今回は、プログラマー・檜原光博さんにお話を伺いました。
まずは今のお仕事に至る、その歩みについてから伺いました。
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さん、こんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、プログラマー・檜原光博さんにお話を伺いました。
まずは、今のお仕事に至るその歩みについてから伺いました。
まず、檜原さんにお聞きしたいのは、お仕事は何ですか?という質問だったら、何をされていますか?
プログラマー。
プログラマー。
直球ですね。
直球でプログラマー。
教授もあるかもしれないですけど。
ずっと?
ずっとではないんです。
本当は文系なんで、僕。
そうなんですか。
教育学部卒。
偉大な感じなんですけど。
そこで、本当は体育会系の部活に入っていて、武道系なんですけど、先輩とかも警察官になったりとか。
結構そういう体育会系だったので、僕も警察官になろうと思っていたんですよ。
評学期全たかななんで、当然会社なんてもうそうそう受かるものでもないので、
まあでも警察官になるけど、何社が受けてみるか?つって、5社ぐらい応募したんですよ。
2社面談まで。
最後の1社だけ、社長面談まで行っちゃったんですよ。
そこはゲーム会社。
ゲーム会社。
ああ、そういうことですね。
そこで受かって、どうじゃかなと思ったんですけど、1800人を応募してきて、8人選ばれると言われたので、
え?と思って、じゃあこれはちょっとチャンスかもしれないと思って入ったという原因ですね。
そうなんですね。そこは結構人生の起動にはなってるというか。
今、ひょっとしたら刑事になってます。先輩で刑事やってますけど。
ああ、本当ですか。そういうことですか。
ひょっとしたら僕は刑事やってるかもしれない。
ゲーム会社を受けたっていうのは、ちょっと興味がないとそこには行かないような気もするんですけど。
そうですね。もともとはゲームが好きっていうよりも、シナリオとか脚本とかドラマが大好きで、
実は高層作家協会が主催しているシナリオセンターって今もあると思うんですけど、青山に。
そこに通ってたんですよ。大学通いながら。
脚本の勉強をして、将来テレビドラマの脚本家になりたいなと思ってたんですけど、
ゲームにも脚本を持ち込めないかなっていう考えもちょっとあって、
脚本を今思えば恥ずかしいんですけど、応募の時に添付して送ったら、それが当たったんです。
そういうことですね。
03:01
それでやろうっていう感じで。
ゲームにシナリオを持ち込んで、面白いゲーム、物語性のあるゲームを作りたいなっていうのが始まりだったんです。
ゲーム会社に入った時っていうのは、ゲームファードというか、何が?
当時だとギリまだスーファミがあった感じです。スーパーファミコン。
その時はプレイステーション1が出始めて、ちょうどそれに対抗するかのようにセガサターンという時代です。
ちょうどその頃だったので、入ったからってすぐシナリオをやらせるなんてあるわけないじゃないですか。
新卒なのに、一番下のテストプレイヤーから始まったんですよ。
出来てきたゲームをテストするっていう。
ずっと朝から晩までゲームをして、バグっていう動きが変だったりとか止まっちゃったりとかっていうのを探して見つけたら、バグシートっていうのを書いて出して、
プログラマーさんとかグラフィックデザイナーさんに直してもらうっていうテストプレイヤーを始めるっていう感じだったんです。
そこから始まってます。
そこは会社のやり方というか、そこから入っていって。
自力でやってください。
まだそこではプログラマーという言葉には出てきていない状態ですよね。
全然出てこない。
まずシナリオを書いていきたいという思いを持ちながら、そこのテストをする人としてやっていきたい。
その会社って実はゲームだけじゃなくて、雑誌編集とか本とかも出していて、そっちはメインなんですよ。
そうなんですね。
8人合格したんですけど、7人が全員編集規模だったんですよ。
僕だけ開発規模だったんで、珍しくて結構重宝されたというか、コマ使いというかいろいろやらされたっていう感じです。
テストプレイヤーから次昇格して、アシスタントプランナー、企画ですね。
企画のお手伝いなんですけど、それもメインの企画ではなくて、企画から出てきたものをチェックしたりとか、
上がってきた制作物が正しく企画とちゃんと合っているかどうかを確認したりとか、そういうのをやったりとか、徐々にステップアップしていくみたいなのをやってたという感じですね。
まだプログラマーじゃないですよね。
全然違います。
全然まだですよね。
でもその時は結構僕、大学時代からパソコンを持っていて、パソコンって持ってる人自体がその時代はもう割と少なくて、
インターネットもつながってるかどうかっていう時代だったんですよ。
06:01
僕が卒業したのが、さっきちゃんと調べておこうと思って自分の経歴を見たんですけど、1998年に卒業してるんですよ。
ソルキマツなんです。
