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2024-06-22 35:48

2024/6/21 「競争の東京と共創の福井」

東京滞在の話/加減乗除/競争と共創/人生は長い?短い?/長距離走と短距離走/自分の形

サマリー

2024年の6月20日から6月17日まで、福井県の地域おこし協力隊のつかちゃんは東京に滞在し、福井県の若者交流会や地域おこし協力隊の説明会などに参加しています。 競争と共創について考え、自己成長や楽しい状態を追求する重要性について話しています。 競争の東京と共創の福井について考察し、人生の長さや加減上々のフェーズについて思考を巡らせます。 どういう視点で人生を考えるかにしても、自分の形を知る必要があることが大事だと考えています。 東京と共創の福井には文化的な違いがあり、競争と共に作る世界なのか、みんなと一緒に長く生きていく世界なのかについて考えています。

東京での活動
2024年の6月20日の声日記を始めます。この番組は、福井県の地域おこし協力隊のチャレンジ応援コーディネントとして活動しているつかちゃんが、日々の活動の中で感じたこと、考えたことを振り返っていこうという番組になっております。よろしくお願いします。
めちゃくちゃ久しぶりなんですよね。6月21日ですね。声日記自体がめちゃくちゃ久しぶりで、収録してるのあるっちゃあるんですけど、
皆さんの声日記としてあげてるのは、前回が多分4月13日とかなんで、2ヶ月以上更新をしてなかったっていう状況なんですよね。忙しくてなかなか更新ができないみたいな、そんなところもあったんですけど、
それが一番メインなんですけど、そろそろ自分の思ってること考えてることを改めていろいろ振り返りながらアウトプットした方がいいなというのもあったので、そろそろ再開していこうかなと思っております。
ただね、毎日更新とかはなかなかできないかもしれないので、適宜、暇なときにやっていこうかなというぐらいのゆるゆるとした感じでやりたいなと思っております。
最近ですね、東京に滞在してる期間があって、6月8日に東京で福井県の若者交流会っていう、福井県民の人を集めて、
東京にいる福井県民を集めて、交流施行っていうのがあったんですね。交流会をしようみたいな会があって、その翌週に地域おこし協力隊の説明会っていうのが東京であったんで、
自宅自体はずっと、地元も神奈川で実家があるので、1週間ぐらい滞在して、その間に東京のいろんな人に会いに行ったりとか、会いたい人に会いまくろうみたいな、そんなセルフ企画をずっとやっていったんですよね。
その中でやっぱり感じることというか、考えることもめちゃくちゃ多かったのと、話そうと思うと多分1時間以上しゃべりそうなんだよなこれ。
考えること感じることって結構多かったっていうのもあるし、あと最近ですね、エキセントリックカレッジのアフタープログラムみたいなのがあって、
その中に日常で考えたことでコラムを書いてみようみたいなのがスタートするんですよね。スタートしたかな?スタートするかな?スタートするんですよ、アフタープログラムとして。
僕自身もね、こういう日記とかを書いていて、コラムみたいなことにはちょっと関心もあるので、じゃあ自分自身で書いてみようってなったときに、やっぱりこれ今考えてることちょっとアウトプットしたいとかがいいなというのがあって、今こういう日記にしているという状況でございます。
東京に行ったとき何してたかっていうと、大学時代の仲いい友達に会いに行ったりとか、会った人をずらっと並べていった方がいいのか。
まずクロスミントンっていうマイナスポーツを僕が東京でやっていたので、それの同期会みたいな、96年会そのときもやってたんですけど、クロムインの96年会をやって、翌日は東京学芸大学で朝ラクラスの試合があるって言ってたんで、僕らクロス部で。
