1. 喪失感は、突然に
  2. #24 自分事になると同情心が..
2025-05-10 14:33

#24 自分事になると同情心が顔を出す

先日発表されたグループの活動休止のニュースを聞いたとき思ってしまった気持ちについて、自分が経験したことと似ている出来事があると、共感的理解をしているつもりになっているだけで、そこにあったのは同情心だったことについて、芸能人の引退等による喪失についてお話をしました。

あるグループの活動終了発表のニュース / 安室奈美恵さんの引退を経験したため動揺 / ファンの人は大変だろうと同情した / しかし、それは自分の経験を押し付けているだけだと気づく / 相手のことを考えるようで、自分のことを考えていた / 相手を思う同情と共感の区別は難しい / 芸能人の引退は、生活の一部がなくなる大きな喪失 / 突然涙が出そうになるのは、父や兄を亡くした悲しみに似ている / 大切なことは忘れたくないため、悲しみも受け入れている

サマリー

第24回目の配信では、自分事になると同情心がどのように現れるかについて考察されています。特に、アムロナミエさんの引退や国民的アイドルの活動終了という事例を通じて、ファンの喪失感と同情心の複雑な関係が探求されています。

同情心と個人的な経験
喪失感は突然に、第24回目の配信です。今回は、自分事になると同情心が顔を出す、ということについてお話ししたいと思います。
その前に、数日前に、めちゃくちゃ胃が痛くなって、胃なのかお腹なのかわからなくて、仕事も遅刻早退したりして、睡眠を長めにとって復活したことがあって、
前日に食べたポテチではないかと思うんですけど、年とると、今まで大丈夫だった食べ方が、夜遅くに食べちゃったんですよ、ポテチ。あれが多分ダメだったと思うんですよね。
本当にちょっと気をつけなきゃなと思って、収録というか遅くなってしまったという、ただの言い訳なんですけど。
ということで、今回は同情心ということについてお話ししたいと思っています。
喪失感とどういうふうにつながるのかなというのは、後々わかってくるかと思うんですけど、
まずね、数日前にあるグループが活動終了のお知らせを発表したんですね。国民的アイドルというふうに言われたりもしている方たちが。
それを聞いたときに、以前その活動を休止したときも、やはりちょっと気になっていたんです。
なぜなら、私はアムロナミエさんがすごく好きで、その引退というのを1年前に発表されて、1年間結構大変だったんです。気持ち的にね。
というのもあって、引退とか解散とかっていうのを聞くと、ニュースを追ってしまう傾向があって、今回そのニュースを見たときに真っ先に思ったのが、
ファンの人大変だな、1年間って思ったんですよ。来年コンサートツアーをされるということで、そこで活動中止をするということだそうで、
自分のあの1年間を思い出してしまって、真っ先につらって思って。1年間の間でいろんなことが起こるわけですよ。いろんな発表をするし、いろんな話もするし、
ファンだけじゃない他の人とかの言葉とかもたくさん入ってきて、すごいね、心中穏やかじゃないんですよ。そういったのをファンの方たちは大変するんだって思ってたのが最初で、
でもそれってファンの方たちからしてみたら、おそらく大きなお世話だと思うんです。今まで活動中止をしていて、おそらくみんな待ってたと思うんですよ、どうなるかと。
あと1年かけて、いろいろやるんでしょうし、コンサートツアーでやるって言ってるわけだから、すごい喜んでいると思うんです。最後、やっと見れるっていうわけですし、
終わりは見えてるかもしれないけど、でも自分たちのために一生懸命やってくれる姿が見れるっていうので、悲しいけど喜んでいる方たちが多かったんですね。
私はこう、自分が経験したことを振り返って、こうだろうというふうに決めつけをしたわけですよ。おそらく大変に違いないみたいな。自分もそうだったし、好きだからそうでしょみたいな。
こうやってこう、自分が先にいるような気持ちになっちゃったんでしょうね。こういうのは同情という感情になります。相手のことを考えているように見せかけて、自分だったらこう思うということを押し付けているだけなんですよね。
同情のことを思うと思い出すことが、小さい頃に自分が嫌がることは相手にもしない、みたいな叱り方というか、しつけというか言われたことあると思うんですけど、ちょっと似てる気がするんですよ。この同情と。
自分が思うことも相手も思うだろうというような考え方になるから、例えばそういったしつけとか、叱り方をされた人とかっていうのは、あたかも自分が思ったことっていうのは相手もそう思っているだろうからこうするっていうふうに思って、何もこう相手のことを考えていないというか。
おそらく自分が嫌がることを相手にもしないっていうのは、ある意味想像力を働かせるということの一つになるから、そういった注意の仕方っていうのは一概に間違ってないと思うんですけど、そればかりだと同情心しか生まれなくなるというか、自分が考えた相手もそうだろうっていうようなね。
だから、同情心ってすごい難しいなって思ったりするんですよ。本当に相手のことを思って考えたとしても、いや、それ自分のことでしょっていうふうにもなるし。
じゃあさっき私が思ったことっていうのは、あたかもファンの人たちを大変だなーっていうふうに握らうような言葉を発したけども、でも実際はそうではなくて、ただ自分のことを思い出して、
あ、マジあれ大変だったから、本当もう辛いから嫌だっていうの方が気持ちが強かったと思うんですね。もし同じようなことを自分が思ったことを誰かに言われたとしたら、たぶん黙れっていうふうに思う。
喪失感とその影響
だってあと1年、猶予をくれたわけだから、私は本当そう思ったし、1年かけてさよならしなきゃいけないっていうふうな決意が自分の中で芽生えたんです。
なんかちょっとね、押しっていう言葉でね、語られるから、多くの人が経験してるかもしれないけど、経験されてない人にすると、たかが芸能人でしょ?みたいなことも思われても仕方ないようにも思うんですね。
でも相当の喪失なんですよね。その存在は生活の一部なんですよ。毎日のルグティの中に歯を磨くとか、ご飯食べるとか、仕事行くとか、そういったものの中に組み込まれてるんですよ。好きな芸能人っていうのは。
なんなら家族や友達よりも全然近い存在であるわけで、その人がいなくなってしまうっていうのは、もうとてつもない喪失感を伴うわけで、
ただ、差別とか離別とかって身近な人とのね、物ほど、物理的に近くない場合も多いわけだから、承認されない喪失、曖昧な喪失っていうふうに言われる概念の中に、
芸能人との離別っていうのは入るんじゃないかなと思っていて、おそらく私もアムロナミエさんを失ったって、ちょっとそれは大げさだな。毎日音楽聴いてるし。
もう見れなくなってしまったっていうところの、喪失の理解に関しては、仲の良いファン友達としか喋れないかなって思うんですよね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
14:33

コメント

スクロール