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2025-09-12 22:20

第108回「東洋一の競馬場を目指した、中山競馬場の歴史とチャレンジCとローズSとセントライト記念」

第108回「東洋一の競馬場を目指した、中山競馬場の歴史とチャレンジCとローズSとセントライト記念」

【歴史】中山競馬場 / 中山が“中山”になるまで / 中山大障害の誕生 / 有馬記念のドラマ / 改修と現代への歩み / チャレンジC / ローズS / セントライト記念 について話しました。

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番組:競馬けんぶんろく

『競馬けんぶんろく』は、競馬歴26年の ダルマー競馬場 が、競馬の小説や映画、歴史のことなど、いろんな角度からゆるく語る競馬トーク番組です。

競馬の楽しみ方、ゆるっと一緒に広げていきませんか?

📅 毎週金曜 夜7時 更新

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パーソナリティ:ダルマー競馬場

ダービースタリオン PS版をプレイしたことをきっかけに実際の競馬を見始め、毎週土日だけでは足りず、 お年玉を貯めて作った自作PCで国内外の競馬動画を見まくる生活を開始。同時期に血統へ関心を深め、 山野浩一 著『伝説の名馬』に出会ってからはサラブレッドと競馬の歴史を知りたくなり、古本屋や Amazonを徘徊しては競馬本を収集・読破。馬券を除いた “競馬学” をこよなく愛し、マイフェイバリットは山本一生。

BGM : MusMus

サマリー

中山競馬場の歴史を辿り、その成り立ちや重要なレース、特に有馬記念や大障害レースの意義を紹介しています。また、競馬場のアップデートや文化的変遷についても触れ、競馬がどのように進化しているかを考察しています。このエピソードでは、中山競馬場の歴史や競馬レースのチャレンジC、ローズS、セントライト記念について詳しく解説しています。特にチャレンジカップの変遷やローズステイクスの注目馬、セントライト記念の歴史的背景が語られています。

