顔してて、
なんか普通に笑ってるけど、
私いつも学校では普通に笑ってて、
家帰ってくると泣いてたみたいな、こう、
二重人格になったんじゃないかって思うぐらいに、
そのギャップがつらくて、
でも、こうわざとというか、無理して元気になろうとか、
そんな記憶がほんとなくて、
自動的に学校に行けば普通に会話して、楽しくて笑って、
自分の人生の中で、
自動的に学校に行けば普通に会話して、楽しくて笑って、
帰ってきて、いろんなことを考えて、
寝れなくて泣いて、みたいなのを、
毎日繰り返す日々でした。
あと、それが1回目、16歳の時。
次がだいぶ後になるんですけど、35歳の時です。
35歳の気持ち
父の死から19年も経ってる時で、
その場所がシンガポールだったんですけど、
その前の年ぐらいから、
アムロナミエさんにガチハマりをしてしまって、
好きになったのもと数年前なんだけど、
2012年の時に、ファンの友達とかいっぱいできて、
めちゃくちゃ楽しい日々を過ごしていたんですよ。
でも、楽しい日々とは引き換えに、
仕事を全部放り出してしまうようなこともしてしまって、
実はそこから5,6年、昔からの友達から逃げて、
温馴染普通になるような生活をし始めるんですけども、
アムロさんのライブがシンガポールでやるって言って、
私の誕生日の日だったんですね、それが。
でもどうしようかなと思って、
仕事も放り出し、遊びに熱中しみたいな、
そんな自分がすごい嫌だから、
アムロさんのライブにもそんなに行くのはやめて、
ファンクラブもやめてたんで、その時。
やめて、このライブで一区切りにしようと思って行ったライブだったんですけど、
いろいろ諸事情があって、
開催2週間前に中止になってしまったんですよ。
どうしようと思って、チケットを払い戻ししてくれるけど、
飛行機とかホテルとか、そういうのは全部キャンセルできないし、
そうしたらファン友達の人が、まだ会ったことなかったんだけども、
向こうでご飯食べませんかって言ってくれて、
とりあえず旅行を好きだし行くかって言ったんです。
で、父の明日っていうのが、私の誕生日の次の日なんですね。
だから、シンガポールで父の明日を過ごして、
その日に帰るって時だったんですけど、
その時に最後、朝ごはんを食べて、
日記を書いて、その日記の中に死にたいって書いてあったの。
書いたことをね、実は数年間忘れてたんです。死にたいって書いたこと。
あまり私死にたいと思ったことないなぐらいに思ってたのに、
その時は書いてあって、
なんかそこに思ったことがあって、
で、その、逃げてばっかりみたいなことも書いてあって、
で、まあ、シンガポールに来たのも、遊びのために来たんですけど、
あの、あの、
あの、
あの、
あの、
あの、
で、まあ、そのシンガポールに来たのも、遊びのために来た。
なんかこう仕事とかも全部ほっぽり出して、遊びだけをしたくて、
来たけども、遊びさえもできなかったって書いてあって、
遊びさえもできなかったって、まあ、もちろんその、なんだろう、
コンサートが中止になったのは私のせいでもないし、
私の日頃の行いとか、そういうことで全く思わない。
まあ、そういうことではないんだけど、
でも、それさえも私はできなかった。
まともな、こう、生き方ができない。
でも、なんか、まあ、この話をしようと思ったから、久しぶりに、
昨日読んで、
で、まあ、今もそうなんですけど、あの日記は結構、自分にとって、
辛い時期の思い出
すごいストレートな言葉で、むき出しな感情がすごい伝わってきて、
自分でも泣いちゃうわけですよ、読んで。
今もやっぱこう、思い出すと、辛かった感じが蘇ってくるし、
でも、それで写真もね、見てたら、超楽しそう。楽しそうに笑っているわけですよ。
その、現地のファンの人とか、日本からも行こうとしてた人たちが、
コンサートは中止になったけど、みんな旅行がてら来てたりする人たちもいて、
そこで初めて会う人とかもいて、全く知らない人たちもいて、
コンサート会場に集まったんです。何とか行ったんですよ。
そしたら人がいっぱいいたって感じなんですけど、
そこで撮ってもらった写真とか見ると、超楽しそうで。
なんか、さっき話した高校生の時の写真が、超楽しそうに笑っているのもそうなんですけど、
なんかこう、自分の中でもすっごいギャップがある。
辛かった気持ちも全部じゃないけど、泣きそうになるぐらい覚えているし、
とはいえ、なんかこう、笑ってたのもすごい覚えているし、
好きなこともいろいろあるから、あれやってこれやって、どっか行ってっていうのも楽しかった記憶がたくさんあるし、