その試合見に行って、仲いい同期の奴らと会って、その夜はまた別の大学の同期とか、大学の同じ学科の子が婚約しましたみたいな、そんな会があったんで、その会に行って。
翌日は午前中普通に作業をして、夜大学の後輩に会いに行って、その後に仲いい人がその近くに住んでいるので、その近くに泊めてもらって、火曜は帰宅して作業をして。
夜にエールかな。聞く連鎖を作ろうっていうことをやっているエール。サポーターは僕がやってるんですけど、そのエールの関係者の方々とサポーター交流会みたいな感じかな。
一緒にお話しする機会があって、その翌日は、何しようかな。なんかいろいろやってた気がしますね。その翌日は基本事務作業みたいな。日中は事務作業をして、夜は家族でご飯を食べると。
木曜日はSFCか。エキセントリックカレッジの共同プロデュースみたいな形なので、慶應義塾大学の教授と一緒にやっているプログラム。教授じゃなくて先生かな。慶應義塾大学か。
一緒にやっているプログラムなので、SFCに遊びに行きたいなという思いもあって、SFCに遊びに行かせてもらって、その人とお話をさせてもらって。
その後、夢中教室ワオっていうボーダーレスジャパンの授業と、その中のバンソー先生というのをやっているので、その代表の人かなとお話をさせてもらって、その後に木曜日は確か飲み会だった気がするな。
その後、大学の高い友達とまた飲み会があって、金曜日は夜は前食の昼に後輩とご飯を食べて、夜は特に予定がなかったので家族と一緒にご飯を食べると。
土曜日が廃校教育キャンプっていう、今一緒に住んでるこのまんまの矢主の子が理事をやって、一般社道法人が運営している廃校教育キャンプっていうのがあって、
70人ぐらいの教育に関心がある人たちが廃校に集まって、場所が成田だったんですけど、そこに行って、一泊二日で教育について語り合おうみたいな会があって、
日曜日が、僕は一泊二日で泊まった後に成田から東京に向かい、東京で地域おこし協力隊の説明会をやって、家に帰ってのんびりするというのがざっくりした流れで、
月曜日は実家から福井に帰る日だったんですけど、黄昏食堂っていうのをやっている福井県の料理人の子がいて、それが東大阪であったんですけど、せっかく福井でやってる子が東大阪、僕も何回か黄昏食堂行ってるんですけど、
でも黄昏食堂が東大阪であるっていうので、北陸新幹線でそのまま帰るよりも、せっかくなら東大阪行こうかなと思って、東大阪行って一緒に黄昏食堂でいろいろ話しさせてもらって、他の人にも出会いながら過ごして、
黄昏食堂をやっている料理人の子に乗せてもらって、朝4時半とか5時ぐらいかな、5時間際にお家に帰ってくると。
そんな10日間、6月7日から6月17日までの東京滞在を過ごしておりました。
競争と共創について
というのがざっくり過ごした日々みたいな感じなんですけど、何を考えてたかなんですよ、問題は。
考えることめちゃくちゃいろいろあって、これを全部が全部話してしまうと何時間かかるかわからないので、一旦今日は今考えているところでいくと、
廃校教育キャンプの中で話していたことが結構頭に残っていて、頭に残っているものが一個ありますと。
その中でちょっと考えていたのが、競争って悪いことですかみたいな、競争は悪ですかみたいなことが問いとして一個あって、
競争っていうのが戦う方の競争社会みたいな、っていうのが悪ですかみたいな話を出していたときに、結構難しい話だなと思っていて、
廃校教育キャンプっていうところでいくと、みんなが教育についていろいろ語るんですけど、でも話に出てくるものでいくと、
自分のやりたいことを突き詰めていこうとか、自分の夢中になるものを追求していこうとか、
その人に合った教育を届けようみたいなことが結構あって、それ自体には僕もめちゃくちゃ賛成をしているんですよね。
僕自身がやりたいことって大人も子どもも夢中になる社会を作りたいっていうので、それ自体はめちゃくちゃ賛同する。
