2025-08-06 21:07

【第165回】死ぬということ。〜映画PLAN75から考える〜

☘️前回(第164回)の放送で、「死」について哲学対話を行った話をしています✨
【第164回】「死」について哲学対話しました。👇
https://stand.fm/episodes/68915cc40a817670d4cc1f0b

☘️この対話を通して、私なりに考えた「死」について、お話しています✨

☘️私の母は、昨年3月に脳梗塞で亡くなっています。
📻【第79回】母との別れで考えたこと①死ぬってどういうこと?👇
https://stand.fm/episodes/6622214b1fc40ec62a976188

☘️「死」について考えるなら、こちらの映画はマストです👇
🎬映画PLAN75🎬
https://happinet-phantom.com/plan75/

📷アラスカの大自然を美しく描いた星野道夫さんHP👇
http://www.isobe-soundscape.com/hoshino/

☘️「鳥葬」いいな~✨日本では無理だそうなので、せめて北海道でヒグマに食われて生態系の一部に戻りたいものです・・・🥹



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https://stand.fm/channels/63b66a5a7655e00c1c7c63b2
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こんにちは、おあです。第165回目のきょうは、「死ぬということ。映画PLAN75から考える」というテーマでお話ししていきます。
前回の164回目の放送で、死についての哲学対話を行ってきたというお話をしておりまして、その対話を通して私なりに改めて、死ってどういうこと?ということをシェアしてみたいと思います。
以前、79回目の放送でもお話ししていますとおり、私の母は昨年3月に脳梗塞で亡くなっております。
もともと私の祖母が認知症になって、ほぼ寝たきりになって、最後はほとんど一視疎通ができない状態で、おむつで流動食を無理やり口に流し込むというような状態で、10年以上施設でそういう状態だったんですよね。
自分はこんな状態では生きていたくないなと思っていたんですよ。祖母は何のためにこの状態で生きているんだろうって。これは幸せと言えるのかなって。
最後に生きているところで会いに行ったのは、一番下の生子が生まれて、まだ赤ちゃんのときにほとんど寝たきりで反応もない状態のところだったんですが、施設に子どもたちを連れて会いに行きました。
当時は次女がまだ3歳とかで、ただ目の焦点も合わないですし、話しかけても無言で無表情のままの祖母を見て、子どもたちは怖がって近寄ろうとしなかったんですよね。
そういう状況でしたので、亡くなったとき正直ほっとしたんですよ。自分の親がこんな状態になったら自分はどうするかなって思っていました。
なので自分の母が昨年3月にノーシー状態だったわけですよね。これが10年続いたらどうしようかなって正直思いました。
こういう感覚はとても不愉快に思われる方も多いと思いますので、あくまで私がそう感じてしまったということで、私のそういう感覚に関して正しいとか正しくないっていうのはちょっとないんじゃないかなと思うので申し訳ないです。
本当にそういうことでとても不愉快な気持ちになる方はここでストップして聞かないでいただきたいんですけれども。
なので私は母が脳梗塞で倒れて10日くらい寝た意識がない状態でしたが、その後すぐにぽっくり言ってくれて、はっきり言って助かったと思ってしまったんですね。
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もっと言えば理想的だと思ったんですよ。私もこんなふうにサクッと死ぬときは死にたいと思ったんですね。
すみませんね、こういう感覚っていうのはおそらく典型的な親不幸物という思われる方が多いと思いますが、すみません、正直な気持ちでした。
ただですね、私その後ね、じわじわとちょっといろいろ辛いなと思い始めたのは、母の遺品整理のことを始めたからだったんですよ。
というのはね、あまりにもそのままの状態だったんですよね。何もかもが、飲み物も飲みかけ、いろんなものが使いかけて、母は当たり前に明日が来ると信じて死んでいったんだなと。
