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喪失感は突然に、第10回目の配信です。今回は、泣き出しそうな予感と突然に、です。
いやー、あのー、2日前にですね、久しぶりに突然やってきた大泣きがありまして、
そう、ちょっと久しぶりになんか、あんな感じの泣き方をしたなーっていうので、2週間くらい前から、
あ、なんかこれもしかしたら、夜、目を閉じて音楽聴き始めたら大泣きする感じがするっていう風に思ってたんですね。
最近そのきっかけとか、トリガーになるのが、まあ音楽なんですね、私の場合。
米津玄師さんのアザレアなんですけど、これ時たま音楽変わったりとか、まあ音楽じゃない時もあるんですけど、
聴いた時に、あ、なんかこれじっくり聴いたら泣きそうだなーってふと思ったんですね。
でも、なんかそれを拒否する自分もいて、仕事行く時とか、同じ曲聴くわけじゃないので、違う曲も結構聴いてて、
それで、たまたま忘れて、米津玄師さんのアザレア聴く時に、あ、そうだった。
あ、またやっぱそうなんだ、泣きそうなんだ、みたいな風に思って、もちろん仕事の行き帰りとかだと、そこまで感情が高ぶるとか、泣くまでにはならないので聴いてられるんですね。
2日前なんですけど、それも別にアザレアを聴こうと思って音楽かけたわけじゃなかったんですけど、
ふとね、ちょっと何か聴きたい曲の前に、なんか聴いてたんですよ、なんとなく。
そしたら、急に、あ、そうだった、という風に思い出したりとか、ちょっと前に見た光景だったりとかするのがバーってフラッシュバックしてきて、
突然涙がフワーって溢れてしまって、そのちょっと前にもう日記書いてたんですよ、そろそろなんかこれ来るかもしれない、わかんないな、みたいなこと書いてて、
その日記を閉じた後、いわゆるiPhone置いた後に、突然涙がやってきて、それでその涙止んだなと思って、
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iPhone見たら、6分間泣いてたっていうところで、うわーなんか久しぶりだな、こういうのと思って。
まず何が起こったかっていうと、2週間くらい前からちょっといろいろ仕事でいろんな準備とかもしてて、
割と自分が中心的に、なんかこう準備とか当日とかもやっていて、そこで終わった後とか、
みなさんにお疲れ様とか、大変だったねとか、いやすごいねみたいなこと言われたりとかして、それでみんなにこういろんな人と話をして、それが2週間、2週連続で続いて、
で、なんかその時にこう、人の輪の中で、中心まではその時、まぁいっか、中心難しいな、いろんな人と話したんですよ、主催者側だから。
そうなってくると、なんかそこに充実感とか覚えてしまい、自分も頑張ったなーって思ったりしてて、それでアンケートとか読んだりとかして、
なんかお疲れ様でしたとかありがとうございましたって書いてあったのを見たりとかして、泣く一瞬ちょっと前に、そのアンケートの用紙の映像と、その研修の時の映像が一瞬で出てきて、そこから泣いてしまったんですよ。
これって何なんだろうって考えてみると、昔からなんですけど、こう、自分がこう充実感があるとか、例えば自分に良いことが訪れた時とか、連続でとかね、時とかってものすごい悲しくなってしまってたんですね。
その時時々も意識してて、そういう風に思った。なんで自分ばっかりこんな良い思いしてしまうんだろうかとか、私だけ幸せになっていいのだろうかってきっと思ってしまったんだろうな、幸せとか。
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たぶん今回も、充実感を覚えた時、自分の周りにたくさん人がいるとか、そういう状況になると、もう無意識にそれを否定してしまう自分がいる。
お父さんやお兄ちゃんは、いろんな思いを抱えて亡くなっていってしまったっていうところを、意識しなくてももう刷り込まれていて、
だからこう、自分が何か充実感を覚えた時とか、人から感謝されたとか、逃げられたとか、そういうのがあると、どうもそれを自然に受け入れられない自分がいるのかもしれない。
かもなんですよね、それも。実際こう、泣いてしまうっていう症状というか、一瞬で6分間、その後ちょっとしばらくまたいろいろ考えたりとかしてるから、もう少し時間は経ってるけど、その日結局やらなくて、朝ぐらいまで起きてたんですけど、
これはなんか、自分はカウンセリングに行った方がいいんじゃないかなとかって思ったりもするんですけども、ただ、このことによって自分の生活に何か支障があるわけではなく、ただただわからない。わからない。でもない。
難しいんだよな。当てはめることができるんですよ。何で泣いてしまったんだろうとか、何が辛くなってしまったんだろうとか。あと、言葉にしたい自分がいるっていうのはあって、それを探し求めていくために、カウンセリングはいいんじゃないかと思ったりもする。
なんか私こういうのってさ、自己肯定感とか自尊心とかなんかそんなのが気づけないのかなとか、ふと思ってたんだけど、でも自己肯定感でも自尊心でもこれ関係ないよね、と思って。
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だってありのままの自分を受け入れられるかどうかみたいな話が自己肯定感だったりするわけだから、今回の場合、最初は自己肯定感とか自尊心が詰め上げられないんじゃないかって思ったんだけど、ちゃんと調べてみたら、あ、違うなと。
単純に自分が評価とか認められたとか、そのことによって充実した自分っていうのに、何だろう、受け入れられない?
