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2025-03-20 29:29

#05 好きだったけど今考えるとダサいもの(黒歴史) -地域おこし協力隊 × 保護司&4組織の会長 × ゲストハウス&ブックカフェオーナー-

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<p>出演:<br>・岩崎 泰子 | あづみのちひろ公園_松川村地域おこし協力隊・自然観察ガイド・コラムライター・元JICA青年海外協力隊 <br>・草深国芳 | 保護司<br>・浅田 茉美 | ゲストハウス・ブックカフェ「<a href="https://www.shinshinazumino.com/">深々(しんしん)books&amp;stay</a>」 オーナー<br><br>🎲サイコロアイランドとは?🎲<br>『大人も大きな子どもだよ。』<br>この番組は、長野県の松川村の住民がサイコロの目で決めた話題を話し合う番組です。<br><br>お便り感想はこちら:<br><a href="https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdSdsLdYa6t-HhBJoiwyIgl9rJcIDe0gTrtLYi75oZyzKQJUw/viewform">https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdSdsLdYa6t-HhBJoiwyIgl9rJcIDe0gTrtLYi75oZyzKQJUw/viewform</a><br><br>ハッシュタグ: #サイコロアイランド <br>企画: サイコロアイランドプロジェクト<br>制作: 前原誉宜 <a href="https://lit.link/taaakaaa">https://lit.link/taaakaaa</a><br>Curated by Newtral.inc<br><a href="https://newtral-design.studio.site/">https://newtral-design.studio.site</a><br><br>—————-<br>“Adults are just little kids too.”<br>This program features residents of a small village in Nagano Prefecture discussing topics decided by the roll of a die.</p>

サマリー

このエピソードでは、東京の過酷な労働環境から脱出し、長野県の松川村に移住したゲストが自身の「黒歴史」や価値観の変化について語ります。また、働くことの意義や環境の大切さ、書籍が人生に与えた影響について考察します。地域おこし協力隊やサービス業の経験を通じて、それぞれの人生の選択や価値観について共有します。過去の黒歴史やダサい思い出を振り返りながら、趣味や成長を重視する生活の重要性について触れています。このエピソードでは、地域おこし協力隊の経験と定年退職を迎える親の生きがいに関する悩みが話されます。また、松川の生活の魅力や仕事への思い、心のバランスについても言及されています。

東京での過酷な労働
サイコロアイランド、この番組は、長野県のとある小さな村の住民が、サイコロの目で決めた話題を話し合う番組です。
ちょっと、次のサイコロ打ってみますか?
はい。
じゃあ、ちょっと私が振ろうかな。
4。
4番、好きだったけど今考えるとダサいもの、カッコ黒歴史。
なんかあります?
これはね、ありますよ。私の東京時代。
どうぞ。
私はね、肩で風切って働く女がカッコイイと思ってたんですよ。
それね、私は都内にいる頃は金融機関で働いてたんですよね。銀行で営業してたんですよ。
法人の金貸しの仕事をしてたんですけど、やっぱり男の人と同じ仕事をして、それでかつ評価をされる女の人がカッコイイって思ってて。
だから、ものすごい男社会なんですよね。
