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#60 ラストライブの日のこと(喪失感は、突然に)
2026-05-31 18:53

#60 ラストライブの日のこと(喪失感は、突然に)

雑談タイム:また1ヶ月ぶりの配信 / ストレス発散にバッティングセンターへ行った
嵐のラストライブの今日、東京ドームが近づくにつれて、安室奈美恵さんのラストライブの光景が浮かんでくる / 予期せぬ瞬間に喪失感が押し寄せた / ここでは親族の死別と引退の喪失を並列で語っている(その理由は別の回を参照)

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サマリー

今回の配信では、嵐のラストライブの日をきっかけに、安室奈美恵さんの引退という喪失感を突然思い出した経験について語られています。親族の死別と引退の喪失感を並列で捉え、突然訪れる感情の波や、言葉にしにくい喪失感について考察しています。また、ストレス発散のために始めたバッティングセンターでの体験や、読書体験についても触れています。

雑談タイム:1ヶ月ぶりの配信とストレス発散
喪失感は突然に、第60回目の配信です。 今回は、ラストライフの日のことです。
またなんかちょっと1ヶ月ぶりのなんか配信になってしまって、最近ちょっとね、サボり、サボってるわけではないんですけど、なんかこう、
なんでしょうね、やっぱり週1回っていうね、きちんと決めてやるのが、やっぱいいなというふうに常々思っていますので、しばらく、もうしばらくしたらまた戻したいなと思っている今日この頃です。
1ヶ月ぐらい経つと、最初にいつも雑談タイムみたいな数分喋ることにしてるんですけど、まあ話すことたくさんあるなみたいな感じになってしまって、まあ本題じゃないからどうでもいいんですけど、
最近変わったことといえば、運動をよくするようになって、今日ね、バッティングセンターにも行ってきたんですよ。これ2回目。子供の頃にはよく、よくじゃないか、たまに親と行ったりとかしていて、数ヶ月前、4月か3月か4月に、
なんか私こそストレス発散っていうものが必要なんじゃないかって思ってきて、私それまでストレス発散とかストレス解消とかいうのに懐疑的で、ストレス要因を取らなければ発散したろうが解消なんかできないだろうと思っていたから、
買い物とか運動とかなんかそういうのに全然見向きもしなかった。ストレス解消とかいう意味でね。でも、そんなことない気がするって思って、やっぱこうストレス発散というか打撃が必要と思ったの。
なんで打撃ってって。暴力っぽくてよく言い方がなくてあれなんだけど、なんかこうドーンとか体に衝撃がグーンってくる何かがあると、なんか身体感覚を伴ったなんかこう解放感はいいんじゃないかなと思って、何かなと思ったらバッティングセンターって思い浮かんで。
それで今月の初めに行ってきて、友達と。私はもう行く前から当たる気しかしないって思ってて。友達は当たる気がしない。全く真逆で。実際彼女は当たんなかった。
でも、私はかすったのも含めれば15球中7とか8とかは多分当たってると思う。で今日は2プレーやって別のとこに行ってきて40球やったんですけど、だんだんこう当たってくる。
かすったりするのもあるけども、手ごたえある感じのバッティングができてめちゃくちゃ楽しいと思って。そろそろね、当たるとやっぱり手が結構擦れる感じがするから、そろそろ手袋を買おうかなぐらいに思ってる今日この頃です。
ラストライブの日の喪失感
ということで本題に入りますと、ラストライブの日のこと。今回ここから聞き始めると、何の話やねんって感じになるんですけど、私はアムロナミエさんがずっと昔から好きで、といっても25、6年の中の10年弱とかなんですけど、
それで引退を発表したのが2017年で、2018年にドームツアーをやった時のラストライブの日のことということで、なんでこんな話なのかというと、
今日、嵐がラストライブで、母が数週間前に、あんた電車大丈夫なの?とか言われて、それで私知ったんですけど、それまで全然覚えてなくて、今日電車乗ってた時に、
水道橋に近づくにつれて、ちょっとそわそわをしてきて、なんだろうと思って、あ、そっかそっかと思って、ドームが近くなると、そういう方たちいっぱいいるのかなとか、全然時間が違ったから、そんなにはいなかったんですけど、
でも何名かいらっしゃって、かみしめるというか、そうすると頭の中では自分が行ったラストライブ、ちょっと似たような時期で、6月の2日がセミファイナルで、6月3日がファイナルだったんですけども、
