1. 喪失感は、突然に
  2. #44 お墓参りにちゃんと行こう..
2025-10-27 20:40

#44 お墓参りにちゃんと行こうと思ったときのこと

雑談タイム:新しいカメラが2日で故障した

お墓参りの考え方が変わったきっかけはエヴァンゲリオン(エピソード15) / ゲンドウの言葉の発した言葉 / お墓は亡くなった人を考える時間 / 忘れる恐怖と忘れたくない思い / 当時は記憶喪失になりたかった / お墓参りはグリーフの一つ / 父も兄もいつかお墓がなくなるかもしれない / ネット上のお墓の可能性 / 母が亡くなったときは母と私の意志が異なっているから迷う

サマリー

エヴァンゲリオンをきっかけに、お墓参りについて考えるエピソードです。主人公のシンジとゲンドウの墓参りのシーンを通して、亡くなった人を忘れないことの重要性が語られます。お墓参りは個人のグリーフとつながりの表現であり、故人との思い出を大切にする行為です。また、今後の弔い方やインターネット上のお墓の可能性についても触れられています。

カメラ購入の話
喪失感は突然に、第44回目の配信です。 今回は、お墓参りに行こうと思ったときのこと、です。
実は、ちょっとまた最初に違う話したいんですけど、 先週の土曜日に新しいカメラを買ったんですね。
何回も抽選で、2回落ちて、3回目に申し込んだら、当たったんですよ。
それで取りに行って、ルンルンで帰ってきて、 本当は私、新しいものを買うと帰りの電車とかで開けてしまうタイプなんですけど、
さすがにカメラは開けられなくて、混んでたし。 それで帰ってきて、すぐに開けて、
土曜日の夜、日曜日、今日で、180枚ぐらいも撮ってたんですけど、
そしたらね、シャッターが閉じなくて、 えっ、たった2日で閉じないってどういうこと?と思って。
まあ、初期不良とか、もしかしたらすぐ治るかもしれないし、 そういうことよくあるから。
壊れるなら、早めに壊れていただいた方が、すぐに修理出せるから。 なので、すぐに連絡して、
また来週、今週か、今週末持っていかなきゃいけないっていうのは、ちょっと面倒くさくて。 ただ、修理に出したら、
なんかね、代替品を貸してくれるらしくて、 それ良かったなぁと思って。
新しいカメラを買うと、バシバシと撮りたくなってしまって。
最後に買ったのがね、2018年かな?
あの時ね、ペイペイが始まった時に、 全額、
なんかこう、還元キャンペーンみたいなのやってた時に、 実はアップルウォッチ買って、当たったんですよ。
だから5万円ぐらい、全額返金で、 その5万円を使って、カメラもう少しプラスして買ったんですけど。
それ以来で、一応ね、私、写真の学校に行ってた時があって、 まあまあそれで写真は好きなんですけど。
まあそれでね、なんか結構ルンルンで撮ってたけど、 周辺に出さなきゃいけないっていうので、
ちょっとね、ガックリみたいな感じは、 きているんですけども。
エヴァンゲリオンの影響
はい、それでは本題です。 お墓参りに行こうと思った時のことなんですけど、
実はそのきっかけが、 エヴァンゲリオンっていうアニメを見た時なんですね。
知ってますかね、エヴァンゲリオン。今年で30周年。 今月1エヴァとか言って、なんか劇場で昔の映画を、
劇場で昔やった映画をね、また やってるんですけど、
私が19歳の時に、映画館でバイトをしてた時に、
ちょうど夏エヴァって言って、 上映した時にアルバイトを始めたばっかりの頃で、
友達も好きで、なんか見たりとかしてて、 基本ガンダムとかが割と好きだったから、
そういった機械もの、エヴァンゲリオンは機械って言いがたいんだけども、 人造人間エヴァンゲリオンなんで。
それで、エヴァンゲリオンの中でですね、 主人公の男の子のお父さんと一緒に、お母さんの墓参りに行くシーンがあって、
でもその墓にはお母さんが埋葬されてるわけではなく、 これネタバレになってしまうんですけど、
良いかな。 これから見ようと思ってる人は、ちょっとここから止めていただいて、早送りでもしていただきたいんですけども、
エヴァンゲリオンの中にお母さんが取り込まれてしまって、 亡くなるっていうか、
まあ一応人間としては亡くなってしまったわけなんですけども、 そこでお父さんと怒りシンジ君と怒りゲンドウが墓参りに行くんですけど、
シンジ君が、お墓参りここにお母さんいないんでしょ? みたいな話をするときに、いないけども、ゲンドウはそこでこんなことを言うんですよ。
人は思い出を忘れることで生きていける。 だが決して忘れてはならないこともある。
ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。 私はその確認をするためにここに来ている。
記憶とお墓の意義
というふうに話をするんですね。
私これを聞いたのが、たぶんその19とかだったと思うんですけど、
お父さんが16歳で亡くなって、それからまあ明日とかお父さんの誕生日とかにお墓参りは行ってたし、
その前とかおじいちゃんとかおばあちゃんが眠っているお墓には定期的に行ってたわけですけども、