けど、じゃあ競争しないの?って言われると、なんか難しいなというのがあって、
自分の夢中になるものを追求していこうっていうことと、の、なんかこう、履き違えちゃいけないというか、
なんだろうな、表現がすごく難しいんだけど、戦わないとはまた違うみたいな感じなのかな。
なんか成長しなくてもいいとはまた違うなと思っていて、成長するってじゃあ何かっていう話がまた背後教育キャンプの中で言っていたんですけど、
成長するというか楽しいかな。楽しいってどういう状態かみたいなことを話しているところがあって、楽しいってどういう状態なのかって考えたときに、楽とは違うよね。楽しいと楽って同じだけど状況としては違うよねみたいな話をしていて、
自己成長と楽しい状態
楽しいっていうのは何か難しさとか困難さを乗り越える過程にあるよねっていう話をその教育キャンプの一人の人が言っていて、楽な道とは違うけどでも楽しい状態っていうのはあるよねみたいな話だったんですよね。
確かになみたいなすごい思っていて、楽しさっていう言葉とは難しいけどでも充実さみたいな言葉に近いのかなと思っているんですけど、楽しい楽と楽しいはなんか近い言葉に近い感じるけど、楽と充実っていうのはまたちょっと別のところにある言葉かなと。
僕の中のイメージとしてあって、僕が思っている大人も子どもも夢中になれる社会っていうのは、なんかみんなが充実する状態なんだろうなっていうのを何となくそのとき考えてたんですよね。
で、その中で夢中になることっていうのは結構自分自身のその人にあった教育を届ける必要があるなというのは思いつつ、でもその自分の夢中になる部分っていうのを知るためには結構得意なことでも苦手なことでもとにかくやってみなきゃいけないよなみたいな感覚がめちゃくちゃあるんですよ。
で、これも古典ラジオじゃないな。ミンラボ2、いやミンラボ1かな。どっちでもいいや。楽天大学を作った中山信也さんだったかな。名前ちょっと勘違いですけど。
言っている人の話がそこで流れていて、僕まだその原著を読んでないんですけど、言ってたことが、人生には過減成長っていう法則というかフェーズかな。過減成長のフェーズがあるよっていう話があって。
第1フェーズが過減成長ってあれ数円算ですね。過が足し算、減が引き算、乗が掛け算、乗が割り算。仕事のフェーズってこの4段階に分かれるんだよみたいな話がそこでされていて、過減成長、過が足し算の部分ですね。
まず足し算。まずはとにかく何でもやってみる。得意なことでも苦手なことでもとにかくやってみて、自分の仕事、何が得意なのか、何が苦手なのかを分かるフェーズが一つ。一番最初になりますよ。
そのフェーズにおいて得られる報酬っていうのは仕事であると。なんかいろんなことをやっていったらどんどん仕事が回ってきて、その仕事をやることによって自分の形がだんだん分かってくるみたいな、そんなイメージですね。
で、その次、減。過減成長の減。で、その過のフェーズが終わったら次は減で、自分の強みっていうのがなんとなく分かってきてるから、その強みに特化して、苦手な部分をどんどん減らしていくフェーズになる。
だから自分の強みは私はこれです、あれですっていうのをどんどん言っていって、苦手なことは他の人に任せたりとか、苦手なことを削いでいく、なんか排除していくみたいな形かな。
で、それの報酬っていうのが才能であると。強みに特化する状態になっていくので、その報酬は才能であると。
で、次。過減成長の乗ですね。掛け算のフェーズ。で、自分の強みが分かったら、強みに特化するフェーズがきたら、次は掛け合わせる。自分の得意なものと得意なものを掛け合わせて、新しいものを作っていくっていう掛け算の部分と、
あとは自分の得意なものと仲間の得意なものを掛け合わせる。で、より効果を広げていくっていう掛け算のフェーズ。これが乗。で、その報酬は仲間って言ってたかな。