なんかその日のことをすっごい思い出しちゃって、セミファイナルの時はチケットなかったんですけど、友達と待ち合わせして、ドームに行って、お泊り聞きながら、いろんな話をして、懐かしい友達にも偶然会ったりとかして、
ファイナルの日はチケットあったので、中に入って最後の姿を見てきたわけなんですけども、最後のライブってなんかすごい言い方が微妙で、ツアーとしてのラストの日は6月3日なんですけど、
インタビューが9月の16日で花火が上がる日だったんですけど、それの前夜祭みたいな感じで、沖縄でいろんなアーティスト招いて、コラボレーションしてライブやったんで、それが本当はラストライブって言うんだろうけど、私それにはいけなかったので、実質東京ドームが最後で、
そんなことを頭の中でいろんな映像が思い浮かんでくるわけですよ。
誰と会ったとか、どんな話したかあまり具体的には覚えてないんだけども、その時見た光景だったりとか、もちろん写真で撮ったものもあるけど、いろんなものが飛び交ってくるみたいな感じで、
そんなことを考えてたら、ちょっと泣きそうになったりしながら、おーって思って、まさに喪失感は突然にじゃーんとか、そういうのだからこのボットキャストの名前を喪失感は突然にっていうわけにしたんですけども、
なんかそんなつもりじゃなかったし、ラストライブが嵐のやつがあるってのはもちろん知ってたわけなんですけど、ただそれがこう自分にとってのあの日のことと繋がるのは予期しないところで繋がって、
それでしばらくちょっと涙ぐみながらちょっと歩いたりとかして、そういうのって言葉に表しづらいというか、当てはめようと思えば寂しいとか、また見たいなとか、なんかあの頃楽しかったなとか、
そういうことになんですけども、でもそれはただの後付けの感情であって、突然やってくる涙の理由では、ではないともいえない、難しいな、
なんか本当にこう、突然こう、多分まあ喪失感だから、喪失感なんだろうけど、いない、不在の実感みたいな感じですよね。
本当、嵐はね、引退発表してとか、あの頃からね、なんかこう、あむらさんの何かと繋がってしまうことが多くて、2000年でしたっけ、なんかちょっとごめんなさい、あんま詳しくなくて恐縮なんですが、
それから発表してから2年間いろんな活動をしてとか、ただコロナがあってしまったからライブが中止になっちゃってとか、そういうのはほんの少ししか知らないですけど、ただなんか本当、いろいろかぶるんですよね。
引退発表してから、あむらさんの場合は1年5人引退しますって言って、まあその1年間っていうのは、まあそういう猶予があってくれて良かった反面、結構いろいろ気持ちが揺さぶられたから、辛かったな、大変だったなとかっていうのが、こう、嵐が引退発表したときも、そういうのを余儀ってしまったりとか、
以前ね、なんかそんなような話を1回だけしたことある回があるんですけど、まあほんと余計なお世話のようなことも思ってしまったりとかはするんですけど、なんかこう、おしかつっていう推しっていうので今なんかこう、巷でね、まあもう認知されているような言葉にはなっていますけども、
実際こう、ほんと家中にいると、なんかほんとこう、いろんなものが見える、私は見えたというか、自分の気持ちもそうだし周りの態度だったりとか、周りの発言とか、
実際、アムロさんたちがどういうことを、こう1年間やってきたのかに対しても、楽しかっただけではなくて、すごいお金使わされるような施策をすごいされたりもしたし、まあそれは、営利企業というか、仕方がないというか当たり前のところではあるけども、やりすぎでしょって思うような意気通りだったりとか、
そういうのもありつつ、でもやっぱいなくなってしまうっていう寂しさがやっぱり圧倒的に押し寄せてくるから、そういったこともね、なんかこう、大きな感情がやっぱりこうあって、その感情というものがこう、
少なくなった、なってはいます。もちろんそういうのもないから。ただ、押し寄せてくる波の強さみたいなものっていうのは、やはり来た時の衝撃はいつも変わらない感じがする。
だから、それに押されて涙が出てきてしまうとか、なんじゃないかなと思って。だからこう、このポッドキャストはこう、喪失感は突然に出る。私の自身のこう、親とか兄とかが亡くなったこともあるし、
ほんともう一つ、アムロさんが引退したっていう子の喪失感っていうのを同じレベルで喋ってるんですよね。同じレベルかって、同じレベルって言ってもなんか変だな。ただ、押し寄せてくるものはほんと似たようなもんで。
今はそんなに聞いてないからだけど、夜、寝てる時にベッドの中で音楽を聞いていると、突然こうなんか悲しくなる。これもまた語弊があるんだよな。悲しいから泣いてるわけじゃなくて、先に涙がやってくるっていうか。
