1. りょーちんのわがままラジオ
  2. やっと母の日を乗り越えられた..
2024-05-13 20:00

やっと母の日を乗り越えられた気がする #787

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サマリー

母の日を迎える中で、複雑な感情を抱える内容が展開されています。親との関係性について振り返り、過去の経験から得た感情や思考を整理しながら、母の日に対する自身の気持ちの変化を共有しています。エピソードでは、母の日に対する複雑な感情について語り、一般的な価値観や習慣にとらわれず自己を肯定することの重要性が伝えられています。また、親子関係や自身の経験から学んだことが共有され、リスナーに共感を促しています。

母の日のテーマ
みなさん、こんにちは。ということで、やっていきましょう。
今日はですね、昨日が母の日だったということで、それをテーマにしようかなと思っています。
そうだな、母の日って聞くと、割とポジティブな印象を持つ人が多いんじゃないかなと思っていて、
SNS、特にインスタのストーリーとか見ると、
自分の母親に何か贈り物をしている、ありがとうっていうことを伝えてプレゼントをしているような、
そういう友人もね、僕もインスタを開くといたんですよ。
ただ僕は、今年は何もやってないんですね。
多分これからもやらないっていう風に、ちょっと前にノートにも書いたんですけど、
僕は母の日とか父の日とか、そういう日、あとは親の誕生日もそうですね、
苦手意識があるというか、どうしてもポジティブに思えないんですね。
なので今日のタイトルには、乗り越えられたっていう表現を使っているんですけど、
その苦手意識というか、どうしてもポジティブに思えない中でも、
ちょっと前に進めた自分の中では、自分なりには去年までよりも、
今年は一歩前進できたなって自分の中で思っていて、
そういう話をしていきたいと思います。
なので自分がね、今聞いてくれている方が、
自分の両親とか、特に今回で言うとお母さんとすごく関係性が良くて仲良しで、
ちょうど昨日も贈り物をしたりとかメッセージを送ったよっていう人からすると、
ちょっと理解ができないというか、共感できないっていうことにもなるかなって思うんですが、
そういう可能性もわかった上で共感できない人がいるっていうのも、
想定した上でお話をしようと思います。
関係性の振り返り
どこから話そうかな。
過去にもラジオでもそうだし、ブログとかでは特に結構割と生々しく書いてるつもりなんですけど、
過去にもそういう僕は両親とそんなに関係性が良くないんですって話をしています。
関係性が良くないっていうのは、何も口を聞かないとか会わないとかそういう感じではなくて、
僕も実際年に2回ぐらいは地元に実家に帰省をして、
普通に顔を出して一緒に食卓を囲んでご飯を食べたりとか談笑するっていう時間は今でももちろんあるんです。
あるんだけど、本当に両親のことを心から愛しているか大好きかって言われると、
僕は即答できないんですね。
それは言葉で言うと嫌いではないけど好きではないっていう表現になるんですが、
それにはもちろん理由があって、ここで全部話すわけにはいかないんですけど、
過去にそういう傷つくような経験を何度もしていますし、
物によって今忘れてたりとかもう許せているような経験もあるんですけど、
一方でいまだに許せないもの、自分の心の傷が治ってないものっていうのはどうしてもあって、
やっぱりそういうのって、僕としてもブログの中で具体例としてこういう経験をしましたって書けるものもあれば、
やっぱりまだ書けないような経験もあるんですね。
どうしても公には出したくない、出せないっていうものがやっぱり自分の中であって、
そういうものがあるとやっぱりどうしても何もなければ普通に笑って会話をして、
どっか出かけたりもするんですけど、心から愛せているかっていうと別にそういうわけでもない。
別に会いたいっていう感情はないし、好きだなっていう感情もないし、
何か贈り物を母の日とかにしたいなっていう感情もやっぱり持てないんですよ、正直なところ。