多分もう、新勤さんとか会長さんにされてるとおっしゃってたからわかると思うんですけど、もう本当に男社会で、さすがにおっぱい触られたりとか、お尻触られたりとか、そういうセクハラはないですけど、
やっぱりその、法人営業だから接待とか、いろいろ会食とかあるんですけど、絶対の社長の隣に座らされたりとか、
あとは、なんかこう、なんか引消ししなきゃいけない時に、あの社長は女の方が好きだからお前が行ってこいとか、そういうことがあったりとかね。
そういうのもあるし、やっぱりその体力的にも男性よりもね、女性の方がないところもあったり、体調的な波もあるじゃないですか。
そういうところで、大変なんだけど、そういう自分を殺して、もう、あのなんだろう、もう去っちゃえよろしく、もう私は鉄の女ですよ、みたいな。
そういうふうに働いて、評価するのかっこいいと思ってたんですよね。
だから、もう今の自分と全然180度違ってた。
イメージと全然違ってた。
そう、なんかダサいとかは思わないけど、なんか今考えると、なんであんなにあの価値観に縛られてたんだろうってすごく思いますね。
なんか、私は福岡のすごく田舎の生まれなんですよ。
だから、その田舎から頑張って勉強して東京に出てきたから、東京で会社員と成功してても同じで、周囲から評価されたいみたいな思いがすごく強かったんだと思うんですよね。
で、働きすぎて、なんかもう心折れちゃったんです。
なんか、自分のテンション上がってるときって、もう限界を超えて頑張れるじゃないですか、それってでも何年も続かないんですよね。
で、あるタイミングでポキッと折れちゃって、会社に行くのも嫌いになって、何やってもパフォーマンスが上がらなくて、産業医の先生のとこに見てもらったら、
あなたは精神病ではないと、いる環境が本当に合っていないから、ちょっと仕事を一旦休んで、違うことやりなさいと、そしたらまた元気になるからって言われて。
その先生は本当に良心的とかいい先生で、病気でないから薬は出しませんって言ってくれたんですよね。
それで、給食すると健康保険からもらえたりするじゃないですか、そういうのもらいながらプラプラしてて、
で、その時に、また転職して東京でキャリア積もうと思っても、同じことを繰り返す気がすると思って。
一応働かなきゃいけないから、ご飯は食べなきゃいけないんだけど、今度はキャリアありきじゃなくて、住みたい場所とか、
本当に自分が暮らしたいライフスタイルとか、そういうものありきで、ちょっと次の仕事を考えようかなと思って。
で、その時に仲間逃げるように松川村に来たんです、そういうの。
山が好きだったし、それでこの辺の地図見ながら、あ、あずみの市があるな、大松市があるな、松川村もあるなとか。
で、松川村求人とか探してたら、当時の地域おこしの移住総代理の仕事がたまたまハローワークに載ってたんですよね。
で、仕事内容も移住したい人のサポートとか、あとアキアバンクの上とか、まあ誰でもできそうなことがあったので、ちょっと応募者採用されたんですけど。
当時今みたいに地域おこしの人気もなかったので。
それでなんか、もう中場校で給食してて矢振りかぶりな感じだったので、何でもいいやと思ってこっち来たんですよね。
住む環境を変えて、見る見る元気になって。
なんかもうキャラ変わったねって言われました。
私東京にいるとき、こんなにイネをしゃべらなかったんですよ。
そんなに全然見えない。
本当に恐ろしいなって思いますね。
東京にいるときは、私今の何倍も稼いでたんですけど、やっぱり銀行って結構お金もらえるじゃないですか。
でももうストレスでお金全部使っちゃって、もう貯金がほぼなかったんですよ。
なんかボーナスもらえば全部ブランドもの買っちゃったりとか海外旅行行っちゃったりして。
こっち来てからなんかそういう不健全な物欲がなくなって、なんか単純に山登りたいとかドライブしたいとか、もうそれぐらいの欲望しかなくなってきたから。
自然とそんなにお金はないんだけど、生活に困るようなことはなくなったんですよね。
なんかもうすいません、何の話だったかちょっと忘れちゃったですけど、環境を変えてみるといいことってありますよね。
松川村への移住
でも環境を変えさせないような圧力って周囲からすごくかかってくるじゃないですか。
