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こんにちは、ライフコーチのけいこです。私は家族との時間も、自分の人生もどちらも大切にしたい。そんな思いから会社員を辞めて、家族と共に地方を移住し、現在はライフコーチとして活動しております。
このチャンネルでは、そんな私が日々感じたことや、今の生活をするために実践してきたことをお話ししています。
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それでは今日の本題に行こうと思います。今日は感謝できない自分はダメなのか考えてみたという話をしていこうと思います。
これはですね、誰への感謝かというと、両親ですね。親への感謝って日頃自然に湧いているでしょうかっていうところなんですけども、
実際私の場合はですね、正直すぐには感謝って出てこないんですよね。
これはもう2週間ほど前かな、自分のコーチとのセッションの中で、親に対してどう感じていますかっていう話題になったんですね、セッションの中で。
その時に話していたのは、どう感じていますかって聞かれた時に率直に答えられなかったので、じゃあ親にしてもらって良かったこと、または逆に嫌だったこととかは何ですかっていう話をしていって、
その時にしてもらって良かったことってすぐ出てこなかったんです。
逆にすぐ出てきたのは嫌だったことの方なんですね。
なんでなのかなーってそこから思ったんですよね。どうして私は嫌なことが先に出てきたんだろうって思った時に思い返すと、私の実家は
あまり裕福ではなかったんですね。でもそれでも親は私の進学のために必死に毎日働いて、進学の資金とかを作ってくれて、
高校進学から就職するまで何不自由なく生活できるぐらいの費用を出してもらうことができました。
それは本当事実ですし、私兄弟4人いるんですけど、4人とも大学に行く人もいれば、行かなかった人もいますし、大学院まで進んだ兄弟もいます。
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それでも兄弟4人全員ですね、自分が行きたいと思った進路を進むことができたと思っています。
なので本当に裕福ではない家庭ではあったけれども、育ててくれたことに対する恩があるのは本当は頭ではわかっています。
だけどやっぱりそこに素直にありがとうって言えない自分がいることに気づいたんですよね。
私は本当その後ずっと思ってたんですよね。なんで素直に親への感謝を口にできないんだろうっていう風に考えた時、私が育った家の環境のことを思い出したんですよね。
私はですね、4人兄弟で、両親と父方の祖父母と合計8人で一緒に暮らしていました。
実家は専用農家で、両親と祖父母がメインで働いていましたね。
でも特に両親は朝から晩までずっと働きっぱなしの状況でした。
もちろん土日祝日なんてものはないです。毎日毎日仕事をしていました。
夏が一番忙しい繁忙期だったので、そういう忙しい時期は姉が母親代わりになって、5歳上の姉だったんですけど、母親代わりになって私たちの面倒を見てくれましたね。
食事の準備をしてくれたり、洗濯とか掃除もだいぶ小さな頃からやってた記憶があります。
もちろん私たちの着替えとかそういうのも手伝ってくれてたような記憶がなんとなくあるので、かなり小さい小学校低学年くらいから私を含めた兄弟の面倒を見てくれてたんだと思います。
そんな状態で、とにかく子供の面倒を毎日見れる状況じゃないぐらい忙しい状況で働いてくれていたんですけど、そんな家庭の中で私が一番よく覚えているのは、家の中の空気の重さだったんですよね。
私の家族は本当に会話が少なかったです。
なんでかっていうと、誰か口を開くと常に誰かが誰かの悪口を言っているぐち、悪口というか愚痴ですね、言っているような状況だったんですね。
お互いはルールとして夕飯は必ず家族8人全員で食べるっていう風にルールをしてみんなで食べていたんですけれども、やっぱり楽しい会話、家族との会話がなく、いつもテレビの音だけが響くような無言の食卓で黙々とご飯を食べていました。
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それでもやっぱり親に対して私も話したいことがあったりして、ご飯を食べながら何個か話題を出して話をするんですけれども、そういう話題に対して祖父が隣で聞いていて、基本的に否定をすることが多かったんですね、その話に対してですね。
なのでやっぱりこちらとしても会話をしたいんだけれども否定はされたくないと思って、だんだんその食卓の場で会話をすることはなくなっていきましたね。
