1. 喪失感は、突然に
  2. #23 命日について
2025-04-27 22:29

#23 命日について

これまで過ごした命日について、20数年間持ち続けた虚無感、それが突如無くなった理由、他の人がどう命日を過ごしているのか、などについてお話をしました。

父が亡くなった命日について / 父親と同い年になり苦労を少しわかるようになった / 昔は命日が近づくとよくわからない憂鬱感があった / 命日反応や記念日反応と呼ばれる現象 / Twitterで友達に声をかけられ、辛いことを話せた / 辛い時に辛いと話すタイミングは難しい / 誰かに助けられたいという思いが実現した / 命日の過ごし方について / 安室奈美恵さんが安室さんのお母さんの命日に行ったライブへ行った / 母を亡くした安室さんの気持ちを想像 / 命日は辛いだけでなく、色々なことを思い出せる日

サマリー

第23回では、命日について語っています。話者は父の命日を迎えた経験から、喪失感や自死、虚無感について考察し、友人の支えの重要性にも触れています。このエピソードでは、アムロ奈美恵さんのライブに行った経験と、そこで感じた母親への思いについても話しています。また、命日を迎える際の感情や喪失感についても考察しています。

父の命日と喪失感
喪失感は突然に、第23回目の配信です。 今回は、命日についてお話ししたいと思います。
今月はですね、父の命日の月で、 31年前に
私が16歳の時に、自死したんですけども、 去年ね、ちょうど父が亡くなった年に、私が追いついてしまい、
なんか結構、いろいろ考えさせられる年だったんですね。
昔は、同い年になることがすごい怖くて、 なんとなく、
そこまで生きていられるのかどうかっていうのも思ったりとかしたし、 なんか大きな節目というか、身構えた
のが2つあって、まずは 一緒に過ごした16年間
よりも、失った時間の方が長くなる時、逆転する時の年が、 すっごい悲しかったのを覚えていて、
で、もう一つが同い年になることで、去年なってみて、
わりと怖かったという気持ちだったのに、 いざなってみたら、
ああ、この年で20歳の子供と16歳の子供2人もいたんだって思うと、
なんか、すごいなぁと思って、 子供がいる人が偉いとかそういうことではないんだけど、
自分は結婚してないし、子供もいないんですけど、 今自分が、
まあその去年、同い年になってみて、 いやほんと大変だったんだろうなぁっていうのをすごい実感したというか、
それまでは父親というふうに見てたけども、
もう改めてというか、一人の人という形で見れたのは よかったなぁというふうに思った去年でした。
虚無感とその克服
そこに行くまで結構 時間かかったなぁというふうに思っていて、
今思えばもう結構前の話にはなるんですけども、 20年ちょっと経った時までは、
ずっとこう、明日が来る度に、 よくわからない
こう、憂鬱感をずっと抱えてて、 それは最初のうちはね、もう意識してお父さんのもうすぐ明日だみたいな感じだったし、
そういうふうに思わなくなっても、 気づくともう憂鬱で何もする気が起きないみたいな
それをなんか父のせいにしたくもない自分もいたりとかして、 気のせいだって思うことも何度も考えたけど、
いやでも、起きた瞬間に、いやもうダメみたいな思うって、 もう私がコントロールできる問題でもない気もしたんですよ。
その後からそれは思ったんですけども、 起きた瞬間からもう辛い。
何が辛いかっていうのもよくわかんないし。
で、明日が近づくと、なんか少しふっと軽くなる。 で、明日その日になると、
逆に辛いとか大丈夫とかそういうことではなくて、 今日は明日だっていうふうに、今日は静かに過ごそうみたいなふうにずっと思ったりとか、
あと、 今はもうやってないんですけど、
衣装を読む日みたいなのも決めてたというか、 この日は読んでいいみたいな。
読んでいいっていう言い方もあれなんですけども、 読んでしまうんですね、ずっと。
なんか父を近くにいかねたいからか。 読んでしまうとまあ悲しくなるわけですよ、必ず。
だから、なんかこうちょっと封印しなければいけないような気もしていたから、
明日の日だけは読んでもいい日みたいにしてた。
最近は、もうそういう決まりごとみたいのは、
やめた、なめたっていうか、なんでやめたかちょっと覚えてないんですけど、 今はこう自然に、
いつもと同じような日を 過ごしているような
感じですね。 ただ、
兄の方の明日になってくると、 ちょっとやっぱまだ
無条件というか、もうほんと意識せずに
朝起きてつらっ、みたいなのがありましたね。 去年確かあった気がする。
ほんとあれ、
なんなんでしょうね。 よくほら、グリーフの本とかに記念日反応とか、
明日反応とか書かれていて、ご存知の方もいるかと思うんですけども、
明日だったりとか、誕生日だったりとか、クリスマス、お正月、または季節の変わり目だったりとかする時に、
亡くなった人のことを思い出したりとか、周りがこう、
賑やかになっているような時期だと、自分の心はザワザワしてしまうとかっていうふうに言われているんですけども、
そんなの、 昔は知らなくて、
ただただ、 明日になると憂鬱になる。
誕生日はね、そういうふうにすればなんなかったなぁと思います。