それこそ2000年前なんていうのは、インターネットがちょっと出てきて、クロームとかエッジとかブラウザーなんて存在しちゃって、
たぶんご存知じゃないかもしれないけど、ネットスケープの前でモザイクっていうのがあって、それでインターネットをつなげてたくらい。
インターネット自体なくてもパソコン通信がメインだったんですよ。
ありましたよね。それをなんとなくモデムでガガガってやってとか。
ちょうど大学もインターネットではつながるようになっていて、メールアドレスがちょうど発行された年だったんですよ、全生徒。
なのでメールアドレスは発行されたけども、メーラーっていうのがそもそもなかったんで。
それこそターミナルっていうのを叩いて、コマンドを叩いて、そこにログインして、メール一覧をコマンド打って、
このメールが来てるからこれ表示してみたいな。っていうのが基本だったんですけど、それが面倒くさくて。
そのスクリプトを組んだのが僕が初めてプログラムになったんですよ。
そうなんですね。じゃあもうご自身でやりたいことをやるところが、ターミナルのところからやってたっていうのがひばらさんの最初の…
一応大学ではプログラムの素地というか、面白いものがあったっていうのはあったんですよ。
なのでプランナーにはなったけども、いろいろExcelとかWordとかって、いろいろ企画書を作るにあたって、
マクロ組んだりとか、そういうのにも使ったりはしていたんですね。
そのときブラインドタッチって、今誰でもできるような時代ですけど、ブラインドタッチできる人もいなかったので、
ひばらくはすごいブラインドタッチできているので、それだけで重宝されるようになっていたので、
それで結構徐々に上がっていくっていう感じですね。
やっていく中で、やっぱり希望としてはシナリオみたいなところは…
シナリオはやりたいって思ってて、でもチャンスは一回来たんですけど、
アドベンチャーゲームを作ろうっていうのがあって、割と有名でWikipediaにも載ってるくらいなんですけど、
ちょっと言えませんが、そこのシナリオを手伝ってくれってチャンスだと思ってたんですけど、
ただのゴジダツジを見るだけっていう。
結局はやらせてくれなくて、
やっぱりある程度上に立たないと企画書とかを出して、
自分で作っていかないとダメなんだなってなったんです。
なのでちょっとそこで挫折というか、なかなかちょっとこれは無理だと思って。
09:01
ただ作っていくうちに、作るのが楽しいなっていうのがちょっと芽生え始めて。
ゲームを作る。
ゲーム自体を作る。
企画書が降りてきて、それをちゃんとまとめて発注して、
正しいのが返ってくるっていうのが楽しいっていうのが思い始めたんですよ。
なのでそこで天気などが全然関係ない、シナリオと全く関係ない、
競馬育成シミュレーションゲームのプロジェクトにぶち込まれたんですよ。
言ってしまえばダビスタなんですけど。
めっちゃありましたね。
ダビスタリオンという、ちょっと今ではそんなに有名じゃないかもしれないですけど、
当時はすごいダビスタリオンっていったら誰でもが買ってたような競馬育成シミュレーションゲーム。
そこには原作者っていう方がいて、かつ作ってる会社がまた別にあったんです。
パリティビットっていう会社なんですけど、
そこの会社さんが作ったものを僕がいる会社が手伝うという形だったので、
だからそこから降りてくるものを今度それを作るっていう作業を私がやらなければいけないっていう風になったんです。
そこで企画とかも降りてくるので、ただこういう風に作ってほしいってふんわり降りてくるので、
画面に何を表示するのかとか、そういうのが具体的に書かれてないので、
画面ってどうやって表示するのってなった時に発注できないじゃないですか。
グラフィックデザイナーさんに何色って言われた時に困るので、こういう感じですっていうのを紙に書いて、
当時これはわかりやすいのは何だろうな、
任天堂なんかわかりやすいんですけど、ゲームゴーイアドバンスのダービースタリングを作っていた時なんですけど、
結構スプライトっていって正方形の絵を重ね合わせて動かすので、スプライト単位で表示するとか、
あとは背景は別なので、背景は別でこういう感じの色でとか、
当然その領域、ここの中で表示しなきゃいけない。
例えばゲームボーイアドバンスのサイズの中で表示するので、その中のレイアウトを決めなきゃいけないとか、
そういうのも結構あって、面白いなとだんだん出てきて。
で、プログラマーになる転機がその次にあったのが、
ゲームボーイアドバンスを作っている時にスプライトってちょっと制限が厳しくて、
当然そのままハードウェアと今バリバリ綺麗な絵画で、
12:03
PlayStation 5とか出てますけど、
そんな余裕もないちっちゃいハードなので、性能も全然高くないから、
スプライトって言っても本当にちっちゃい絵で動かすしかなくて、
実際ファミコンとかで、スーパーマリオブラザーズでやったことあります。
今でも結構やられてる方もいると思うんですけど、
あの当時って結構キャラが被った時チラついてませんでした?