すごい私は良かったと思ったんでしょう、自分で。私はなんかこう、人の役に立てることがとても充実感を覚える人で、他の多くの人がそういうふうに思うと思うんです。
でも実際は本来な自分はありのままの、ここに役に立つ立たない関係なくいていい存在というふうに思えることが、自己肯定感だったりとかにつながるっていうふうに思うんだけど、
とはいえ何も役に立てない自分みたいなのがもしそこにいたとしたら、それはそれですぐ辛いし、誰かの役に立てるといいなと思ってしまう自分がどうしてもいて、
とはいえ役に立ったとか充実したとか思ったのに、それが今度辛くなるっていう、何なんだろうなって。自分が望んでるのに、その望んだ状況になったらなったって辛いとかね、何なんだろうね。
もしかしたら、泣き出しそうな予感を2週間ぐらい抱えたときに、あのまま泣いていたら、今のこの思いにはならなかったのかなと思うんです。
あのときはもう泣き出しそうだな、どうしよう。でも何かちょっと拒否する自分がいる。昔から結構それはあったのね。急に泣いてしまうこと自体、私はいろんな泣き方があるっていうのを目もつけていろいろ分かっていったぐらいだから、泣くことに対して拒否感あるわけでもないのに、
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時々予感がするのにそれを遠ざけようとする自分も垣間見て。今回2週間前にもし泣いていたとしたら、どんな思いがあったのだろうかと思うと早めに泣いといた方が良かったんじゃないかなとか。
もしかしたらね、1週間前に泣いて2日前に泣いたかもしれないけど、それはそれでまた違う思いが分かったのかもしれない。
やっぱりこういう分からない感情。分からない感情じゃないな。何で泣いてしまうんだろうかっていう。前にもちょっと話したかもしれないけど、何で泣くのかとか、人は何で涙を流し泣き止むのかっていう本をね。
2年か3年くらい。1,2年?3年前?それくらいで買ったんだけど、今読み終えてないわけですよ。今回はちょっとこの涙の理由をもう少し分かりたい。
要は泣いてしまう予感があり、それを拒否しようとする自分がいる。で、突然やってくるフラッシュバック。で、突然の涙っていう一連の流れ。そこまで行き着くのに2週間くらいかかっているわけだから。
で、あと一種のひどいわけではないトラウマだと思うし、やっぱりお父さんがね、死んで、それで一番に自分の中で最後まで言葉に出せなかったことって、
捨てられたなんですね。自分がお父さんの生きる意味にならなくて、私よりも死を選んでしまった。
お父さんの状況からね、借金とかあって、そういう選ばざるを得なかったっていうのも理解してるし納得もしているけども、それと同時に自分は生きる意味にならなかったことが辛く悲しい。
置いてかれた。見捨てられた。っていうところが、本当に最後の最後まで言葉に出せてなかった。そういえば、思ったことあった。
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でも、よくよく考えると、ものすごい夜、本当に辛い時にしか何かそれ出てこなくて、本当に重い重石でギューって蓋してたみたいで、
どこの日記にも結構、お兄ちゃんが亡くなったのが7年前で、その7年前の時くらいは結構いろいろメモとかiPhoneとかにいろいろ入れたりとか、ノートにいろいろ書いたりとかしてる中で一つも出てきてなくて、
出てきたのが、去年の8月くらいの日記にメモに書いてあった。その見捨てられたとか、置いてかれたとか、そういう感情の言葉が書いてあって、だから本当にいろいろお兄ちゃんが死んだ時にお父さんが亡くなった後のいろいろ自分の気持ちとかが、いろんなことが整理がついたにもかかわらず、
その見捨てられた感が強かったっていうのは、最後の最後まで、もしかしたらまだ最後かどうかわからないんだけども、今のところの最後はそれがはっきり言葉にできて、こういうところでも喋れるし、
辛い時って喋ろうとすると涙が出てしまうから、私は涙って自分の気持ちの尺度としているから、
こう話せて、今全然、さっきちょっと泣きそうになった時もあったけど、今見捨てられたって言葉を話しても泣きはしないし、もう割と慣れてきている、その言葉に受け入れもできている状態なんじゃないかなと思っていて、
それでも、いろんな複合的なものが重なり、実際、泣いてしまった時とか泣いた後もだけど、自分が充実感を得たっていうところだけなのね。
その時に、自分だけがこんなに幸せでいいのかどうかなんて気持ちは一切現れていないのね、思考の中に。ただ映像がパンパンって出てきただけだから。
その充実感を得ていたっていうのも、特に言葉にしていたわけじゃなくて、そんな感じ?みたいな思いが。
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何て言うんだ?思考していなくて、なんとなく感じていることって。なんだろうね、あれ。それがいろんなことを積み重なって、何かが生じて涙が出たんだと思うけど。
でも今回ね、泣き出しそうな予感が2週間あって、その後に映像が2つぐらいパンって出た瞬間に、ガッてなんかね、早かったのね、涙が出るのが。
それもなんか、もう瞬間から号泣みたいな感じのやつ?この涙の種類も本当にいろいろあって、涙出始めから号泣みたいな感じの。
あ、さっき号泣って調べたらさ、大きな声を出し泣くことって書いてあって、え、大きな声は出してないからじゃああれ号泣じゃないのかな。何て言うんだろう、なんか。うーってなっちゃうやつ。号泣って言えなくなっちゃったよ、そういえば。
まあとりあえず激しい感じの泣き方、まあ声は殺す感じの。で、本当あの急に来るやつはいつにたっても辛いんですよね。あれは感は全くされない。
まあでも、こういったのを昔はいつか無くなるのかなーって思って生きていた時間が結構長いんですけど、兄ちゃんが、兄が無くなってからは、いやもうこういうの無くならないんだな。
泣きとこれからずっと一緒付き合っていかなきゃいけないんだなーっていう覚悟がね、もうできたから、なので、こう急に襲ってきた時のものをきちんと考えて、答えは出なくても、
こうだったのかなー、あーだったのかなーっていうのを、私は考え続けていきたいなーと思っています。では今日はこのあたりで終わりたいと思います。またねー。