母はもう76歳でしたが、当たり前に明日も買い物に行って、近所のスーパーに帰ってきたらこのテレビを見て、来週はどこどこのレストランに誰々とお出かけして何食べて、来年もきっと私たち子供や孫のこういう姿を見られると信じて疑わなかったんじゃないかなと。
まだまだ本人は長生きするつもりだったんだと思うんです。というのは、新しい靴とかね、鞄とか本人なりにおしゃれを楽しんでいた形跡が見られたんですよね。
ところがある日突然全て終わって、母は不本意だったかもしれませんよね。もし魂みたいなものが存在するんだとしたら、母は今どう思っているのかなって。心残りがあるんじゃないかなとか。
後悔していることもあるでしょうし、なんかこうね、もったいないことをしたなって思ってるんじゃないかなって。もしかするとね、それともね迷惑を誰にもかけずに死ねてよかったって思ってるかもしれませんし。
まあ、やっぱなんだかんだ言って幸せだったなって満足してるかもしれませんし、精々してるかもしれませんしね。わからないんですけど、私も勝手なもんでね、もう今更ながら母のことをいろいろ思い出して、今になってですね、落ち着いて母に思いを馳せるっていうことができるようになってきた気がするんですよね。
私はこれまでね、75過ぎたらもういつ死んでもいいっしょって思ってたんですよ。私死ぬことが怖いというよりも痛いこととか苦しいってことが嫌だっただけなので、痛むことも苦しむこともなくぽっくりあっさり死ねるんだったら、もうそれが最高だと思ってたんですね。
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でもですね、皆さんね、映画のプラン75というのご存知でしょうか。見たことございますでしょうか。私あれを見てね、ちょっと迷いが出てきてしまってるんですよね。
このプラン75という映画は、2022年の早川智恵監督の映画で、超高齢化社会に対するディストピア的な想像から出発した物語ということで、この設定はですね、日本政府がね、75歳以上の国民が自ら望めば安楽死を行使できるという制度。
プラン75を制定して、表向きは選択の自由尊厳ある最後と歌いながら、実質的に高齢者を社会的経済的に自発的に死を選ばせる仕組みとして機能しているというものを描いている映画なんですね。
このプラン75という制度に登録すると、死を迎えるためのパッケージ、それは無料の集団奏などがあって、とともに準備金として確か10万円か何かが一定額支給されて、プロモーション映像はすごく明るくね、優しい選択みたいにして描かれているんですけれども、裏では実際には高齢者が仕事や居場所を失って孤立して死を選ばざるを得ない社会的厚生労働者が、
社会的圧力が重くのしかかっていくという背景が示されているんですね。この映画はめちゃくちゃ重たい映画で、死について考えるのであれば、まずこの映画はちょっとマストかと思います。
このプラン75という映画、まだ見ていらっしゃらない方には是非見ていただいてから、自分ならどうかということを是非考えていただきたいなと思うんですけれども、私はやっぱりこの映画を見てからですね、自分の意思でって言うけれども、本当にそれは自分の意思なんだろうかと。
本当の自分の意思ってどこまで言えるかなって、やっぱりちょっと分からなくなってしまったんですよね。あともう一つがですね、自分の意思って言うけれど、それどの時点で本当のファイナルアンサーって言えるって。
絶対の絶対に死ぬ1秒前まで自分のその意思は変わらないと断言できますかって。もしも死ぬ3秒前に自分の気持ちが変わってしまったらどうするんですかね。
この映画が突きつけるのはやはり高齢者は社会の役に立たないから社会の荷物だからいらないと死んでもらった方が助かるというわけですけれども、それは自分自身にも自分の家族や子供にも帰ってくる言葉なわけですよ。
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例えば一番わかりやすい設定で自分の子供がいるとしますよね。例えば小学校1年生だとします。青信号を学校行く途中で渡って行ったところ、車に跳ねられて植物状態に陥ってしまっているとしますよね。
そのあなたのお子さんはもう社会の役には立たないお荷物だから、親であるあなたが安楽死を選択するべきだということになりませんか。