私銀行辞めるとき、絶対親に言ったら反対されるって分かったから、もう黙って辞めました。
黙って辞めて、自己報告。
で、もう劣化のごとく怒られて、泣きながらお前はなんてことをしたんだって言われましたけど。
今は移住して何年も経ちますけど、今の私がこういう店やってることとかも応援してくれてるし、何より健康な私を見て良かったねと思ってくれてると思う。
当時、肩で風切って都内歩いてっていう感じだったってことですけど、よく東京行くんですよ私。
私は今でもそういう経験したことがないから、かっこいいなって思うんですよ。
ピンヒール履いてカツカツカツって言ってる人たちは。
現状ものすごいたくさんいるじゃないですか。
まだそういう世界は本当知らない中学生とかは、そういうのに憧れて、これからそういう世界に入っていく人多いと思うんですけど、そういう方々に向けてメッセージというか、思いはありますかね。
私はね、一旦そういう世界に行ってみていいと思うんですよ。
本当に自分がヤバくなっちゃう前に、やめようっていう決断ができるのであれば、頑張れるとこまで頑張ってみるっていうのは、私は実は大切なことかなと思っていて、
今ってすごいおばさんみたいなこと言いますけど、すぐ辞める人多いなって思うんですよね。
それだけその労働環境が保障されていて、やりたくないことはやらなくていいみたいなのは、それは健全なことだと思うんだけど、
やっぱ突破力とか、やりきる力って自分の中からしか出てこないから、
なんだかんだ自分で事業をやって成功してる人とか、スポーツでもそうですけど何かを成し遂げる人っていうのは、大変な場面を乗り切ることが、
気合とか自分のエネルギーで乗り越えることができる人だと思うんですけど、それってやっぱり頑張った経験がないと絶対できないから、
だからそこで心を折れる寸前、もうメンタル病んじゃう寸前までやってみるの、私は実は悪くないのかなって思います。
私もやっぱり銀行で働いてて、この社会のどうしようもなさみたいなのを本当に身をもって体感することができたし、
でもなんかそういう世界で働いている人もやっぱりいろんな思いを抱えてやってるんだっていうのと、それが知れたのも良かったですし、
なんだかんだ私今、こっち来てお店やってるじゃないですか、お店やるっていうのもやっぱり好きなことやってるだけじゃできないんですよ。
そう、そうだと思う。
すごく責任が伴うことだし、いろんな人付き合いだってあるし、やっぱり責任感と信用の世界だと思うから、
それってやっぱりちゃんと自分をリスする力がないといけない。何においても楽しいことだけやってるって絶対ダメなんですよね。
だからブラック企業で一生懸命働けるとは全然思わないけど、一度憧れるそういう世界で働いてみたいみたいな気持ちがあるんだったら、ぜひやってみてほしいなと思います。
その時に辞めるタイミングってあるじゃないですか、本当に自殺したまで会社にいなくてもいいと思うし、
学校だってね、本当に嫌だったら行かなくていいって今いっぱいいるじゃないですか。
だから命より大事なものがあるかどうかってその辺の判断がね、
学校が大事なのか、友達が大事なのか、自分の命が大事なのか、自分の生活が大事なのかっていう判断も自分でしてほしいと思うんですよね。
うまく辞められた話なんだけど、皆さんの話は。
本の力
その辺のタイミングで誰か話ができる人がいたりとか、本があったとか、何かそういうタイミングは何かあったんですか。
そうですね、やっぱり本はすごく大きいです。
私は一番本に人生を救われたなって思っていて、福岡県の筑豊というところの生まれ育ちなんですよね。
単校になったところ。
そう、単校になったところで結構閉鎖的で狭いコミュニティなんですよ。
そこでやっぱり自分は学校に馴染めなくって、学校に行くのは辛かったんだけど、責任感というかね、何か行かなきゃいけないと思っていてたんですけど、だから私いつも図書館にいて。
図書館の本って自分が知らない世界のことがたくさん書いてあるし、学校の先生が絶対言わないようなことを書いてあるじゃないですか。