単純に昔は、お母さんと一緒にお墓参りに行くみたいなことはしていただけで、
明日付近っていうのは、やっぱり一年の中で一番ちょっと憂鬱な時でしたね。
なんかほんとよくわからなくて、私はそれを虚無感という言葉で、なんか表現してましたね。
あんまこう、うまく説明できないけど、なんかこう、無みたいな感じ。なんも頭の中が空っぽになってしまうとか、
そんな感じだったから、何しても気分が上がらない。
そういえば、憂鬱と虚無感、何が違うんだろうね。
ちょっと調べれば出てくると思いますけど。 私は虚無感というふうに言ってました。
まあ何度かちょっと話しているので、聞いたことある方もいるかと思うんですけども、
その虚無感が、
解消されたというか、突然、あれ今年なんで大丈夫なんだろうって、
思った時があって、 その理由がよくわからなかったんですけど、
数年経ってわかったのが、
その辛かった、 明日付近の時に友達がなんかあったのかい?っていうふうにツイッターで声をかけてくれたことだったと思うんですよね。
それ以外ないんですよ。思い当たる節が。
自分が、こう求めていた、無意識に求めていたものが、
こう誰かの手によって、
与えてもらい、 そこでなんかこう、やっと、
リアルタイムに辛い時に、辛いことを言えた時だったんですよね。
辛い時に、こう辛いって言うタイミングってすごく難しいって思うんですね。
友人の支えの重要性
辛いから、辛いって電話かけられるかって言ったら、 一度もできたことないし、
なんか相手に迷惑かかるんじゃないかなって思うし、 あと自分も何か喋れんのかなっていうのもあったし、
そう思うと、あと夜中だったりとかするしね、
こんな夜中に電話かけられるわけないじゃんっていう時間だったりとかするわけだから、
いろんなタイミングが難しいかったんですけど、
あの時はまあまあ遅かったけど、
けど向こうのタイミングで、やっぱ何かあったの?っていうふうに聞いてくれたってことは、
相手も準備ができているというか、状態だから私も言いやすかったんだと思うんですよね。
言われた私はドキッとしちゃって、何でわかったの?みたいになって、
それでLINEして、電話してもいい?って言ったらいいよって言ってくれて、電話して、
それで自分のこと話したんですよね。
実は高校校で、実は毎年校でさ、みたいな話を長々と話して、
何を話したかもあんま覚えてなかったりとか、何を言われたかとか全く覚えてないんですけど、
覚えていないっていうことは、嫌なこと言われてない証でもあるんですよね。
やっぱりちょっと辛い気持ちになっている時に、嫌なことってすごい怒るから、それがないんですよ。
覚えているのはもう、自分がその前にどういうふうにTwitterで何かいろいろやってたかとか、
どういうふうに声をかけてくれたかとか、その時にどういうふうに私座ってたかとかっていう部屋の景色だったりとかしか覚えてなくて、
なんかそれまで本当にこう辛いことがあると、布団の中で誰か助けてくれって本当なんか声殺しながら言ったこととかもあって、
そういったことがあったから、誰かが声かけてくれたっていうことは、
私が思い描いてた助けられ方であり、それがこう実現した。
それで、その時にリアルタイムに辛い時に話ができたことが、私にとってすごい大きなことだったんだなぁと思って、
タイミングもあると思うんですね。
例えば、助けてくれって本気で思ってた時とか、20代とか、
その時に誰かが声かけてくれて話せたかどうかっていうのは、
やっぱりそれはその時に話せる自分がいたかどうかってやっぱりわかんないし、
話せる自分がいなければ、どんだけ誰かが救いの手を求めてくれたとしても、やっぱりそれは自分が救われたっていう思いは成立しないと思うんですよね。
たぶんね。だから本当にタイミングが良かったと思うし、
そのタイミングが来るのがもっと早ければよかったなぁと思わないこともないんだけども、
もう仕方がなかったよなっていうふうに思ってます。
なので、明日が近づくたびにそのことを思い出したりとか、
あと以前ね、宇多田ヒカルさん。
ヒッキー。ちょっと私昔から好きでヒッキーってちょっと呼んでたりとかしているので、
ヒッキーって呼ばせていただくんですが、
ヒッキーが以前、お母さんの明日付近か明日の日かちょっと忘れてしまったんですけども、
他の人は明日をどう過ごしているんだろうかみたいなことをね、ツイートされてたんですよ。
それ読んだ時に、そういえば私も他の人が明日をどう過ごしているのかって知らないなーって思ったんですよ。
身近にこう、亡くした人がいるっていうのはそんなに多くないし、
そういえば聞いたこともなかったなーと思って、
軽々しく聞ける話でもないからっていうのもあるんだけども、
そういえば知らないなーと思って、
その時はそれだけしか思わなくて、
ちょっとなんか知ろうかと思って何か探したとかそういうことはないんですけど、
これまた以前ね、
アムロ奈美恵のライブ体験
アムロ奈美恵さんが引退するって言った時に、
ライブツアーをやったんですけども、引退する前に、
その時に中国のね、新鮮でライブをやるって出たんですけど、
その時がアムロさんのお母さんの明日だったんですよ。
あまりこう、アムロさんのお母さんの明日を把握してたわけじゃないんですよ。
