伊藤さくら
では私伊藤から関さんのプロフィールをご紹介します。
関健吾さんは長野県のご出身で、長野県長野南高校をご卒業の後、
敬和学園大学の英語文化コミュニケーション学科に入学され、
2010年3月に卒業されています。
在学中はアメリカ文学の平塚先生のゼミに所属されていました。
その後、27歳の時に不動産会社に入社されて活躍されていましたが、
2024年1月の野田半島沖地震をきっかけに、
伊藤さくら
同年6月に起業、
新発田市西区の杉手不動産の代表取締役社長を務めていられます。
永井真由
関さんはもともと長野のご出身だったんですね。
関健吾
はい、そうです。
永井真由
新潟に来て何か長野と違うなとか思ったこととかありますか。
関健吾
新潟に来ては、やっぱり新潟市の街中は長野よりも都会な部分があって、
ただ新発田市に関して言えば私が住んでた長野市と似たような知育なので、
個人的には引っ越してきて入りやすかったなっていう街ではあります。
永井真由
似たようなっていうのはその都市としての規模感みたいな感じですか。
関健吾
規模感もそうですし、
私の新発田のイメージって程よく何でもあるというか。
伊藤さくら
窓借りですね。
関健吾
私が来た頃ちょうど新発田のイオンができたぐらいで、
みんな新発田っていうとそのイオンに行って何かが揃うっていうような形だし、
飲食店とかもいろいろあるし、
生活する上では困らないような街並みだったかなっていうような形ですね。
永井真由
割と過ごしやすかったみたいな感じですかね。
大学時代は英語文化コミュニケーション学科ですので、
英語や英文学の勉強されていたかと思います。
勉強やサークル活動、それか大学生時代のこと、
何か記憶とかあれば教えてください。
関健吾
大学時代は私はかなりアルバイトを多くしていたので、
正直イメージに残っているのはアルバイトのことと、
あとは私が学生時代ちょうど交換留学生がアメリカから来てたりしたので、
そこの思い出が結構大きいですね。
永井真由
交換留学生っていうのはすごい友達になったりみたいな交流があったんですか。
関健吾
そうですね。本当にアメリカから来た留学生たちが日本語の授業を受けるみたいな形だったんですけど、
基本的にはどこかのクラスと一緒にやるっていうわけではなかったので、
積極的にアプローチする生徒だけは絡めるけども、
そうじゃない人たちはあんまり絡まずに終わっているっていうような形だったんですけど、
私は英語文化コミュニケーション学科っていうのもあって、
できればネイティブといろいろ喋りたいなっていうのもあったので、
うちの学科では結構そういった積極的に話す人が多くて、
そこで仲良くなった友達が結構多かったですね。
永井真由
その留学生とのエピソードとかありますか。
関健吾
その留学生たぶん1ヶ月ぐらいこの大学で学んでいってたんですけど、
永井真由
1ヶ月もいたんですね。
関健吾
本当毎晩のようにみんなで誰かの家で飲み漁ってたっていう感じで、
永井真由
楽しそう。
関健吾
言葉は多少伝わらなくても、
ジェスチャーとか気持ちで1ヶ月関係性を深くできたなっていうのは覚えてますね。
伊藤さくら
1ヶ月ですごいですね。
伊藤さくら
そこまで毎晩飲んで楽しんでっていう距離まで縮められるってすごいから楽しそう。
関健吾
そうですね。
彼らも学びに来たっていうよりは日本を楽しみに来たみたいな感じが大きかったので、
関健吾
それを一緒に遊んでくれる仲間が欲しかったっていうのも大きかったと思いますね。
永井真由
なるほど。何人ぐらい来てたんですか。
関健吾
10人ぐらい来てて、
永井真由
やっぱその10人の中でもグループがあったりして、
関健吾
その明るいグループとちょっと静かなグループとっていう風に分かれた感じですね。
永井真由
明るいグループと仲良く飲みにくれていたんですね。
アメリカに夏休みに一緒に遊びに行ったとさっきちょっとお伺いしたんですけど、
それはプライベートでということですか。
関健吾
そうですね。私と当時いたメンバー7、8人ぐらいで、
夏休み使って交換留学生に来た人の家に遊びに行くっていう機会をもらえたので、
ちょうど私はその前にカナダのバンクバーに留学していて、
永井真由
そうなんですね。
