1. 喪失感は、突然に
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2024-12-02 24:44

#03 映画「本心」を観て考えた死について

・映画「本心」を観て考えた死について
・母にもし死にたいと言われたら
・AIで亡くなった人を再現することについて

母親をAIで再現する「バーチャルフィギュア」の話 / 母親は病気ではないが「自由死」を望む / 映画では自殺と示唆され、息子は苦悩する / バーチャルフィギュアは死の概念を変える / 父や兄のバーチャルフィギュアは欲しいとは思わない / 母の死後、話し相手が欲しいと思うかもしれない / 死後も故人のデータが残る時代がくる / 母親の空間ビデオを撮っておきたい

サマリー

ポッドキャスト第3回では、映画「本心」を通じて死に関する考察が行われています。主人公がAIを使って亡くなった母親を復活させようと試み、自由死や亡くなった後の心情について語られ、深い感情的な問いが提示されています。映画「本心」は、母親との関係を再考する中で死に対する深い洞察を示しています。また、物語の中では新たに出会った人々とのつながりが描かれ、家族や悲しみの受容についての考察が展開されています。

映画「本心」の紹介
喪失感は、突然に。第3回目の配信です。今回は、前日観てきた、本心という映画の話をしたいと思っています。
皆さん、本心というのをご存知でしょうか。ミラノ・ケイチさんが、原作で描かれているものを映画化したもので、
突然、亡くなってしまったお母様を、息子さんがバーチャルフィギュアと言って、少し近未来の話で、VRゴールの中でバーチャルでお母さんを復活させるという話。
なぜ、主人公の息子が、お母さんをAIで復活させようとしたかというと、生前、突然、お母様から、もう十分生きたから、自由死をしたいという風に告げられてしまうんですね。
自由死というのは、俗に言う安楽死なんですけども、今、実際はこの安楽死とは少し系統が違っていて、もう少し厳密じゃない感じだったのか、後掛けに少し書かれていたんですけども、
安楽死は、いろんな嫁があったりとか、何年後の審査を受けて、それで通った人だけができるという制度なんですけども、もう少し緩くなっている感じのようですね、小説の中では。
自由死を選んだお母さんは、70歳ぐらいで、病気もとかもしていないので、息子の方は、突然そんなことを言われて、全然納得できないし、受け入れられないし、断固として拒否をするわけなんですけども、
本と映画が少し違っていて、まだ見ていない方はネタバレになってしまうので、お気をつけください。映画は川に飛び込んでしまうんですよ。その一瞬が出ていないのでわからないんですけども、後から警察の方がおそらく自殺ではないかという風に告げるので。
本の方は、自由死を選んでいたんだけども、不良の事故で亡くなってしまうというところで、お母さんはなんで自由死を選んだかというのがわからないんですけども、最後の願いとしては、死の一瞬前にお母さんや息子と一緒にいたい。
息子がリアルアバターといって、結構いろんなところに出かけてしまったりとか、海外も行ってしまったりとかもするので、いないときに亡くなるのがとても不安だという風におっしゃっていて、だから最後、もう見とってほしいという願いを伝えるんですけども。
その願いを、カスヤさんは叶えてあげることができなかったことを苦悩するんですね。
バーチャルフィギュアを作るんですけども、生前、お母さんのライフログ、メールとかチャットとかなんでしょうね、手紙とか、そういった映像とかで作られていくんですけども、
作った後もどんどんアップデートをさせていくことが可能で、新しいニュースだったりというのもずっと勉強させることができて、そこがちょっといやらしいというか、サービスだからしょうがないと思うんですけど、ニュース1カテゴリーとか1ヶ月に300円だったかな、課金して使用することができるサービスになっているようです。
なので、ゴーグルつけて話すときに、お母さんは最新のニュースだったりというのを知っていて、それを踏まえてお話しすることができる。
ただ、心がないそうなんですね。心がないくて、学ぶことができるようなので、生前の話し方だったりとか、話す内容だったりするニュアンスだったりするのが違ったときに、