なんかそんなこともあったような。
あれスプライトが交差してるのでチラつくんですよ。
もう仕方ないというか。
そういう仕様があった。
そういうのがあってスプライトってすごく制限があって、
その中に16色までしか色を出せないという制限があって、
16色を決めたらそれで描かないといけないんですよ。
それを並べて表示するわけなんですけど、
ただちょっとグラフィックデザイナーさんで抜けてる方がいらっしゃって、
パレットって呼ばれてるカラーパレットの中の16色の中の色で、
違う色を混ぜちゃう人がたまにいるんです。
それを入れて表示させるともう一気に飛ぶんですよ、ゲームが。
もうその表示した瞬間に飛んじゃうんですよ。
そんな感じなんですね。
バグになるんですよ。
なのでプログラマーさんが表示した瞬間に落ちるから、
なんかこれ混じってるよね、話になって。
もう一回見直すんですけど、
スプライトって言っても、
例えばその当時だと最大どこまで出せたかな。
64x64だとしても一度とずつ全部見ていく。
地獄じゃないですか。
どれがパレット合ってるみたいな。
それが結構大変なのと、
その問題が多発したので、
プログラマーで結構仕事が止まっちゃってたんですよ。
そういうことですね。
これは問題かなってなった時に、
プログラムの間に僕がプログラムで入れば解決できるんじゃないかと思って、
スプライトをチェックするツールを作ったんですよ。
そこなんですね。
Windowsで動く。
そこにポンって放り込むと、
違うカラーパレットを使ってる場合に点滅するっていう仕組みを作ったんです。
なので、出来上がりましたってグラフィックデザイナーさんがグラフィック出してきた時に、
そのツールに投げ込んでもらえれば、
どこにパレットが正しく配置されてるかをチェックして、
OKって出るようなツールを作って、
それで流れるようになった。
それが一番最初に作ったツール。
15:00
作れたというか。
そうです。だから僕はその当時、
趣味でも好きなものって先ほどおっしゃってましたけど、
好きなのもプログラムなんですよ。
ああ、そういうことですね。
当時、今はほとんどもう志望ですけど、
当時はサンデープログラマーって呼ばれてて、
日曜日にプログラマーになる人をサンデープログラマーって呼ぶんですよ。
お休みの日に好きでやるって。
サンデープログラマーでもあったので、
プログラムは基本的に好きで、ずっと書いてはいたんですよ。
仕事に使うのはあまりやってなくて、
その時に初めて使って、目にいたねみたいになって、
結構そこからプログラムをやる、仕事にもやるっていうこと。
シナリオ脚本家を夢見て飛び込んだゲーム業界で、
やがてツールを作ることの面白さに目覚めた檜原さん。
バグを防ぐチェックツールを独学で作ったことが、
プログラマーへの転機になったとのことです。
趣味やってるってやつはまた別の話なんですけど、
これは今にも繋がることなんですけど、
実は私は氷河期世代で、
ブラックな企業を渡り歩いてるんですけど、
仕事とか絶対終わらないんですよ、終電までに。
ほぼ100%。
人員も限られてるし、
泊まるの嫌じゃないですか。
家で帰って仕事してシャワー浴びた方がいいなと思って、
データを持ち帰るんですよ。
今は当然コンプライアンスないですけど、
当時USBフラッシュなんてなかった時代ですので、
コンパクトフラッシュとか覚えてる?