今夏休みに使っただけなんで、1ヶ月ぐらい。
関健吾
で、その終わったぐらいに1週間ぐらい、
アメリカの最後に寄ってみんなと合流して、
その人の家に泊めてもらったっていう感じですね。
永井真由
泊めてもらったお家とかでご飯とかいろいろ印象に残っていることとかありますか。
関健吾
ご飯は正直ちょっと何食べたか全然思えてないんですけど、
フロリダっていうところに住んでいて、
フロリダがユニバーサルとか、ディズニーとかのアメリカのやつがあって、
そこに連れて行ってもらって、
ちょうど夏の怖いイベントの時期で、
チェーンソーを持った人にゾンビにめちゃめちゃ追いかけられたっていうのを覚えてます。
永井真由
アメリカ怖そうですね。
関健吾
めちゃめちゃ怖かったですね。
伊藤さくら
そういう記憶って残りますね。
永井真由
そうですよね。
伊藤さくら
敬和キャンパスレポ。
伊藤さくら
不動産業を始めて最初は別の会社にお勤めだったと思うんですけど、
自分で会社を始められたきっかけとして、
野党半島沖地震が関係していたというふうに伺いました。
伊藤さくら
どのようなことがあったのかお聞きしたいのですが。
関健吾
はい。連職で勤めていた会社っていうのは、
本当に新潟の中でも大きい会社で勤めさせていただいていて、
その中の私は西支店というところにいたんですけども、
野党半島の地震があった時にやっぱり西支店というのがすごく大きな被害を受けまして、
関健吾
やっぱりその時に被害があったお家の方からのご相談がすごく多かったんですけども、
やはり会社の規模が大きいだけに、
そういった判断を仰いで答えが返ってくるまでにやはり時間がかかってしまって、
そういう震災の時ってやっぱりお客様にとってもスピード感もすごく大事な時期だったので、
それを自分でやっている中で、
このスピード感だとなかなか困っている人を助けることが難しいなっていうのがきっかけで、
自分でこのタイミングで独立して会社をやろうかなっていうきっかけになりました。
永井真由
なるほど。
野田安藤自身がきっかけだから、ここの西区限定の不動産にしたという形なんですか?
関健吾
それはまた実際ちょっと違ってですね。
もともと私はずっと12年ぐらいこの西区をほぼメインで売買していて、
ここからは正直マーケティングみたいな話になっちゃうんですけども、
全域やっている不動産屋よりも、やっぱりある程度絞った不動産屋の方が、
打ち出していくにも打ち出しやすかったとかいろいろその辺を諸々考えて、
西区専門という形で一応やっています。
永井真由
西区も結構広いですけど、西区全域を担当されているんですか?
関健吾
そうですね。西区の中であれば全域やっています。
永井真由
結構広いですよね。端から端まで考えると。
関健吾
そうですね。西区って結構広いんですよね。
永井真由
そうかもしれないと。
その不動産業を前にやってた会社でいろいろ相談みたいなことがあったっていうのは、
どのようなものが多かったんですか?
関健吾
そうですね。地震の時にあったのが、やっぱり傾いた家をどうするのかっていうところもそうですし、
やっぱりその時に傾いちゃったお家とかそういった地盤の場所に関しては住み続けるのは嫌なんで、
売りたいって方も結構多くあったんですけども、
やっぱりそこの正直会社としても、じゃあ今までと同じ価格で買っていいものかどうか、
関健吾
とかっていうところの判断をすごく難しいところで、
中にはやっぱりすごく安く買い叩く業者がいろいろ出てきたっていうのもあって、
それは本当に困ってる人にとって一番不利益にしかならない行動だったので、
もちろんうちの会社はそれをやらなかったんですけど、
ただやっぱりそういった判断するにもどうしても難しかったっていうのもあったので、
その辺がすごく個人的にはジレンマを感じた部分ではありましたね。
永井真由
独立して自分でやるってなって、その辺は円滑に済むようになりましたか?
関健吾
そうですね。やっぱり判断基準が全部自分でできるので、
何事に対しても自分が良しとすればやりますし、責任が全部自分に返ってくるので、
誰かの判断は上がらなくていいっていうのは決定スピードは圧倒的に速くなりましたね。
永井真由
その点でスピードは速くなったけど、逆に難しくなったこととかありますか?