だから、そういう母の日とか父の日が近づいてくると、
ショッピングモールとか行くとすごくこう、母の日ギフトみたいな感じで、
ブースっていうかエリアができてて、こういうものを送ったらどうみたいなと言わんばかりに、
いろんなお菓子とかそういうものが並んでるじゃないですか。
ちょうど土曜日に近くのイオンに車で妻と二人で出かけたんですけど、
やっぱりそういう売り場があって、そこに集まっている人もいて、
そういうのを見るとすごくなんかこう、複雑な気持ちにずっと毎年なってたんですよ。
みんなやっぱり母の日って何か贈り物をするとか感謝の気持ちを伝えるとか、
そういう日になってるじゃないですか。そういう雰囲気がやっぱりどうしてもあって。
みんなそうしてるから自分もそうしないといけないのかなって思ったりする時もやっぱりあって。
去年までは毎年ってわけではないけど、なんか思いつきみたいな感じになっちゃうんですけど、
何回かは贈り物をしたりとかLINEをしたりとかっていうのをやってたんですね。
でもそれがすごくなんか自分の中ではすっきりしないというか、
気持ちの良いものではなくて、何でかっていうと本当に思ってないんですよ。
いつもありがとうとか、それこそ極端に言うと産んでくれてありがとうなんて本当に思ってない。
思ってないんですよね。これ本当最低だって今これを聞いてね。
思ってもうここで聞くのをやめる人がいるかもしれないですけど、
本当になんか思ってないんですよ。産んでくれてありがとうなんて。
今までなんかじゃあ義務教育を受けさせてくれてありがとうとか、
僕はずっと野球部だったので野球をさせてくれてありがとうとか、大学に行かせてくれてありがとうとか、
大学なんてね、奨学金結局返すのは僕だから別になんかありがとうでもないなって思ったりするんですけど、
そういう今までのありがとうがゼロなわけではないんですよ。
でもそういう今まで過去のありがとうは、
僕の考えとしてはもう今までの誕生日とか今までの母の日とか、
初年級で家族で焼肉に行ったりもしましたよ僕もね。
今までのありがとうはもう返し終わってると僕は思っているんですね。
永遠に感謝し続けるっていう意見があるのも分かるんですけど、
でもなんかその高校生ぐらいまでは確かに、
もうちょっと大学生ぐらいまでは面倒を見てもらったかもしれないですけど、
それ以降は別に僕は何もしてもらってないし、
なんならこう本当にごめんなさい言えないんですけど、
どうしてもどうしても言えないんですけど、
やっぱりこうすごく傷ついたことも経験していて、
でもそれって向こうは悪気がないし、向こうはもう覚えてないだろうし、
なんとも思ってないけど僕はすごく傷ついて、
なんかもう本当にこの話をした人は妻と自分のコーチと2人しかいないっていうぐらい、
やっぱりこう許せてないこともあるんですよね。
そうなので、本当になんか今までのありがとうはもう言い終わったっていう風に僕は思っているから、
別に今新しく何かありがとうが僕の中でも出てこないんですよ。
嫌いじゃないんですよもちろん。
ただどうしても好きっていう感情もないので、
何かプレゼントをしようっていう気持ちにもならないんですよね。
好きじゃない友達に何かタンプレをあげようなんて思わないと思うんですよ。
さすがに何かプレゼント、誕生日プレゼントを交換し合う仲があるとするならば、
やっぱりすごく仲良しで、学生時代をずっと共にして、
大人になっても離れても定期的に会う友達。
そういう関係性でもないと、誕生日プレゼントなんて送らないのと一緒で、
別に好きでもない人に、僕は親だからといって、
好きでもない人に何かするっていうことができない人間なんです。
そういう背景だったり心境っていうものがあって、
新たな決意
みんな母の日って何かやる、父の日って何かやる。
で、感謝するのが当たり前。
逆にそれができない子供は親不幸で、
何かこう、いつまで経っても子供のまんまみたいな風に、
世間的には思われるんだろうなっていう風に考えてました。
だから去年までは、別にこうありがとうって思ってないけど、
ありがとうって連絡をしたりとか、何かこうねぎらう気持ちがあるわけじゃないけれども、