で、最後乗ですね。割り算の部分。これ割り算の部分は、じゃあ一つのことをやって、それが複数の効果を発揮できる状態っていうのが割り算の状態。
何か1個の作業をしたら、それが複数のことが1個の作業で複数の効果が得られる状態を作る。そうすると、得られる報酬は自由であると。
そうだよね。だから自分の得意なことをやって、仲間も増えて、で、得意なことをやったらそれが複数の効果が発揮されて、今まで1をやったら、1しかならなかったの。1やったら3のものが達成するようになったら、2分、3-1で2余るから、その余った分が自由だよねみたいな、そんな考え方かなと思ってるんですけど。
競争の東京
加減上々っていうフェーズがあるよみたいな話があって、これ僕めっちゃ好きなんですよね、この考え方。だからまず何においてもどんどんやることっていうのがまず大事。
足し算がないとスタートできないよっていうのが、僕今思っていることで、じゃあ夢中になるものを探しましょうとか、本気になれることを考えようとかっていうのをやるためにはまず足し算をする必要があるよねというのを今すごく思っていて。
じゃあこの足し算をやるためにどこにいるといいのかっていうのが今僕すごく考えていることで、それで僕今考えているのが東京と福井の違いって何なんだろうなっていうのをずっと考えていて、東京って多分すごい競争の社会だと思ってるんですよね。
誰かよりも上に立つことが大事みたいなのがすごくあって、例えば高学歴であることであるとか、学歴コンプレックスみたいな言葉がそのままかなと思うんだけど、高学歴であって誰かよりも上に立つことが大事であるとか、高収入で誰かよりも年収が高いこと、売り上げが高いこと、利益があることみたいなのがすごく大事だったりとか。
あとは一流企業とか企業ステータスみたいなのがあって、その一流企業にいると何か他の人よりも上に立ったような感覚が得られる競争みたいな。
これ今仕事っぽい話をしたけど、多分恋愛も同じようなことがあって、誰かよりも上に、誰かよりもモテたいとか、複数人から愛されたいとか、わかんないけどね、モテるみたいなのも、誰かよりも綺麗にならなきゃいけないとか、誰かよりも高ステータスであることをアピールしなきゃいけないみたいな。
常に戦いというか競争の世界になるのが東京なのかなと思っていて、その競争の世界っていうのは、誰かに勝つことをするためにすごく努力をする必要があるから、自分自身の力がめちゃくちゃ上がると思うんですよね。
勝つために、自分がより上に立つことがまず大前提にあって、その上に立つためには努力をする必要があって、結果的にその努力をしたから自分の力が上がっているみたいな。
こうやって多数山の領域がスムーズにあるところなのかなと思っていて、ただその一方で疲弊がすごいなみたいなのを持っていて、何となくイメージでいくと短距離走、競争で短距離走で競争するみたいなイメージなんですよね。
とにかくこの1年で誰かよりも上に立つとか、この3年で上に立つとか、そんなイメージなんですよ、東京の世界って。なんか僕の感覚ですけど。
東京に行くと、とにかく短期間で自分の力が上がるから、すごい多数山の部分は成立するけど、誰かに勝つっていう状態って、例えば年収で考えたときに、平均年収が400万の世界で600万の年収を得ました。
誰かに勝ちました。やったと思いつつ、でもその上には1000万の人がいたりとか2000万の人がいたりとかして、うわ、もっと上がいいなみたいな。勝つと同時に負けも味わうみたいな。
だからどこかの中で、どこか自分でここの線でいいだろうみたいな、妥協せざるを得ないとかっていうのはあると思うんですよね。諦め、自分で線を引く力みたいなのが必要になるのが、この競争社会かなっていうのを思っています。
共創の福井
福井の方は、共に助けるみたいな、共生みたいなイメージが強くて、共に作るっていう意味で競争かなと思ってるんですよ。
