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2025-01-07 26:37

#08 自死をテーマにした絵本「ぼく」を読んで

自死をテーマにした絵本「ぼく」のドキュメンタリー番組を見たことがきっかけで絵本を買い、印象的だったこと、違和感をもったことについてお話しました。

自死をテーマにした絵本「ぼく」は、谷川俊太郎さんが2年かけて制作した / 「いなくなってもいるよ僕」という詩が印象的 / 亡くなった兄のことを思い出し言葉に共感 / 毎日の中で、亡くなった人の存在を感じる / 「闇は光の母」という言葉
#谷川俊太郎 #絵本 #自死

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喪失感は、突然に、第8回目の配信です。
2025年、始まりました。
皆様、どういった新年を迎えられましたでしょうか。
私は、7回目の時にも、聞いた方もいるかもしれませんが、
年末に体調を崩しまして、病院に行ったらコロナだったということで、
年末年始、家で寝ていました。
ただ、2回目ということもあったのか、
インフルエンザのワクチンが効いていたのか、わからないですけど、だいぶ楽でした。
喉もそんなに痛くならなかったし、薬がよく効いてくれていたので、
普通に椅子を座って、パソコンの作業とかはできている状態でした。
ただ、薬が効いてくると、だるくて、頭痛いってなっていたので、
なおかつ、感染させてしまうわけにはいかないので、外に出ることと、
母にも、なるべく接しないようにしていました。
幸いに、うつらなかったので、よかったなというふうに一安心です。
今回は、自主をテーマにした絵本、
「僕を読んで」についてお話ししたいと思います。
少し前になるんですけども、NHKの再放送で、
谷川俊太郎さんが制作された絵本を、
ドキュメンタリーがやっていまして、
谷川俊太郎さんと愛田さとみさんのドキュメンタリーがやっていて、
初回の放送が2022年ということで、コロナ禍ですね。
リモートで行われたらしいんですね、制作を。
すごい難しいテーマで、子供の自死について、
編集の方が谷川さんに依頼をして、難しいなってなったんだけど、
突然、詩が送られてきたというところから始まって、
2年の歳月を経て完成したそうです。
放送が2022年だけど、2年かかると、コロナもあったたなかですね。
絵本って私初めて買ったんですよ。自分で買ったことなくて。
小さい頃も、バーバーパパを少し読んだぐらいの記憶しかなくて、
あまり馴染みがなかったんですけど、
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テーマがテーマだし、詩もとてもシンプルで、
僕は死んだ、自分で死んだというのを繰り返していくんですけど、
絵の作りのやりとりが、すごい映像綺麗だったんですよね。
鉛筆の線のところもアニメーションで描かれていて、
それがどう変わっていったかというところも描かれていて、
実際、手にとって色味とか見てみたいなと思って、注文して買ったんですね。
絵本って、私最初の印象だと、書かれている文章をそのまま描写するのかなと勝手に思ってたんですけど、
説明的になりすぎないようにみたいな形で谷川俊太郎さんが依頼とかしてて、
イラストレーターの綾さんも色んなアイディア出したりとかして、書いていったりとか、
あと印象的だったのが、ジェンダー的な観点から、
ちょっとこの文章が今の時代に懐かしくないんじゃないかって、
編集の方からの意見とかも出して、それを谷川さんが受け入れて変更するとかでもあったりとかして、
すごいね、なんか本を作っていくやり取りを全く知らない世界なので、
垣間見てそれもすごく楽しかったというか、
でも内容がね、生きてる人が死んでいく僕を書くっていうのって、
ものすごい矛盾というか、理解できない。
死んでなくなってしまったら、その人の気持ちとか、
いくらどんだけ残された言葉があったとしても、真意とかわからないし、
それを描くっていうのって、
ものすごいわからないを受け入れていく作業ではないのかなというふうに、