で、先ほど言った祖父なんですけど、毎日お酒を飲む、晩食をするのが日課だったんですね。
お酒を飲むこと自体は別に悪いことだとは思わないんですけど、お酒を飲んでいるとやっぱりだんだん酔っ払ってきて声が大きくなってくるんですね。
普通の会話をしているだけでも声が大きくなります。
そしてちょっとしたことでも何か気になって、祖母とか両親と激しく口論を始めることもしばしばありました。
その喧嘩はですね、すぐ終わることもあるんですけど、その喧嘩の半分以上はだいたい深夜まで続くような長い喧嘩になることが多かったですね。
でも家族の中だけではその喧嘩が止められない状況になってですね、誰か止めてもらいたいというような一心気持ちだけで、
確かお母さんだったかな、お父さんだったかな、近くにいる親戚に声をかけて家に来てもらって祖父を止めてもらうみたいなことを何度かやっていたのを今でも覚えています。
そんな時私はもうね、夜深夜までは起きていないんですけど、やっぱり12時1時までそういう大きな怒鳴り声が聞こえていると寝れないわけですよ。
でもそれでもやっぱり寝ないとと思って、もう布団をかぶって耳を塞いで、早くこんな喧嘩終わればいいのにって思いながら、その声が収まるのを待っていた記憶があります。
そういう環境で私、中学卒業まで育ってたんでね、言えば安心できる場所ではなかったんですよ。
祖父に対してはいろんな思いはあるんですけれども、祖父だけではなく両親に対しても複雑な思いはあります。
もちろん、居心地が悪かった家の根本的な原因はちょっと祖父の喧嘩が多いとか、そういうこととかそれ以外にもいろいろあったんですけども、
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そういう家に住んでいて、両親ともにやっぱり嫌な感情は持っていたんですね。
そのことを口にすることも多々あったんです。
なので、だったらそんなにいろいろ思うことがあるなら、家を出るという選択を取った方が良かったんじゃないのかなっていうふうに私は子供ながらに思ってたんですよね。
どうして家を出ないんだろうというふうにすごい疑問でした。
我慢して一緒に居続ける意味はあるんだろうかって、本当に小さいながらずっと疑問に感じてたんですよね。
父としては、やっぱり自分の両親を置いて離れて生活するということは、やっぱりいろんなことを考えてできないなと思って、その家にいるという選択をしたんだとは思います。
ただですね、母は父の家にとついてきた身なので、母は結構つらかったと思うんですよね。
それは子供から見ていてもわかる感じでつらそうな顔もしていました。
やっぱり祖父母と母の関係は良好ではなかったんですよね。
なので、母だけでも離れる選択をすればよかったのにっていうふうに思っているところはあったんですけど、
いろいろなね、多分父と同じように子供4人1人で育てるという選択は難しいということで、家にいたのかもしれないし、
またまた世間体というね、離婚するということは昔の人にとってはあまり良くないイメージを持たれるとかがあったので、そういう世間体とか。
あとは家を出たところで仕事に就けるのかという不安もあって、総合的に考えて、居心地が悪い家ではあるけれど、この家を離れるという選択はしなかったようなんですよね。
きっと母の中でいろんな思いはあると思います。
私が子供ながらに見ていて思ったのはそういうところかなっていうふうには感じていますね。
そういうふうに、母としても父としても離れたいという気持ちもありつつもやっぱりその選択はできないということで、
家にいるという、家で一緒に生活するという選択をしていたんですけど、
それでも私はずっとこんなにいろんなことに我慢するくらいなら、別居でもよかったんじゃないのかなとか。
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例えば仕事を見つけられなかったとして、子供を4人分で不自由なく育てるのは難しいかもしれない。
金銭的に厳しい、例えば貧乏になるかもしれないけれども、やっぱり私としては安心できる家に住みたかったっていうのはあるし、
笑えるような家庭で育ちたかったなーっていう思いもあるんです。
あとは夜、安心して眠れるような家庭がよかったなと。
今はそんなふうに思ってるんですよね。
もちろん親にもいろんな事情があったとは思います。
きっと子供に言えない事情もあったと思う。
だけどやっぱり子供にも同じようにそれぞれ思う感情があるんですよね。
だからそういう子供時代を過ごしていたのに、
私の中にはずっと安心できなかった小さな子供時代の記憶がすごい強く残っているんですね。
だから親に感謝ができないのとか言われることもありますし、