なんかあまり行きたいって思ったことが一度もないというか、それまで特におじいちゃんのお墓参りと言ってもあったことなかったし、
子供だったのもあるから親にくっついて行ってるだけだったんですけど、
お父さんが死んでからもう、なんか行くはいくけど、お線香あげないし、一応お花とかは母が買うから添えたりとかするけど、
お線香もあげ、私はやらないし、手を合わせることもなくて、仏壇にもその頃やっぱり手を合わせるのもやだったというか、
なんで嫌だったのか、認めたくなかったのか、多分死と向き合うのが嫌だったのかわからないんですけど、まあ嫌だったんですよ。
まあそれでも、毎日の時には毎年行ってて。
ただ、このエヴァを見た後っていうのは、お墓に行って、そこにいる、いないっていうよりも、
亡くなった人のことを考えるための時間なのかなっていうふうなことを思ったんですよね、この言葉を聞いて。
そうしたら、もちろん、亡くなったことを認めたくないっていうこともあったのかもしれないけど、
忘れていくっていうことの恐怖も、多分この頃ってちょっとずつあったんじゃないかな。
今も忘れていく悲しみみたいのはあるし、だからそれを忘れたくないっていう意味でも、
お墓参りに行こうというふうに思ったような気がするんですよね。
思い出を忘れることで生きていけるっていうのも、まあわかるんですよね。
ちょっと前の配信で、コッコの言葉で、許すことは忘れること、忘れることは生きることっていう言葉で救われたというお話をしたんですけども、
やっぱりここでも忘れることで生きていけるっていう言葉が、同じくらいの時期だったと思うからリンクしてたはずなんですよね。
ただ、忘れてはならないこともあるし、忘れてってしまうことの悲しみもあるから、やっぱり思い出したいっていうのも、
いろんな一つの気持ちだけで収まらないというか、
ただこの時って確か、私多分記憶喪失になりたいって一番に思ってた時だったと思うんですよ。
18歳、19歳の時に、映像のスクールみたいに通った時があって、最初の作った映像が、記憶をなくしていく、以前も喋ったかもしれないけど、
記憶喪失になるためにはどうしたらいいかということをすごい考えて、そういった映像を撮りたいと思ったんですよ。
そこで、記憶って何だろうと思った時に、写真というものを記憶として、口の中から写真を取り出していくっていう作業をするのを、永遠と撮るみたいな映像を撮って、
友達に、もちろん写真だと結構分厚いので、印刷したもの、今思うと印刷しなくてもよかったのかなと思うんですけど、そのアップしないし、
でも印刷したものをすっごいちっちゃくして、友達に何個か口の中に含んでもらって、それで取り出して、少し開いて落としていくみたいなのを何回も撮るみたいな。
真っ暗な部屋の中でスポットライトを当てて、何回も何回もそれを繰り返して、でも自分の周りにはいっぱいこう、写真が落ちてるみたいなのをやったんですよね。
だからこう、記憶喪失にすごいなりたかった、忘れたかったっていうのもあって、だから記憶っていうものが私の中ではすごいキーワードになっているからこそなんですけども、
この言動の言葉、決して忘れてはならないこともある。そういうのも、忘れたい、全部記憶をなくしたいって思ってても忘れたくないっていうのも持ち合わせていたからこそ、この言葉に惹かれたんじゃないかなというふうに思ってます。
今、お墓仕舞とかね、お墓っていうもののあり方が少しずつ変わっているところではあるんですけども、なんでしょうね、お墓って高いとかもあるし、管理をどうしようみたいなこともあるし、
兄の場合は樹木草っていう形で売られている、ちっちゃいでも破壊士が、一人一人に破壊士があって、名前も書いてくれて、亡くなった日が書いてあって、それがバーっといっぱい並んでいるところの霊園に骨を収めたんですけども、
なんでこれで樹木草って言うのかなと思いながら、でもたまたま家の近くで、母もね、前は一人で歩けしたから、よく行ける場所でもあったから、そこにしたんですけど、そこは何年って決まっていなくて、もう掘り起こすこともできなくて、
でもなんかもうちょっと忘れちゃったんですけど、もしかしたら何年以降はもう掘り起こすとか書いてあったのかもしれないんですけど、だからいつか亡くなってしまうというか、まあそれもそれで寂しいかなと思うんですけど、でもまあお墓参りの何かこう、必要性というか、
お墓参りの意義
なんか亡くなって、割と数年数十年の最初の初期、初期ってなんだろうね、なんかこう、いわゆる20年30年とかそういう期間ではなくて、5年10年とか、そういった時に本当にこう、やっぱりこう、お墓参りに行くっていう行為はやはりそれもグリーフの一つだと思うし、
その日、例えばお墓参りに行くっていうふうに決めてから、もうそこから、まあそこに向かってちょっとずつ思い出す期間も、時も増えるだろうし、なんかそこで繋がりが色濃くなるということだから、なんかこう、そういうふうに習慣としてお墓参りに行くっていう行為をこう、何年か続けて、