それで、そっか、今自分がいるのはこの筑豊の狭い小学校、中学校の中でせいぜい何百人しかいない世界で自分はまるで異端扱いされて生きてるけど、こんなぶっ飛んだ考えの人が世界にいっぱいいるんだってわかるから、それで気が楽になれたのもあって。
それで、だから現体験として私は自分があんまりその自分があった環境にいないなっていうのがあったから、それを助けてくれる存在として本があったんですよね。
うちの娘の、さっきのインド行った娘のうちはテレビないんですよ。
今テレビなくて、たまにYouTubeであれ見たいって言うとちょっとだけ見せる、その程度なんだけど、やっぱ親も子どもも大変で、
親、一人子なもんですから、テレビ見せとけ楽なんですよ。
自分も勝手な仕事できるしできるんだけど、話しかけてくると話しなきゃいけないし遊んでやらなきゃいけないし。
でもすごい本が好きでね、ずーっと本を読んでるんですよ。
物を作るのも好きだし、やっぱりテレビのない生活っていうのもよくて、うちも実は2年くらいテレビない時代があったんだけど、
そうするとやりたいことが別のことができるし、テレビに縛り付けられないっていうところもありますよね。
そうすると子どもたちも本読む時間が増えてくるし、
でも読解力って大人になって何にもできない僕だったんだけど、本当に読解力って必要ですよね。
必要ですね。
これがあると酸素も溶けるし。
僕も先生と話したとき、最低読み書きソロ版だけできればあとはいいよと。
あとは元気で、元気な必ずはいいよって先生にも言ったことあるんだけど、
人生経験と成長
こんな難しいこと言わなくていいよって言って話したこともあるんだけど、
そういうのの人生経験みたいなのが本からあればいいなと思っていますけどね。
僕も小学校6年間でピノキオと野口秀夫とシュヴァイツァーしか3冊しか読んでないんですよ。
すごい覚えてるんですね。
こういうノートがあって、3つくらいだよ。
で、やっぱり陸上やってて外ばかり走ってたし、
これからもう運動ばかりやってたし、勉強はしないしっていうところで、
今になってやっぱりさっきの反省もあるんだけど、
本読んでよかったな、勉強しておけばよかったなっていうのはいっぱいありますね。
やっぱりこういう立場になって、仕事の立場もあるから、
いろんなことを知らないとダメだ。
銀行みたいなところで勤めてると一番いいと思う。
僕も高校卒業してすぐサービス業だったんです。
たまたま配属されたのがゴルフ場で、3年間いろんな体験させてもらったけど、
人に頭下げる仕事なんですよね、サービス業っていうのは。
だから一回東京で嫌でここに来ても、お客さんに今度は頭を下げなきゃいけないんです。
逆にそういう体験をしてくると、いろんな面で幅が広がってくる人生が楽しい人生。
趣味もいっぱいできるし、友達もできるし、趣味があるとそこにまた友達も広がってくるし。
よく皆さん田舎に来たなと思うんだけど、
その辺の良さを感じながら一緒に住んでいただけるっていうか、
お客さんに今日みたいなお話できるチャンスが作ってもらえたらまたもっと幸せだと思いますしね。
結婚と家庭のストーリー
いろんな経験だと思います。
松川村って本当の玄関集落みたいな田舎では全くないから、いろんな人がいるじゃないですか。
うちの両母なんか、北泉郡松川村へ行くってもう50年前の話なんですけど、
電気つくかって言われたらそうですよ。テレビにテレビがあるから。
言われたぐらいで北泉郡松川村へ行くって言ったら、あーって言われたそうですけどね。
大阪なんですけどね。
彼女はさっきも言ったようにお金持ちのうちだし、みんな家族5人とも大学に出てたり、すごい大学ばっかりで、関西で。
僕はもう高卒ですしね。
高卒ですし、もう就職すぐ就職するし。
さっきの話で家へ戻されちゃったんだけども。
まあ、何て言うかな。
何て言うかな。
何の話でしたっけ。
何の話だっけ。
奥さんとの出会いの話?
出会いの話?
違う。
じゃあ、ここなんだけど、一番失敗はうちの、ごめんなさい、うちの話ばっかりで。
さっきのこの題名が子越しって書いてあるので、この話をしなきゃいけないかとは思ったんだけど。
それはぜひ聞きたい。
人生で一番失敗はうちの女を年老きからで結婚したんですよ。
え?奥さんの年を知らずに結婚した?