一応ここで脳死と植物状態の違いみたいなのをちょっと言っておくと、脳死は人工呼吸器がないと生きていけない感じなんですけれども、植物状態というのは意識はないけれども反射とか睡眠リズムがあって、呼吸も心拍も自力で自然に維持できている状態なわけですよね。
つまり心臓も動いていて息もしていて温かい体なわけです。その状態のお子さんを亡くなったと死んだと判定するかと言われることになりますよ。
息もしていて心臓も動いていて、そんな状態の我が子を、この子はもう死んでいるからということで仮想してもらいたいという親の方が私は少ないような気がするんですけどね。
だって一見眠っているだけに見えるんですよ。しかも脳死の人は意識を吹き返すということはほぼないんですけれども、植物状態から意識を吹き返すということは稀ながらあるわけじゃないですか。
大事な我が子がもう一度目を開けて話ができる日が来る可能性がゼロじゃないんだったら、その可能性に賭けてみたいって思う親の方が私は多いと思うんですよ。
何よりも前、NHKスペシャルで人体ってやってたんですけどね。あれ見てやっぱりすごいんですよね。今の医療技術の発展っていうのは。
へたしたらもう5年後10年後、植物状態の方の何らかの形で手術なり治療して意識を取り戻させるということができるようになることも全く不可能じゃなさそうというか、むしろすぐにでもできそうな気がするわけですよ。
そういう手術が1年後にできそうだってお医者さんに言われたらどうしますか。私は多くの親が1年待つと思いますよ。
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それが5年後にできそうだ10年後にできそうだって言ったら、私は自分の子供だったらその可能性があるんだったらそこまでちょっと生かしておきたいと思ってしまう気がするんですよね。
英語かもしれませんけれども、本人の意思がどうかわからないままですけれども。あともう一つ母の最後を見とって、私がずっと今でもちょっとどうなのかなと思っていることは、10日間ぐらい脳死状態だった姿をね、私は本当は自分の子供たちに見せたかったんですよ。
これが人が死ぬっていうことなんだよっていうところですね。人が死んでいく様っていうのをちゃんと見て欲しかったんですよ。子供たちに。
なんですけどなんだろうコロナ対策の延長なんですかね。とにかく子供は集中治療室には入れないというルールになっていて。なので最後その病室にいられたのは医療従事者と限られた親族のみだったんですね。
だからうちの子たちが知っているのは元気だった頃の、完全にこちらの生きた世界にいた母と、お葬式で綺麗に身相続と死に化粧されて、看護家の中に穏やかに収まっている。
完全にあちらの世界に行ってしまった後の、肉体としての物体が残っているだけの母。白か黒かしか子供たちは見ていないんですよ。
あの意識はないのに心臓だけが動いているっていう、こちらの世界でもないしあちらの世界にも行ききれていないっていう、生死の狭間をまさに彷徨っているような状態の母を子供たちは全く知らないんですよ。見てないんですよ。
なんか私はこれがすごい違和感を持ってて、こんなに死を遠いものとして特別なものとして完全に隔離させられちゃってるわけじゃないですか。
本当にその医療従事者と家族しか生死をさまよっている、こちらからあちらに行くそのグレーな部分というのを見てないんですよ。
だからうちの子供たちはバーバが死んだっていう実感を持ってないと思いますよ。一言で言えばちゃんと見送るっていう体験ができてないままだと思います。
今の日本では生まれる時も病院ですよね。そして死ぬ時も病院。生と死っていうのがあまりにも遠ざけられてて見えないところに封じ込められてて、特に死は汚いものとか怖いものみたいなないものとして漂白されてしまっている。
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でも本当は死ってもっと当たり前のことなんじゃないかなってね。あまりにも死を特別死しすぎ、神聖死しすぎてるっていうかね。
例えば有名な星野道夫さんという写真家がいらっしゃるんですよ。アラウスカの大自然を美しい写真と言葉で伝えようとされた方で、今生きていらっしゃったら73歳ということです。
もう30年近く前にカムチャッタ半島でヒグマに襲われて亡くなっていらっしゃるんですね。