違うよお母さんとか、なんかそのトリガーになる言葉を言うと、それで学習していって、次からは違う返答をしていくという形になるそうです。
映画を見に行く前は、まだ本も途中、ほんと序盤だったので、詳しいことをまだ分からずに行ったときに、自分だったらお母さんに、もし自由死というか死にたいというふうに言われたらどうするかというふうに、ちょっと答えを出してから映画を見に行こうと思って。
私の場合は、母も80過ぎていて、だいぶ体とかもつらいことも増えているので、もし言われたら、もちろん安楽死という制度の中で、現状の母は望んでないと思うし、多分ないと思うんですけど、できることはないんだけど、
死にたいって言われたことはある。
手術した後かな、すごい痛かったときかな、病院で看護婦さんとかが、看護師さんとかに意地悪なのかな、わかんないけど、医師卒うまくできないようなこともたくさんあった。
それでもう帰りたいとか、死にたいって言ってて、本当それはもういたたまれなくて、うんっていうしかなかった。
実際、もし言われて、つらいけど受け入れるかなと思って、父と兄は自ら命を絶ったわけなんですけども、
父さんが死んでから、まずなんで死んだの、なんで死んだんだって、その時16だったんですけども、思っていて、あるとき、なんで自分が悲しいんだろうかというふうに思ったときに、
自分の心の中に空っぽになってしまった部分があると思って、それが悲しいんだと思ったんです。
死の受容について
それが生まれば悲しくないわけで、生まれるということは何かというと、父が生きていることになるわけですけど、
でも父は死ぬほどつらかったわけで、もし生きていたら、死んだように生きていくことになったのかなというふうな思いが湧き起こったときに、
仕方がなかった。死を選んでしまった父に対して、自分が悲しいからって、自分の悲しみを埋めるためだけにいるのって、それはちょっと自分がわがままなんじゃないかというふうに思えたときに、
そのときが初めての受け入れたことだったかなと思って、その受け入れたからって、それがその後の人生大丈夫だったかというと全然そうではないんですけども、
そう思えたときに少し自分が変わったなというふうに思った経験があるので、絶対してほしくはない。自ら死を選ぶことは誰もそんなことはしてほしくないと思うけど、
最後の決断というところを責めることもしたくないっていう相反する気持ちをもう多分ずっと持っているかな。
以前、自殺防止の死にたい人の気持ちを聞く電話の相談とかをやっていたときに、その頃は止められると本気でちょっと思っていたんです。自殺はどうにかして止められるものだと。
けど、これって終わりだなと思ったりとか、最後の決断を受け入れるということをどうしてもできなかった。その電話の相談をやっているとき。
分かっていながらも、どこかで受け入れていなかったから、あまり長続きしなかったんですけども。それでもたった今、電話でお話ししている方が生きていってほしいと思うのは本当にそう思っていたし、選んでほしくない道だけども。
でも、死にたい気持ちを否定するのは、それを否定することは誰もできないと思うから、じゃあ死にたくならないように、どうしたらいいか。
たぶん、話が脱線しましたけども、息子のカセヤ君もそう思ったんじゃないかなって。だから、もう十分生きたっていうお母さんの意思をどうにかして止めようと。
その、自由死したいって言っている方も、本の中では2年くらい一緒に暮らしたそうなんですね。それで、突然自己死をしてしまうから、その間、そらくどうにかして決断を取り消して、心から取り消してくれればいいと思ったんでしょうけど、お母さんは全然変わらなかったようなんですよね。ずっと説得をしていたって書いてあったんで。
映画の方はそういった描写はなく、自ら命絶っちゃったんですよね。その最後の一緒にいたいって話したっけな、映画。ちょっと忘れちゃったけど。それでバーチャルフィギュア作って、自分だったらそのバーチャルフィギュア必要かなと思ったときに、私の場合ちょっと少し、少しというか父と兄も。