だいたいこの月あたりのこの辺みたいな風にしか覚えてなかったんだけど、
あれ、この日ってもしかしてと思って調べたら、
明日だったんですね。
今まで一度も明日にライブしてないんですよ。
理由があるのかわからないんですけど。
で、どうしても行きたいって思って、
その時はお母さんと一緒に暮らしてたんですけど、
絶対海外ダメだと言われていたんですけど、
なんか私、泣きながら頼んで、
どうしても行かせてくださいって言って、
で、友達だったらいいって言うから、
友達の話したら一緒に行こうってなって行ったんですけど、
ヒッキーがこう、他の人は毎日何してるんだろうって、
あの言葉がずっと残っていて、
それで、だからなんだって感じでもあるんですけど、
アムロさんは、
明日の日に何をしているんだろうって、
思ったこともあって、
この日を逃したら、
アムロさんが明日に何をしているかって知らないわけで、
なんかこの日しかないって思ってしまったんですよ。
実際何が見たいかとかそういうことよりも、
なんかこう、初めて他の人の明日を知るのが、
アムロさんであったらいいなって、
なんか漠然と思ってしまい、
実際ライブに行って、
覚えてることといえば、
私がつらすぎて泣いてしまったみたいな感じだったんですよ。
ファイナリーっていう曲があって、
それ聞いて号泣してしまったぐらいしか覚えてないんですね。
2日連続でライブをして、
2日目にはもう少し落ち着いて、
ライブ見れたんですね。
その時に、
Just You and Iっていう曲があるんですけど、
子供を思う母親の気持ち的な歌なんです。
そういうドラマーの主題歌だったんですけど、
その時まではアムロさんが母親として、
息子さんのことを思うようなシチュエーションしか思ってなかったんですけど、
この日は、
自分が娘で、
お母さんのことを考えて歌ったりももしかしたらしてたのかなっていう風な視点に変わったんですね。
アムロさんのお母さんの毎日に、
私がライブへ行こうっていう風に思わなかったら、
そういう風な聴き方を私はできなかったと思うし、
だからそういう視点で、
この曲を聴けたことはすごく良かったなと思って、
アムロさんは全然変わらず、
ライブパフォーマンスを披露してくれてて、
なんか私はこの人好きで本当に良かったなぁと思って、
まあこれもねタイミングだとは思うんですけども、
でももしもっと早く、
私はこの人をロールモデルとして思えていたとしたら、
もっと早くに色々なことが分かったような気もしないでもないなぁとも思うんですよ。
同年代で身近な人を無くしてもなお、
力強くしなやかに生きている人を身近に感じられたら良かったなって思わないこともない。
ただちょっとねだいぶ、
超人というかすごすぎてね、
全然比較にならなかったりはするし、
見えないところではものすごい大変なことだって、
たくさんもう測り知れないものがあったんだと思うんですよ。
それでもなんか私が35歳以降にアムロさんを好きになって見始めて、
なんか私はこの人みたくもっとしなやかに強くなれたらいいなっていうふうに思えたことが、
自分の人生を生きられるようになったきっかけだったから。
だからこう、自分以外の人がどういうふうにメンチを過ごすのかっていうふうにふと思った時に、
知れるチャンスがあるって思って、
もう行かざるを得なかった。
そういうこともね、今はこう明日が近づくと思い出すこともできて、
前みたくこう、辛い悲しいだけじゃないことを思えるようになったのはすごく良かったなというふうに思える一方で、
兄の明日は実は来月なんですけど、
あんまこう、そこまでまだ思えないところがあって、
今年はちょっとどういうふうな気持ちになるかちょっとまだわかんないんですけど、
なんだろう、やっぱ後悔っていうか、
命日と喪失感
実績がなんかね、明日付近になると強くなるんですよね。
今とかだとしょうがなかったし、
自分ができたこともできなかったこともなんかわかっているし、
自分だけのせいじゃないし、私のせいだって思うのはおこがましいしっていうふうに思えるのに、
ふとした瞬間にどうしてもそれが思えなくて、
ものすごい悲しくなって辛くなって涙止まらなくなってみたいなふうになってしまうのは、
どう解消していくのかどうかいけるのかっていうので、
今年はちょっとわかんないなーって感じ。
ただ、去年と違うのはね、
こうして週1回に喪失感について自分が話すことだったりとか、
周りの人に今はちょこっとずつ、
その日々思っていることを聞いてもらったりとかする機会が割とあるので、
笑えてるといいんですけどね。
とりあえず来てみないとわからないので、
そういった心境だったりをね、皆さんに聞いてもらったりとかして、
話すことで自分もなんか違うことを気づいたりとかもするので、
また近況報告をここでお話しさせていただければと思っています。
今日はね、毎日お話ししながら大好きなアムロさんの話とかもしてあったりとかして、
それではないんですけど、
いろいろお話し聞いていただきありがとうございました。
では今日はこの辺りで終わりにしたいと思います。
またねー。
22:29

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