当時息子さんは5歳だったそうです。亡くなった当時ですね。ご家族にとっては悲劇だったと思います。
奥様もお子様もしばらくは星野道夫さんについて多くを語ろうとされていませんでした。
私は星野道夫さんのファンだったのでね。それは確かにショックでしたし、あの美しい写真とか言葉がもう見れないと思ったらとても本当に残念なんですけれども、
同時に不謹慎かもしれませんが、私はさすがだなって。かっこいいっていうかね。大自然に魅了された星野道夫さんらしい最後だなって。
本望だったんじゃないかなって思っちゃったんですよ。
それは赤の他人だから言えることなんだとは思いますけれども。
哲学対話の回の中でね、他の動物たちは死植物連鎖の中で別の生き物に捕食されて、自分の死は別の命のせいとなって循環していきますよねと。
なのに人間は食べるだけ食べて、誰の別の命のもとになることがないんですよねっていう話が出たんですね。
この話で私思い出したんですけど、私も実はね、前からせっかく死ぬんだったら別の動物に食べてもらった方がいいなって思ってたことがありまして。
なので一時期本気で調装いいなって。私調装にしてもらえないかなって思ってたことがあるんですよ。
この調装というのは一応説明しますと、死者の遺体をハギワシに食べさせる方法。
チベットとかモンゴルで行われている葬葬方法ということで、これはねチベット仏教の死生観に基づいているということなんですね。
輪廻転生を信じる仏教的価値観に基づいていて、肉体は魂の入れ物に過ぎず死後は用済みになると。
その肉体を鳥に施すことで不正となるので善行を積むことにつながると。
もともとチベット高原は標高が高くて木が足りないので葬が困難だとか、地面は岩だらけで凍ってるんで土葬も難しいとか。
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そういうことで合理的な選択だったそうなんですね。
このね葬葬の手順みたいなのを調べたらすごいですね。
死者の死後数日間安置されて、その遺体を葬葬台っていうところに運んで、葬葬師っていう方が遺体を処理をするそうなんですが、
これが専門の処理人が遺体の手足を切断して内臓を取り出すと。
さらにハゲワシが食べやすいように肉を細かく切ると書いてありますね。
ひまらやハゲワシが遺体を食して、船は粉砕してさらに鳥に与えるか砕いて残すということなんですね。
これは死後の肉体を生き物に捧げることで生きとし生けるものへのお伏せとなると。
人間も自然の一部だから死後も生体系に貢献できるということなんですね。
あと死体に対する執着を持たないことで悟りへの道とされていると。
死を期せず、死を自然の一部として受け入れる考え方だそうなんですね。
これは日本ではやっぱり死体、生き材に問われるということで法律的にも無理なんだそうなんですよ。
そもそもハゲワシなんかいませんからね。
ただね、だったら動物園の餌とかになってもいいんじゃないって私は思ってるんですよ自分が。
だって散々こうやって何十年と毎日豚肉など牛肉など鶏肉など魚など食べて生きてきてるわけで。
それでいざ自分が死ぬ時に生体系の輪から勝手に外れて誰の食べ物にもならない、なりたくないって。
ちょっと勝手すぎませんかって思ってるわけなんですよ。
死んだ後ぐらい地球のためというか地球に戻ろうよっていうかね。
他の生き物の命の役に立てさせてもらえるもんなら立てさせてもらった方がいいんじゃないって思っちゃうんですよね。
どうせ死んでるわけですから減るもんじゃないじゃないですか。
なんでね、最近はヒグマがすごいですよね。
なんで私もし認知症とかになって何が何だか分かんなくなっちゃったり植物状態、脳死状態になっちゃったら
もう北海道の病院でも運んでもらって放置してもらってヒグルマに食べてもらうっていうのは餌になるっていうのもありかなーって。
というわけでもう20分経っちゃったんでちょっと一旦ここで今日はおしまいにして
私まだまだこれどうなのって思ってることがいくつもありますので
次回以降もう一回また別の視点で死ということについてシェアしていきたいと思います。
というわけででは次回に引き続き続きますということでよろしくお願いいたします。
21:03
お聞きくださいありがとうございました。失礼いたします。
21:07

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