うん。
昔、優位奨学園って家族のやつだよって。
その時やっと年若かった。
その時まで聞かなかったんですよ。
都会のお嬢さんですし、ワンピース着て、かわいいなあで結婚しちゃって。
結婚したら、僕より8つ、9つ上なんですよ。
いい経験でしょ。
想定は何歳ぐらいだと思ったの?
僕も若かった。22で結婚したんで。
彼女はもう20代で焦ってたと思いますよ。
ここを強く言っておかないといけない。
そうね。
やっぱり友達が周り、昔はもう25過ぎると女の人もね、曲がり方が。
クリスマスケージみたいなやつ。
時代だったんですよ。
だからもう30過ぎればね、お嫁にいけないくらいの話だったね、僕らの時代はね。
でもね、結婚も早い方がいいですよ。
もう子供も早く作って、もうやりたいことやって、子供は早く育っちゃえばね、親はまた好きなことできるしっていうところで。
いい経験というかおかしいんだけどね。
いや本当にそうですね。早く育ってくれないかと思って。趣味だから私。
うちも女の子2人だからね、たんですけど、2人ともお嫁になかなか行かなくて、上はまだ1人でいいんですよ。
上は1人でいて、自由な生活してますしね、下は下でまた今子育ち中で、楽しい子育ちしてます。
なんか子供はあれですね、いたほうがいいみたいなふうに言われるけど、私はいろんな人がいていいと思いますね。
今はもうね、いろいろ言っても難しい時代ですしね。
いや私ね、自分が子供を産んでみて、なんかもっと母性みたいなのが目覚めると思ってたんですけど、意外とそんなこと、そうでもなくて、
でもやっぱ子供はやっぱりかわいいよって言って何人も産む人もいるわけですよ。
これってその人が持ったなんか素質というか、そういうものがあるから、子育てとか出産に向いてる人って実際いるんですよ。
そういう人がいっぱい産んでくれればいいのになっても。
やっぱり僕らから言うと、やっぱり今こう、世の中人手不足だ、僕らの年金はどうするんだみたいな話ばっかりになっちゃうんだけども、いろんな人生あるし、これからなんていうかな。
趣味と人生の選択
でも男と女との本当の違いっていうのが今わからない人たちもいると思う。特性が。
女の人の方が幅広く見れるし、なんていうかな、細かいこと気づくし、うちのことやればいいし。
男のはどっちかってバカなんてこういうふうに言っちゃうんで、なかなか家の家庭の奥さんたちみたいに女の人みたいにいろんな幅広く見られないんですよ。
どっちかと言うと単純にいけているんでね。そう思いません。
思いますね。やっぱり支持したことはやってくれるんですけど、支持してないことはやらないんですね。
僕ここに来てね、お料理好きで朝ごはんも5年作ってます。
昨日日曜日は3食作りましたしね。
お料理も大好きなんですけど、何でも好きなんですよね。人のできないことはないと思って何でも始めちゃう。
最近山も登るし、スキーもやるし、テニスもやるし、ゴルフもやるし。
それから熱帯魚飼ってるし、植物好きだし、サボテン今一緒くらい育ってるし。
さっきも本も読むし、映画も好きだし、海外旅行も行くしって言うと、なんて言うかな、忙しいんですよ。
わかります。いいですね。私も年見で忙しいんですよ。
忙しいんで、その間に山賀の親も行かなきゃいけないんですよ。
そうするとね、本当に忙しくて、お金もないのにね、どうしようか年金生活でって話になっちゃうんだけど。
本当に人生楽しまないといけないんで、1回しかないし、今日楽しいから明日も楽しいしっていうところで、
いくつになってもいい人生を送るには前向きに何かやってるっていうのがあるといいですね。
好きだったけど今考えるとダサいもの、黒歴史ってすごい考えてきたんですけど、思い当たらなくてとは言いつつも、
かっこいい。
それが今も話しながらとか、さっきも考えながら思ったのが、なんかちょっとずっとダサいみたいな生き方があって、
本当にずっとテンテンとしてるんですよ。