思いながら見てました、ドキュメンタリー。
絵本を買って、景色とか見つめながら自分で死んだ、一人で死んだっていう僕の描写があったりとか、
学校行く道すがら、友達たちを見ている後ろ姿だったりとか、
本当普通の日常の中で、彼だけが死のことを、
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一人一人どう考えているかわからないですけど、
彼は死のことをずっと考え続けていたんだなっていうような描写なんですよね。
商店街を見下ろす絵があって、
そこにいなくなってもいるよ、僕っていうふうな詩が書かれているんですね。
なんかここがね、私すごいグッときたというか、
亡くなった人たちって、
亡くなる前よりも、自分の中にすごいいるのが、
やっぱりいつも感じているというか、気配。
生きている、特に私お兄ちゃんが生きているときは、
本当年に2回ぐらいしか会っていなくて、
良くも悪くもなかったって感じなんですね。
お正月にお母さんのとこに行くときと、
お父さんの明日の近くにお墓まで行くというときだけで、
あとなんか用があるときに連絡が時々来るとか、
本当そうそうないんですけど。
でも、亡くなってからは、考えない日のほうが少ないんじゃないかなって思うんですよね。
いろんな見るものだったりとか、音楽聴くものだったりとか、
いろんなところに思い出される何かがある。
今日も、私は小室奈美恵さんが大好きなんですけど、
小室さんのJust You and Iという曲が流れたときに、
兄が亡くなる数日前に発売されたんですけど、
子どものことについて、母親の気持ちというか、歌ってるんですけども、
なんかこの曲をずっと聴いてたんですよ。
本当は聴きたくなかったというか、
自分の思い出と小室さんの曲をあまり結びつけたくないから、聴かないようにしてたわりに聴いてたんですよ。
なんてか覚えてないけど。
新曲だったからと思うんですけど。
あの曲聴いて、母の気持ち、息子を亡くした母親の気持ちみたいな風に、
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こう聴いてしまうから、兄を亡くした妹ではなくて、妹だけっていう気持ちだけじゃなくて、
母の気持ちも想像しながらっていうのを、その曲を通して考えたりとかしたんですけど、
Just You and Iを聴くと、2017年だなーとか、6月だなーとか、なんかこう不思議な気持ちになるんですよね。
もちろんその時の住んでた部屋の映像とかもなんか出てくるし、
っていうように、毎日の中でいくつか、ほんのちょっとしたことに顔を出すというか、
ほんとだから、いなくなってもいるよ僕っていう言葉はほんとそうだなーって思った。
見下ろしているところもね、なんかちょっと寂しげなのではあるんだけど、
暗闇の中でね、遠くに光が映し出されるシーンがあって、そこに走り出していくんですよね、僕が。
なんかこう、それも悲しくなってしまうというか、
闇の中の光の方に、そっちに希望を見出してしまう。
希望、なんだどうなんだろうなー。
生きてる世界が闇だとしたら、何かこう明るい場所に行きたくなった時に、それが死だったのかなーとか。
このね、死をめぐる絵本シリーズっていうらしいんですよ、この僕って本のやつ全部で5つあって。
闇は光の母って書いてあるんですよ。
だから、光は闇の中から生まれるっていう、そういうことなのかな。
だから、闇と光をもしかしたら対比じゃないってことだなーっていうのはすごく思う。
よくね、対比させるよね。光と影とか。影か。
でも、決して対比じゃないよねー。
なんか、だから闇は光の母ってすごいなーと思って。
で、あとね、なんかね、闇とか光とかっていう言葉を見ると、思い出すことがあって。
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風の谷のナウシカってあるじゃないですか、アニメ。
それの漫画があるんですね。
で、漫画はもっと長く続くんですよ。
アニメは漫画の序盤で終わって、全然もっと後ろにあって、すごい壮大なストーリーなんですよ。
でね、その中にね、最後、ナウシカがね、あるものと対比するんですけど、