カードになってるんですけど、
メモリーカードなんですよ。
それにデータを入れて持ち帰って、
家で仕事してたんですよ。
それ今も見たらどうなのって話なんですけど、
当時はそんなことも許されてたんですね。
ただ、その時落とした時、やべえよなって思って、
これを暗号化しといた方がいいよねって話になって、
同僚も同じことをしていて、
暗号化できる簡単なツールがあるといいなって話になって、
じゃあちょっと探してみようかと思って、
秋葉原に行って、あらゆる暗号化ツールを買ったんですよ。
全部買ったんですか?
今だとダウンロードで一発ですけど、
当時は秋葉原に行って、パッケージの棚を探すんですよ。
探して暗号化ツール、暗号化ツールとかいって、
いろんなものを探して、中には面白いものもあって、
18:01
例えば3人で分割してパスワードを持っていて、
3人が一緒にならないと複合元に戻らないという暗号化ツールがあったりとか、
これは海外製なんですけど、
全ての暗号化ツールを買って、
あとフリーソフトとして配っている、
いわゆる3Dプログラマーの人たちが作って、
趣味でフリーで、ただでどうぞって使ってくださいっていうのがあって、
そういうのも試してたんですけど、
いまいちしっくりこなくて、
しっくりこないっていうのはデザインが微妙なこと、
あと使用、ゲームを作っている人の病気だと思うんですけど、
例えばパスワードを入れてエンターって押したら、
普通暗号に行くはずなのに、
OKボタンを押さなきゃいけない。
何?って思うわけですよ。
そういうところはちょっと病気なんですけど、
そういうところができて作りこまれてなくて、
だったら自分で作るかっていう。
デザインも超ダサい。
アイコンとかも当時、超ダサいアイコンとかあったのが、
名前とか言えないんですけど、
いろんな微妙な暗号化ソフトが多かったので、
かっこいい暗号化ソフトで、
使いやすい暗号化ソフトで作ったのが2002年。
今ちょうど、この前数えたので覚えてるんですけど、
2002年に作り始めて、
今2026年、23年ずっとメンテすることになった
アタッシェケースっていう暗号化ソフトがあるんですけど、
それに繋がっていくことになりました。
そうなんですね。
当時は僕も3Dプログラマーだったので、
しかも会社員だったし、
副業禁止、今無理。
今は副業全然やっとどうぞみたいな会社も多いですけど、
副業禁止だったので、
当然無償で誰でも使えるということで、
フリーで配り始めたんですね。
でも当時、暗号化ソフトって怪しいねみたいな雰囲気もあって、
スパイでもやるの?そんな感じだったんですけど、
仕様目が変わったのは2006年だったかな。
ちょっと何年か忘れましたけど、
個人情報が出たときに、
一気に脚光を浴びたんですね。
時代の流れがそこで起きて。
そこで暗号化ソフトっていうのが必要っていうことになって、
結構跳ねたんですよ、僕のソフトが。
今でもPCとかで検索。
スマホだと出ないんですけど、PCで検索してもらえると、
あたしケースって調べると、
カバンよりも僕の方が上に行きます。
それぐらいに結構有名になったんです。
21:03
当時は相当ダウンロードされてたと思うんで、
月間で1万とかダウンロードされてた。
結構有名だったんですよ。
会社単位でも使われるようになったりとかしてるっていうのもあって。
それが元だったんです。
当時はそれが暗号化して持ち帰って、
ブラックな企業なんで家で仕事をして、
また暗号化して会社来て、
復興して仕事を続けるみたいなのをやってたんです。
じゃあその仕事を通して、暗号化は暗号化としてやりながら、
会社の仕事は続けながらっていう感じで。
並行してやってた感じですね。
ずっと同じ職場ではなくて変わったりしながら?
これが複雑で、
ダービースタジオンっていうのが結構ビッグプロジェクトなんで、
会社潰れたんですよ。
僕が最初に新卒で入った会社はすぐに潰れたんですよ。
プロジェクトはそのまま見売りされるんですね。
そんな感じなんですね。
そうです。スタッフごと見売りされている。
5回くらい変わってます。
同じプロジェクトで働いているのに、
5回変わって。
プロジェクト自体は動きながら、会社だけが変わっていく。
一時期個人で雇われた時があって、
誰々さんの人に雇われた時もあったり、
業務委託で雇われている状態もあって。
それってゲーム業界だから?