けど、急降下しちゃうんですよね。こう、辛い気持ちが。
上がったのかなと思っても実は上がってなかったみたいなのとかが、ずっとこう、
大丈夫かなと思った瞬間に下がったりとかするから、
なんかそういったギャップのところで、
35歳の時に、そういった積み重ねの飽和点を迎えて、
こう、誰とも連絡取らずに生きることになるみたいな。
だからなんかその頃の日記を読むと、
いつ死んでもいいように生きていこうって書いてあって、
部屋片付けるのもいつ死んでもいいようにとか、
なんか人ともそんなに繋がりを持たずに生きていこうとか、
まあそう書いてあったんですけど、
なんかそういった気持ちとは行動がなんか全然真逆になってしまって、
私もなんでかなって自分でもよくわからないんですけど、
全国各地にファン友達ができて、
いろんなところにライブもあるようになるみたいな。
そこから自分の人生が変わってったんですよね。
いつ死んでもいいようにって思ってたのに、
その年の最後には、
ライブに行けなくなるから絶対仕事は辞められないっていう気持ちに変わってったんです。
自己発見と変化
私それまで本当仕事をコロコロコロコロ変えて、
長続きしないとか、
みんなと同じことができなくて本当にダメな人間だと、
みんなからもこう心配されて、
逃げ出している自分とかそんなだったのに、
ライブに行けなくなるから仕事は絶対辞められないって言わば、
遊ぶために仕事をするっていうふうに選んだわけで、
それでいいんだって言う、
私の中ではすごい新鮮な考え方、
私の中ではすごく新鮮な考え方、
それまでは使命感とか、
辞めない仕事をするにはどうしたらいいかとか、
逃げられない仕事をすればいいんじゃないかとか、
いろいろ頭でっかしにいろんなことを考えたけども、
そうか、ライブのためにお金稼いで遊ぶって、
それで仕事を辞めなければそれでいいじゃんっていうふうに思えたのに、
まあ救いだったなぁというふうに思っていて、
だから、
まあちょっと本当費用でもなんでもなく、
アムロナミエさんに命救われたかもなっていうふうに思っていて、
だから、もっと早くこう、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
もっと早く、
こう、
自分のロールモデル的な人、
アムロさん、他の回でもね、
割とアムロさんの話してるから、
聞いたことある人もいるかもしれないけど、
なんかこう、
自分にとってのロールモデルだったのではっていうふうに思うんですよ。
アムロさんが。
だからもっとこう、
自分が若い時、
20代とかそういう時に、
アムロさんにはまってたらよかったなぁとは思うんですけど、
でも、
でも、年齢一つしか変わらなくて、
もうそのお父さん死んだ時には、
アムロさんデビューしてた時かな、
だし、
アムロさんがこういろいろ会った時だって、
私はリアルタイムで知ってたし、
そこではまらなかったとか好きにならなかったわけですから、
ほんとタイミングなんだなぁと思って、
なんかこう、タイミングとか運とか、
なんかそういうのってほんと残酷だなって思うんですよね。
そういうのって、
特に子供の時とかって何もコントロールなんかできないし、
だから大人が近くにいてくれることっていうのは、
ほんとは一番心強いと思うし、
こういろんな情報を伝えられる大人がいて、
その人が何もできなくても、
こういうのがある、ああいうのがあるっていう風に教えてくれる人が、
自分にもいたらよかったなぁと思ったりはするんですよね。
このポッドキャストを聞いて、
なんかちょっと別の視点とか、
別の何かが見え隠れするようなきっかけだったりとか、
そういったことがほんのちょっとでもあればいいなと思って、
今今回というか、いつも自分の話をしているわけなんですけども、
大概、辛くなる時って夜が多かったりするかなと思って、
だから自分の好きな時間とかにアクセスしやすいものなんだろうと思って始めたのがこのポッドキャストなので、
もしなんかこう、辛い時に辛い話聞くって、
辛くなるじゃんっていう時も思ったりはするんだけど、
けど、同じような気持ちの人がいるっていうのが、
私は結構そういうのが救われたりしたから、
同じかどうかわからないけども、
ついさっきよりはちょっと気が楽になったというふうに思えるようなものになってたらいいなというふうに思ってます。
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。
21:31

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