そこで、ナウシカに対してね、「お前は危険な闇だ。生命は光だ。」っていうわけ。
でも、ナウシカは、「命は光の中の瞬く光だ。」っていうふうに言うわけ。
闇の中の瞬く光。命。
これね、もうそのナウシカが生きている時代っていうのは、もう本当に腐敗してるじゃないですか。
受解、受解じゃねえわ。腐敗があって。
それもなんで腐敗ができたかっていうのも理由があるんですけど、
その中でこう、人間を入れ替えるっていうシステムが作られてたんですよ、未来、過去に。
それで、完全に浄化した世界になった時に、もうその汚れてる世界で生きてる人間が、おそらく生きていけないんですって。
だから、完全に今生きてる人間と、実際に過去に作られてる人間がいて、浄化した世界になったら入れ替える。
人間を入れ替えるっていうシステムを作動させることができるんですよ。
そのために墓所っていうのがあるんですけど、そこでその墓所の主と話すんですよ、ナウシカが。
ナウシカはぶっ壊すんですよ、そこの浄化した世界で生きられる人間たちの卵が作られたりとかしてるんだけど、
そこだったけど、まあいいや。
をぶっ壊すっていうところなんですよ。
要は破壊の神、破壊だって言ってるんですよね、ナウシカのことをね。
希望の敵とかね、言ってて。
命は光の中の瞬く光だ。命は闇の中の瞬く光。
これはやっぱり闇と光っていうのを区別してないっていうところで、
闇は光の母っていうのと同じなんじゃないかなっていうふうに思う。
命は闇の中の瞬く光。
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でも闇は光の母だからね、なんか違うよね。
パッとすぐにうまく言葉は出てこないけど。
そんな簡単に多分、言葉にできることがいいことじゃないと思う。
なんかね、ちょっと話また戻ると、このドキュメンタリーの中で何かしんたろうさんがあることを聞かれるんですけど、
子どもたちに何かメッセージはありますかって聞かれて、ないって答えるんですよ。
それは、今目の前でここに子どもがいたら、その子に話しかけることはあるかもしれないけど、
今ここでみんなに何か話しかけることはないって言ってて、本当そうだなと思って。
一般論だとね、いろんなことを言えるのに、それが意味がないことと捉えているんじゃないかなと思って。
みんなに当てはまらないと思うのね、そのメッセージって。
例えばテレビだから、大勢のね、一般論になるのってそういうことかと思うんですけど、
誰かには刺さるかと思うんです。
誰かの心には届くと思うけど、全ての人には届かないから、絶対に。
そうなってくると、こういった実施とかっていうものになった時に、一般論で何かを話すのってすごくなんだろうな、
身勝手までは言わない、思わないけど、私も言葉が出ないよ。
でもね、この編集、一つこの番組の中で、番組は冒頭だったんだけど、ちょっと違和感があったのは、
編集の方が結構序盤で、死なないでくださいって語りかけたんですよね。
そうなんだけどって私は思った。死なないでくださいって大人はみんな恐らく思っているし、
大人じゃなくて多分全人類、死なないでって思ってるんじゃないかな。
憎い人にしてみれば、憎い相手にはそうじゃないかもしれないけど、
基本的に自死、身遣いのうちを絶つっていうことは、本人だって望んでないだろうし、周りだって望んでないと思うから、
それをあえて言ったっていうことに意味があるって言われたらそうなのかもしれないが、
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子どもたちが今自殺が増えているっていうふうに出てると思うんだけども、
その残された人たちへのアンケートだと思うんだけど、理由がわからないが、4割くらいあったのかな。
普通に生活をしていたとか、普通に学校に行っていたとか。
なのに、突然亡くなってしまったっていうケースが多いっていうふうに出てる。
となると、自分たち亡くなってしまう子どもたちだって、わからないわけじゃないですか。
誰にどう話していいかわからない。
その中でこういった絵本が出来上がって、わからない気持ちと、ちょっとでもわかるようになるというか、