中山競馬場の成り立ち
こんにちは、ダルマー競馬場です。
競馬場歴史シリーズ!
ということで、今日はですね、中山競馬場のね、歴史をですね、ざっくりとですね、
辿っていこうかなというふうに思っております。
まあ、中山競馬場といえば、といえばですよ。
大きいレースあるじゃないですか、いっぱい。
サツキショーだったりね、有馬記念とか、中山大賞会とかそうですね。
もう誰もが知っているね、そういうビッグレースの舞台なんですけど、
なんでそこに作ったん?ってところもね、あるので、
まあ、そこをね、探っていきたいなというふうに思っております。
ということでですね、今回からですね、最初に持ってきました。
この番組への感想・質問などありましたら、
メールフォームからご連絡いただく、コメントもお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら、
ぜひ番組のフォローもよろしくお願いいたします、と。
という感じで、競馬場歴史シリーズ、中山競馬場編、スタートです。
まあ、最初からね、やっぱりね、さっきも言っている通り、
中山にあったわけじゃないんですよね。
もともとは、松戸競馬場というところが大元なんですよ。
この松戸競馬場を運営していたですね、松戸競馬クラブっていうところをですね、
探していくと、まあね、掘ったら面白い話いっぱい出てきてるんですよ、これ。
すごい、松戸競馬クラブの歴史もね、ちょっとやりたいぐらいなんですけどもね。
今回はちょっと長くなりすぎちゃって割愛しますけども、
まあ本当にね、松戸競馬場っていうところを運営していた、
松戸競馬クラブっていうところが中山競馬場を作る大元になるわけなんですけども、
まあ結構内部でゴタゴタしてたりとか、
あとはもうね、1900年代の前半の関東っていうのは、
やっぱり関東大震災でね、いろいろな被害がありましたから、
なかなか落ち着かないんですよ。
なんですけども、やっぱり競馬場は作りたいんですよ。
競馬はやりたいんですよね。
まあ観光資源ではあるので、
まあやっぱり人を呼ぶためには競馬が必須っていうわけじゃないですけど、
競馬があったほうが絶対いいですからね、
というところで、そこで立ち上がったのが、
日田錦一郎さんという方でございます。
あれ聞いたことある方はだいぶ競馬研文録を聞いてる方だと思いますけども、
この人すごいですよ。
日田錦一郎さんね、
なんとこの中山競馬場の話に出てくる前に、
福島競馬場をですね、立ち上げた人なんですよね。
そっちがうまくいったから、
今度は中山に東洋一の競馬場を作りたーい!って言って宣言するんですよね。
ごめんなさいね、ごめんなさい。ちょっとふざけたんですけど。
で、東洋一の競馬場を作りたいからって言って、
地元の人たちを説得して回って、
今の千葉県船橋市の古作っていうところに競馬場を作っちゃうんです。
1928年に競馬がここで初開催されて、
大障害レースと有馬記念の誕生
この時からすごいのがゴールマイナーの旧坂。
中山といえば旧坂じゃないですか。
これもなんともうその時から既に設計に組み込まれていて、
既に中山といえば旧坂だよねみたいなのが、
もうこの1928年当時からあったっていうね。
これまた意外ですよね。
あの坂の歴史ってあるんですね、かなりっていう感じでございますけども。
で、この日田さんがですね、東洋一の競馬場を作りたいって言って作ったのが1928年なんですけど、
東洋一言うても競馬はやってるけども、なんかもの足んないなというので、
作ったのが生涯特別っていうレースですよね。
東京には東京優春大競争、日本ダービーありますし、
そこに引けを取らないというかそこに勝ちに行かなきゃいけないんですよ。
やっぱり東洋一を歌いに行くには。
なのでじゃあ中山はどうするってなった時に、
イギリスとかヨーロッパには障害レース大きいのあるよね。
もうダービーは取られちゃったからジャンプの聖地にしちゃえというので、
ダスキコース作ったりとか、大地久策であったりとか、
池垣とかをね、飛んだりする、下ったりするようなコースを作って、
スピードだけじゃなくてスタミナも度胸の、あと奇襯の腕もね、
全部試される舞台、それが中山だというところにしていこうと。
これで東洋一になるぞというので、
中山大障害と元となる大障害特別っていうのを作ったんですよ。
もうこの障害レースっていうのは独特ですよね。
飛越する瞬間におーって言葉が出たりとか、
あとはね全島全陣場無事に最後の障害を飛び終えた時なんていうのは、
やっぱり拍手が沸き起こるわけで、
この雰囲気っていうのは、
木田さんがね、大障害特別を作ったこの1934年からですね、
ちゃんと引き継がれて今にもあるような感じにはなってるんですけど、
これで東洋一になれるぞというのでやっていくんです。
もちろんでもなんですけども、
ちょっとね、黒男飲みすぎるんですよ。
もうなんかね、みんなね来るんですけども、
ちょっとやっぱりなんかスピード感あるやつ欲しくない?って言って、
1956年ですよ。運命の1956年を迎えるわけです。
当時の理事長有馬頼康さんが、
中山競馬場も徐々にアップデートされてきたし、
ちょっとなんか、もうちょっと盛り上がるレース欲しいよねっていうので、
ファン投票で出走場を決めるレース作っちゃおうぜって。
えー、そんなのいつやるんすか?ちょっと年末に決まってんじゃんって。
年末ならみんな見るでしょ?って言って、
提案したのが中山グランプリというレース。
ファン投票で出走場決めるんで、
これ結構斬新なアイディアじゃないですか。
なんですけど、これなんかやってるスポーツもう一個ありますよね。
野球のオールスターゲームっていうのは、
ファン投票で出場選手が決まるんですけども、
これが日本で始まったのが1951年ですよ。
で、なんで有馬さんがその野球のね、
ファン投票オールスターを持ってきたかっていうと、
この有馬さんはですね、なんと野球の伝道入りを果たしているほど、