お父さんの方なんか30年も前なので、そんなもう会いたいけど、数百万かけてっていうところではもう実際ないし、兄の方はそんなベラベラ喋ったわけでもないから、それにその本心を聞きたいかっていうと、ちょっとお兄ちゃんの本心を聞く勇気私はない。ちょっと怖い。
だから母が死んでしまったら、ちょっと欲しいかなと思った。実際に映画の中でVRのゴーグルかけてるときだけ見えるのかな、喋れるのかなと思ってたけど、そうでもなくて。
ゴーグル外して軌道さえしていれば、相手からは顔が見えないっぽいんだけども、会話はできるような描写があったから、会話できるのはいいなと思った。
なんかやっぱり一人でね、これからお母さん亡くなったら一人で暮らすのが寂しいなって思うと、話し相手とか欲しいなと思うし。ただ人ともこれから一緒に暮らすのとかがちょっと人とのコミュニケーション嫌いじゃないけど、一緒に暮らすとかが大変だから、未来はロボットと暮らしたいなと本気で思ったりとかしているんですけど。
もしバーチャルフィギュアの母がいたら、もうその時点で母ではないのかもしれないけど、母の声で話せるっていうのって多分だいぶ救われると思う。
となると、死って何だろう。死の概念がだいぶ変わってくるかなと思って。今まではこう、心臓が止まって脈が止まって、肉体が滅びたらもうそこは死で二度と取り戻すことができないっていうものだったけども、
そのAIで作り出したものがニアリーゴールにはなるわけだから、それをどう受け入れられるかわかんないけど、ただ別れが二度来るっていうふうなことを思うと、辛いから一度でいいなと思ったりもする。
たぶん、月額その課金があるのかどうかそういう描写はなかったからわかんないんだけども、たぶん維持費絶対かかる気がするんだよな。なんか二、三百万だったんですよ。バーチャルフィギュア作るのに。
かつ、ニュースとか新しい情報をインプットさせるために一か月の月額料金が二、三百円あった。それ以外の月額ありそうな気がするから、結構いい日かかる気もするんですよね。
作っただけなのか、その辺わかんないけど。いつか別れが来ると思う。それは自分が納得しても大丈夫だなと思って、消去するようになるのかもしれないですけど、
なんか、今までって私はお父さんお母さんとお兄ちゃんを突然亡くして、それでそれをどう受け入れていくかってすごく、今でもね、考えたりはするわけだけど、
病気とかそういうので誰かを亡くしたことがちょっとなくて、母が亡くなったときに受け入れる時間とか受け入れ方って、たぶんまた未知な気がするから、悲しいは悲しいだろうけど、
お父さんお母さんお兄ちゃんのときはもちろんバーチャルフィギュアとかない状態。例えばお母さんが亡くなったときに会ったとしたら、会ったほうが受け入れやすいのか、はたまたなくて、自分の中で解釈して、自分の中でその死を受け入れていってっていうのが、
映画「本心」の感想
本当だから考えてみたものの、やっぱり実際目の前にないとわかんないなっていうのは結論でした。その映画を見に行って。映画自体の感想は、自分が思ってたよりバーチャルフィギュアのお母さんと息子の交流がちょっと少なかった気がしたんですよ。
それよりも、お母さんと一緒に働いていた女性と、ある理由から一緒に共同生活を始める、そっちの新しい関係、お母さんが亡くなってから新しく出会った人とのつながりみたいなところのほうが多くて、
ちょっと自分が思い描いたものと違ってたから、本はね、この間ちょうど読み終えて、もっとその、難しいよね。2時間弱、2時間ぐらいだったっけ。で、本をすべて網羅するのはね。
だから、映画と本のほうっていうのは、もちろんその新しいつながりの出会った人たちとのものと、その中でお母さんのことをどう捉えていくかとか。またちょっと新しい、映画には出てこなかった人物もいたりとかするから、
実際じゃあ、お母さんの本心っていうのを、映画の中はね、ちょっと本心っていうよりも隠し事を、暴露というか知ってしまったっていうようなニュアンスだったから、本心という感じには思えなかったけど、本のほうは、ちょっとまだね、あれも隠し事の感じなんだけど、本心って難しいよね。
と思ってた。映画見に行く前も、本心を知りたくてバーチャルフィギュアを作るんだけど、どうして自由主義を決めたのかとか。