プレゼントをしたりとかそういうことをやってました。
でもそれがやっぱり自分の中では、
自分の感情にそもそも嘘をついているし、
何も気持ちよくないし、むしろなんかこうすごく複雑な気持ちになるというか、
自分の中で黒いものが溜まっていくような感覚がやっぱりどうしてもあったんで、
それで少し前、ノートにもね、
別に親のことを無理して好きにならなくていいよねって話を書いたんですけど、
その時にそこでやっぱりもうやめようって、
そういうパフォーマンス、別に思ってないのに言うとか、
やりたくもないのにやるとか、
そういうのを親だからっていう理由でやってましたけど、
それもやめちゃおうっていう風に思ったんですよ。
今年は何も連絡もしてないし、何も送ってないですよ。
おそらく来月かな、父の日があったりとか、親の誕生日とかも今年まだ控えてますけど、
もう何もいいかなって思ってます。
そうするとね、そういう風に思うと、
なんか昨日じゃない、土曜日か、
土曜日にイオンに行って、そういう母の日を取り上げるような売り場とか、
そこに群がる人とか、
お母さんありがとうみたいなことを発信している友達とかを見ても、
去年までよりは、
去年までよりは、
しんどくならなかったというか、
気持ち的にすごく動揺しなかったというか、
母の日っていうものにとらわれずに、
普通にいつも通りの1日を過ごしたみたいな感覚で、
昨日1日過ごすことができたんですね。
そういう時に、そこで改めて、
吹っ切れたんだなって思ったんですよ。
ノートに書いたっていうのももちろんあるんですけど、
言葉にしたことを実際に僕は昨日貫いた、行動に移した、
行動っていうのは何もしないっていうことを決めて何もしなかった、
っていうことができたことによって、
僕は本当の意味で吹っ切れたんだなって思ったんですよね。
だから今日乗り越えたっていう表現をタイトルで使いました。
今後一切何もしないのかって言われたら、
それは正直わかんなくて、
これからの関係性とか関わりの中で、
何か自分の気分が変わったりとか、
価値観が変わったりしたら、
何かあるかもしれないですけど、
今の時点では、
母の日に対する思い
僕は吹っ切れたなって、
乗り越えることができたなっていうふうに思っているんですね。
今日の話って別に結論があるわけではなくて、
あくまで僕はこういう経験をしてきて、
こういう人生を生きてきて、
だから今こういうふうに考えてるんですっていうのを、
母の日っていうのをテーマに話すっていうようなラジオになりました。
ここから何か伝えたいことがあるとか、
皆さんにこうして欲しいとかっていうことがあるっていうよりは、
共感できない人もいると思いますって最初言いましたけど、
逆に言うと、
一人でも僕と同じようなことを思っていたりとか、
同じことを感じている人がこの中にいて、
その一人がちょっとでも救われてくれたら嬉しいなって思ってます。
こういうふうにやらなきゃいけないんだなって、
みんなこういうふうにやってるから、
こうするのが自然で、こうするのが当たり前で、
やらないとおかしい。
やらない奴は親不幸だとか、間違ってるとか、
そういう考えをもし持っている人がいたら、
そうじゃないんだなって思ってくれる方が一人でもいたら、
僕はこの話をしてよかったなって多分思える気がします。
一般的にこうだとか、世間的にこうとか、
普通に考えて常識はこうだとか、
そういうものに縛られる必要ないですよね。
僕も今だから言えますけど、
去年まではそこにどうしても振り切れなくて、
仕方なくやってるところもありましたけど、
今だから言えるのは、やっぱ自分は自分でいいよねって思います。
日本という国でそういう文化がある、
習慣がある、だからみんなやってるだけであって、
自分がそれをまんりょしなきゃいけないとか、
自分もそこにはまらなきゃいけないっていう理由なんて、
どこにもないなって思ったんですよ。
自分がしたければすればいい。
だから僕は母の日とかに何か贈り物をする人を否定する気は1ミリもなくて、
やりたいなって思う人は続けたらいいと思うんですよ。
でもやりたくないなとか、