関健吾
そうですね。やっぱり不動産って正直単価が大きいので、
やはり出来立ての会社で使える予算っていうのは限りがあるので、
関健吾
大手にいた時には資金源がすごく潤沢に使えた部分が、
今の私の会社では使える部分がそこまでないっていうところで、
やっぱり助けられる人っていうのは自分の本当に手の届く範囲ぐらいしか今はまだできないっていうところが、
独立してからは悩ましいところではありますね。
いろいろ良し悪しはあるものなんですね。
永井真由
西区の中だと、どの知育からの相談が多いとかはありますか?
関健吾
西区の中でいくと結構これ面白いのが、やっぱりお店の近くの案件っていうのが比較的多くなるので、
うちはこの小張っていうところにお店を構えているので、
小張周辺からのご相談っていうのが比較的多いですね。
永井真由
始めた当時は売ってもらう相談がメインでみたいな感じなんですか?
そうですね。今も比重で言うと、本当に売りたい方との対応の方が8割ぐらい。
買いたい方は2割ぐらいっていう形の今比重にはして、
伊藤さくら
会社がある場所の近くに相談しやすいから集まってくるんですかね?
関健吾
そうですね。やっぱり皆さんもそうだと思うんですけど、
なかなか自分の関係ないお店とかって意外と毎日通ってても目に入らないというか、
初めて自分の実家を売らなきゃなとか、今いる家を売らなきゃなって思った時に、
初めてその時に不動産屋っていうのがちゃんと目につき始める。
その時に自分家の近くっていうのが目に入りやすいっていうのがおそらくそういった意味だと思うんですけど。
永井真由
あんまり普段歩いてて、不動産屋ここにあるなって意識しませんもんね。
伊藤さくら
そうなんですよ。
永井真由
どうしようかなって考えてから調べるみたいな感じですもんね。
伊藤さくら
でもそうですよね。もし自分の家を手放すってなった時に、
すごく遠い場所の不動産にお願いするのと、その知育にある不動産にお願いするのだったら、
やっぱり近い場所でその土地を知ってる人にお願いした方がって思う心理っていうのは絶対あるなって話聞いてて思いましたね。
永井真由
不動産業を独立して初めて、今に至って達成できたなみたいなこととか、
これからどうしたいなみたいなことはありますか?
関健吾
そうですね。今開業して2年半ぐらい経ったんですけども、
少なからずうちの会社の認知っていうのはこの2年半で上げていけたかなと思ってます。
関健吾
今年から、去年からも取り組んでる活動としては、
知育の子ども園さんであったりとか、子ども食堂っていうところに寄付金をこれから出していく活動をしていたりとか、
あとは西区に住む人が西区のお店をもっと知ってもらうっていうところで、
そういったお店をつなげるキャンペーンっていうのを今年からまた始める予定でいまして、
不動産を売る、買うだけじゃなく、街全体を好きになってもらうっていうところまで目指した不動産業を作っていきたいっていうのが私の思いです。
永井真由
これから始めるっていうお店をつなげるキャンペーンちょっと気になるんですけど、具体的にどんなことをするんですか?
関健吾
そうですね。これちょっと先ほどの子ども食堂と連動させてはいるんですけども、
うちのご来店いただいた方とかにGoogleの口コミ書いていただいてて、
口コミ書いていただいたらうちから子ども食堂さんに500円の寄付金を出しますよって今活動してるんですけど、
それとちょっと連動させて、物件を購入される方に対しては、
関健吾
その認識のお店を回れるカードを作って、そのカードを提示してもらうと、
お店行った時にちょっと割引受けられますよっていう形。
皆さんが知らないとかあまり行かないようなお店さんもそういったカードを使ってもらって、
ちょっと足を運んでもらえるようなっていう活動を今年から今始めようとして、
いろんな共産のお店さんを集めているような形ですね。
永井真由
すごい、不動産業だけにとどまらず知育の寄り添うような会社になってますね。
伊藤さくら
あんまり他にやってるところあるのかわからないけど、あんまり聞いたことがないような気がしますね。
不動産が、不動産屋さんがやってるっていうのがあんまり聞いたことがない。
永井真由
人のためにっていう感じが、関さんの思いが感じられますけども。
震災復興と自分のお仕事を重ねて起業されたということですが、
社会を良くしていって自分の仕事にしていきたいと考える、
敬和の後輩たちもたくさんいると思います。
そんな後輩たちにメッセージをお願いします。