なんかね、圧倒されるんですよね。なんかわかんないけど。そういうのもあって、そういうのってやっぱり父とか兄が亡くなったことを思い出して、急にやってくる涙のやってき方みたいのが一緒だから、割と並列で語っているんですけど。
なんでこんなに親族の私別とアムロさんが引退する素質が並列なのかっていうのは、他の回でいくつも語っているので、ご興味があったら聞いてみてください。
本の話と「乗り越えた」という言葉
ということで、今日は本当は急に具合が悪くなるっていう本の話をしようと思っていたんですよね。この本は映画にもなっていて、ついこの間、カンの国際映画祭で主演女優賞ダブル受賞した作品で、
ドライブマイカーという村上春樹の本を映画化した前に監督さんが撮られた映画で、その映画を見る前に本は読んどこうと思って。本は結構前に買ったんだけども、読めなくて。
で、仏教は100年の経済学者の方で、がんを患っている哲学者の方と文化人類学者の往復書簡になって、生と死とかを題材としたお手紙のやりとりなんですけど、その内容がすごいんです。
もうすごいんですしか言いようがなくて なーんかこう
まあ読んでいくうちにこう自分にとっていろんな刺さるものがたくさんあって 救われる部分もあるし
まあそういった話をねこう しようかなぁと思ってた
でこの間読み終えたんですけど 映画が6月の19かな
が始まるからまあその前にもう1回読んでおこうと思って 今2回目2週目なんです
その話を できたらと思っていたのですがでも今思うとこれだけ喋れないから喋れなかったかもな
自分の言葉であの本を語るに私が言葉を持ち合わせてない 全部が全部こうチンプになってしまうというか
だからどなたかが書いた帯とかの言葉を引用しながらでしかちょっと本の説明はできない ぐらいでまた自分がちょっといろいろ感じたこともあって
父の死につながるとか兄の死とかにもつながる何かみたいなところで 自分がこう救われた思いとか
こうだったら良かったってあれなんですけど思ったこととか そういう観点からこの本の話をできたらなと思ってます
2回目読んでもう少しまとめないと喋れないこともわかった あとこういつも日々生活している中でこの話しようとかこういうのいいかもと思ってメモしとくんです
それで今日久しぶりにそのメモしたものを見たんですよ そしたら
いくつかはまあ何を言いたいかわかるってものもあったんですけど 全くわかんないものがあって
このね乗り越えたという言葉について乗り越えたはコスパが悪いって書いてあって 乗り越えたはコスパが悪いってどういう意味なんだろう
自分で書いたんですけどなコスパが悪いってどういうことなんだろう
うーん あっちょっとわかった
あ思い出したすごい 言葉に出すと覚えてるもんだね
このね乗り越えたコスパが悪いのをなぜコスパが悪いかっていうのは ちょっとねまた違う話になっちゃったんだけど
私が父が亡くなった1年後ぐらいに なんかそれまではずっとこうなんで死んでしまったなんで死んでしまったのでずっとループだった
けどなんで自分は父が亡くなって悲しいんだろうって思った時に 自分の中にぽっかり穴が開いてしまったような感じがする
でも 父が
もう生きていたら 私のぽっかりした穴は開かなかったけど
父は死んだように生きていかなきゃいけなかったんだ だから仕方がなかったんだっていうふうに思ったのが多分1年後ぐらいなんですよ
多分それで乗り越えたっていう言葉は使ってないけども 自分の中で納得した答えを見つけたんですよ
それですごい楽になった記憶があって でも
そんな1年ぐらいでこのことを見つけてしまったために なんか自分の中で大丈夫って思った感が強くなっちゃったんじゃないかな
でも実際自分がこれはひと山越えたかもしれない なんかちょっと大丈夫になったみたいなのをしっかりはっきり理解できたのは20数年後なんですね
だからコスパが悪いにしたんだ わかんないよこれ
なるほど コスパが悪いね
でも今思うと別にコスパは悪いわけではないだろう 別にあれはあれで私の中に折り合いがついたわけだからあれで
まあとはいえ全然ダメだったんだけど なるほど
理解した もう少し書かないと
わかんない ということで
今後の配信について
今1ヶ月配信までに開くって言うとこういうことになってしまうというのはすごい理解したので
また1週間に1回の更新に戻したいと思ってます
ということで今日はこのあたりで終わりにしたいと思います またねー
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