仕方なくやってるなって思う人が、
自分のことを肯定してあげられるというか、
自分は自分でいいんだなっていう風に、
この話を通して思ってくれたら嬉しいなって思います。
どうだろう。
多分共感できる人は限りなく少ないと思うんですよね。
むしろ、いやいやお前何言ってんのっていう意見の方が
多いんじゃないかなって思うんですけど、
でも僕は残念なことに、
親に対して何かずっと永遠に感謝の気持ちを持ちながら生きられる環境じゃなかった、
そういう経験を、そうじゃない経験をしてきたし、
残念なことに親子で仲良しな関係性で尊敬できて、
こんな風になりたいなとか、かっこいいなとか、
本当にこう自分のために、
自分のためにっていうかなんかこう、
なんて言うんだろうな、
まあリスペクトかな、リスペクトできる、
本当に心から好きな親と子供っていう関係では
僕はなかったっていう風に、
自分の置かれた環境を捉えているので、
そりゃあ仲良しの親子羨ましいですよ。
うちの妻がそれで本当に仲良しなんですよね。
向こうの両親、
僕も向こうの両親にはすごくお世話になっているし、
うちの妻は自分妻の両親と今でも本当に仲良しなのが、
すごく伝わってくる。
見たら分かる、一発で分かるぐらい仲良しで、
羨ましいなって思うんですよ正直ね。
けど僕は残念ながらそういう環境に生まれることはできなかった。
そういう関係を、
そういう人間関係を作ることができなかったので、
今日話したような考えに至った。
ただそれだけのことかなって思ってます。
なんかちょっと重たくなっちゃったかもしれないですけど、
これは多分今年、
自分の中でも乗り越えたっていう感覚がある今年のうちに、
これを話しておかないとダメだなって思いましたので、
今日話をしてきました。
今回今話した母の日に関することもそうだし、
やっぱり僕は両親に対する、
どうしても好きになれなかったりとか、
関係性が良いとは言えなかったりとか、
そういう経験をしてきていて、
いろんなことをまだ自分の中に溜め込んでるというか、
いろんな考えがぐるぐる巡ったりしているんですけど、
それをバーって今書き出しているところで、
書き終わったら公式ラインで、
自分の書いた、書き殴った文章を
公式ラインで共有しようかなって思ってるんですね。
ちょっと表に出すほどのものでもないというか、
表に出すほどのものでもないというか、
表には出したくないというのが正直なところで、
でも公式ラインに登録してくれてる、
僕のことが少なからず好きだったり、
ポジティブに思ってくれてる人であれば、
もちろん共感できない人もいると思いますけど、
でも僕のことをさらにまた一つ知ることができるきっかけになるんじゃないかなと思うので、
今自分の中にあるものを書き終えたら、
その文章を公式ラインで共有しようかなっていうふうに
今のところ考えてますので、
概要欄に公式ラインのリンクありますので、
よかったら今のうちに登録しておいてください。
最後にいつも通り概要欄に収録を一本貼ってますけれども、
ちょっとこれ古いやつから持ってきました。
今日話してきたのともうちょっと近しいんですけど、
人生を送ってきたのでそういう話をしています。
もうしょうがないですよね。
こういう環境で人生が始まってしまったんだから、
もうそれはそれでしょうがないなと思ってますし、
やっぱりしたくなかった経験もしてきましたけど、
でもそれもあって今の自分っていうふうに捉えると、
無駄なものはなかった、しないに越したことはなかった経験もあるけど、
自身の経験を振り返る
無駄ではないかなっていうふうに思うので、
よかったら概要欄からも聞いてみてください。
というわけで結構長々喋ってきましたが、長いですね。
20分ぐらいになっちゃいましたけど、今日もありがとうございました。
また明日からは明るいというか、
別に今日は暗いとは思ってないんですけど、
前向きな話をまた明日からやっていきたいなというふうに思ってます。
また次回お会いしましょう。バイバイ。
20:00

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