言う方ももしかしたらいるのかもしれないですけど、
そこは自分が親になってみて親のありがたさっていうものはもちろん感じるところはあるんです。
だけどありがたいとは思いますし、本当に育ててくれた恩もあるとは思うんですけど、
やっぱり引っかかる部分があるんですよね。
そうそう、やっぱり親への感謝の気持ちはゼロではない。
だけれども感謝よりもっと大きなこう、
どうしてそのきつい環境にいるという選択をしたんだろうっていう思いとか、
いろんな思いがね、あの消えない状態なので、
やっぱりすぐには親に対して本当に育ててくれてありがとうっていう風に感謝をできないとは思います。
親への感謝っていうことはね、誰かに言われて感謝しなさいって言われて感謝するものではないと思うので、
誰かに言われて素直に出てこないからってやっぱりそこで自分を責める必要はないと私自身は思います。
無理に言われてもやっぱり余計に言えなくなるんじゃないのかなっていう風に思います。
この放送を聞いている方で、私と同じように自分は親に素直に感謝できないかもしれないっていう風に感じる人がいたら、
ちょっとですね、一度立ち止まってその理由を考える時間をとってみてほしいなっていう風に思います。
自分は何を考えているのかというと、
自分は何を考えているのかというと、
ちょっと立ち止まってその理由を考える時間をとってみてほしいなという風に思います。
自分は何に引っかかっているんだろうと、そしてどうして感謝できないって思うんだろうっていう風にまず考えてみてほしいです。
きっとその引っかかった気持ちとかって表面的な感情ではなく、もっと深いところに根本原因があるかもしれないと思います。
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私自身もですね、感謝が素直にできないなって思った時、やっぱりそれがどこから来ているのかなっていう風なところまで原因を探るのに結構時間がかかりました。
そしてやっと気づいたんですよね。
私は安心して過ごせる過程が良かったと思っていたんだと。
だからそう思っていたのに、実際住んでいた家は私にとって安心できる場所ではなかった。
だからそこに関して育ててくれたものはあるけれど、でもやっぱり感謝しきれない部分があるなって感じるから素直に出てこなかったんだろうなっていう風に思いましたね。
これは本当になんで感謝できないんだろうって考え始めて、1日2日で出てきた答えではないんですよね。
何度も何度も自分になんでかなっていう風に問いかけながら深掘りしていって、やっと気づいた感情なんですよね。
なので家族との関係にいろいろな思いを抱えている人がいるとしたら、きっと気づくまでにやっぱり時間がかかると思います。
長い間ですね、自分の心の奥底にしまってきたこと。
あとは小さい頃に感じてはいけないと、本当は心から安心して過ごせる家庭が良かったと思っていたけれど、どうしてこの家庭は安心できないんだろうという風に思いつつも、でもそんな風に思っちゃいけないんだって感じてしまって、そこの気持ちに蓋をしてきてしまった。
記憶に関してはやっぱりすぐに出そうと思っても出せないんですよね、しまいこんでいるので。
なので少しずつ自分の感情に向き合っていって、時間をかけていくと本当の自分の気持ち、根本原因はこれだったのかなっていうことに気づくかもしれないんですよね。
それを気づいた後にようやく当時の親にもいろんな事情があったのかもしれないとか、自分も苦しかったけれど親もそれ以上に苦しい気持ちがあったんだろうなっていう風に少しずつですね、受け入れられる気持ちも出てくると思います。
私は今でも本当に素直に感謝できるかって言われたらやっぱりまだできているとは言えません。
この気持ちを受け入れるには本当に時間がかかると思っています。
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でもそれでもいいと思っています。
まずは自分がなぜ親に対して素直に感謝できないのかっていうのを、その理由をですね、探って知るだけでも十分、昔の自分よりは前に進んでいると思うので、
そこを知った上で、じゃあ自分はどう思うかっていうのをまた少しずつ考えていけば、いずれはね、時間をかけていけば何年かかってもいずれは親への感謝っていうものは自然と出てくるんじゃないのかなっていう風に思います。
今日はですね、親への感謝をできない自分はダメなのか、ちょっと自分のことを考えてみたということで、昔の子供時代の記憶とかをお話ししてみました。
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最後まで聞いていただきありがとうございました。
それではまた。