野球に造形が深いんですよ。
日本野球連盟の相談役とかやってたりとか、
球団を持ってたりとかして、
野球の発展にもすごい尽力された方なので、
そういう造形が深かったというので、ファン投票を持ってきたんですけど、
第1回中山グランプリめちゃくちゃ盛り上がるんですよ。
すごいっすね、有馬さん。やばいっすよ。
人がめちゃくちゃ来ます。
これは良いレース作っていただきましてありがとうございますってなった2週間後に、
なんと有馬さん亡くなっちゃうんですよ。
えーみたいな感じなんですけども、
年末に行われて年明けてすぐ有馬さん亡くなっちゃったんで、
亡くなっちゃった年の中山グランプリっていうのは、
有馬さんの功績をたたないてちょっと名前変えなきゃいけないよねっていうので、
有馬記念になって、
第2回から有馬記念っていう名前になっていきます。
近代競馬場へのアップデート
そこからもう年末の総決算というか、
総決算みたいな感じで総がついて荷物出てきちゃうと、
なぜか総選挙になっちゃうんですよね。ごめんなさいね。
別にそんなすげーアイドルが好きなわけでもないんですけども、
なぜか総選挙って言っちゃいそうになるっていうのはごめんなさい。
総決算として定着して現在になるというわけでございます。
ただこの1956年に中山グランプリができて、
中山競馬場って別に終わりなわけじゃないですよ。
ここからまたまたさらにちゃんとアップデートを時代に合わせてしていくんですよ。
1960年代には有馬記念の距離が2500mに落ち着くわけです。
今有馬記念2500mなんですけど、
最初の10回、これは2600m行われてるんですよ。
10回の勝馬が新山なんですけど、新山以降は2500m。
なので新山の有馬記念というのは2600mなんです。
大里ぶん回してきたやつ。
意外ですよね。意外なんですよ。あれ距離違うんですよ。
1970年代後半には大規模改修やるんですよ。
それでスタンドをバーンって作って、一気に近代競馬場っぽい感じになるんですけど、
それまでの昔の写真とか中山競馬場の写真見ると、結構昭和の球場みたいな感じなんですよ。
ちょっとスタンドというか、外野席みたいな感じなんですよ。
この70年代の大改修によって、
最近の今私たちが知ってる中山競馬場の形の原型になっていく感じですよね。
80年代にはターフビジョンが登場して、大画面でレースが見れるようになります。
それまでは双眼鏡を持っていかないと馬が見えんというのだったりしてたんですけど、
このターフビジョンが登場したことによって、
それがなくなって、現地の観戦スタイルがガラッと変わったんですよ。
そこから90年代、2000年代にかけては90年代の競馬部はバコン来るじゃないですか。
バコン来た競馬部の時に競馬公営ギャンブルっていうのは、
臭い、汚い、怖いのこの三拍子は捨てていかないとダメだと。
女性も子供も来れるような場所にしていかないといけないというので、JRAが一気にガラッと変えたんですよ。
それまではおじさんたちがワンワン言いながら叫びどこよが聞こえてても全然普通。
それイコール競馬みたいな感じだったんですけど、
もうこの90年代から2000年代にかけての大規模イメージ変更ですよね。
それに伴ってスタンドとかもきれいにしますし、中に入っているグルメとかも充実させたりとか、
開催してない時のイルミネーションであったりとか、あとはクリーンに保ちましょうというので、
それまではすごい競馬新聞やら、ハズレ馬券やらが床に散らばっていたのが一切なくすという、
クリーンにしていくというイメージにガラリと変えたのはこの90年代から2000年代。
全競馬場やったと思います。やったと思いますというかやりました。中山だけじゃないですよ。
全競馬場やりました。
これがすごいのが、それがあることによって僕らがこうやって競馬は文化ですって堂々と言えるようになってきた。
それまではやっぱりギャンブルみたいな感じだったんで、これがあったからこその今、
今日と言っても過言ではないことがこの90年代から2000年代にかけて行われて現在に至るというわけでございますね。
現在に至るまではいろいろあるんですよ、中山もね。中山もいろいろあるんですけど、今回はざっくりとお話しさせていただいたということで、
今、松戸から始まって船橋へ行って、まあ市川は挟んでるんですけど、市川を経て船橋、今の場所に行って、
日田さんが東洋一位になりたいって言って大障害レースを作って、
有馬さんが年末の祭典、人がいっぱい見る競馬を作りたいって言ってファン投票のレースを作って年末の祭典ですよね。
これを立ち上げて何度も回収を重ねてアップデートをしてきたのが今の中山競馬の感じでございますね。
そんな中山競馬場で今週もレースが行われますよということで、今週のJLAでございます。
先週でですね、札幌開催が終わりまして、今週から2畳開催でございますけども、今週はですね、1月以来の3日間開催でございます。
いややこしい、いややこしい、いやいやこしいやー、いやいやこしいやーということでございますけども、
チャレンジカップの歴史
土曜日に阪神競馬場でG3チャレンジカップが行われ、日曜日には同じく阪神競馬場でG2ローズステイクスが行われます。
そして月曜日に中山競馬場でG2セントライト記念が行われますということで、まずはチャレンジカップでございます。
今年で76回目を迎えますG3のハンデキャップ競争でございます。
1950年にチャレンジカップとして創設されたこのチャレンジカップなんですけども、1953年からはですね、朝日新聞社の賞の寄贈を受けて
朝日チャレンジカップ、この名前でですね、長く定着してきたんですけども、10年前、2014年にですね、朝日会フューチャリティステイクスが阪神競馬場で開催されることになって
関西地区の寄贈は、じゃあ朝日会フューチャリティステイクスだよねっていうふうになります。もちろんG1なんでそっちの寄贈をしておりまして