あんまり聞いたことないな。
珍しいでしょうね。
ビッグプロジェクトで、
かつ、あまり進みが良くない。
スケジュール感もつかめないというのが、
なかなか作りづらいような状況だったんで、
そういうことになるんでしょうね。
あんまりない人がね。
やってること自体が未知なことをやってるし、
どうなるかって先行き読めないから、
その中で会社的な単位では扱えないというか。
そこがちょっとうまくいかなくなって。
ただプロジェクトとしてはあるから。
そうなんですね。
だから発売されれば絶対売れるんですよ。
だからそれに賭けるんですよ。
最後そればっかりになっちゃうんですよ、会社も。
ダービーストリームに賭ければってなっちゃうので、
結局傾いちゃってみたいな。
唯一僕が関わった中で成功例が、
ダービースタリウム04っていうのがあって、
これプレイステーション2で出たんですけど、
80万本ぐらい売れたんですよ。
これ当時会社が変な意味で傾いたんですよ。
利益の3分の2ぐらい占めたのかな。
その年の。
異常な利益を叩き出したので、
24:02
それでちょっとおかしくなるっていう。
利益出すぎておかしくなる。
出すぎておかしくなるっていう変な現象が起きてて、
大変な騒ぎになりましたね、あれは。
ソニーからもゴールドディスクとかっていう賞をもらっていたような気がします。
僕ではないですけどもちろん。
そのプロジェクトを作られた原作者の方が働いてるんですけど。
僕らは金魚の糞じゃないですけど、
そのプロジェクトにくっついて泳いでいくっていう感じで、
会社が点々としているって感じでした。
そっか。
でも好か不好かってどっちなんだろうな。
分かんないんですけど、
そのヒットのおかげでそこで社員になれたっていうのがありますね、
その会社の。
そっか、はい。
でまぁそれが続いたって感じかな。
それで今もプログラマーとしているんですか?
そうですね、ゲーム業界はずっといたんですけど、
ちょっとやっぱり、なんていうかやっぱり
雲行きがいつも通りやられてなくて、
そのプロジェクト自体が潰れちゃって、
僕自身もそのプロジェクトとして見売りはされてきたけど、
個人としての活動がなかなか、
ちゃんと評価されなかったので、
いろんなのに入れられるわけですよ。
当時は携帯だったので、
携帯のアプリ、iモードのアプリを作ったりとか、
あとは最後はスマホのアプリも作ってましたし、
スマホのソーシャルゲームとか作ったりとかしてましたし、
そういうなんかだんだん先細っていく感じがしていって、
ついに20年ぐらいゲーム会社にいたんですけど、
ちょうど会社が早期退職者制度ってのを出してきて、
僕が年齢ギリギリ引っかかったんですよ、
41だったので、
そのタイミングでこれもう先ないなと思って、
そこで退職を決めて、
晴れて無職になったわけなんですけど、
しばらく無職を満喫してたのかな。
いいですね、満喫。
40にして自動車免許を取ったりとか、
初めて大学時代に取れなかったから取ったりとかして、
プラプラしてるのもあれだなと思って、
ずっとその間でも、
それでもアタッシュケースっていう暗号化ツールが
ずっとメンテナンスはしていたんですね。
結構会社とか、
言うてもまずいかな。
一応結構公共事業も地方自治体とか、
27:03
あと国の機関とかからも結構団体で使わせてくださいみたいな。
別に連絡いただかなくても無料で使えるので、
別に言わなくてもいいんですけど言ってくださったりするので、
これ商売にならないかなと思って、
ただ僕3Dプログラマーとしてずっと生きてきたので、
当時フリーソフトウェア文化って、
他界に補い合うような文化があって、
基本的にフリーで提供するのが
全都という時代だったので、
それがちょっと僕染み込んでて、
お金を取るのがずっとあって、
その半分を、その中間を取って、
会社、商用利用に限ってお金を取るっていう仕様なんですよ。
今コンプライアンス上そういうことを書けば、
ちゃんと払ってくれるので、
それでちょっと回り始めて、
実はフリーソフトを作るって言っても、
結構お金かかるんですよ。
サーバーラインにかかりますよね。
作るのも人件費は抜いたとしても、
全部作ってビルドした後に、
証明書っていうのを付けないといけないんですね。