そこで、だんだんだんだんこう思い出すっていうことが、なんかこう、日常の中で当たり前になってくるから、お墓参りという意思の装置みたいなものがなくても、思い出すっていうのがマインドセットされるというか、
そうなった時に、お墓という物理的なものっていうものがなくても、なくなっても、いうのかもしれない。ただ、そこにある骨というものをどう考えるかにもよるんですよね。
今私が考えたのは、兄のお墓は、もう何年かでなくなるっていうのを、初めから分かって買っているので、そういうふうに考えられるのかもしれないし、父のお墓の方も、実はその父がなくなってから、お父さん型の親戚とかと、まあ色々なことがあって、
お墓の管理は、お父さん型の兄弟がしているんですけど、ただそろそろもう高齢になってきているかと思うので、なんか今年お墓に行ったら、なんかお墓の周りの木々が、なんかこう伸び放題になってて、
これもしかして管理費的なものがもう支払われてないんじゃないかなみたいな、ちょっと不穏な感じにあって、もしかしたら来年の明日の時に行ったら、なくなっているのかもしれないなっていうふうな気持ちでいるんですよね。
でもそれは父がなくなって、もう数年経ってからずっとそれは思っていて、いつか、自分たちが管理してないので、いつかなくなるんだろう、それが20年とか経った時に、あ、まだあった、まだあったみたいな感じで毎年思っていたから、まあそろそろ来年が危ういなとは思っていて、
何回か向こうの人たちと交渉して、お父さんの骨だけ持って帰れないかなと思ったんだけど、なんかやっぱりね、向こうの人たちと話すの、勇気がなくて、まああとお金のこともあるから、お母さんに一緒に入りたいかっていうのは聞いたことがあって、
そしたら別に全然一緒じゃなくていいというふうに言ってたから、まあ私も別にその骨というものがなくなっても、まあいいかな、もういいかなというふうには思っています。
なんかお墓って、なんかこれからどうなっていくんですかね、なんかこうこの間、なんか渋谷でやってたデスフェスっていうのに行ってきて、まあ死を考えようというので、なんだっけ、宇宙とかに骨をこう巻くのかな、巻かないか、持っていくのかな、宇宙層というのがあって、
あと、ダイヤモンド?宝石を作れるんですね、なんか骨もね、なんか色が変わるらしくて、みんな違うんですって、だからその骨を宝石にするとか、まあそういうような弔い方もあるっていうので、
なんかいろいろ様々な考え方があるなぁと思って、ただまあ、なんだろう、亡くなったすごい身近な人が亡くなった時に、ずっと一緒にいたいから、こう宝石にっていうのも超アリだなと思うんです。
ただ、こう、何だろうな、家族じゃない人たち、友達とかだったとした時に、若回りに行けないんですよね、こう弔いに行きたいというか、それこそさっき言って思い出したいとか、友達同士でこうだったよね、ああだったよね、みたいな会話っていうことができない。
なんか私が24ぐらいの時に、友人が亡くなったんですけど、その時にお墓には入れないっていう風におっしゃってたから、まあ今もう連絡とかだいぶ全然取ってないから、もしかしてお墓に入れたとしてももう場所はわからない。
なんかそうなると、インターネット上にお墓があるっていうのだと、そこにいろんな思い出がアップロードして、誰もが、もちろん誰もがパスワードとか必要かもしれないけど、あって見に行けたりとかしたら、友達ともそこで一緒に話せるとかっていう、そういうのでもなんか今喋ってたらいいのかもしれないなぁと思ったり。
なんかその友達との写真がそんなになくて、その頃にスマホがなかったから携帯写真何枚か撮ったのがあるぐらいでほとんどないというか、でもこの話行き着くところに行くと、きっとAIで動くみたいになっちゃいそうですね、その人が。
そこまでじゃないんだよなぁ。私まだ、ちょっと前に見に行った本心っていうバーチャルフィギュア、亡くなった人の記憶とかをすべて集合させてVR空間で再現するっていう、そこまで行くと、なんかもうそれはまた別の復活みたくなってしまうから、お墓というのとはまた変わってしまうからあれだけど。
なんかこれからのお墓というか、弔い方っていうんですかね。どういうふうになっていくのか。私はちょっと目先のことになると、母が亡くなったらね、考えなきゃいけないことで、母は海に撒いてくれって言うんですけど、いやあなた別に海と密接な関係でもなかったでしょっていう感じで、私は一応
ご意向は受けたもありましたという感じで聞いてるんだけど、難しいよね。個人のご意向を尊重するか、これから生きていく私の気持ちを優先させるのかっていうところは、まあそれは亡くなってから考えればいいことなので、今はねちょっと保留にしているところであります。
今回はお墓参りに行こうと思ったことについてお話ししました。では今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。
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