関東地区の朝日会ってどうする?ってなった時に、セントライト記念ですね、朝日会は寄贈を移動させて、このチャレンジカップから朝日の名称が取れることになります。
これが取れて10年経って現在になるということでございます。10年、11年くらいですけどもね。
やっぱり朝日チャレンジカップのイメージなんで、このチャレンジカップって言われるとちょっとあれみたいな、ちょっと足りなくないみたいな感じなんですけど、もうでもね、外れて10年経つんですねっていう感じですね。
そしてこのレース、ハンデ戦だったり別定戦だったり、1800mで行われたり2000mだったりみたいな感じで、いろいろ競争条件変わるんですけど、2025年は芝の2000mのハンデキャップ競争でございます。
コース自体はですね、枠での差っていうのはあんまりないのかなっていうふうに思いますね。対立が結構早くに決まることが多いので、極端な流れにならないのかなみたいなイメージはすごいありますね。
なので、どっちかっていうと最後の坂どうやって攻略するみたいな感じなので、別定戦だったらパワーがある馬いいかなというふうに思うんですけど、今回ハンデ戦なんで、金量の軽い馬狙っちゃってもいいのかなみたいな感じで私は思ってたりとかします。
そして、ローズステイクスでございます。
今年で43回目を迎えます、週賀賞トライアルでございますけれども、この週賀賞トライアルになったのは、週賀賞が創設された1996年からでございます。
それまでは、このローズステイクス自体は1983年に創設されてるんですけど、この創設からですね、ずっとエリザベス上杯トライアルでございました。
最初は京都で開催されてたんですよね。
まあこのレースもね、数々の名馬が勝ちを収めておりますからね。
どういった馬が勝って今後名馬、名品として名を挙げていくのか、すごい注目のレースだったりしますね。
コース自体はですね、阪神の芝、1800メートルの外回りでございますから、足を溜めます。キレ味出します。
いけー!みたいな感じですからね、もう。
もう多分今日ね、こういう感じで言います。
すいません、多分今日こういう感じでございません。
なんですけども、ただ意外と逃げ先行馬っていうのが馬券に絡んだりもしますし、掲示板に結構載ってるんで、考慮しなきゃいけないなっていうのは多分あると思うんですよ。
こういう感じだったらもう絶対キレ味勝負、上がりの早い馬一択です、みたいな感じになりがちなんですけども、
意外と足溜めます、キレ味出しますだったらだいたいスローペースになるんで、そうすると先週の中山で行われたシオンステイクスみたいな感じでスラスラスラっと逃げ切っちゃう可能性も全然あるんで、ちゃんと考慮していかないといけないっていう感じですので、
あんまり枠で優劣はつかないとは思いますけども、しっかりとパイレーツがどう決まるかみたいな、ペースがどうなるかみたいなのを見ていきたいっていう感じですよね。
そしてセントライト記念でございます。
今年で79回目を迎えますG2競争でございます。
皆様ご存知、日本初のクラシック参加場セントライトの名前を冠したクラシック世代のボーバ限定による別定戦として1947年に創設されております。
えーボーバ限定戦だったんですね最初はって感じなんですけども。
最初はですね2400メートル東京芝2400メートルで行われていました。
まあまあまあそうですねセントライトだったらそうですよねみたいな感じなんですけども。
まあそこから結構ねなんといろいろと何回か開催場所があったりとか距離の変更とかあったりして、
ようやく1980年にじゃあじゃあじゃあもう中山の芝2200メートルでやりましょうっていう風に落ち着くんですよ。
でそこから4年後G3に格付けされて1987年そのまた3年後ですねG2に昇格して1991年に三着魔女の馬に菊花町への優先出走権が付与されて、
1995年に菊花町トライアルとなって、まあチャレンジカップのところでも言いましたけれども2014年に朝日配セントライト記念となって現在に至るということでございます。
あのねもともとね何年かはね農林水産省商店だったりとかね結構いろいろねうよ曲折あったりするのはこのセントライト記念でございますということで。
コースはですね中山2200メートルでございますから。
まあ持続力と言いますかね中段につけてそれー!
坂を登れー!みたいな感じ。
もうねなんですけどもあの先週のねさっきも言いましたけどシオンステイク見てもわかる通り逃げ切りがないわけじゃないですね。
なんですけどもイメージ自体は去年とかあとは一昨年の勝馬競馬みたいなイメージじゃないですかね。
逃げ馬先行馬がいてまぁだいたい3列目ぐらいから馬群を塗ったりとか外に出して一気に抜け出すみたいな感じのイメージじゃないかなというふうには思っております。
まあもうそういうのもね妄想してねこうやってね想像してね。
妄想して想像して上がるテンションみたいな感じなんですけどもそれがねやっぱり楽しいですよね競馬ってね。
はいということで今週も皆様に
いや先週さぁ万馬券取った人がいてね今週も俺絶対自信あるから同じ買い目で買いなよって言ってきたからさぁ
まあこの人も勢いあるしと思ってその予想に乗ったのよで買ってさぁそしたらね
当たったのよ万馬券っていうほどの会心の的中があることをお祈りしております。
まあまあそう自分の自分のなんかあれだよね。
自分の会心の的中っていうよりかもうそう先週万馬券取った人の会心の的中よねと思いますけどね。
もう会心の的中があることをお祈りしておりますということで
今回はですね最後までご拝聴いただきありがとうございます。
最初に持っていったんであのもしよかったら番組のフォローもよろしくお願いいたしますというところで
最後までご拝聴いただきありがとうございます。
また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。
さよなら。
22:20

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