少し共感だったりとか、ためにこういう絵本があるんじゃないかなと思うの。
けど大人がね、死なないでくださいって言ってしまったら、この本のテーマ的にはいいのかなって思うんだよね。
死なないでくださいは、それはそうなんだけど、そのために作ってるのはもう、言葉にしなくても、
出版されてる時点で、死んでほしくてこんなの作らないわけだから、逆説的に、
それ以外はね、こういった形、こういうならば、ここに連絡するとか、
喋ってみてくださいといろんなことを伝えてるっていうのは、いいのかもいいんだと思うんだけど、
死なないでくださいってね、その気持ちはわかるから。
他の死をめぐる絵本シリーズ、全部で5つあって、
私は死なない女の子、小林えりか作。
くぬぎがいる今森、何て読むんだろう、光に彦って読むのかわからない。
あと僕、で谷川俊太郎さんと相田さとみさん。
北極で牛を打つ、門畑裕介さん、阿部裕太さん。
スープと飴玉、フレディ美加子さん、中田育美さんというのがあって、
21:08
今回初めて絵本を買って思ったのが、立読みと絵描いて読むって全然違うんだなと思った。
立読みだと、なんかこうサラサラサラって読んで、パラパラパラって読んで、
こういう絵なんだろうな、こういう絵なんだろうなとか、あんま何も感じない方です。
だから今までも絵本ってどう接していいかわかんなくて、話題になる絵本があったりとかしたときは見たりはするんです、手にとって。
けど、そこから何かをって思うこともなく、なんかもうそれに変えちゃったんだけど、
僕に関してはドキュメンタルに見てたっていうのもあって、
だいたいこうほとんどのどういう絵が入ってるかっていうのは分かった状態では買ったんだけども、
もう注文してパラパラ読みもせずに僕が買ったんだけども、じっくり読むと、
すごい細部をね、じっくり見る、何のものがあるのかとか、どういう風に置かれてるのかとか、小さい描写をくまなく見る自分がいたんですよ。
情報量がすごい多いんだなっていうのを感じました。
立読みとかでパパーンって読んでも見ても、それは時間の問題で無理なんだろうなと思う。
本当に何かピッとくるものがあればそうではないんだけども、読み慣れていない私にとったらピンとくるところがわからないから。
だからこう、もう一個ね、生きるっていう絵本もね、何川俊太郎さんのやつ出てて、それも見てみようかなと思って。
今日たまたまあったから見たんだけど、パラパラパラーって読んで終わっちゃって、買うってとこまでいかなかったんですよね。
だからその前に図書館とかで借りてこようかなって思って家でもっとゆっくりゆっくり見る。
そうすると、この生きるっていうタイトルとその中身、詩と絵のもっと詳しい情報が読み取れるのかもしれないなっていうふうに思いました。
今後すごいいいきっかけになった本だなって思う。
でもなんか、でも寂しいんだよなこの本。
24:02
でも死んだ。僕は死んだ。青空綺麗だった。友達好きだった。でも死んだ。僕は死んだ。っていうのよね。
子供と接する機会はそんなにないから、どんなふうに死に行く過程があるのかどうか、実は想像もできなかったりするから、
何ができるんだろうなっていうふうに常々考えています。
答えは全然出ないけど、けど、そうだな。
まず私ができることというのは、身近な人になると年代が高いというか限られるかもしれないけど、
何かこう話せる雰囲気に自分がいることとか、
例えば、自分もそうだったけど、辛い時に助けてとか、辛いとかって言えなかったりするから、
少しエネルギーが少なくなっているような感じに私が感じたら、できる限り声をかけたりすることができたらなというふうに思っています。
あとはこの放送とかを聞いて、辛いのは自分だけじゃなかったりするなとか、似てるなとか、ここ自分違うなみたいなのを少し感じて、
今すごい辛い気持ちから、ちょっと横に置けるような場に、この放送、ポッドキャストがなればいいなというふうに思っています。
では今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。
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