で、その共に作るって何かっていうと、隣の自分が誰かより上に立つっていうよりも、みんなで上に上がろうみたいなところ。上に上がろうって意識でもなくて、みんなで生きようみたいな。みんなでとにかく生きていきましょうみたいなニュアンスが近いかなと思ってるんですよ。
で、これはなんかすごく日本的というか、これ話するとちょっと脱線するな。なんか共に生きようみたいな感覚がすごくあるんですよね。だから僕のイメージの感覚でいくと、自分たちっていうのは雪国だったりとか、自然に対抗するために誰かと助け合わなければいけない。
だから地域の人にも挨拶をするし、雪かきとかも顕著ですよね。自分一人で雪をかけない可能性がめちゃくちゃあるから、でもそんな時に隣の人と助け合ってやっていかなきゃいけないみたいな。
だから自分一人が勝つっていうよりも、誰かと一緒にいること自体が、誰かと一緒に生きるっていうのがすごく大事な世界観なのかなと思っていて。だからこそ地域住民がいるときに挨拶をしっかりするとか。
僕こっち来てすごく思っているのが、やっぱり地域の人がいるときに絶対まず挨拶する。すれ違ったらとりあえず家の近くだったら挨拶するよねみたいな。多分地域の人だろっていうのがなんとなくわかるから挨拶するし。
すごい顕著にこれを感じたのがマンションに住んでたときで、マンションに住んでるときにエレベーターに入ったら絶対挨拶するんですよ。基本。こんにちはとかいってらっしゃいとかおかえりなさいとかマンションで。
僕地元とか東京のマンションとかであってもそんなことは多分なかったんですよ。これすごい顕著に福井っぽいなと思っていて。マンション、同じマンションに住んでるってことは同じ地域の人だから仲間だから挨拶するみたいなのがあると思うんですけど。
東京のときって別にマンション同じだろうかなんだろうが、隣の人の顔も知らないし、マンションの隣の人は敵かもしれないから。敵って言い方が変なんだけど。なんかわかんないけど変な人の可能性もあるから。なんかそんなに挨拶とかもしないし、エレベーター同じになったかどうかといって両方スマホを見てるぐらいしかないんですよ。
で、考えるとこれがすごい福井の面白さだし豊かさだなというのが思っている。なんか共に生きるのがすごく大事っていう世界観。これすごく福井の豊かさだなと思う一方で、さっきの途中で話した加減上々で言うと、かの部分って多分あんまりない。
なんでかっていうと、誰かと共に生きることがすごく大事だから、誰かと一緒に何かをする。一緒に何かをすることがすごく大事。だから抜きんでて何かをするとかっていうところはあんまりないし、一緒にいるから安心して成長しようとかガツガツいこうみたいなのはあんまりない世界観なのかなっていうのはなんとなく思っていて。
でもこれはもうなんか風土というか文化みたいなところがすごくあって、だから誰かと競争することを嫌うみたいな。競争っていうのは戦うことを嫌う。ガツガツ戦うことを嫌って誰かの上に立つことをあまりしないみたいなのはあるなぁと思うんですよね。
これ別によしよしではないなと思っていて、なんかそういう場所だなっていう感覚なんですよね。僕自身は今そっちの福井に来て、その世界観はすごく好きなんですよ。
なんか誰かと一緒に、僕自身のマインドとして誰かと一緒に何かをするっていうのがすごく大好きで、みんなが楽しめるような状況にするとかみんなが夢中になる状態にするっていうのはすごくやりたいことなので、僕の考えていることと福井の世界観っていうのはすごくマッチするんだけど、じゃあスタートからそれでいいのかって考えるとなんかそれをちょっと迷っている部分があって、
人生の加減上々
多分何かが成し遂げたいことがあるとか目標があるとか夢があるときにそれを成すためには多分すごい過の部分、加減上昇の過の部分、足し算の部分ですね。何かとにかくがむしゃらにやってみる。とにかく誰かよりも前に出るとか誰かよりも何かやるとか、得意なことでも苦手なことでもとにかくやってみて経験するみたいな状態が状況かな。