証明書って何かっていうと、
正当な人がこのソフトを作りましたよっていう、
第三者機関が証明した、
EVコードサイミング証明っていうんですけど、
その証明書を添付しないと、
今のWindows 10とか11だと、
スマートスクリーンっていうのが出るんですよ。
ブルーの四角いの見たことないですよ。
しょうがないですね。
実行ファイルを実行すると、
四角い青いスマートスクリーンっていうのが出て、
これは危険なソフトかもしれませんっていうのが出るんです。
OKとかいうボタンもなくて、
詳細を押すとインストールできるんですよ。
でもそれって多分初心者から見たら、
わかんなくなるし怖いしってなるじゃないですか。
なのでEVコードサイミング証明書を付けるってことにしたんですけど、
これが高いんですよ。
6万8万するんですよ。
3年間でだいたいそれぐらいかかるんですよ。
それを補うにやっぱりお金は取らないとやっぱりダメだということで、
企業様からいただいて、
個人の方はフリーでどうぞっていう形にしたんです。
今の形になったんですけど、
回していこうというふうにして、
しばらくそれでやっていたんですけど、
ある日ちょっと限界が来て、
コードサイミング証明書を取るのには結構ハードルが高くて、
30:00
その人が本当にいるのかっていう証明が難しいんですよ。
そもそもコードサイミング証明って海外の企業がほとんどなので、
海外から日本の使者に、
この人本当にいるのかっていう証明をさせろっていう、
多分命令しか聞いてないんですよ。
で、コロッコロ変わるんですよ。
例えば公証人役場に行って、
自分の証明書を作ってもらってくださいって言われるんですよ。
公証人役場に連絡するじゃないですか。
コードサイミング証明書を取りたいんで、
自分を証明する書類を作ってくださいって言うと、
なんでそれ知らない、わからない。
だいたい遺言書とかしか作ってないんで、
おじいちゃんばっかりなんですよ。
そんなのやったことないから、理由がないって言われて、
断られるんですよ。
どこも受け付けてくれないんだけどって言うと、
じゃあ今度はこれをとか言って。
コロッコロ変わるんですよね。
人名表出してくれって。
出しても、それでも足りないよって言われるんですよね。
英文の1枚のサーティフィケーションなんとかって、
自分を証明するための紙が送られてくるんですけど、
これ英語で書いてくれって言われるんですけど、
これ誰に証明してもらうの?みたいな、
謎の文章を送られてきて。
最終的には個人には出せませんって言われるんです。
それでショックを受けて、
どうするの?ってなった時に、
法人格だったらすぐ取れますって言われたんです。
もうすぐ男子ナンバーとか、
いわゆる法人格、法人であるっていうのは、
世界的にも男子ナンバーでわかるので、
法人格だったら取れますって言われたので、
法人格しなきゃいけないなって思って、
今年。
そういうことですね。
全部そこに繋がる。
そういうことですね。
それは今年の話なんですね。
そうです。
以前は運良く取れたのは、
たまたま木原ソフトウェアっていうのを、
商標登録じゃなくて何だっけ?
会社登録した。会社登録?
違うな。何だっけ?
登記した。
商標登記したのかな?
それが証明になったんですけど、
次回からちょっとこれはわからない。
もうコロコロ変わって、会社から言われて、
本社からそう言ってるので、
ちょっと次回は難しいですとか言われたので、
じゃあ法人格にしないとダメかなっていうので、
今年から法人格にして、
次の更新ではたぶん進んだらいいかなって。
そうかそうか。
33:02
で、今に?
今に至る。
そういうことですね。
じゃあ今現在のお仕事としては、
そのアタッシュケース?
そうですね。
基本的にはそれを主軸にして、
回していくようになりました。
様々な企業で働く中で、
作業データを持ち帰るための暗号化が必要になり、
自ら作り始めたアタッシュケースという暗号化ソフト。
それが今では23年続く、
自身の主軸となるソフトウェアになっていったというお話。
そんな日原さんの更なるストーリーは、
次回に続きます。
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