フラフラしていて、さっき浅田さんが言った、やり遂げることとか努力することっていうのにグサグサって刺さったんですけど、
大学出て就職4年して、ちょっとやってみたいなみたいな仕事ではあったんですけど、
部署移動とかでモヤモヤしちゃって、っていうときに青年会が協力隊の案内があって、そこに飛び込んだんですよ。
みんなにすごいねって言われるんですけど、別に言っちゃうことなんてそんな簡単なんですよね。
そこで2年間、私ちょっと延長したんで2年半人気があったんですけど、何をやったかだと思うんですよ。
同期で200人ぐらいいて、めちゃくちゃ成果出してる人もいれば、
私は2年半で、あんまり大した成果は出せなかったかなっていう思いがあって、
あと一歩踏み出したら、やりたいことが見つかるかなってずっと思ってたんですよ。
やりたいことってイコール仕事で、やりたいことが見つかったらいいなって思い続けてる人生で、
協力隊行ったけど、あんまり見つからず帰ってきて、またワーホリ行って、
ワーホリも期限があるので、見つからず帰ってきて、今回松川に来てっていうずっと人気のあるもので、
その場で転々としてきて、こんな年になってまだ独身でっていう感じで、
30超えたぐらいで、別に仕事イコールやりたいことでやってる人ってそんなにいないかな。
だったら別にそうじゃない部分で楽しく生きていてもいいかなみたいな、一瞬ちょっと吹っ切れたというか、
好きに楽に生きればいいかなって思った部分もあるけど、やっぱなんかすごい何か好きで突き詰めたいな、
そういうのが見つかってる人って羨ましいなって思いがあって、そういう人に憧れみたいなのがあるので、
なんかずっとちょっとダサいじゃないですけど、なんかあったらいいなって思ってるので、
もしかしたら老後に振り返って、あの時ずっと今も黒歴史だったかもって思ったりするのかななんて、
現在進行形でちょっと思ったりしてます。
まだまだ探し中、生き方模索中って感じですかね。
一生そうですよ。
そうですか。
いやいやいや。
いくつだって同じことで。
本当にそうですよ。
そうですかね。
私も真面目に店やってるけど、でも結局好きなことやってるだけ。
いやでもそのね、好きなことがこう形になってるっていうのも、なんか羨ましいというか。
いやでもみんななんか、みんなおっしゃるんですよ、なんか形にしててすごいですねって言われるんですけど、
なんか私にとっては、なんかもうプラモデル一生懸命作ってるのと同じことなんですよ。
もう好きなことなんかずっとこう、まちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちやってるだけなんで、全然すごいことしかなくて。
でも一番幸せはね、好きなことでって、仕事を踏んだって、ある程度生活できて、目の前に山があってって。
あ、そうね。山があるのは幸せですね。
仕事の選び方ってこう、何て言うかな、人のために何かしたい、人のために何か。
昔はそうだった。日本を良くしたいと聞くと、政治家になって、こう言われて、何したい、スポーツマンはスポーツマンでまた別で、自分が好きなスポーツをやっていくっていうのがあって。
だけども最近はもう、会社の若い人たちは半分仕事で、半分は自分の趣味で生きたいっていう人たちがだんだん増えてきてて、
その半分の趣味と仕事とどっちが大事かっていうと、趣味が大事だ、家庭が大事だっていうのが世の中の風潮なんだけど、実際収入ないとこっちもできないのってところのバランスが難しいところ。
地域おこしと生きがい
会社も昔は一生懸命、僕らの時代は残業して、車買いたいとかステロを買いたいとかっていう時代だったんだけど、今の人たちはもう5時15分ならパッと家に帰っちゃうっていう感じなんですよね。
だからどっちがいいかって言うとやっぱりあれなんだけども、人間として生まれてきて仕事ばっかりでもつまらないし、趣味ばっかりでもっていうところなんですね。