とても大切なんだけど、みんなと一緒にやろうとかっていうのがすごくあるとなかなかそれができないみたいなのは福井の課題?課題ではないんだよな、でも感覚的には。福井なら多分そういう状況になるなみたいな感覚で、これどっちもよしよしではなくて、僕が持っているのはそれはもう選択だと思うんですよね。
なんで、自分がどういう世界観でいきたいのかっていうのを考えてみて、なんかすごく極端な例でいくと、とにかく競争して上にガツガツ上がって、ガツガツ上がった自分たち、ガツガツ上がった楽しい世界が見たいのか、誰かと一緒に長く生きていく。
短距離的に生きていく世界でいくのか、長距離的に生きていく世界なのか、どっちがいいの?みたいなのを自分で選択するといいのかなっていうのを思ってるんですよね。
で、僕が今一番考えていることに戻っていくと、ここまで考えた上で、人生は長いのか短いのか論争みたいなのが僕の中にはあって、これまだ答え出てないんですけど。
僕自身はこういう生き方がいいんじゃないかなと思うものはあるけど、人生長いのか短いのか論争っていうのは、人生、いつ死ぬか分からない。だから今やることをとにかくやってみようっていう、人生短い。それもあるなと思うんですよね。
人生短いからとにかくやってみようみたいなパターンと、人生は長いっていう考え方。これなんか別に共存はできると思うんですよね。話しながらまとまってきたけど、人生長いのか短いのか。
人生は短いから、とにかく好きなことをやって、まずどんどんやってみようみたいな、短距離的に生きるやり方と、人生は長い。だって考えてみれば、人生は100年時代って言われてるから、僕でいうと今28歳なんで、まだ3分の1も終わってないぐらい。そろそろ3分の1かなみたいな。
あと60年あるよねみたいな考え方。なんか長距離的な考え方。だから人生のピークをどこに持っていくかみたいなことを考えたときに、今20代で、短距離的に20代で何か達成しなきゃいけないって考えるんじゃなくて、
30代40代のところでピークが来るように、自分は今成長の段階だと置くパターン。どっちがいいんだろうみたいな。さっきの加減上々の話いくと、多分30代40代にピークを持っていこうって考えた場合、20代から30代、あ、じゃあ40歳にピークを持っていこうとしたときに、
20代30代はずっとかの部分をやり続けるわけですね。得意なことも苦手なこともどんどんやっていって、自分の得意なこととか経験を積みまくって自分のレベルを上げていくのをやり続ける20代30代の生活。か、短距離で見るんだったら、とにかく今好きなことをやり続ける。
だから、加減上々で言うと、減とか上とか上の部分、足し算はもういいから、とにかく自分の得意なことに集中するんだって言って、自分の才能とか強みっていうのに集中して、まず、何て言うんだろうな、いやでも難しいなこれ。
だから、減、上、上のどこかの段階に持っていく。足し算はあまりしなり選択を取るみたいなパターンもあるかなと思うんですよね。で、これ自分で言いながら共存するなと思い始めていて、そういうパターンがあるなと思ってます。
で、共存するなって何かっていうと、多分これも大きい波、ちっちゃい波っていうのが頭の中のイメージとしてあって、大きなフェーズで言うと足し算なんだけど、細かいステップ、長期周期、20代は足し算の時期にしますって言いながら、でも20代30代は足し算の時期にしますっていう大きな波がありつつ、その中でPDCA的に足し算をして、
得意な部分がこれがわかったから、苦手な部分がわかったから、ちょっと苦手な部分を消して掛け算やってみて、割り算してちょっと効率よくして、またスモールステップでまた新しい足し算をしてみたいな、大きく繰り返していくみたいなのがあるなというのをなんとなく今考えたので、すごい多分伝わらない感覚をずっと喋ってるんだろうなって気はするんですけど、