本でもね、実はちゃんと書かれてないから、たとえ言った、そのお母さんから本当に本心がこれだって言ったとしても、本心って多分解釈とか受け入れる側、聞いた側の解釈受け入れる方法とか受け入れ方とかによって、本当なのか本当じゃないのかって変わってくると思うんです。
本当にお母さんが本当のことを言ったとしても、いやそれは本当じゃないって言ったら、本心と思わないし、自分自身もこれが本心だっていまいち言えるのかっていうのを、少し私はいつも疑問にも、自分もこうなんじゃないのかっていう自分の気持ちも当てはめることはよくするんだけど、
じゃあそれが本当の気持ちなのかって言われるとよくわかんなかったりとかする。
私はよく悲しみとかは、悲しみとかってそうなんだよね。
本当にこれ、この悲しみだから泣いてるのかなとかよくわかんないし。
ただ、自由主をどうして決めたかっていうところのものを息子さんは知りたかったわけで、結局わからなかった。どう理解したんだろうな。
私の本の読解力はよくわからないのか。
過去の出来事はたくさん聞くんですよ。他のお母さんとの、以前知り合いの人からも知らないお母さんを聞いたりとかするんですよ。
最愛の人の他者性を受け入れるっていう言葉でもすごいよかった。
それなのかな。本心というか、本心を知りたいから始まり、けど最終的には最愛の人の他者性を知るっていうところで、あの言葉すごくよかった。
あんまね、その他者性というか、自分が理解しがたいことを受け入れるって、特に近ければ近い人の話って、特にね、死にたいを受け入れるって本当に大変だと思うし。
本の方がね、もう一回なんか読みたいかなーって思う。映画はどちらでもいいかなーって。
死の概念と受容
ただ、私ちょっと機械物好きだから、アップルビジョンとかもし買える時が来たら、空間ビデオで撮っておいたお母さんを見るみたいなことはしたいなーと思う。
今一回まだ撮ったことないんだよね。私iPhone 15 Pro持ってるんですけど。
これで撮っておけば、いつかアップルビジョンじゃなくて、メタクエストでもいけるのかな。
私一応VRのゴーグル持ってるけど、メタクエスト2とかちょっと古いやつだから、ちょっと微妙に映像があんま良くないから。
だけど、アップルビジョン見に行ったのに、すごいリアルだったんですよ、映像が。
だから、AIで作り出すっていう。
それよりも、その前に空間ビデオで撮って、見るみたいなことは、
そうだ、これ喋り始めてそう思った。ちょっとやっとかないとなー。
ビデオ撮っておいて。
寂しい。
分かんない。今は一緒にいるから、すごく必要性を感じなかったりはするけど、
写真はよく撮ってるんですよ。一眼レフとかカメラ好きだから。
ビデオも撮っておいて、後で。
何かあって返事遅いから、空間ビデオ撮っておかないとな。寂しいよな。
小さい頃、家にビデオカメラとかよく撮る家族だったから、撮ってたんです、結構。
でも、パソコンに全部取り込んだんですよ。
で、もういらないなーと思って、捨ててしまった後に、パソコンのデータ全部振っとんで、
だから、一つも残ってないんですよ。昔の。
だから、声がね、もう忘れてる気がする。
なんとなく、声高かったような気もするけど、
お兄ちゃんの方はかすかわに、再現もちろんちょっとできないけど、かすかわに分かるけど、
お父さんの方はもうなんか、全く分からなくなってる。
それで、もう一回聞きたいって思うことは、そんなに今のところないからいいんですけど、
あったらあったで、たまに聞いたりとかするのかもしれないけど、もうないからしょうがない。
ということで、いろんな話がちょっと脱線をしてしまってはいりますけども、
これからの時代、死の概念というとこがどんどん変わっていきそうなので、
そういうのをいろいろ考えていけたらなぁと思ってます。
必ずまた喪失体験というか、確実にお母さんが亡くなる未来は数年、もしくは数十年ある。
訪れるのは確実だから、それまでにできることはやっとおきたいなというふうに思いました。
今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。
もし本心を見た方がいらっしゃって、何か感想とかがあればお寄せいただけると嬉しいです。
それではまた。じゃにーん。
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