私たちは自分の父親が心配なんですよ。定年退職もうすぐするので、今延長して働いてるんですけど、退職したらこの人何が生きがいになるんだろうってすごく心配。
あんまり仕事にのめり込みすぎるのも良くないなって思いますね。
そういう意味では今の最近の働き方って、ちゃんと趣味とか生きがいを持ちながら、あくまで仕事は収入源としてやってるから、その辺がシームレスに退職後に移行できて、生きがいのある老後の人が増えていくのかも。
岩崎さんは、仕事イコール生きがいみたいな感じで仕事にのめり込みたいのか、それとも仕事はあくまである程度、自分のやりがいはまた別にみたいな感じでバランス取りながらやっていきたいのかっていうのはどんな感じなんですか。
それも今悩んでるところではあるんですけど、ちょうど3月で地域おこしの任期が終わるんですよ。もうここ半年ぐらいみんなにどうするの、何するのって言われていて、何がしたいかがあんまり明確にならなかったので、
でも松川の暮らしがめちゃくちゃ気に入っていて、仕事以外の部分で、例えば食べるのがすごい好きなんですけど、こっちに来て自分で梅干しつけてみたりとか野沢野つけてみたりとか、干し柿作ってみたりとか、静岡の地元じゃできなかった、そういう暮らしができてるのもすごい嬉しいし、
自然が近くて、国園アルプスあずみの公園に自然ガイドで行ってるんですけど、そういう休みの日にそういうことしてるのもすごい楽しいから、じゃあこういう生活をしていきたいから松川にそのまま残ろうかなと思って、そういう生活ね、暮らしの部分を大切にして、じゃあ仕事はなんかあんまピンとこないけど、そういう生活が保たれるなら、
仕事はある程度何でもいいから、松川にいようかなってぐらいに考えてたんですよ。でもその傍らでやっぱりちょっとやりがいのある仕事みたいなのにやっぱり憧れはあって、でもそれが一体何なのかなっていうので、いろいろ調べたときに、今千尋公園っていう公園管理やってて、なんかこうイベント企画したり運営したりっていうのが楽しいなってすごい思って、
あとそのアルプス公園で自然ガイドしてるのも楽しいなって思って、そういった仕事ってないかなみたいなところで、ちょっと松川じゃないんですけど、別のところでそういうような仕事を見つけて、そこだけ応募してみたんですよ。そしたら採用が通って、実は3月で松川離れることになっちゃったんですよ。
でもそれも採用が決まりつつも、すごい自分でも悩んじゃって、急に松川離れたくなくて、その仕事以外の部分が満喫してたので、あれやっぱ離れたくないと思ったけど、でもまだ若いし一人見だから、一旦ちょっとやりたい仕事、ちょっとぼんやりしてるけど、せっかくこの3年築いたからこそ受けられた仕事だったので、
じゃあちょっとそっち行ってこようかなっていうことになったんですよ。で、そっち行ってみたら、なんかその予感の部分みたいな生活がもしできなかったら、またちょっと気持ちが落ち込んじゃうかもしれないから、そこはちょっと一回行ってみて、また新たなチャレンジかなとは思いつつも、なので現在模索中ですね。
松川の生活と新たな挑戦
バランスをちょっとね、保ちながら楽しく生活していけたらなと思うんですけど。
でもすごくいい顔して話されてる。
本当ですか。
本当そうですよね。なんかワクワクしますね。
そうですね。なんか新しい木っていうのはね、ちょっとワクワクしますし、なんか松川は全然帰ってこれる場所にはもうなったかなっていう思いはありますね。
心理的な安心、安全が確保された対話の場を地域に作る、それがサイコロアイランド。
番組ではお便り、感想を募集しています。
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今日はここまで。ありがとうございました。
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