なんかとにかく東京と福井の違い、競争と共に作るっていう意味での競争、あとは人生は長い短いどっちで考えるのか、とにかくでもどこに関しても足し算、引き算、掛け算、割り算の加減上々っていうフェーズがあるんだろうなみたいなのを考えていると。
自分の形を知ることの重要性
どこの場所を選択するにしても、どういう視点で人生を考えるかにしても、多分その自分次第で自分の特性を知る必要があるなっていうのがすごく思っていて、結局大事にすべきことは自分の形を知るってことなのかなっていうのをなんとなく思ってるんですよ。
こういう日記を振り返ってたら、一番最初にこういう日記を掛けたのがエキセントリックについてみたいな。
エキセントリックってなんだろうみたいな。これ多分エキカレの2月何日かな、井上先生の講義の後に撮ってたやつで、エキセントリックはなんだろうみたいな考えていて、その次の日に自分の形を知ることってすごく大事だねみたいなことを自分が言っていて、
ああ、なんか帰ってきたなみたいな。そんな感覚ですね。なので今日の話をまとめると、
まずは東京と北区って多分文化的な違いがあって競争と共に作るって意味での競争があって、誰かに勝っていく、誰かと競って勝っていきながら自分の力を上げていく世界なのか、
みんなと一緒にちょっとずつ長く生きていく世界なのかみたいなのが多分ちょっと違いがあるのかなというのを思っていますと。
で、その中でそれ以外にも自分の人生を考えるっていう軸の時に長期視点で考えるか短期視点で考えるのか、人生は短いと捉えるのか長いと捉えるのか、
で、多分その人生の生き方みたいなのを考える視点が変わってくるなというのを思っています。
で、最後に何を選択するにしても自分の形を知って、自分が何が得意で何が苦手なのかみたいなのを知る必要があるし、
これ多分過言情状の過多数の部分をめっちゃやるとか多分形を知る上で大事なのかなと思ってるんですけど、
でも自分が短距離的に生きるのか長距離的に生きるのかっていうのは多分性質だと思うので、
じゃあどっちの生活をしていきたいのか、どういう生活なのかっていうのはなんか自分で決める必要があるなっていうのを思っています。
よし、なんとなくセイリーズがついてきたっていうちょっとアウトプットがしたかったので、今日この小屋日記を撮ってみました。
東京と共創の福井
で、東京の滞在の間にまだいろいろ、エールで聞くことについていろいろ考えたりとか、
ボーダレスの夢中教室を代表のG2さんと一緒に喋って、なんかこうね夢中になることって何なんだろうみたいな考えたりとか、
あとはね、背後教育キャンプですごい僕が感じていたのは、みんな子供の教育について考えることがすごくあったんだけど、
なんか一番大事なのって大人の教育なんじゃないかみたいな、なんか僕はすごく思い始めていて、
っていう話をちょっとしたいなと思って、今頭の中にすごくいろんなものがあって、文字化しようとしてもなかなか文字化できなかったので、
とにかく今は声に出して発想をしてみました。
じゃあまた多分声日記は定期的に更新すると思うので、ぜひ皆さん聞いていただいたら感想とか、私こう思いますみたいなメッセージをしてもらったりとか、
あとはね、エキセントリックラジオ今やっていて、その中で出て、私出たいですみたいな話もすごく嬉しいし、
エキラジオは僕のやりたいことが詰まったポッドキャストなので、じゃあこれを聞いて、なんかこういう風に感じましたとか、
なんかこれやってみようと思いましたとかっていうコメントもずっとお待ちしておりますので、ぜひぜひまた、なんかね感想とかあるとすごくやる気が上がってくるので、
感想やコメント、ぜひぜひお待ちしております。そんな感じですかね。
じゃあ皆さん今日もお疲れ様でした。おやすみなさい。バイバイ。
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